第115話 年越し ⑵

 時計の短い針は十一の数字を過ぎていて、私はソワソワしていた。隣に居る滝沢は相変わらずテレビを見ている。


 この日に誰かと一緒に過ごすのは久しぶりでそれだけで嬉しいのに、隣には私の大好きな滝沢が居る。


 

「そろそろ蕎麦作ろっか」

 

 滝沢は立ち上がって台所に向かうので、私は飼い主に置いていかれないように着いていく犬のように彼女の後ろにくっついていた。


「遠藤さん座ってていいよ?」

「滝沢作れるの?」

「麺茹でるくらい誰にでもできるでしょ」

 

 むすっとして台所に向かってしまうので急いで追いかけた。彼女を怒らせたかったわけじゃない。滝沢を前にすると何でもかんでも甘やかしたくなってしまうのだ。


 彼女の言葉に甘えてそばを茹でているのを見ているだけにするつもりが、触れたいという欲が抑えられなくなっていた。彼女の髪に触れると簡単に手を払われる。


「遠藤さんやっぱり今日変だよ」

「滝沢のせいって言った」

「じゃあ帰る」

 

 本気で玄関の方に向かおうとするので抱きしめてそれを阻止する。こんなことではしゃいで彼女に迷惑をかけるなんて私はまだまだ子供だと思った。


 でも、仕方ないじゃないか。


 こんな寒い日に滝沢が隣にいてくれる。それが私にとってどれだけ嬉しいことか彼女は全然わかっていない。

 

「ごめん――。滝沢が来てくれたの嬉しくて浮かれてる。今日は寂しい日だったから……」

 

 私の彼女を掴む手は震えていたと思う。

 その手を解かれて滝沢が向かい合わせになり、私が抱きしめる力より強く抱き締めてきた。

 

「今日は私が居るから寂しくないでしょ」

 

 彼女は少し微笑んだ後に私から離れて、鍋に水を溜めてお湯を沸かしていた。彼女の無意識なその行動に私の心臓はいつもついていかなくなる。少し気が遠くなりそうな意識をここに留めておくことで必死だった。

 



 まな板の上に活きのいいネギを並べ、サクサクと音を立てながら細かく刻み、蕎麦用の味の付いた鶏肉も食べやすい大きさに丁寧に切り込んでいた。包丁を持っている滝沢が新鮮で目が離せなくなる。



「遠藤さん温かい蕎麦でいい? 冷たいのがいい?」

「温かいのがいい」


 そう言うと電気ケトルに水を汲み、お湯を沸かし始める。グツグツと煮立つ鍋に蕎麦を入れて、優しく麺を解すその姿も愛おしく、目に収めておきたくなる。


 滝沢はいつからこんな手際が良くなったのだろう。私が知らない間に彼女はどんどん変わっている。

 

 私は何故か焦りを感じて急いで箸や滝沢がくれたコップや飲み物を用意した。




 ピピピ、ピピピ、ピピピ


 タイマーを止めて熱湯と蕎麦をザルに流す時に滝沢が失敗するんじゃないかと心配になり見に行くが、私の心配はいらいないと言わんばかりに、滝沢は慣れた手つきで具材をどんどんと丼に持っていく。


「遠藤さんできたから持って行ってー」

「滝沢がほんとに蕎麦作った……」

「ばかにしすぎ」


 失礼な事だと分かりつつも、本音が出てしまう。


 滝沢の作るそばに夢中になっていたから気が付かなかったが時刻は十二時を過ぎていた。



「滝沢――」

「ん?」

「あけましておめでとう。今年もよろしくね」

 

 滝沢はハッとした顔をして時計を見ていた。そのまま私の方をまっすぐ見て少し照れくさそうにしている。

 

「遠藤さん、あけましておめでとう」

「それだけ?」

「今年もよろしく……」

「うん! 約束ね。来年までよろしくって意味だからねそれ」

 

 勝手に来年までという言葉をつけてそう伝える。そうすれば、滝沢は約束だと思ってきっと守ってくれる気がしたから。


 私は嬉しくて笑みがこぼれた。

 

 こうやって誰かと年越しをできたのは初めてに近いのかもしれない。もうあまり覚えてはいないが、小学生の頃は起きてられないことが多かった気がする。



 

「滝沢、初日の出見に行こうよ」

「寒いから嫌だ」

「じゃあ寒くならないように手繋いでてあげるから行こう」

「あほじゃないの」

「お願い」

 

 一月一日の日の出は小さい頃も見たことがない。

 人生で初の初日の出は滝沢と見たい。


 

「食べるよ」

 

 滝沢は私の言葉を無視して手を合わせて蕎麦を食べ始めてしまう。どうやら、私の願いは叶わないらしい。滝沢の説得を諦めて私も冷める前に蕎麦を食べ始めた。


 温かくておいしい――。


「滝沢の作ってくれた蕎麦って心温まるね」

「温かい蕎麦だからでしょ」

 

 相変わらず今日も彼女は冷たい。


 ただ、その冷たさの裏にはいつも優しさがある。だから私は彼女の隣にいつまでも居たいと願ってしまう。

 

「幸せだなぁ……」

「いいから早く食べなよ」


 やっぱりこの幸せが夢なんじゃないかなと疑い始め、私は無意識に自分のほっぺをつねっていた。


「遠藤さんなにしてんの」

「いや、夢じゃないよなって確認してた」

 

 そういうと滝沢が私のほっぺを信じられないくらい強い力で引っ張ってくる。


「いだぃ……」

「夢じゃないでしょ」


 痛いはずなのに心は温かくて私は自然と笑顔になる。そんな私の顔を見て滝沢の眉間には強く力が入っていた。彼女に気持ち悪いと思われるのは分かっているけれど、彼女を前にすると自分を隠すことすら難しくなっている。



 ふとテレビに目をやると、見たことない番組が流れていた。


「年越しの深夜ってこういうの流れてるんだね初めて見た」

「私も初めて見た」

「滝沢っていつもどんな年越しだったの?」

 

 …………


 聞かない方が良かったかもしれない。私は良くないことをしてしまったと言った後に後悔する。あまりに素を出し過ぎて彼女を傷つけてしまったかもしれない。

 


「ごめん……」

「謝らないでよ。家族は家にいるけど、私は部屋の布団に籠って、寝れるように頑張って目をつぶっては下から楽しそうな声が聞こえてた。そんなのだよ」


 私の無配慮な発言に彼女は怒ることはなかったし、悲しんでいる様子でもなかった。そのことに少しだけほっとする。

 

 私は無音の家に一人居ることが辛かったが、滝沢には違う辛さがあるのだと知った。私たちは似ているようで似ていないし、似ていないようで似ている。だから、こういう関係になれたのだろうと思う。


 


「初日の出まで時間あるけど、少し寝る?」

「へっ?」

 

 私はつい驚いて変な声が出てしまう。諦めていた話を急に掘り返されて、理解するまでに時間がかかった。


「どうするの?」

「私の部屋行こ」

 

 私は滝沢の気分が変わる前に腕を引く。彼女は抵抗することもなく着いてきてくれた。部屋は暖房も何もつけていないのでかなり冷えていて、床の冷たさに足裏がどんどんと冷たくなる。

 


「ごめん。部屋温めてないから今から暖房付けるね」

「いらないでしょ」

「えっ?」

 

 滝沢に引っ張られベットに押し倒される形になる。そのままぎゅっと抱きしめられた。私はわけのわからない状況を頭がついていかず、心臓だけがドクドクと動いている。

 

「遠藤さんの体温高いからこれで十分」

 

 そう言って滝沢は私のことを抱きしめてくる。



 滝沢は今日の私が変だと言った。


 しかし、滝沢の方が変だ。


 私の気持ちも知らないでこんなことをする滝沢は何を考えているかわからない。しかし、エアコンを付けていないこの部屋で寒くならないようにお互いが密着しているこの時間は私にとっては幸せだった。


 

「外寒かったでしょ?」

「うん」

「ごめんね」

「遠藤さんが暖かいから大丈夫」

 

 ぎゅうっと腕が私の背中に回される。心臓がとくとくと外に聞こえるくらい鳴っている。その音が彼女に聞こえないように私は口を開いた。



「滝沢ってずるい」

「なんで?」

「こんなことされたらみんな勘違いしちゃうよ」

「勘違い?」

「滝沢って私のこと好きなのかなって」



 私が滝沢のことが好きだと伝わらないように伝えられる精一杯の言葉だった。滝沢は少し驚いた表情をしていたけどすぐにいつもの真顔に戻った。


 

「じゃあ大丈夫。遠藤さんにしかしないから」

 

 その言葉に私は何も言えなくなってしまう。



 私だったら滝沢のことを好きにならないとでも思っているのだろうか?


 滝沢のそういう行動が私を勘違いさせるのだ。

 

 ずるいよ…………。

 

 私ばかりがこんなに彼女を想っていて苦しくなる。




「四時にタイマーセットしたから起きなかったら起こしてね」

 

 滝沢は私のことなんて置いて目を瞑ってしまった。


 私の心をこんなに乱しておいて本当に酷い人だと思う。

 

 私も少しは彼女に意識して欲しい――。

 


星空そら……」

 

 寝ているかもしれない彼女の耳元でささやいて、そのまま耳を優しく甘噛みした。

 

「耳くすぐったい」

「星空……」

「呼ばないで」

「やだ。呼びたい。星空――」

 

 私が彼女を無視して名前を呼ぶことを続けると滝沢がぐっと私を離した。私は怒られるか、もう一緒に寝ないと言われるかと思って次の言葉を準備するが、滝沢は全然違う行動をしてきた。


 温かくて柔らかいものが私を喋れなくする。


 彼女のしたことにぼーっとしていると「やっぱりこれが黙らせる一番いい方法だね」と笑われて、滝沢はそのまま寝てしまった。



 結局、私の方が意識させられて終わってしまう。どうしたら、滝沢に好きって伝わるのだろう。

 

 胸のモヤモヤが晴れないから目をつぶっても眠ることが出来なかった。

 

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