第82話 最後の試合

 時間の流れはあっという間で、ついこの前に激戦を乗り越え、県大会の切符を手に入れたのにもうその県大会の本番を迎えようとしていた。

 

 何事もあまり緊張しないし、なんとかなると思っているタイプだが、今回ばかりは少し緊張する。

 

 初めての県大会で、しかも私はキャプテンだ。みんなも緊張しているのでチームを引っ張っていかなければいけない。


 負ければそこでおしまいだ。

 今は少しでも長くコートに立っていたい。


 そんなプレッシャーが私に押しかかる。

 



 試合のプレッシャー以外に私には悩み事がある。


 県大会に行くことが出来たので、約束どおり、滝沢の行く大学を教えてもらえた。滝沢には伝えていないが、私も同じ県の大学に行きたいと思っている。


 理由は簡単だ。


 滝沢と会えなくなるのが嫌だからだ。


 

 私は、ずっと迷っていた。

 早く働いてひとり立ちするべきか、自分のやってみたい仕事のために大学に行くか。

 しかし、最近は大学に行きたいと思うようになった。


 私は建築士になりたい。


 お父さんが建築士だったから小さい頃から憧れていた。


 この家の間取りは全部お父さんが考えてくれていた。隅々までこだわった間取りは、お父さんらしいと思う。


 家というのは住む人にとって、大きな支えとなる。そして、大切な人と住む大切な場所になる。


 私はそんなに大切な場所を作れる人間になりたい。


 お父さんとお母さんはもう居ない。

 けれど、二人が残してくれた沢山の思い出がここにあり、私は一人でも生きてこれた。この家は私にとって大切な場所で、私を支えてくれる大切な家だ。


 そんな家を作れるようになりたい。


 建築学部はどこもかなりレベルが高いので諦めていたが、滝沢のおかげで大学に行けないこともないレベルまで勉強ができるようになった。今度、おばあちゃんたちに相談してみたいと思っている。

 

 大学に通うのなら家から近くの大学でお金がかからない方がいいに決まっているが、高校を卒業したら滝沢に会えなくなるのは嫌だった。

 

 いつか滝沢にこの気持ちを伝えたい。

 〝好き〟と言いたい。

 

 伝えたいけど、それは今ではないと思っている。それがいつでも出来るように近くに居たいと思った。

 

 滝沢にこの思いを伝えることも、滝沢に同じ気持ちになってもらえることも簡単なことではないし、叶わない夢だと思ってすらいる。


 だからこそ、離れたくないと思った。

 


 そして、最近の私の悩みと反比例するように滝沢の態度が大きく変わった。

 

 高総体の予選以降、滝沢がかなり素直になったのだ。そして、私が滝沢に何をしてもあまり嫌がられないし、拒絶されることも少なくなった。

 

 試しに色々してみた。

 

 手を握ってみたり頬っぺや唇にキスしてみたりしても、外でない限り滝沢はあまり嫌だと言わなくなった。しすぎると怒られてしまうのは実証済だ。

 

 もしかして、しすぎて慣れてしまったとか……?

 

 何にせよ滝沢に触れられるのは嬉しいけど、なんでだろうと疑問ばかりが募り、頭の中は整理がつかなくなっていく。


 そして、滝沢のふとした時にとる行動が私の心臓を破裂させる勢いで追い詰める。

 

 この間は心臓が壊れそうだった。


 たくさんの感謝を伝えたくて、私から滝沢を抱きしめた。でもまさか、抱き締め返されるとは思ってなかった。

 

 なんであんな行動を取ったのか聞きたいけど、聞いたらきっとしばらく口を聞いてもらえなくなりそうだ。


 滝沢のことが気になる……もっと知りたいのにこの距離がもどかしい……。



 そんな悩みもある中、今日の試合に集中しなければと思い、家を出た。

 試合のこと、滝沢のこと、大学のこと。


 考えることは多く、常に不安でいっぱいだ。

 






 県大会は予選よりも大きい会場で行われる。


 ずっと憧れていた会場――。

 

 人が多くて、強そうな人ばかりで圧倒されてしまう。ここに居たら自分なんて気持ちが弱すぎて消えてしまいそうだ。


 頭を左右にブンブンと降る。


 今日は滝沢が見に来てくれると言った。

 かっこ悪いところは見せられない。

 頬っぺをぺちぺちと叩いて気合いを入れ直す。

 

 チームメイトたちが入口付近で集まっていた。舞と美海ちゃんもいる。

 

「キャプテン遅刻ですかー!」

「まだ五分前だよ」

 そう言って舞の頭をくしゃくしゃした。


「陽菜先輩、舞先輩が可哀想なので離してください」

「そうだそうだー!」

 

 二人は意気投合していて、私が舞を離すとわちゃわちゃし始めた。いつからこの二人はこんなに仲良くなったんだろう?


 そんなことは気にしている場合ではないので、チームのみんなを集めてアップや作戦会議を始める。試合の時間が近くなると滝沢から連絡が入っていることに気がつく。


「ついたよ」


 それだけなのに私の胸を熱くさせて、体から力が湧いてくる。


 少しでいいから会いたい。


 試合まで少し時間があったので、会えるか分からないが滝沢を探すことにした。

 

 会場を少し探すとすぐ見つけることが出来た。我ながら滝沢のことをよく分かっているなと感心してしまう。どうせ隅っことかで人を避けているんだろうなと思ったけど案の定、誰もいないジメジメした場所にいた。


「滝沢、なんでそんなところいるの」


「遠藤さん?!」

 かなりびっくりした様子で、縮こまったまま私を見ていた。

 

「人多くて隠れてた……」


 その言葉につい、お腹を抱えて笑ってしまう。


 滝沢らしい。


 試合までかなり緊張していたが滝沢のおかげでだいぶほぐれた気がする。滝沢の顔を見ると安心する。やっぱり、滝沢の力ってすごいなとしみじみ感じてしまう。



「ねえ、滝沢」


「ん?」


「頑張れって頭撫でて?」

 

 撫でてくれないと思うがかがんでみる。頑張れ、くらいは言ってくれると期待している。ルンルンで待っていると想像していなかった出来事が起こった。


 

 滝沢に腕を引かれぎゅうっと抱き締められる。

 会場には多くの人がいて、私たちを見る人もいれば、気にせず通り過ぎる人もいる。


 滝沢、なんで……?




「応援してる。見てるから」


 そういって滝沢は私から離れて不器用な笑顔で笑いかけてくる。



 滝沢はずるい……。


 私は彼女の行動ひとつでこんなにも感情が揺さぶられてしまう。


 早くなった心臓は落ち着くことはなさそうだ。




「勝っても負けても後悔しない試合にするから」


 そう言って私は彼女に背を向けた。


 先程まで感じていた不安はどこにいったのだろうと思うくらい、今は早く試合がしたいと思う。


 滝沢は私に沢山の勇気を与えてくれる。


 



 試合開始のブザーがなった。


 初戦の相手は去年ベスト八に入ったチームだ。

 勝つのはなかなか難しいと思う。


 相手がすぐに先制点を取る。

 

 やっぱり最初はマークが甘いので、こちらも負けじと開始点を取る。しかし、相手の勢いは止まらず連続で点数を決められて1クォーター目は終わった。


 十五対二十三


 追いつけない点差では無いが、かなり離されてしまったと思う。


 チームが暗い雰囲気の中、ベンチで舞が私に話しかけてきた。


「今日の私、変な動きするかもだけど、陽菜はいつもどおり動いて欲しい」


 何をするつもりなのだろう? と思いつつ、二クォーター目が始まるので私たちはコートに出た。



 美海ちゃんもいつも以上に動きがいい。

 私も今日はシュートの調子がいい。


 ただ、それ以上に相手の勢いがすごかったのだ。



 これが県大会レベルなのだと思い知る。

 私はシュートを警戒されてマークが厳しい。

 

 そんな苦しい状況の時、舞がコートの真ん中を切り込む。


 チームのみんな驚いて対応が遅れていた。


 舞はチームのことを冷静に把握して、人が動くようにパスを出したり、自分が動いたりするが、自らゴールに向かうことはほとんどなかった。


 あっという間にゴールまで距離を詰めて点数を取る。



「みんなぼさっとしてないで次も攻めるよ!」


 舞が笑顔でそんなことを言っているが、あんなに本気な舞の顔は初めて見た。


 舞のおかげで、チームに活気が戻る。


 私もいつもと変わらず、いや、いつも以上に気合いを入れて動く。相手のマークがどんなに厳しくても外からシュートをどんどん決めた。


 舞の勢いも最後まで止まらなかった。


 かなり白熱した試合だったと思う。

 私たちは最後まで食らいついた。

 最後まで点数をもぎ取り続けていた。


 しかし、結果は五十六対四十一で負けてしまった。

 相手は県大会常駐チームだ。

 短期間、頑張った私達では及ばなかった。


 




 試合後、チームのみんなで集合し、最後のミーティングが始まる。


 短期間だが、死ぬほど部活に打ち込んできた。しかし、もうそんなことも出来なくなるのだ。

 

 人前で泣くことは我慢してきたので、今も無意識に我慢してしまい涙が出ない。


 舞も同い年の三年生もみんな泣いていて、後輩も涙を流している子や暗い顔をしている子ばかりだ。そんな中、私だけいつもの笑顔を作ってしまう。


「陽菜、お疲れ様。最後まで引っ張ってくれてありがとう」


 舞は泣きながらそう言って私を抱きしめてくれる。




 最後のミーティングで先生からの一言、三年生からの一言。


 その時も私は泣けなかった。


 私はなんて薄情なやつなんだろう。


 こんなに本気で打ち込んだ部活の最後も泣けないくらいしか、頑張っていなかったのかと自分を疑ってしまう。




 部活に真剣に打ち込んだのっていつからだっけ…………そうだ、滝沢が練習試合を見に来てくれた日からだ。


 あの日から滝沢にいつ見られてもいいようにって真剣に練習するようになった。最初の動機は不純だったかもれないけど、そうやっているうちに県大会に行きたいと思うようになった。

 


 勉強も同じだ。最初は滝沢に近づきたいために始めたが、今は自分のしたいことのために頑張っている。


 彼女はいつも私に本気になるきっかけをくれる。


 もう帰ってしまっただろうから、次、会った時たくさんお礼を言おう。そう決めて会場を出ることにした。




「陽菜、また学校で!」

「陽菜先輩たまには部活来てくださいよー!」


 舞と美海ちゃんにそんなことを言われて、バイバイと手を振った。



 見慣れた景色まで戻ってきたが、家までの道がいつもより遠く感じてしまう。たくさんの思い出が頭をめぐり、真剣に頑張ってよかったなと思いにふけっていた。


 歩いているといつもの公園が見えてくる。


 私の人生が始まったきっかけとも言える場所。


 自然と足が向かう。


 ――私にとって大切な場所。




 中に入ると人は居なかった。


 いや、よく見ると、ブランコを漕ぐ一人の少女がいる。その少女は私を見た途端にブランコから飛び降り駆け寄って来た。



「今日は来るんじゃないかなと思った。試合お疲れ様」


 滝沢は言葉足らずなところはあるが、その言葉には優しさがある。



 公園のベンチに移動して、横並びに座る。


「……せっかく見に来てくれたのに負けちゃった」


 滝沢の前ではかっこよくいたかった。

 彼女の横で胸を張れるくらいかっこいい人間でいたかった。自分の中で満足のいかない感情がぐるぐると巡る。



「後悔した試合だった?」


 その言葉にはっとする。

 自分は後悔したか? ――いや、自分の出来る全てはやりきったとそれだけは胸を張って言えると思った。



「ううん。全部出し切って、全然後悔してない。本気で部活やっててよかったと思った」

 


「――なら、有言実行じゃん」



 その言葉に胸と目尻がじんと熱くなる。



「滝沢のばか」

「ばかじゃないよ」


 涙が出るのをぐっと堪えた。耐えられるか耐えられないかギリギリの私は、指でつつかれただけでもろく崩れてしまいそうになる。




「誰もいないし我慢しなくていいんじゃない」


 そう言われて私がずっと我慢していたものが全て崩れる音がした。


 涙が私の外側にどんどんと溢れ出る。




 なんだ、私も泣けるんだ……。


 自分は頑張りきった時すら泣けないかと思っていた。しかし、私の胸の中にはしっかり感情があった。


 滝沢の前では何故か自分の隠しているものを全部さらけ出してしまう。


 こんな姿見て欲しくないのに、涙はこぼれて止まらない。


 たくさん頑張ってよかった。


 試合で最後まで後悔なくバスケが出来て良かった。


 チームメイトが最高な人達でよかった。


 思えば思うほど、嬉しかったこと楽しかったこと辛かったことを思い出して感情がぐちゃぐちゃに混ざり、涙として外に出る。

 



 その日、私が泣き止むまで、滝沢は何も言わないで、ずっと隣にいてくれた。

 

 

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