十六、聖女の誓い


 聖女たらんことを――。


 私は今、ものすごい数の民衆の視線を受けながら、国王はじめ王族御一行にも見守られながらの、式典の真っ只中に居る。

 なんとかの広場だという所に連れてこられ、かなりの高さの建物をエレベーターで上がり、その掃き出し窓から出たバルコニーのような――けれど荘厳な装飾のされた――民衆を全て見下ろせる謁見台。


 それらしいドレス、いや法衣のような、どちらの意匠も凝らしたような姿で。

 胸元の開いた白いサテン生地のワンピースに、白いシースルーのローブを胸元で留めて羽織っている。そのローブの襟には金糸で、右には植物の蔓、左には幾何学模様が繊細に織り込まれていて、かなりの力作だ。

 王城で簡易的な認定式を行った後、王国に聖女が再来したという祝いの式典を、これを着て行うと言われて、今に至る。


「汝、この国の聖女として、職を全うすることを誓うか」

 式を司る聖職者が、何らかの祝詞のようなものを長く読み、ようやく私が発言するところまで来た。

 やっとだ――と、声を出してしまいそうなほど。

 それまでの間ず~っと、国王たちの視線を後ろから浴び、正面からは何千人……もしくは何万人からのほとばしる熱気をぶつけられながら、待ち望んでいた瞬間。



「――誓います」

 ここだけ聞けば、まるで結婚式だ。

 そういえば、魔王さまと結婚式をしていない。

 魔族にはそういった風習はないのか、うっかりと聞き忘れていた。

 いや、考えてみれば私は、契約として妻になってしまっただけの存在だから……正式な夫婦ではない……という可能性もある。

 無くていいけど、ある。

 ――まぁ、愛されてるっぽいからいいけど。


「では、ここにこの国に、今まさしく、聖女が再来なされたことを民衆に告げる! 我が国の繁栄に加え、聖女の祝福を得たことを! ウォルグラン王国に栄光あれ!」

 その言葉を、民衆も待ち望んでいたらしく――。

 大喝采。

 地響きと雷を、同時に浴びせられているような、それは巨大な振動だった。


「さあ! 手を振って応えてやってください! 聖女様!」

 すぐ隣にいるはずの聖職者の人が大声を出しても聞き取れないほどに、もはや音は全て、大喝采の振動に飲み込まれてしまう。

 ただ、その声の切れ端と、なんとなく何を望まれているかを感じ取って、私は民衆に向かって手を振った。


 ――慎ましやかに?

 いや、そんな小さな手の振り方では、皆の声に負けている。

 何の対抗心かは分からないけど、私は万歳をして、大きく両手を振って応えた。


「――良き人に祝福を。悪しき人には禍を。私の祈りと、悔やみ人の怨嗟を込める」

 これは私の、心の声だった。

 いまは大きく唱えても、誰にも聞こえない。

 だけど、今ここにいる民衆、王侯貴族、王国の全ての人々に降り注いだことだろう。


 私は皆を愛していたい。

 同時に、私は理不尽を許さない。

 平和と共に、報いを与える。

 それがたとえ、私の独り善がりであったとしても。



  **



「つ……つかれたぁー」

 与えられた部屋には、国王から送られたお礼の品々……が、入った箱達が山になっている。

 お陰でソファーに倒れる気にはなれなかった。

 汗をかいているけど、シャワーを浴びたいけど、とにかく横になりたくてベッドに没した。


 しばらくして、枕を胸に抱き直して寝返りを打つ。

 ……熱っぽい。

 皆の熱気にやられたのか、その気になってテンションが上がり過ぎたのか。

 本当に風邪でもひいたのか。

 でも、魔族になってから風邪なんてひいたことがない。

 竜王さんや魔王さまにあんなに滅茶苦茶にされても、一瞬で元通りになる体だから、病気とも無縁だと思っていたけど……大丈夫よね?



「お姉様、とてもお綺麗でした。これからはずっとそれを着るのですか?」

「そういえば……どうなんだろうね。お付きの人を増やすって言ってたから、その人に聞けばいいやと思って。でも、白は汚れやすいからねぇ」

「新しいお付き……ですか」


 目を閉じ直そうとしたところで、シェナがベッドの真横に立って、私を見下ろした。

 赤い瞳がぼうっと光り、怒っているのを隠そうともしない。

 そう。この子は本当に嫌なことがあってそれを表に出すと、瞳が光って見える。

 白天の王だった体の、何かの特性なのかもしれない。


「しぇ、シェナみたいにずっと付いている人はいないはずよ? その時その時に、一応専属で伝言とか、何か雑用をしてくれるだけよ。きっとね。ね?」

「……お姉様は、私のお姉様ですから」

 その光は落ち着いて、今は単にションボリとしている。


「私は誰にもあげないわよ。魔王さまのものだし、シェナのお姉ちゃんだしね。そうでしょ?」

「……はい! そうです。お姉様はシェナのお姉様です」

 もっとたくさん甘やかしてあげたいけど……。



  **



 案の定、今ではシェナを抱きしめて添い寝をする時間を、そんなにも取れない。

 夜と朝の、ほんのひと時だけ。

 日中は、何かと来客や移動があるので、それどころではなくなってしまった。

 聖女として、治癒の必要な高貴な身分の人を癒す仕事が始まったから。


 高貴な身分の人が終われば、民の元へと出向くことになる。

 そして、何よりも念願の、聖女の記したものや治癒魔法について、国宝とされている書物をやっと閲覧できるようになったから。

 式典が終わって正式に聖女となった後でと、そう言われて早や一週間。

 重篤な人達を診ている間に時間が過ぎてしまったので、本当にようやくの事だ。



 読書の時間は、私は一人で集中しているので……シェナの相手を出来ないなと思っていたけれど……。

 ――書物を読む間、シェナをお膝に乗せてあげればいいのでは?

 と、そのことに気付いてからは、書庫に行く時はシェナもご機嫌になった。

 聖女のドレスと衣は肌触りが良いらしくて、膝に乗ったらそのまま、私の読書が終わるまで絶対に動かないくらいに、お気に入りらしい。


 一緒に前を向いて、私の肩にもたれるようにして眠ったり、同じく本を読んでは、分からない言葉を聞いてきたりしている。

 正直に言うと、もたれ掛かられると机に向かっては本が読めない。そこで私は自分も背もたれに体を預け、本は机の角を使って読みよい角度を維持し、割と器用に読めるよう工夫することを覚えた。

 このくらい大人しければ、少し大きな子どもをあやすのも悪くないかもしれない。


 ちなみにこのドレスとローブには、汚れにくい作用の魔法が織り込まれているようで……年中これを着回すらしい。もちろん、同じ物が数着あってのことだけど。

 面白いのが、ドレスを作った職人達は『聖女のドレス』と呼び、ローブを作った職人達は『聖女の衣』と呼ぶ。

 何か間をとった呼び方をすればいいのに、と思うけれど、そうやって張り合うことでお互いの技術が上がるから、それで良いのだそうだ。


 そういうのを聞くと、平和でいいなぁ。と、心が和む。

 それで、私はシェナに言われたことを思い出して、誰かがいがみ合っているところを見ると「仲良くしないと、二度と治癒しませんよ?」と、脅しをかけるようにしてみた。

 ――ワガママの効果、テキメン。


 私は嫌なものを見なくて済むし、本当に仲良くしようとしているかを探らせて、その場限りにならないようにもしている。

 感情に任せて争うのは簡単だけど、仲良くしようとお互いに努力することで、生まれる絆もある。

 ――らしいし。

 もっとワガママを、皆にとって良い結果が生まれやすいような、そんなワガママを沢山言ってやろうと画策している。



「ありがとね、シェナ」

 読書の途中で唐突に頭を撫でたものだから、体をよじって振り返り、私の目をじっと見てきょとんとしている。

「……私が甘えている時間なので、よくわかりません」

「ふふっ。思い出した分のお礼よ」

「そうなんですか? それなら、うれしく頂戴します」

 そう言うと、シェナは微笑んでから私の肩に頭を預け、静かな寝息を立てはじめた。


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