第104話 私の誕生日 ⑴
今日は今まで一番緊張する日かもしれない。
まさか、今日出かけるとは思っていなかった。
滝沢が私の誕生日なんて覚えているわけがないので、たまたまなのだろうけど、誕生日に好きな人と一緒に居れるなんて幸せな日はないと思う。なにより、滝沢と出かけられることが嬉しかった。
あと、一時間後に滝沢が来る。
滝沢がかわいいとか思う人ってどんな人なのだろう。かっこいい方が好きだったりするのだろうか。
メイクもオシャレも好きだし、色々な系統のファッションは試したことはあるので、自分に合う服も概ね理解しているつもりだ。
しかし、滝沢の好きな系統は分からない。
滝沢がもうすぐ来るというのに、何も決まっていなかった。
「はぁ、どうしよう……」
結局、派手過ぎないトップスにロングスカートを見繕った。髪の毛は下ろして毛先を巻き、ふわふわとさせる。目元のアイラインやアイシャドウはナチュラルなくらいにして、薄ピンクのリップを塗った。
準備が整い、少し待っていると滝沢が来るので出迎える。
「おじゃまします」
「どうぞ、上がって」
「うん。冷蔵庫借りていい? 飲み物入れたくて」
「うん……?」
滝沢は荷物を置く前にキッチンに向かう。冷蔵庫に物を入れ終わったら、いつも以上に真剣な顔をして仏壇の前に座っていた。
滝沢はいつも私の家に来ると、こうやって私の両親に挨拶をしてくれる。
そんな気を使わなくていいと言ったことがあるが、家に来ているのだから当たり前に挨拶をしているだけだと言って、今もずっと続けている。
滝沢は他人でたまたま学校が同じだっただけだ。
それなのに、私の家族をそうやって大切にしてくれることがとても嬉しくて、時々込み上げるものがある。
滝沢の合わせている両手を見ると絆創膏が貼られていた。
「滝沢、指どうしたの?」
「ちょっと擦り傷。遠藤さん、出る準備できてる?」
「うん」
「じゃあ行こう」
私の心配は軽く流され、滝沢がすたすたと家の外に出てしまうので私は急いで彼女の背中を追った。
電車に一時間くらい揺られて水族館に着くと、滝沢が水族館のマップを見て険しい顔をしている。
「滝沢、眉間に皺寄ってる」
そう言って彼女のおでこを触った。いつもなら触らないでと振り払われるはずなのに、何も言われなかった。
「遠藤さん、シロクマいるって」
滝沢は少し嬉しそうにマップを指さしていた。もしかして、シロクマのいるところを探してくれていたのだろうか。
滝沢はそういう素敵なところがある。人のために行動する彼女を見ていると、自分もなにか出来ないかと頑張りたくなるのだ。
「道順に行けば、最後の方には見れそうだね。行こう」
私は嬉しくて浮かれていて我慢できなくなり、隣を歩く彼女の手を握った。やめてとか離してって振り払われるかと思っていたが、大人しく手を繋いでくれた。
今日の滝沢は明らかにおかしい。
「滝沢、熱でもある?」
「なんで?」
「いや……」
それ以上何か言ってしまったらこの手を振り払われてしまいそうだったので、黙って回ることにした。
ウェルカムホールを抜けると天井が水槽になっており、朱色のマボヤが出迎えてくれた。マボヤの間をサメがゆらゆらと泳いでいて、水槽に太陽の光が差し込んでいる。
それはとても美しくて、見とれて上をずっと見ていた。
「首痛くなりそうだね」
「そうだね」
同調する滝沢を見ると彼女に光が当たっていて輝いていた。
滝沢って美人なんだよなぁ……。
漆黒の瞳、高い鼻、薄い唇、少し赤い頬。
私は水槽よりも滝沢の横顔に見とれてしまった。
「遠藤さん、次行こ」
滝沢に手を引かれ、その道を抜けるととても大きな仕切りのない水槽に出た。
「すごい……」
私は大きな水槽に釘付けになる。
イワシの大群からエイやサメと色々な魚が自由に泳いでいる。こちらの水槽も太陽の光が差し込み綺麗に輝いていた。こんなにも色々な魚が沢山泳いでいるのに、皆ぶつかることなくスイスイと泳いでいる。
「遠藤さん、あれみて」
滝沢が指さした方を見ると白いイルカみたいな生き物が泳いでいた。
「あれなんて言うんだろう?」
滝沢と説明資料の近くに急いで駆け寄る。
「スナメリ――。ネズミイルカ科スナメリ属って書いてる。一応、イルカの仲間らしいよ。イルカと違うのは背びれがないんだって。あっ、遠藤さん見て!」
滝沢に言われるまま水槽を見ると、スナメリがダイバーさんに対してつんつんとイタズラをしていた。
「海の生き物なのに人懐っこいね。滝沢の言うとおり、背びれない。不思議だね」
そんな会話をしていると大サービスなのかスナメリが私たちの近くまで泳いできてくれた。
「礼儀正しい子だね、私たちのところまで挨拶来たよ」
「滝沢みたいだね」
「わけわかんない」
スナメリも滝沢もかわいいなと思って微笑んで彼女を見る。
滝沢も笑顔だった。
きっと彼女は動物が好きなのだろう。
動物が好きで、勉強を教えるのが好き。彼女の好きなことを少しずつ知っていく。
これからももっと知りたいと思う。
「ここにいたら進まないし次行こうか」
滝沢の一言で私たちはもっと奥に進むことにした。
「冷たい海に住む生き物だって。カラフルな魚とか多いね」
少し暗い水槽エリアに着くと、イソギンチャクや色の目立つ魚たちで水槽が彩られていた。
「あれっておいしいのかな」
滝沢が指さした方にはタカアシガニがたくさんいた。
「水族館来て食べること考えるなんて滝沢らしいね」
私はつい微笑んでしまう。
「カニっておいしいイメージあるから」
「滝沢、カニ好きなんだ。覚えとこ」
「そんなの覚えてる暇あったら勉強しなよ」
滝沢は相変わらず真顔でそんなことを言っていた。
今日の滝沢は饒舌だ。
普段の彼女からは考えられないくらい話をしてくれる。そして、滝沢とこんななんでもない会話ができてとても嬉しく思う。
知らない魚ばかりだが、綺麗な色のものから特徴的で面白いものまで色々な生物が見れた。
今日の滝沢はずっと私の手を繋いでいてくれる。
なんでなのか理由は分からない。
わからないけど、これではただの恋人同士のデートにしか見えないと思う。今、滝沢はどんな気持ちで居てくれるのだろう。
「遠藤さん、十四時からイルカショーやるって。見るでしょ?」
「見たい……」
滝沢はずっと海の生き物や水族館内のこと、イベントまで色々調べてくれている。
それが私のためなのか、それ以外の理由があるのかわからない。
もし、私のためだとしたら……。
胸が苦しくなる。
そんな期待してはいけないはずなのに心のどこかでそうだったらいいな、なんて思ってしまう。
私達はイルカショーを見る前にお昼を食べることにした。
私はお腹が減っていたので、調子に乗ってうどん大盛りを頼んでしまい、後悔した。
「遠藤さんって細いのに大食いだよね」
「それ滝沢に言われたくない」
「別に私はそんなに食べてない」
「いつも、私の家でご飯沢山食べてくれるじゃん」
「それは遠藤さんの作るご飯が好きだから」
「えっ……」
ピーピー
聞きたいことが山ほどあるのに、昼食の出来上がりを知らせる音がなり、私たちの会話は遮られた。滝沢は何も言わずカウンターに向かうので、私も急いで彼女の後を追う。
私の耳が聞き間違いをしたのだろうか。
滝沢から今まで聞いたこともない言葉が聞こえた。
今までおいしいとかそういう言葉は聞いたことがある。しかし、滝沢が何かに対して好きと言っているのはほとんど聞いたことがなかった。
顔が熱くなる。
きっと聞き間違いだ。
それで納得すればいいのに、私はその言葉が事実だったのか確かめたくなってしまった。
「滝沢、さっきのもう一回言って?」
「なんで、やだ。早くご飯食べないとショー間に合わないよ」
滝沢は何事も無かったかのようにうどんを
私も滝沢の真似をしてみるものの、味がよく分からなくなっていた。よくわからないくらい胸が高鳴り熱くなっている。
滝沢に一つでも私の何かを好きと思えてもらえたことが嬉しかった。
ご飯を食べ終わると、少し時間があったのでさっきの続きから水族館をまたまわり始める。
「クラゲってなんでこんなに綺麗なんだろう……」
ふわふわと幻想的に泳ぐクラゲを見ていると自然とそんな言葉が漏れた。テレビなんかで見たことはあるが、生で見ると全然違う。
すごい近くにいるのに触れられないことを残念に思う。触れてみたらどうなのだろうか……ふわふわそうだ。
「生きてるんだもんね……」
そう言って滝沢はガラスに触れない程度に手を伸ばしていた。
「クラゲが有名な水族館が○○県にあるんだけど、いつか一緒に行こう?」
「なんで?」
「クラゲ、色々見てみたい」
かなりわがままを言っていると思う。でも、今日くらいは滝沢に甘えてもバチは当たらないと思う。
いつもの私なら絶対にしないことを今日は沢山してしまっている。どう考えても迷惑なことばかり言っている。それでも、なにか滝沢との約束が欲しかった。
「未来のことは約束したくない。期待して、期待を裏切られるとすごい悲しいから」
滝沢はすごい辛そうな顔をしていた。きっと彼女をそうしてしまったのは今までの周りの環境のせいなのだろう。
私は勝手に滝沢の小指を小指で握った。
「約束」
「約束とか勝手にしないで」
「じゃあ、私が行きたいって言った時に滝沢も予定空いてたら行こう?」
「…………」
滝沢はそれには答えてくれなかったけど、拒否されたわけではないので、私はそのまま彼女の手を握って水族館を歩き出した。
海獣エリアに着くと今日一番のお目当てのシロクマがいた。この間、動物園で見たのより小柄なクマだ。
「か、かわいい…………」
私は今日一番見たかったシロクマが見れて心が踊っていた。そして、体育祭の時に滝沢がシロクマの格好をしてくれたことを思い出してつい、微笑んでしまう。
「ほんとにシロクマ好きだね」
「だってかわいくない? 白くてもふもふしてて、ぼーっとしてるのに泳ぐとすごい迫力ある。癒される……」
「見れて良かったね」
滝沢は私の頭をぽんぽんと撫でてきた。
滝沢が? あの滝沢がそんなことするのか?
呆けていると滝沢に呼ばれる。
「そろそろ行かないとイルカショー間に合わないよ」
私は大好きなシロクマと滝沢のせいでぐるぐるとわけのわからなくなった感情をその場に残し、会場に向かった。
イルカショーの会場に着くと、水族館の人全員が集まっているのではないかと思うほどの人が居て、後ろの方の席しか空いていなかった。
イルカたちが一匹ずつ芸を披露して、自己紹介が始まる。滝沢は目を輝かせてイルカを見ていた。
「イルカってすごい賢いね」
「遠藤さんより賢いんじゃない」
「それは私のこと馬鹿にしすぎだよ。私だって最近は賢いもん」
イルカよりあほだと言われたことが心外なので頬を膨らませて滝沢を見た。
そんな私を見て滝沢が笑っている。
さっきイルカを見ていた時と同じ顔だ。
「滝沢って私のこと見る時、動物見る時みたいな顔するけど、私のことなんかと勘違いしてない?」
滝沢の笑顔が見れることは嬉しい。
しかし、動物的な扱いをされるのは嫌だ。ちゃんと一人の人として見て欲しい。
「遠藤さんって犬みたいだよね。わがままいったり、表情コロコロ変わったり、警戒心なかったり、警戒したり、今みたいにいじけたり、でも普段は忠実」
「私はペットってこと?」
さっきより険しい顔になって聞いてみる。
「イルカたち三匹一気にジャンプするってよ」
肝心な話の時に滝沢はいつも無視するか、話を変える。
次の瞬間、イルカたちが信じられない高さまで一気に空を舞う。イルカたちは太陽の光に照らされて、空を飛ぶ生き物のように見えた。
ばしゃん
観客の前列に水しぶきがかかり、子供たちがキャッキャっと喜んでいる。
「今のすごいね」
イルカは海の中でも空中でも自由だった。
輪投げをくぐったり、飼育員さんに餌をおねだりしたりとても可愛い姿が沢山見れる。
「さっきの話だけど、遠藤さんは遠藤さんだよ。ペットなんて思ってないから」
滝沢が急にさっきの話に戻るので頭が追いつかず心臓のスピードだけが上がる。
滝沢はこっちを見てくれない。
頬が少し赤いのがわかる。
滝沢にとっては素直なことを言うことすら、きっと緊張して勇気のいることなのだと思う。それを言うための時間だったのかと思うと、そんな滝沢が愛おしくなり、触れたくなった。
観客の目がイルカたちの大ジャンプに集まる中、私は滝沢だけを見ていた。
「滝沢……」
「ん……?」
そのまま彼女の唇に軽く唇をあてる。
滝沢は目を丸くしていた。
「ここ外だよ。いっぱい人いるんだからそういう事しないで」
「じゃあ、家だったらいいんだ」
「そういうことじゃない」
滝沢は不機嫌そうな顔になってしまった。でも、握っていた手は離そうとはしなかった。
滝沢のそういうところはずるいと思う。私のことを気持ち悪いと全力拒否してくれればいいのに。滝沢は優しいから私がほんとに傷つくことはしないのだ。
私の気持ちを知らないから仕方ないのかもしれないけど、そういう行動は私を勘違いさせる。
イルカショーも終わり、私たちは水族館の出口に向かっていた。
多くの人が歩く中、私たちの少し前を歩く家族の会話が聞こえてる。
「帰りたくない! イルカさんと遊びたい」
「イルカさん疲れてるからまた今度にしよう」
じたばたした少年をお母さんがなだめていた。
「やだやだ!」
「じゃあ、イルカさんのぬいぐるみ買ってあげるから」
「イルカさんと遊びたかった……」
その子は今にも泣き出しそうだった。
お父さんがその子をひょいと持ち上げ肩車をする。
「またすぐ来よう。また会えるよ」
「ほんと? じゃあ、また会える日まで我慢する」
子供は肩車で満足したのか嬉しそうな笑い声を出していた。
「私も家族と来た時あんな感じだったのかな――」
小学生の頃に一回家族と水族館に来たことがある。先程、滝沢に行きたいと伝えた綺麗なクラゲが沢山いる水族館だ。
ただ、お父さんとお母さんとどんな会話をしたかまではもう覚えていない。もう一度行けば思い出せるだろうか……そんな淡い期待を込めて滝沢と行きたいと願った。
「私ももう覚えてないよ」
その言葉に驚きふっと彼女の方を向く。
「ごめん……」
「そうじゃなくて。楽しかったことは覚えてるけど、どんな感じの会話をしたとかはもう覚えてないよ。記憶ってそんなもんでしょ」
滝沢の言うとおりだ。
人間の記憶はそう優秀じゃない。
私の記憶が優秀であれば、数少ない家族との記憶をずっと自分の中に閉じ込めて置きたいと思う。
しかし、そんなことは叶わなくて、最近は家族との記憶がどんどんと薄まっていき、思い出せないことも増えた。
その事が酷く怖くなる時がある。
このまま、父と母との大切な思い出を忘れてしまったらどうしよう。私にはもう何も大切なものがなくなってしまうのではないかと不安に襲われる。
そんな私に気がついた滝沢はぎゅっと手を握ってくれた。
「遠藤さん、今日楽しかった?」
「うん。すごく楽しかった。幸せだった」
「そっか」
できることならこの思い出も一生覚えていたい。そして、もし、少しでも記憶が抜け落ちるのなら、また滝沢と来て新しい思い出を作りたい。
そう強く願ってしまった。
私たちにそれ以上の会話はなかった。なかったけれど、滝沢の手からは優しさと温かさが感じられて、心はぽかぽかしていた。
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