監獄は夜だけわたしたちを空へ吐き出した

ハユキマコト

監獄は夜だけわたしたちを空へ吐き出した

 この世は地獄である、という風潮が流行りすぎていて、私は、気づけば希望がひとかけらも無くても生きていけるようになっていた。あるいは監獄であり、または辺獄、かたや大穴のような場所なのだとみなが歌い、物語る。


「我々は、夜の静寂に寂寞を感じることさえ許されざることになってしまった」

「また厭世してるの?」

「してる」


 本当に厭ならそんなこと言わないって、とくすくす笑い、彼女はスープの入った鍋をかき混ぜた。本当は白菜が入るはずだったのに、スーパーで値段を見て悲鳴を抑えつつ、にんじんとジャガイモだけのスープになった。だが、インターネットを繋げば、人々は白菜が食べられないことに悲観的になるより、白菜なしで美味しい料理を作ろうとする。いまや人々は絶望に慣れ、不穏に慣れ、私から見れば地獄を信仰するカルティストのように見える。

 この世界はもっと素晴らしいもので、美しいもので、優しいもののはずだ。それは決して幻想などではなく、かつて皆が思い描いた恩寵であったはずなのに、誰しもがこの世は最初から地獄なんだから仕方がないという。


「いいなあ。スープに白菜が入らなかった程度で、そんな捨て猫みたいな顔をするところが、好き」

「私は本気なんだよ!」

「うん。しょうもないことで本気で絶望できるって、意外に大事なことだと思う」

「それは……褒めてるのかけなしてるのかどっちだい」

「世界がつまらなくて、難解なものだってことに、みんな慣れすぎちゃってるんだよね」

「そう、その通りだ」

「だけど夜ぐらいは美味しくご飯を食べようよ、あたしと居れば寂しくないでしょ」


 どうにも同意しかねる、という感情と、それは事実なので同意しなければならない、という感情がないまぜになって、なんだか空気が抜けてしまったような気がした。


「……ご飯食べよっか」

「テーブル、布巾で拭いて、あとはスプーン出してね」

「はい」


 この世という監獄は、静寂がおとずれるまえのほんのいっとき、夜ごはんのあいだだけ私たちを空中に吐き出す。まろやかな愛が溶けたスープが、厭世的で居たい私の懐疑を溶かしてしまう。


 悪くはないかもな、と思った。

 私たちが手を繋ぐことが、この世は最初から地獄などではないのだという、ひとつの証明へと繋がるのなら。

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監獄は夜だけわたしたちを空へ吐き出した ハユキマコト @hayukimakoto

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