第84話 家族会議の準備 ⑴


 遠藤さんの引退試合を見に行ってから、すぐ夏休みに入った。遠藤さんは部活を引退してからほぼ毎日勉強に打ち込んでいる。

 

 週一回の美海ちゃんの家庭教師バイトが復活したが、それ以外の日は私も図書館か遠藤さんの家で受験勉強をしているので、ほとんど遠藤さんといる気がする。夏休みになったのにこんなに遠藤さんと過ごす時間が多いと不思議な感覚になる。

 

「滝沢、ここなんだけど……」

 

 こうやって分からないところは聞いてきて、勉強を進めるのだが、勉強に熱が入りすぎてほとんど休まず進めているので少し心配になる。


「遠藤さん、受験勉強も大切だけど引退してからほぼ休まず勉強してるじゃん? たまには息抜きとかしたら?」


「今の私の成績じゃ不安なんだ。でも、滝沢の言う通りだね。じゃあ、今週の土曜日うちの家で泊まり込み勉強会だね」


 ん??


 息抜きをしろとは言ったのに丸一日勉強する気だ。そもそもなぜお泊まりなのか分からない。

 

「私は息抜きしろって言ったんだけど」

 

 私は不機嫌なトーンで話しかけているのに遠藤さんはニコニコしている。


「滝沢と一緒に居るだけで私の息抜きだよ」

「意味わかんない」

「ふふ、滝沢のそのちょっと困った顔かわいい」

 

 遠藤さんのその言葉に胸がドクドクとなる。かわいいなんて言われ慣れてないからこういう時の上手い返しがわからない。


 最近、遠藤さんと一緒に居ると内蔵に悪い気がするのでお泊まりは断るべきだ。ちょうど夏休みで姉も帰ってくるし適当に理由をつけて断ろう。


 

「姉も帰ってくるし、家族に大学の進学のこととか話さないといけないから、お泊まりはちょっと難しい」

 

「じゃあ、真夜さんもくればいいじゃん。前に泊まりに来た時も、今年の夏休みに滝沢の家族で話し合いする準備したいって言ってたし、その打ち合わせも兼ねてどう?」

 

 そういう事じゃないのだ。


 しかし、こうなった時の遠藤さんは絶対譲ってくれない。

 なんでいつもこうなるのだろう…… 息抜きしろなんて言わなければよかった。ため息をついて諦めることにした。




 ***

 

 最近、もう一つ悩みが増えた。

 夏休み中、姉がしばらく実家に滞在することになるので、光莉さんも来ることになるのだが、うちの家でそんなに長期間泊まっていたら親がなんて言うかわからないので、光莉さんは遠藤さんの家で預かってもらうことになった。

 

 遠藤さんと毎日二人きり……。

 

 光莉さんは真夜姉と付き合っているので、遠藤さんに変なことをしたりしないと思うが、純粋に遠藤さんと誰かが遠藤さんの家にいるのが嫌だった。

 

 最近の私は矛盾している。


 遠藤さんと居ると苦しくなるのに、一緒にいたいと思う。だから、ずっと一緒に居れる光莉さんが羨ましい。光莉さんがずるい……遠藤さんのご飯食べたり、素の遠藤さんを見られたりするのは嫌だった。

 


「光莉に嫉妬してる?」

「なんで」

「さっき、光莉が陽菜ちゃんの家向かったらすごい顔してたから。うちの親が厳しくなければいいんだけどね……」

「知らない」

「私は陽菜ちゃんに嫉妬するよ」

 

 なんで? 真夜姉も嫌だとかそう思ったりするのか? 私が不思議そうにしていると姉が優しく微笑んで答えてくれた。

 

「光莉のこと好きだからね。信頼もしてるし、別に疑ってるわけじゃないけど、もっと一緒に居たいよ。光莉の私生活は私しか知らなくていいし、私だけが知ってる光莉を他の人に知られたくないよ。姉さんは器の小さい人間なんだ」

 

 真夜姉は苦笑いをしているが、そんなことないと、私は首を横に振る。


 いつも余裕そうな真夜姉がそんなことを思っているのは意外だった。それくらい光莉さんのことが好きなのだろう。


 好き……


 遠藤さんのことは大切だし、他の人と違い特別だ。だから、好きなんだと思う。ただ、ここ時はまだその好きの正体がなんなのか深く追求はしていなかった。


 難しい顔をしていたからか、真夜姉が私の頭をぽんぽんと撫でてくる。

 

「陽菜ちゃんと一緒に居る光莉が羨ましいとか、嫌だなって思ってるんだよね?」

 

 そう聞かれて、私は素直にこくりと頷いてしまった。姉は微笑んでいるばかりだ。

 

 早く、今週の土曜日になればいいと思った。



 

 ***


 

 土曜日はあっという間にやってきて、日中は遠藤さんの家で勉強をすることになっている。遠藤さんの家に滞在していた光莉さんは、出かけると言って家にはもう居なかった。

 

 夜に真夜姉と光莉さんが遠藤さんの家に来ることになっている。


 遠藤さんはショーパンにティシャツを着ている。

 私は夏だけど長袖を着ていたりする。特に理由はないけど、あんまり薄着が好きではないからだ。しかし、暑いのは嫌いで遠藤さんのその姿を見て、涼しそうだなと羨ましく見ていた。


 結局、遠藤さんの行きたい大学ややりたいことを私は全然知らないで今に至る。

 

 遠藤さん、どこに行くんだろう?

 

 前は詳しい事を聞かない方がいいかなと思っていたけど、やっぱり気になってしまう。前聞いた時は迷っていると言っていた。しかし、こんなに勉強している所を見ると、きっと何かしらは決まっているのだと思う。


「――遠藤さん、卒業したらどうするの?」

「建築士になりたいからそういう系の学部志望のつもりだよ」

「どこの大学行くの?」

 

 そう聞くと遠藤さんは難しそうな顔をして

「今は答えられない」と言った。


 なんで教えてくれないのだろう。遠藤さんはどこに行ってしまうのだろう……そんなことばかりが気になって勉強が手につかなかった。


 このモヤモヤとした気持ちを消すために質問を変えることにした。

 

「光莉さんとはどうだった?」

「光莉さん案外いい人で楽しかったよ。一緒にご飯作ったりしたし、夜はゲームとかトランプして遊んでた」

 

 質問したことを後悔した。

 胸がズキズキと痛む。

 前に遠藤さんと一緒にご飯を作ったことがある。あれは私にとって忘れられないくらい印象に残るものだったから、たぶん、楽しかったのだと思う。それを光莉さんとは普通にするらしい。

 

 しかも、私たちは遠藤さんの家では勉強以外に何かをしたことがほとんどないのに、光莉さんは一緒に遊ぶらしい。遠藤さんの顔から楽しかったのが伝わり胸の黒いもやが大きくなる。


 遠藤さんが誰かと楽しかったり、なにか一緒にして居るところは見たくも想像したくもない。二年生の頃に一緒にいた友達みたいに私以外の人には作った笑顔で接して欲しい。

 

 そんなくだらない考えばかりが頭に浮かぶ。真夜姉が自分は器が小さいとか言ってたけど、私はもっと小さかった。


 自分の中で黒いものがぐるぐると巡って体が勝手に動いていた。


 

「――滝沢?」

 

 隣で勉強をしていた遠藤さんの腕をかなり強い力で掴んでいたと思う。

 

「今からしばらく黙って動かないで」

「なんで……?」

「勉強教えてるんだからそれくらい我慢して」

 

 私の態度はかなり横暴だし最低だと思う。

 しかし、今の自分を止めることはできなかった。遠藤さんは黙ったし、掴んでいる腕から力が抜けていくので私に従ってくれそうだ。


 遠藤さんの鎖骨に顔を近づける。

 鎖骨の柔らかい皮膚をじりじりと噛みつけるように吸った。

 

 そこは赤くなり、私が彼女の体に付けたのだと証明してくれる。そこだけは、遠藤さんの体なのに私のみたいに思えて少し安心する。



 ただ、気持ちが晴れることはなく、位置を落としてもう一度同じことを繰り返す。近くにもうひとつ、もうひとつと付けるとさすがに遠藤さんに止められた。

 

「滝沢……付けすぎ……」


 たしかに、遠藤さんの鎖骨の辺りは赤い痕が何ヶ所かある。

 

 全部私がつけた。

 

 今の服装では姉たちが来た時に心配されるほど付いている。


 これで私は満足すると思った。

 しかし、今日はずっと胸の中の靄は晴れることはなさそうだった。


 遠藤さんが私以外の人と仲良くなんてしなければいいのに……せめて、私以外には嘘つきの遠藤さんでいて欲しい。


 

「――喋っていいなんて言ってない」


 そう言って私は遠藤さんの首筋に同じことをする。強くずっと残ればいいと思った。

 


「滝沢……いたい…………」

 

 付けた赤い場所を無意識に何度も噛んでいた。歯型も残っていたからかなり痛かったと思う。しかし、くっきりと首筋に残った赤い印は私を安心させてくれる。


 

「いいから黙っててよ」

 

 私は遠藤さんの黙らない口を塞ぐ。

 黙っててと言ったのに喋る遠藤さんが悪い。そう思いながら、彼女の熱がもっと欲しいと自分の舌を遠藤さんの柔らかい唇の間に滑り込ませる。

 

 遠藤さんは従順だ。

 黙ってはくれなかったけど、抵抗したりその場から離れようと動いたりはしなかった。ずっとこうしていたいと思うが、呼吸も忘れて行動していたから苦しくなりお互いの距離が離れる。遠藤さんの顔は険しくなっていた。


 

「滝沢のばか……これじゃあ真夜さんと光莉さんに見つかるし、見つかったらあの二人、絶対聞いてくるよ」


 遠藤さんはそれが嫌なのか困った顔をしていた。私は最低かもしれないが赤い印が見つかればいいと思った。そしたら光莉さんは遠藤さんに近づかなくなるかもしれない。

 

 私の付けた痕をずっと見ていたら遠藤さんが着替えてくると言って部屋を出てしまうので、気持ちの晴れない私のみが部屋に一人残された。


 

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