十、聖女の再来


 あまり目立たないようにと思っていたのに、路地から街の通りに、少し出てしまっていた。

 それに気が付くのが遅かったし、咄嗟の行動とはいえ、もう少し周りを見て路地に戻ってからにしていれば……こんなことにはならなかっただろう。


「おい、あの子いま、治癒魔法使ったよな」

「見た見た。あんな死にかけのネコを回復したんだ。間違いない」

「おばあちゃんが、聖女様の話をいつもしてたから分かる。あんなことが出来るなんて、あの人は聖女様よ」

 街の人達が、遠巻きにだけど私を囲んで口々に、治癒魔法を使った、聖女だ、という話をしている。


「どうしよう、シェナ。にげよう」

 路地に戻ってとにかく逃げなければ。

 顔は見られたけど、人の多そうなこの街なら、後でなら何とでも誤魔化せるはず。

「いいえ、お姉様。手遅れのようです」

 ネコを抱き上げたまま、立ち尽くすしかない状況にまでなっていたことに、その言葉でようやく理解した。



「そこの娘! 話がある!」

 きつく命令を飛ばしたのは、街の衛兵らしい。鉄製の胸当てと剣を帯びていて、何かの腕章も付いている。

(大柄な人だけど、本気で逃げれば逃げ切れる――)

 いや、でも私の荷物を持ってくれているシェナが、捕まってしまうかもしれない。


 衛兵がすぐに来るなんて、運が悪い。

 騒ぎを聞いて、すぐさま飛んできたのだろうか。それにしては早かったから、偶然近くに居たのか。

 せめて、顔を隠すフード付きのものを着ていれば良かったと、改めて後悔した。

 そして少し後退りしつつ、転移してしまおうかと悩んだ末に、これ以上目立つわけにはいかないなと諦めた。

 ……もう、逃げるという選択はなくなっていたのよね。



「おい、そんなキツイ言い方をするんじゃない。丁重に扱えと言っただろう」

 大柄な衛兵の後ろから、金髪の男性が姿を見せた。

 貴族のような気品ある立ち振舞いと、そこらの街人と同じような恰好とが、どうにもアンバランスな人。


「部下が失礼した、お嬢さん。ただ、少し話をしたいんだ。構わないかな?」

 その碧い瞳は優し気ではあるし笑顔なんだけど、どこか有無を言わせない圧を感じる。

「……選択権はなさそうですね」

「よく言われる」

 この人……なんか腹が立つのに、許せてしまうような。


「お姉様。ここは大人しくしていましょう」

「そちらの可愛らしい侍女は、事態を飲み込んでいるようだが」

 確かに、街の人に包囲されたあげくに、聖女だ何だと騒がれ過ぎている……。

「わかりました。お話だけなら――」

 そう言いかけた時だった。


「聖女様! 私の娘を! 娘の目を治してくださいませんか! この間、物取りに巻き込まれてナイフで顔を……それも運悪く、両目とも切られてしまったのです。どうか、どうかお願いします!」

 人ごみをかき分けて、まだ若い女性が半ば叫ぶような、悲痛な声で現れた。

 その胸には、フードで顔を隠した子どもを抱えている。


「ダルバんとこの子か。確かにありゃあ、かわいそうだった」

「せ、聖女様! この子は俺達からも頼む、治してやってくんねぇか!」

 街の人達も口々に、似たようなことを訴えだした。

 場は騒然としていて、治癒しないことには身動きさえ取れないような状況だ。



「静まれ! この娘が聖女と決まったわけではない! 仮にそうであったとしても、治癒には凄まじい集中と疲労を要する! 勝手な物言いは私が許さん!」

 金髪の男性がそう一喝すると、瞬く間に静かになった。

 だけど、街の人達のヒソヒソ声がかすかに聞こえてくる。

「あの人は、第二王子じゃないか。こんなところまでお忍びで……まだ聖女様を探してたのか」

「本当だ。国王の容体は良くないんだろうか。あれから数カ月経つというのに……」

 王子……?


「すまないね。お嬢さん。どうやらもう、皆、君のことを聖女だと思い込んでいるらしい。そのネコを癒した直後だ、無理なら断ってもらって構わないんだが……可能なら、そこの子どもも治してやってくれないだろうか」

 ……これは本当に頼まれているらしいけど、どちらにしても、だよね。



「わかりました。でも、治せるかどうかは分かりません。それでも怒ったりしないでくださいね。そこのお母さんも。私はまだ、自分に何が出来るのか……分からないんですから」

 そう伝えると、王子と呼ばれた人は「もちろんだ」と言った。

 そして、子どもを抱いたお母さんも、私の緊張が伝わったのだろう。無言でゆっくりと、私の目をじっと見つめながら頷いた。


「ちょっと、めくるわね」

 ネコをシェナに預けて――。

 お母さんの前まで進んで、そっとフードをめくって覗き込むと……無残にも横一文字に、両目とも鼻筋と一緒に、深く切り裂かれただろう傷が包帯越しに分かった。まだ新しい、生々しい血の痕が滲んでいるから。


「……少しだけ、触れさせてね?」

 私の声に、少女は弱々しく頷く。

 ……治って。お願い。

「――ヒール」

 この言葉に、治癒の効果などはないと思う。

 でも、その想いを乗せるには都合が良くて。

 ただ癒えて欲しいと、願いを込めて魔力を通した。



「……痛くない」

 それは小声で、言った本人でさえ、半信半疑の声色だった。

 でも、次ははっきりと、確信めいた声で「痛くない」と言った。

「ほ、ほん……ほんとに、痛くないのね? 包帯、取ってみるよ?」

 お母さんは震える声で、抱いていた子を降ろして包帯に手を掛ける。


「剥がす時、痛かったらすぐに言うんだよ?」

 張り付いた包帯は、普通なら傷口に響く。

 けど、途中からはむしろその子自身が手を添えて、早く取ってと言わんばかりに、むしるように外していった。

「ママ。まぶしい」

 それは、ずっと目を閉じていた上に、包帯まで巻いていたから。

 つまり、目が見えないことには、眩しさなど感じない。ということは――。


「見える? 見えるのね?」

 少女は両手を目に当てながら、少しだけ開いた指の隙間から、母親と視線を合わせた。

「うん。みえる。いたくないし、みえる」

「あああぁ! リサ! 良かった! よかった!」

 うん。ほんとに良かった。

 私自身も、半信半疑だったから、ホッとしたし……。



「聖女様! ありがとうございます! ありがとうございます! 私に出来ることなら何でもお申し付けください! 絶対に! 必ず何でもいたしますので! ああ! 聖女様! ありがとうございます!」

 その様子を、固唾を飲んで見守っていた街の人達はようやく、目の前で起きていることが、目が治ったらしいということが皆に一気に伝わったらしい。


『うおおおおおおおおおお! 聖女様の再来だ! 聖女様ぁああああああ!』

 感極まった街の人達が、徐々に輪を詰めて、我も我もと私を見るためか、じりじりとにじり寄って来だした。

「やば……どうしよう、これ」

「お姉様。危害はなさそうですから、収まるのを待ちましょう」

 私はシェナに身を寄せて、今こそ転移で逃げようかなんて考えていた。


 すると、王子らしいその人が私の手を取って、「あちらに馬車を待たせてある」と言って連れ出してくれた。

 衛兵も、その大きな体を存分に使って、「道を開けろ!」と、人の輪を開いていく。

「さあお嬢さん、彼に続こう」

 私は、掴まれた手とは反対の手で、必死にシェナの腕を掴んで離さなかった。

 そんなことをしなくても、シェナはついて来られたかもしれないけれど。


「シェナ!」

「はい。大丈夫でございます」

 私は心細くて、今からどこに連れていかれるのかとか、いきなり目立ってしまったこととか、何もかもを無かったことにしたくていっぱいだった。

 魔王さまは側に居ないし、お爺さんも居ない。

 シェナしか頼れる人が居ない。

 そのシェナは、少し前まで私に頬を摺り寄せて、甘えてくる可愛い妹みたいな存在だったから。


「……いやだ。私を勝手に連れていかないで」

 小さく、ひとりつぶやいただけのつもりだった。

 けれど私の手を引いていた彼は、ぴたりと立ち止まった。

 もう、一応は人の輪を抜けきったから。


 さすがに、王子が連れていったその先まで、街の人は誰も追いかけて来なかった。

 だから、逃げる必要性が無くなってのことかもしれない。

「少し、乱暴だったかな。聖女よ。強引なことをして申し訳なく思う」

 そう言って私に向き直ると、彼は跪いた。


「私にも、その力を貸してほしい。だからどうか、私について来てくれないだろうか。決して悪いようにはしない。客品として、最大限のもてなしもさせてもらう」

 そう言って上目遣いに、真剣な眼差しで私を見つめた。

「……お姉様。王子殿下というのはきっと本当です。ここは従いましょう」

 シェナを見ると、もう慣れたのか、ネコを器用に肩にかけて、その腰を撫でていた。

「ずるい……」

 それを見た私は、さっきまでの不安が急に消え去ってしまった。


「お部屋に通して頂いたら、一緒に撫でましょう。お姉様」

 そう言われたら、急に部屋でゆっくりと休みたくなった。

 他のもろもろの不安は、今はもう感じない。

 だって、きっと私の力なら、人間に負けるはずがないのだし。

 そう思い直してきたら、王子の言葉は少し、魅力的な気がした。

 空き部屋住まいよりも、客品で良い待遇を受けた方が楽しい……もとい、後々良い結果になるかもしれない。


「わかりました。それでは殿下に、ついて参ります」

 ――差し出されていた手に、そっと手を乗せて承諾の返事としたのは、少し照れ臭かった。



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