第3話

時は少し遡る。

 俺たちは時刻通り、鬱蒼と茂る密林の入口に集まった。


「ごめん、遅れたか? 」

「いえ、私が早く来ただけですので。お気遣いなく」


 遅れて着いた俺が頭を下げると、銀色のライトアーマーを纏ったレインが首を横に振った。腰にはやや細身のサーベルを下げており、まさに物語に出てくるような女騎士といった風貌だ。

 ガチガチの重装でないあたり、あらかじめ聞いていた通りスピードに主軸を置いている様子だった。


「ならよかった。にしても……感じるか?」

「はい。私は何度かここに来たことがありますが、普段に比べると静かすぎます。まるで、あらゆる生き物が息をひそめているかのような……」


 そう、あまりにも静かすぎる。こういう妙なことが起こっているときは、必ず何かしら原因があるものだ。


「俺もそう思う。もしかすると、今回は結構面倒な案件かもな」


 だがまあ、ここで怖気づいて帰るわけにもいかない。俺は森の中に踏み込んでいった。レインも、俺の二歩ほど後をついてくる。

 歩けば歩くほど異様な雰囲気だ。魔力探知もあまり機能しない……こういう場合、原因は主に二つだ。自身の魔力コントロールが乱れているのか、それとも大きすぎる魔力の持ち主がいてそちらに引っ張られているのか。


「……グガガガウッ!」


 無言のまま道を進んでいると、突如湧きの茂みから二匹のティガーが飛び出してきた。黄色と黒縞の体皮に、そこらの獣型を凌ぐ巨体……間違いなく森林の王者・ティガーであるはずだが、どうにも奴らは憔悴し切っているように見える。

 どうやら戦うために飛び出してきたわけではないらしく、俺たちの姿を認めてから慌てて臨戦態勢に入った。


「同時に掛かるぞ、俺は右をやる。……二、一」


 剣を呼び出し、二人でタイミングを合わせて斬りかかる。魔力で身体能力をブーストし、一足で距離を踏みつぶし……首を絶つ。

 俺が首を飛ばしたのち、三秒ほど遅れてもう一体のティガーの首も宙に舞った。


「うん、なかなかやるな」


 そう言うと、レインは少し呆れたような顔をした。


「貴方に言われると素直に受け取りにくいんですけけど。……にしても、やはり弱すぎますね」

「ああ。ティガー相手に、正面からの一撃で決着がつくなんてあり得ない……ろくに休養も取れていなかったのかもな。ひとまず素材だけはもらっていこう」


 腰に備え付けたナイフを抜き、皮を剥がす作業を始める。モンスターの死骸は放っておくと魔力になって世界に還ってしまうが、特殊な加工をされた専用のナイフで分離させた部位はそのまま残すことができる。つまり、武具や魔道具などの素材として使うことが出来るわけだ。


「はい。急ぎましょう」


レインも頷き、それに倣った。

 二人いると早いもので、めぼしい部位の解体はすぐに終わった。回収した素材を格納魔術に収納しつつ、俺はレインに話しかけた。


「奥にヤッバいのがいるのは確定だな。覚悟はできてるか?」

「勿論です。そうでなければ戦場に赴いたりなどしません」


 そう答える声に淀みはなかった。

 

「よし。先に進もう」


 それからは、お互いに無言のまま道を進んでいく。たまに小さな獣が襲い掛かってきたりもしたが、すべて一撃で片付けた。


「それにしても、召喚武器ですか……とても希少なのによくお持ちですね」


レインの視線が、俺の剣に向く。

召喚武器……自分の意志のままに異なる場所から転送することの出来る武器だ。現在転移魔術は確立されていないが、召喚武器は持ち主との間に契約を結び、さらに希少な素材を用いることでそれを可能としている。

この剣は召喚武器ではないが、すぐに出したり消したりできるところを見れば確かにそう見えるだろう。


「ま、買ったり作ったわけじゃないからな。……ん? これは……」


 十分余りほど歩いていると、突如異様な臭いが鼻を突いた。……これは、死臭?


「アレンさん」

「わかってる。ここからは道を外れよう、茂みからこっそり様子を伺うんだ」


 レインと共に茂みに隠れ、なるべく音を出さないよう注意しながら先に進む。

 すると、そこには衝撃的な光景が広がっていた。






 というわけで、今に至るのだが。

 ひときわ大きな樹の根元に、赤黒い禍々しいオーラを纏った巨大なティガーがたむろしている。そしてその周りには、一撃で絶命したと思わしきティガーたちの死体がいくつも転がっていた。ことごとく臓腑のみが消失しているのが悍ましい……この惨劇を生み出したのが何者なのか、考えるまでもない。

 意識を死体から巨大なティガーに集中する。琥珀ともよく喩えられる、ティガー族の特徴であるオレンジの眼は殺意を宿した赤に濁っている。

 そして何よりも恐ろしいのは、離れていても強く感じられる圧倒的な威圧感。気の弱い者であれば、前に出ただけで気絶してしまうだろう。


「見たことはないけど間違いない。あれは『成りかけ』だな」


 声をできる限りひそめ、レインに話しかける。

 長い時を生き、多くの魔力を蓄えたモンスターは時に『神獣』と呼ばれる存在に進化することがある。そして、その前段階とされているのが『成りかけ』だ。

 神獣は基本的に高い知性を有しており、積極的に人間を襲うこともないので被害報告もあまり多くない。しかし成りかけは違う。奴らは進化するため、本能的に多くの魔力を求める……常に飢餓状態にあるようなものだ。その強力無比な力と欲望に任せ、殺戮の限りを尽くす。それが成りかけだ。


「私もそう思いますが……もしそうだとすれば、私たちの手には……」


 レインの言うことは正しい。

 成りかけは非常に危険度の高い存在とされており、高位の魔術師を数十人編成することが必要と言われている。そのレベルの相手であり、たかが二人で挑むような相手ではない。

 こちらが、普通の魔術師であれば。


「でも、奴を逃がすわけにはいかない」


 仲間でさえも本能に任せて殺してしまうような状態だ。こんな奴が森の外に出てしまったら、いったいどれだけの被害が齎されることか。


「レインは戻って増援を呼んできてもいい。俺はこの場で戦う」

「そんな……いくら固有術式があっても無茶です!」

「別に自棄になってるわけじゃない。自信がなきゃこんなことは言わないさ」


 確かに強敵ではあるだろう。だが、絶対に勝てない相手だとは思わない。力を尽くして戦えば、この場で討つことは可能だと判断した。


「……一つ聞かせてください。私が一緒に戦えば、貴方の勝率は少しでも上がりますか」


 こちらを射抜く真摯な瞳。嘘をつくことは許されない。


「上がる、な」


 先ほど垣間見た実力をもとに、俺はそう答えた。


「なら、私が帰るわけには参りません。カリバー家の一員として、無辜の人々を守る責務が私にはある」

「そうか」


 そう言いだすだろうと思っていた。それを覚悟で本心を伝えたつもりだったが、やはり心は揺れる。

 嘘をついて帰らせた方が良かっただろうか。成りかけと戦って、自分だけならともかくレインを守り切れるかどうかは解らない。

 彼女もただの死にたがりではない。俺がやはり撤退するといえば、その判断には従ってくれるだろうが……。


「解った。俺たちで、ここで奴を倒そう」


 彼女の力と信念を信じる。俺はそう決めた。


「俺が先陣を切る。そのうち合図をするから、レインはそのタイミングで援護を頼む」


 そう言い残し、俺は茂みから躍り出た。

 不遜な侵入者に、ティガーの紅眼が鋭く光る。


「グガァ!」


 一瞬の間隙もなかった。

 理性が蒸発しているのか……奴は俺の姿を認めた瞬間、全速力で踊りかかって来た。普通の獣ならまず敵の力量を図ろうとするものだが、やはり成りかけに常識は通用しないらしい。

それにしても、瞠目すべきはその速さ。俺の数十倍にも及ぶ巨体にも関わらず残像すら残さない。もはや瞬間移動しているとしか思えないスピードだ。


「はっええな! 『縮地』か何かかよ!?」


 飛び掛かりざまの一撃はかわしたが、奴はその動きにしっかりついてくる。丸太のような尻尾による薙ぎ払いを、俺はジャンプして回避した。


『突風よ、押し出せ』エアリアル!」


 術式を発動。烈風を具現化させ、自分の体を地上に向けて強く押し出す。

 俺の固有術式「夢幻泡影」は、俺が生み出した幻をそのまま具現化させる。それは、属性を含んだものであっても例外ではない。例えば「風属性を宿した突風」を幻として創り出せば、具現化させたときそのままこの世界に現れる。

 普通の魔術師がやるように、魔力を属性魔力に変換する工程は夢幻泡影には必要ない……つまり、属性の適性があろうがなかろうが関係はないというわけだ。

 精巧にイメージする精神力と具現化させるための魔力さえあれば、俺に扱えない魔術はない。幻影を作ってから具現化させるという二つのステップを必要とするためほんの少し遅れはするが、術式をマスターした俺にとってそれは些細な問題でしかない。


「うおらあっ!」


 空中で砲弾のように加速した俺は、その勢いのまま奴の肩口に突きを叩き込んだ。……否、叩き込もうとした。

 剣が毛皮に触れかけた瞬間、強烈な魔力圧が俺の剣を阻む。膨大な魔力プールが実現させる自動防御……実に厄介だが、それだけのこと。


「まだまだ!」


 柄に両手を添え、思いきり魔力を注ぎ込む。

 愛剣は使い手の想いに応え、魔力の壁を突き破り獣の左肩を痛烈に抉った。


「グギャウ!?」


 手応えを感じる暇もなく、俺は恐ろしい光景を目にする。半ば吹き飛ぶように抉れた奴の肉が、埋め戻されるようにどんどん再生されていく。

 なんという強靭な生命力……! ティガー族はもともと再生や運動などの基本身体能力が高いことが特徴だが、成りかけになるとここまでのものになるというのか。


『喰い焼け、呪炎』カースドフレイム!」


 再び術式を発動。

 切っ先から漆黒の爆炎を起こし、再生を阻害するため傷口を強烈に灼く。


「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」


 さすがに無視できないのか、成りかけは強烈な咆哮を放ち音圧で俺を吹き飛ばした。


「あー、うるっせえな……なんだよ、そんなに痛かったか? 成りかけってのも案外大したことないんだな」


 再生は継続されているが、効果はあったらしく明らかに速度が遅い。闇属性と炎属性を複合させたあの攻撃には呪いが含まれている……それが効いているのだろう。


「グルルオオオオッ!」


 途轍もない痛みを感じているはずだが、それを気に留める素振りもなく奴は荒れ狂う。

 成りかけを取り巻く濃密な魔力の嵐がより強まっていく……いよいよ本気というわけか。


「……いいぞ、面白くなってきた!」


 久しく相まみえていなかった強敵を前にして、俺の口角は知らぬ間に上がっていた。

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