第102話 修学旅行 ⑷

 眩しい光が目に差し込んできた。


 目を開けると遠藤さんが目の前にいる。


 あんなに脅えて、捨てられた犬みたいな顔をしていたのに、今はご飯をたらふく食べて幸せそうに寝ている犬のように目を閉じている。


 昨日、零れそうな涙の溜まっていたまぶたに触れた。


 起きそうもない。


 今度は優しく唇に自分のを当てる。

 遠藤さんの唇は柔らかくて気持ちいい。

 だからこんなにも触れたくなるのだと思う。


 もう一度その唇に触れようとした時に遠藤さんが目を開けた。


「滝沢のえっち……寝込み襲うなんて」

 

 遠藤さんは冗談なのか本気なのか分からないトーンで言ってくる。気持ち悪いからやめて欲しいくらいのテンションで話してほしかった。

 

「起きてるなら早く言ってよ」

 

 自分の行動が恥ずかしくなりこの場から離れたくなる。


 そういえば舞って戻ってきたのだろうかと焦り変な汗が出てきた。

 

 部屋を見渡すと私たち意外には誰もいない。


「舞、そのままあっちで寝るって連絡入ってた」

 

 遠藤さんにスマホの画面を見せられてほっと胸を撫で下ろした。



「遊園地で乗り物隣に乗ろうよ」


 遠藤さんが意味のわからない約束をしてこようとする。

 

「そんなの言わなくても一緒に乗ればいいじゃん」


 私がそう言うと遠藤さんは満足そうに笑っていた。なんでそんな幸せそうなのかわからない。

 

 しかし、昨日のどこか不安そうで悲しそうな遠藤さんは居なくなっていて安心した。


 

「おはよー!」


 部屋の扉が開いて、舞が元気よく入ってくる。

 

「昨日そのままあっちの部屋で寝ちゃった!」


 舞があちらで寝てくれて良かったと思う。きっと、二人で寝ているところなんて見られたら、今日一日遠藤さんとうまく話せなかったと思う。



「ご飯食べに行こうか」


 遠藤さんは私の手を引いてくれた。


 

 朝食を食べるとすぐ自由行動が開始して二人は楽しそうに部屋を出ていった。私も置いていかれないようにと二人の背中を追う。


 

「いやー楽しみだね! みんな今日は楽しんでいこうー!」


 安藤さんは朝からテンションが高く着いていくのがなかなか大変だ。遊園地では安藤さんと舞が中心になって園内を案内してくれる。


 昨日、遠藤さんにベッタリだった泉ちゃんは今日は山本さんにベッタリしていて胸のざわめきは落ち着いていた。


 私も彼女くらい人との距離が近い人間なら遠藤さんに触れていても周りから何も思われないのだろうか。


 …………


 いや、なんで遠藤さんに触れている必要があるんだ。

 

 余計な考えを振り落とすため、自分の頭をぶんぶんと振っていると遠藤さんに笑われてしまう。


「急にどうしたの?」

「なんでもない」


 そんな私の気持ちなんて関係なく自由行動の時間は進んでいく。最初はバイキングやコーヒーカップなんてかわいいものだったが、次に乗るのはジェットコースターだった。

 

「滝沢、こういう系大丈夫なの?」

「あんまり何も感じないかな」

 

 乗ったことがなかったのでそう言ってみたが、乗ってみると全然感想は違った。

 

 乗っている間、ずっと空が近い。風が気持ちいい。ふわふわとしている感覚になる。


 みんなは怖いだのキャーキャー騒いでいたけど、私からしたら気持ちよくて楽しかった。


 ジェットコースターに乗り終わると半分くらいが死んだ顔をしてベンチにぐったりと座っている。

 

「蘭華〜抱っこして〜」


 泉ちゃんは一番具合が悪そうで腰も抜けている。山本さんが仕方ないなと言っておんぶをしていた。


 舞も安藤さんももうしばらくは無理と休んでいる。

 遠藤さんは思ったよりも平気そうだった。


 遠藤さんは乗り物に乗ったあとずっと楽しそうだ。意外と遊園地とか好きなのかもしれない。


 

「滝沢どうだった?」

「思ったより良かった。ふわふわしてて、飛んでみたらこういう感覚なのかなと思った」

 

 深い意味はなかった。


 しかし、すごい怖い顔で遠藤さんが私の腕を掴んでいた。


「滝沢ってまだ……」

「ごめん。そういう意味じゃないよ。空が近くて空飛んでるみたいで楽しかったってこと」

 

 遠藤さんはなにを思ったのかそっぽ向いてお手洗いに行くと、その場を離れてしまう。相変わらず彼女はお母さんみたいに私をいつも心配してくれる。



 

 ジェットコースター惨敗組が回復するまでの間、たまたま山本さんと二人で話す機会があった。

 

「星空さんと陽菜さんって付き合ってるの?」


 思わぬ質問に心臓がドクンと鳴る。私は焦る気持ちを悟られないよう声を低くして話した。

 

「付き合ってないよ。なんで?」

「別に後ろつけてたわけじゃないけど、みんなで勉強した帰りの日、二人がキスしてたのたまたま見たから」


 心臓がとくとくと早くなる。私はそのことに何も言えずにその場にたたずんでしまった。

 

「もしかして、セフレ?」

「そんなんじゃないっ――」

 

 そんなことしていないし、したこともない。山本さんの質問になぜかイライラしてしまい強い口調で答えてしまった。


「ごめん。不快にさせたよね。気になったから聞いてみただけなんだ」


 そう言って山本さんはその場から離れていった。

 山本さんはいなくなったが胸の中のモヤモヤはいなくなってくれなかった。


 みんなが回復したあと、他にもいろいろ回って少し雰囲気の怖い場所に着く。

 次はお化け屋敷と乗り物が一緒になっているアトラクションに乗るらしい。


  

「ふふふ、皆さんお待ちかねの肝試しですよ。まあ乗り物なんですけどね!」

 みんなは楽しそうにスキップしながら入っていた。一人を除いては。

 

 遠藤さんを見ると足が止まっている。


「行かないの?」

「んっ、あ! うん……行くよ」

 

 挙動不審な遠藤さんが少しかわいいと思ってしまうあたり、私はおかしくなってしまったのかもしれない。

 

「もしかして怖いの?」

「怖くないよ。大丈夫……」

 

 明らかに顔色は悪くなっている。このまま彼女とここに残ってもいいと思ったので一応心配してみた。


「行くのやめる?」

「行く」

 

 遠藤さんは強がっているのか、勝手に私の手を握って中に入った。

 隣に座っている遠藤さんはずっと真顔だ。

 舞が何かを思い出したのか後ろを振り返り話しかけてきた。


「陽菜、怖いの苦手じゃなかったけ? 大丈夫?」

「余裕だよ」

 

 全然余裕じゃなさそうな顔で言っている。アトラクションが始まると、いきなり遠藤さんが叫び出した。

 目には涙が溜まっていて、今にも泣き出しそうだ。


 私はつい笑いをこぼしてしまった。

 

「滝沢、人の不幸をみて喜ぶなんて酷い……」

「いや、完璧な遠藤さんにも苦手なものがあるんだと安心しただけだよ」


 私はそのまま彼女の手を握った。

 遠藤さんの手は温かい。まるで、彼女の心の中みたいに温かい。


 出会った時は完璧で、人には素顔を見せず、心の中は冷めている人間なのかと思った。


 ただ、遠藤さんを知れば知るほど、彼女は一人の人間で、年相応の女の子なのだと知った。


 遊園地は全然乗り気じゃなかったけど、遠藤さんの色んな顔が見れて良かったなと思ったりもしている。


「滝沢……手なんで……?」

「怖がってる子をほっとけないからかな」

 

 一年前の私はこんな冗談みたいなこと絶対に言えなかったし、自分からこんなことをするような人ではなかった。


 遠藤さんが私を変えてくれた。


 冗談を言ったあと、はにかんだ笑顔で遠藤さんを見ると遠藤さんの表情が少し和らいだ気がした。



 

「いやぁ、怖かったねぇ。でも、楽しかった!」

 舞があははと笑っている。

 

「やっぱり最後は観覧車だよね!」

 泉さんがノリノリで観覧車に向かっていた。

 

「カップル多いねー、やっぱりあれかな頂上でキスしたカップルは別れないとか、ずっと一緒に居れるってジンクスあるからみんな来てんのかな?」


 そんなことが世の中では信じられているのかと驚きを隠せなかった。そんなことが本当に叶うのなら、今頃この観覧車は行列で入れないだろうと思う。

 

 舞と遠藤さんと私の三人で観覧車に乗ることになった。


「じゃあ、私たちは先に乗るねー!」

 大声で私たちに声をかけて安藤さんたちは先に乗ってしまった。


「二人とも今日は楽しかった?」

 舞が笑顔で嬉しそうに聞いてくる。

 

「すごい楽しかったよ、舞も色々計画立ててくれてありがとう」

 遠藤さんが自然な笑顔で答える。それに私も便乗して気持ちを伝えた。

 

「私も楽しかった……」

 こういうことを素直に言うのはまだ慣れないけど、楽しかったのは事実なので舞にちゃんと伝わればいいと思う。


「二人が喜んでくれて私も幸せだよー!」

 舞は私たちに抱きついてきた。


「これが最後だと思うと悲しいねー」

 遠藤さんは観覧車に乗り込む、私もそれに続いて乗った。


 扉が閉まる。


 舞が観覧車の外で手を振っている。


 なんで……?


 

「私、高所恐怖症だから観覧車だめなんだ!」


 舞が笑顔が遠くなった。

 

 いや、ジェットコースターとか高所恐怖症で大丈夫だったのかと色々な疑問があるけど、出発してしまうと扉が開くことはない。


 遠藤さんは向かいに座り、そのまま、時間が流れた。


 

「今日楽しかったね」

「うん」

「滝沢、また一緒に来ようよ」

「うん……」

「えっ!? いいの!?」


 その問いには答えなかった。だって、約束をしてそれが叶わなかったら私はきっと彼女を恨んでしまう気がしたから。


 

 思い出したくもないのに、昨日の夜の話を思い出してしまう。

 遠藤さんは好きな人がいると言った。

 いつかこういう場所も好きな人と来るのだろうか。


 今日みたいに色々な表情をして、幸せそうに居るのだろうか。


 私はあとどれくらい、遠藤さんの隣に居ていいのだろう。


 

「遠藤さん、好きな人って誰――」

 

 聞きたくないけど、聞きたかったこと。

 知りたくないけど、知りたいことだった。


 昨日からずっと考えないように引っ込めていた。モグラ叩きをずっと繰り返すみたいに叩いては何回も出てくる嫌な感情。

 

「言えない……」

 

 昨日もそれだ。彼女は何も教えてくれない。


「じゃあ、恋人できたら教えて」

「なんで?」

「遠藤さんに恋人できたらもう変なことしないから」

「変なことって……?」

 

 向かいに座っていた遠藤さんに覆い被さるような形になる。


 観覧車が大きく揺れた。


 遠藤さんに近づいて、遠藤さんの柔らかい唇に私の少し緊張して硬くなった唇を押し当てた。

 

 遠藤さんが私を少し押し返そうと肩に手を置くのでその手を握りしめて彼女が抵抗できないようにする。

 

 唇を優しく撫でたり、噛んだりした。


 それだけでは足りなくて、そのまま唇の間を通って、遠藤さんの熱を感じられるところに行き着く。


 私はいつからこんな体になってしまったのだろう……。

 


 遠藤さんばかりみていたから気が付かなかったが、今は観覧車の頂上くらいだろうか。

 



 遠藤さんが好きな人を嫌いになるくらい酷い振られ方をすればいいのに。


 遠藤さんに好意を持つ人も遠藤さんが好きになる人も居なくなればいいのに。

 

 そしたら、遠藤さんは私とずっと一緒に居てくれるだろうか――。


  

 噂とかジンクスとか信じるタイプではないけれど、今だけはそれが本当だったらいいなと思った。

 


 観覧車がかなり低くなってきたあたりで、私は遠藤さんから体を離した。

 遠藤さんの顔を見ると顔を真っ赤にして涙目になっている。


 そこで自分が最低なことをしていたことに気がついた。


 自分の気持ちばかり遠藤さんに押し付けてしまった。私が罪悪感から彼女と距離をとっていると不満そうな声が飛んでくる。

 

「あと少しくらい隣に居てよ」

 

 そう言われて、私は遠藤さんの隣に座った。少しばかりの罪滅ぼしだと思って、黙って彼女の隣に居ることにした。

 



 

「おかえりー!」

 舞が出迎えてくれる。少しばかり彼女には文句があった。

 

「観覧車苦手なら行ってよ」

 私が不機嫌そうに言うと頭をぽんぽんとされる。

 

「ごめんごめん。それより陽菜、顔赤くない? 熱? 大丈夫?」

「大丈夫」

 遠藤さんは愛想笑いをしていた。

 


 

「舞ちゃん、星空ちゃん、陽菜ちゃん! 私たちと自由行動まわってくれてありがとう!」

 泉ちゃんが深々とお辞儀をすると山本さんと安藤さんもペコペコとしていた。

 

「こっちのセリフだよ! 楽しかったありがとう!」

 舞がそう言いながらお辞儀をするので、私も合わせてお辞儀をした。



 憂鬱だった修学旅行はこうして無事終わったのだった。

 

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