第31話 帝国の事情③

 隠居してもなお、知識欲の衰えないツワブキが、なぜ宰相の地位を降りることになったのか。レイにはそれが不可解に思えてならなかった。


「その闇の竜と直接戦ったこともあって、ユリオプス王国の代表として説明しに来たんです」

「貴様がか? どこぞの天才魔術師ならまだしも」


 ツワブキは疑惑混じりの視線と共に、嫌味を撒き散らす。

 天才魔術師——つまりは、アオイのことを指していた。アオイの実力なら納得だが、レイにそれほどの力があるとは思えないという皮肉だ。


 宰相時代からこの話し方だとしたら、すごい嫌な奴だなと、イリスは思った。


「俺の自己紹介がまだでしたね。神狼族の長を務めています」


 驚いたツワブキが口に含んだ茶を盛大に吹いた。


 うわっ、きったなー。


 イリスはなんとかその発言を飲み込んだが、顔を顰めて後ろにのけ反った。


「それを先に言え!」

「いや、それを先に言っても信じてもらえないだろうと思い、順を追って説明を……」

「順を追うにしても、神狼族の話が先だ!」


 ツワブキは、シィロに差し出された手巾で口元を拭う。


「貴さ……お主は交渉には不向きだな。口下手だと言われないか?」


 レイは無言を貫いた。

 

「まぁ良い。お主らがユリオプスの代表団とわかれば、おおまか予測が立つ。こんな所で油を売ってて良いのか?」

「いえ、だからこの国に入ってすぐ変な人達に追われてるんですって! 皇城に向かうどころではなくて……」


 交渉下手とお墨付きをもらったレイではなく、イリスが答える。


「ツワブキさんも最近、怪しい人に狙われてるんじゃないですか? お互いに情報を共有できるんじゃないかと思って、シィロさんにこの場を設けてもらったんです」

「大きなお世話だ。私を誰だと思っておる……」

「『この国の元宰相』様ですよね!」


 この人、このくだり好きだな。さっきも言ってたし。


 イリスに先を言われてしまい、ツワブキは決まりが悪そうに口をまごつかせた。


「お祖父様……いくらお祖父様が元宰相でも、今は何も権限はありませんよね? 最近の不穏な動きはおかしいと思いませんか?」


 シィロの容赦ない指摘が追い打ちをかけた。

 

「わかった。こちら側の話もしよう……ただ、そうなるとルカ様のことも話さざるを得なくなる」


 そう言うとツワブキは、ちらりと横目でルカを見た。

 話題に上がった当の本人——ルカはやっと話に参加できることが嬉しかったのか、僅かに微笑んだ。


「ボクは構わないよ。爺やに任せる」

「ルカ様! 私めに任せていただき恐悦至極!」


 ルカのことになると、人が変わるツワブキ。それを見たイリスは、盲目的とはこういうことか……と正しく理解した。


 ツワブキが一つ咳払いをすると、真剣な面持ちで語り始めた。


「私の宰相時代から様々な権力争いがあったが、宰相の地位を利用しつつ仲間にも協力してもらい、なんとか均衡を保っていた。……だが二年前、状況が一変した」

「二年前何があったんですか?」


 イリスは純粋な疑問をぶつけた。


「ルカ様が魔力を失い、命の危機に陥ったのだ。ルカ様は本来、第一継承権を持った正統な皇子」


 イリスとレイの視線は、すぐさまルカに注がれた。


「なぜ、その皇子様がここに?」

「魔力を失うだけでは終わらないからだ。次は命を狙われる可能性が高かった」


 イリスは、カトレア帝国の根幹に関わる闇の部分に足を踏み入れてしまったような気がした。


「だから私は、宰相の地位を辞してでもルカ様の命が助かるように取り引きを持ちかけた。……相手が誰か気になるか?」


 話に引き込まれるように、イリスは素直に頷いた。


「皇后だ」

「ルカ君のお母さんってこと!?」

「違う。お主、この国のこと何も知らんな?」


 やれやれと言いたげに、ツワブキは頭を振った。


「ルカ様は、前皇后カーラン様のお子。魔力を失ったと言ったが、私は奪われたと思っておる」

「そんなことが可能なんですか?」

「わからん。だが現皇后なら、そのくらいのことはやりかねん」


 ツワブキは茶を含み、口を湿らせる。


「だから私はシィロを連れて、ルカ様とここに移住した。だが、一月程前から家の周囲が騒がしくなってきたのだ。……ちょうど、闇の竜の騒ぎの直後だったと記憶している」


 まさかここで"闇の竜"の話が繋がるとは思わず、イリスとレイはどう答えるべきか悩んだ。どこまで闇の竜について話して良いものか、アイネ不在のなか慎重に判断しなければならなかった。


 ツワブキの瞳は確信に満ちていた。闇の竜に関連して、カトレア帝国でも何かが起こり始めていると。


 そんな時——。

 

 魔力に敏感なレイとシィロが顔を上げ、急に立ちが上がった。

 この家——ツワブキの家に、急速に近付いてくる不審な気配を感知したのだ。

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