07
大陸暦1962年――目の中の青空
通路に風が吹き抜けた。
その風の冷たさに体が震えて、私は修道着のポケットに手を入れる。見れば歩いている二階通路にも、一階の中庭にも見習いの姿はない。今は午後の自由時間なのだけれど、大分寒くなってきたのもあり、今日はみんな室内で過ごしているようだ。
暦は一年最後の月、光の月に入った。季節は冬真っ只中だ。
ここ
それをお母様が生きていたころの私は毎年、楽しみにしていた。
雪が積もると、銀世界に変わったお城の空中庭園でお母様やお兄様と一緒に雪玉や雪だるまを作って遊んだものだ。
そのときの光景が脳裏に浮かびしんみりしていると、ポケットに入れた手の感触に気が向いた。
指の腹には少しざらついた紙の手触りがある。
「……」
私はポケットから手を出すと早歩きで通路を進んだ。そして自室の扉を開ける。
「お帰りなさい」
室内から暖められた空気と共に、声がした。
机に向かって本を読んでいたユイがこちらを見ている。
「ただいま」
私は扉を閉めてユイの横を抜けるとベッドに座った。それから自然と手を合わせてこする。するとその様子を見ていたユイが言った。
「部屋、もっと温めましょうか」
冬の間、部屋は暖房魔道具で暖められている。下の子たちは先生がそれぞれの部屋に訪れて暖めるのだけれど、見習い三年生ぐらいからは暖房魔道具を借りて自分で暖めることになっている。
もちろん照明魔道具の
昨冬まではそのことに対しても鬱屈した気持ちになってはいたのだけれど、今年はなにも感じていない。もう完全にユイに頼ることに抵抗がなくなっている。それはきっと暴漢からユイが庇ってくれたとき、彼女が私のことを無能者だからそうしたのではないとわかったからだと思う。無能者だから助けなければいけないと思われていたのならば私も気後れするけれど、そうでないのならば気持ちも楽だ。
「大丈夫。部屋は暖かいわ。風がちょっと冷たかっただけ」
「今日は少し冷えますね」
「そうね」
幾分か手が温まると、立ち上がってポケットに入れてたものを取り出した。
それを見るようにユイの視線が下がる。以前にマクレアが直接、自室にこれを届けにきたことがあるので、彼女もこれがなにかは察しがついているだろう。
それならば隠しても仕方がないと――まぁ、隠すつもりもなかったけど――私はそれをユイに見せるように持って、苦笑交じりに言った。
「お兄様からの手紙」
「マクレア先生のご用事はそれだったのですね」
「うん」
そう。午後の授業終わりに先生に言われて、先ほど私は院長室に行っていた。
何気にマクレアから呼び出されるのは初めてのことだったので気持ち身構えて行ったら、なんてことはない、用件はこれだった。……いや、実際にはもう一つ、用件があったけれど。
「それと伝言」
私は自分の机の引き出しを引きながら言った。そこにはそろそろ三年分になろうとしている未開封の手紙が収められている。
「伝言、ですか」
「そう」
溜まった手紙に少し胸が締め付けられるのを感じながら、それに今日の分を重ねて引き出しを閉めた。それからまたベッドに座り、そのまま寝っ転がる。
「年末年始にでも一度、お城に戻ってこないかって」
それをわざわざ伝言として伝えたのは、私が手紙を読んでいないことにお兄様が気づいているからだろう。
「まぁ、断ったけど」
その誘いがお兄様の独断か、はたまたお父様に許可を得てのことかはわからない。
けれどどちらにせよ、やっぱりお城には戻りたくない。
だからマクレアには帰らないと伝えておいてと言っておいた。それに彼女は意外にもすんなりと了承した。マクレアには以前『一度、
「お城に戻ることは、禁じられていないのですね」
「まぁ、なんの説明もなく問答無用で修道院には入れられたけど、勘当されたわけじゃないから」
「そういえば以前、仰っていましたね。前に一度、どうしても戻らなければいけないときがあったと」
へぇ、と感心しながら私は上体を起こしてベッドに座る。
「よく覚えてるわね。そう。二年前に一度だけ戻ったことがあるの。お母様の五回忌に」
そのときもお兄様はビクトリアを通して伝言でそのことを伝えてきた。
それに行くかどうかは本当に迷った。
お兄様はまだしも、お父様とは顔を合わせたくなかったから。
でも、そのために大好きだったお母様の追悼ができないのも嫌だったので、意を決して行ったのだ。
「そのとき、二年ぶりに会った娘にあの父親、なんて言ったと思う? 『お前はなにを残すつもりだ』よ? 無能者のこの私に。だから私はこう返してやったの。『なにも残せない私にそれを訊くのですか』って。あのときのお父様の苦虫をかみ砕いたような表情、今思い出しても笑っちゃうわ」
言葉通り、私は一人で笑う。
「全く、昔から言葉足らずな人ではあったけれど、空気まで読めないとは思わなかったわ――って、ごめん。愚痴になっちゃったわね」
「いえ。殿下も大変なんですね」
「本当にそう思ってる?」
「おそらくは」
「あのねぇ」
冗談っぽく呆れて見せると、ユイがほんのり目を和らげた。初めて笑ったときほどではないにしても、笑ってくれているのだと思う。
こうしてユイの表情に変化が見られるようになったのは最近のことだ。以前は曖昧な認識だったものが、今では確実に目で確認できるぐらいには表情が動いている。とはいえそれは本当に些細なもので、よく見なければ気づかない程度だとは思うけれど。
それでもそのようにユイに変化が訪れているのはまぁ、私の影響なのだろう。……いや、だって、ユイに常に関わってるのって私ぐらいしかいないし。消去法で考えたらそれしかないという意味で、別に私のお陰だとか自惚れているわけではない。ただ事実としてそう思っているだけだ。
そう、なぜか心の中で言い訳していると、ユイがじっと見ていることに気がついた。
私もよく彼女を窺っていることはあるけれど、相変わらずユイも私を見ていることがよくある。本当に最初のころは『なに見てんのよ』ぐらいの気持ちだったけれど、最近はちょっと恥ずかしい。
「そんなに私の顔、面白い?」
だからその気持ちを誤魔化すように私は言った。
「顔」
ユイが不思議そうに首を傾げる。
「顔、見てるんじゃないの?」
「いえ。目を見ていました」
「目?」
「はい。殿下の目、不思議な色をされてますよね」
「あぁ」
初代
そんなわけでこんな無能者の私でも一応は目だけが青色なのだけれど、私の目はお父様ともお兄様とも少し違うらしい。
なんでも、角度や光源によっては色味が変わって見えるのだとか。
それが凄く綺麗だと、お母様もよく私の目を褒めてくれていた。
「自分で鏡を見てもよくわからないんだけど、なんか色んな青に見えるんだってね」
「そうなのですか」
「そう見えるんじゃないの?」
「私には一つにしか見えません」
「そうなんだ。貴女にはどう見えるの?」
「綺麗な青空です」
あまりにも自然にそれを口にするものだから一瞬、ユイがなにを言ったのかわからなかった。
「青空」
「はい」とユイがうなずく。
どうやら本人も自分が口にしたことには気づいていないようだ。
だって乗馬を教えてくれると言ったときのように戸惑う様子もなく、真っ直ぐにこちらを見ているから。
「――そう」
「はい」
私はユイから視線を外すと前を向いた。
……なにげにユイがはっきりと自分の感情を口にしたのは、初めてなのではないだろうか。
しかもそれが自分のことだと思ったら、嬉しくもあり恥ずかしい。
「どうかされましたか?」
「え」私はユイを見る。
「落ち着きがないようですから」
気づけば足をぶらぶらと揺らしていた。
「いや別になんでもないけど」つい早口でそう返して、私は立ち上がる。「それよりも今日の夜、お店に行くからね」
「でも」
「大丈夫。犯人捕まったってマクレアが教えてくれたわ」
「そうですか」
ユイは納得するようにうなずくと、机に向き直った。そして読書に戻る。
意味もなく立ち上がってしまった私は、なにかを探す振りをしてまたベッドに座った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます