第10話 絹川唯菜
「何度か通話はしましたが、リアルで会うのはお初ですね。どうも、喜楽さん。少しおまたせしてしまいましたかね?」
どうしてこんなことになったのか……そう少しだけ頭を抱えたくなりながら、さぬきは挨拶をしていた。
一見大人しそうで読書が好きそうな感じの容姿をした可愛らしい女性、『喜楽動画製作所』の喜楽が目の前にいた。
この待ち合わせ場所には色々事情があってだーいぶ早く来た。いるわけ無いと思いつつ、もしかしたら……と思っていたが本当にいるとは思わなかった。
想いが強すぎてさぬきはかなり引いていたが、ここまで想われる事自体は嫌ではなかった。
他人は嫌いだけど、元々楽しませてくれた人が想いを寄せてくれるのならばこれくらいなら呑み込める。
他人嫌いの割にはかなりチョロい女なのかもしれない。
「あ、あ、あ……ど、どうも……!!!あぁ、生さぬきちゃんだ……っ!かわいい……!!!」
身の危険を感じながらも、それを表には出さずに笑顔で応対する。
やべーやつへの対応には慣れていたから、必要がないならば鉄面皮は崩れない。
「あっ、こほん……。すみません……。一応は大人である私がしっかりしなきゃならないのに……」
「フフフ。年齢は以前聞きましたが、私のほうがずっと年上なんですけどね」
「でも、今のさぬきちゃんは15歳の体じゃないですか。なんなら、以前の体の時点ではもっと年下でした。それなら、私のほうが年上です!」
「あはは、なかなかに愉快な方ですね。接していて楽しいです」
疲れるのは確かだ。接していて大変だし、介護が必要とすら思えた。
だけど、面白いなとも思った。見た目も可愛いし、こんなのが懐いてくれるなら変人でも悪くはないと思った。
やはり、さぬきという女はチョロいようだった。
「楽しい、ですか……?えへへ……嬉しくて笑顔が止まりません。気持ち悪い顔になってませんか?」
「ふふ……。まあ、ちょっと引いちゃうかもしれません。ですが、嬉しいですし可愛いとも思いますよ」
「……えへへ」
喜楽は完全にデレデレしていた。周囲には中学生か高校生かというくらいの年齢の少女に露骨にデレデレしている成人女性を見て通報しようか迷っている人もいたくらいだ。
さぬきを知っている者たちが正体を教えてなんとか止めたりしたおかげで食い止められたが。
「……こほん。ですが、喜楽という呼び名はチャンネル名ですよね?身バレを防ぐためにとりあえずなにか別の呼び名を考えたほうが良いと思うんですが……」
「たとえ二年前だったとしても、喜楽動画製作所と私を結びつける人はいないと思いますよ。そもそも中身に興味ないと思いますし」
それはたしかにそうだった。
「ですけど、互いに愛称で呼び合いたいですね。さぬきちゃんはもう身バレとかそういう次元にいませんからいらないのかもしれませんけど……トクベツな仲になりたいですから」
「……そうですね。それもいいかもしれません」
「やった!その、私の本名は絹川(きぬかわ)唯菜(ゆいな)って言います。……できればでいいんですけど、ゆいちゃんって呼んでくれませんか?」
「……流石に恥ずかしいですね」
実年齢で言えばずっと年下の女性をそんな呼び方をするというのは、なかなかに勇気が必要だった。
今までも似たようなことを言われたことはある。
以前の体の時点で実年齢を無視するかのように猫可愛がりされた経験は少なくない。その一環だ。
だけど、社会人としての常識が邪魔をする。本当にこれでよいのか、私はなにか過ちを犯していないか。
例えばバイトの女性にでもそんなこと言ったりしたら、セクハラ扱いされることもあり得たから。
言ったとしても見た目にほだされて微笑ましく思われただろうし、そもそも他人を愛称で呼ぶなんて反吐が出そうだったから姉以外にはしたこともないが。
考えに考えて……結論を出す。
相手の気持ちは良くわかっているつもりだ。セクハラ扱いしてくることもない。
恥ずかしいとは思うが、言ったところを想像しても不思議と不快な気分にはならない。
そもそも、モチベになるためにコラボを誘ったのだ。
これくらいはして当然だと結論づける。
「……フフフ。では、そう呼ばせてもらいますね。よろしくお願いします、ゆいちゃん」
「これ、もしかして夢ですかね?嬉しすぎて気絶してしまいそうです……」
「ところがどっこい、これが現実です」
「嬉しい……!じゃ、じゃあ、さぬきちゃんの呼び名を決めなきゃ駄目ですよね。何か普段言われているあだ名とかありますか?」
「……特にそういうのはありませんかね。薄い付き合いが多かったもので。ただ、『さぬきくん』とは呼ばれがちでしたね。年齢からするとこれは結構な愛称だったかもしれません」
「なるほど。ですが、今の肉体だとさぬきくん呼びをするのはちょっと精神的に難しいですね。……なら」
唯菜は頭を高速で回す。一瞬だけ思考に没頭するのだ。
これが起きてしまうとかなり頭は疲れてしまうし、体もダルくなる。眠くなってしまったりもする。
だが、第三段階になったことで使用可能になったこの力は、異能のサポートも受けているので疲れはだいぶ軽減できるし、そもそも今回は一瞬だけだ。
例えば五時間ぶっ続けでこれを使うとなれば、仮眠どころか熟睡できるほどの凄まじい眠気が来たりもするので、不意にこれが来た時はだいぶキツイ。
しかし、異能の力によるサポートと一瞬だけ使うという手法を手に入れた今では明確な武器となっていた。
ストッパーにもなるのだから。
事実、今は動画制作にも使用している。
平均10万回再生するくらい伸びたシリーズを作っていた時は、基本的にこの状態に入っていた。
今は割と自由に使える上に負担も減っているので、以前よりパワーアップしていると言えるだろう。
第三段階へ誘ったのはさぬきなので、もうこの時点で既に、大きな貢献をしていたのだ。
「……では、うーかちゃんというのはどうでしょうか?」
「いいですよ。でも……ちょっと由来がわからなくて。できれば教えてくれませんか?」
「やった!さぬきちゃんのさぬきといえばうどんで有名な讃岐じゃないですか。そして、うどんといえばきつねうどん。きつねといえばいろいろ思い浮かぶものはありますが、さぬきちゃんは神様ですからね。狐の神様である宇迦之御魂(うかのみたま)が思い浮かんだわけですよ。そこからとって『うか』。でもそれでは少し味気ないかな?と思ったので『うーかちゃん』というわけです。……どうでしょうか?」
「……頭の回転早すぎませんか?」
最後に言葉を発してから、あだ名を伝えるまでの時間は実に2.13秒だった。
名前を考える思考の回路自体は言われれば納得できる。途中までは安直な部分もあった。思考回路そのものはわりと普通だったが、考えるのがあまりにも早すぎた。
さぬきも近いことはできる。
もっと高速で思考をすることもできるし、なんなら脳や身体への負担も少なければその負担なんて言うのは、疲れが起きた先から消えるものなのだ。
だけど、『異能者』、たとえ第三段階でもここまでのことができるのはほとんどいないだろう。
負担的にあまり長時間使えないということまでは読めていなかったが、だからこそびっくりした。
実際、異能だけではここまでのことはできない。コレが能力のメインであれば第三段階であれば不可能ではないが、サブ能力的なものでこれなのだから。
とにかく物事に没頭するその気質と、そもそもの頭の回転の速さがこの結果につながっていたのだ。
「(なかなか頭が良いみたいですね。話しているとつい忘れてしまいますが、たしかにあんな編集をできたり、とてつもないプレイスキルがあったり、ストーリーを考えられる能力があるのならばおかしくはないですね)」
そして、眼の前の女性に対する評価を『少しだけ』上方修正する。
「(妬ましいし恨めしい。実にムカツキますね。ですが、あんな動画を作れる人がただのバカというほうが認め難い。……やはり、モチベを失わせてはなりませんね)」
少しだけというのは、元々認めていたから。
動画投稿者や配信者としては己より遥か上の才能があるとわかっていたから。
才を信じていたのだ。信奉していると言っても良い。
なので少しだけなのだ。
これもある種のツンデレなのだろうか?
「回りすぎて困ることもありますし、動画制作に没頭しすぎたせいで高卒ですけどね……あはは」
「高卒というのは私もですからなんとも言えませんね。……ですが、その由来であればうーかちゃんというのは少し認め難いです」
「……なにが、駄目でしたか?」
「宇迦之御魂は八百万の神とかそういうのでしょう?ですけど、八百万の神はアミニズムとかそういう系統に近い存在。自然現象の神格化とかそういう感じですから。私が自分に求める神の概念とは少し違うんですよね。……なんというか、宇宙すべてを自分の色で満たすとか、そういう規模の存在でありたいんですよ。なので駄目です。……引いてしまいましたかね?フフフ……」
あまりにも酷い、そして痛々しい理屈だということに気づいて笑ってごまかした。
第四段階に至ってから考えた、己に対して抱いた概念的な理屈。厨二病的な視点と、己の存在について悩んだ結果導き出した答え。
それは今のさぬきの根幹にある考えであり、自分でも厨二病だとは思いつつも、異能の質量を考えたらどうしても否定できなかった。だから、隠そうとしてもこうしてつい出てきてしまう。
六回目の配信が終わった今、『キャラ付け』として定着の兆しが見えてきたので『天霧さぬき』という配信者の熱狂的なファンである唯菜ならば受け入れてくれると思いつつも……『やらかした』、その後悔で溢れそうになっていた。
「な、なるほど……!あの、ちょっとメモして良いですか?その考え方は割と動画制作というかストーリー作りに使える日が来そうで……あ、さぬきちゃんとの思い出だからメモしなくても忘れないですね。思わず大前提を忘れるところでした……」
しかし、心配は無用だった。
ファンであるということ以前に、動画制作者としての視点から『有用』であると考えてくれていた。
少し安心して……息を吐く。
今のさぬきに呼吸は必要ない。
したほうがパフォーマンスは上がるとはいえ、なくても全然生きていける。
食事も、睡眠もすべて同じだ。
排泄に至ってはすることすらない。食事をしても、全てがエネルギーとして変換されるのだから。
食事も睡眠も、やったほうが出力は上がる。だが別になくても全然問題ない。趣味として行いはするけど、しなくても良い。
だけどこういう時、『安心して息を吐く』ことになるとは思わなかった。
他人に嫌われなくて安心した。だから息を吐く。そんな考えは本能から消え去っていると思っていたのに、ちゃんとできた。
人間をやめてからのほうが人間性が上がるとは皮肉な話だが、『ゆいちゃんに会えて良かった』とつい思ってしまった。
「それは良かったです。引かれないか心配でしたので。愛称は私の方から指定させてもらいますね。『やくみ』と呼んでください。うどんには薬味が必要でしょう?あだ名のたぐいではありませんが、昔からハンドルネームに使っていたんですよ」
「やくみ、やくみ……では、普段は『やくみちゃん』と呼ばせてもらいますね。……え?あっ、アレ?もしかして、さぬきちゃんって『ねぎしちみ』さん、ですか……?」
思わぬ名前を出されて、さぬきは驚愕した。
唯菜の驚愕は更に大きかった。
最初の動画が投稿されてから二日目に初めてのコメントをくれた人、そして引退するまで全シリーズを視聴してくれていた人。
引退してからもちょくちょくコメントをくれていた人。
その人のハンドルネームが『ねぎしちみ』であり、同時にさぬきがこの体になるまで使っていたアカウントの名前だからだ。
「……良く覚えていましたね。びっくりしましたよ。たしかに最古参ではありますが、大して面白いコメントをしたわけでもなければ投げ銭すらしたこともないんですけどね」
「アレだけ熱心に動画追いかけてくれれば、認識なんていくらでもしちゃいますよ。投稿者としては動画を毎回見てくれて面白いと言ってくれるのが一番嬉しいんですからね。うわぁ〜。まさか、やくみちゃんがねぎしちみさんだったとは思いませんでしたよ!でも、そうであればコラボを誘ってくれたのもちょっとわかった気がします!いや〜、本当に嬉しいです!」
互いに嬉しさというものを抱きながら、初顔合わせが始まった。
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