大陸暦1962年――反省の夜
修道院に戻ると私は一人、自室に戻った。
ユイは治療のためにマクレアが連れていったからだ。
私は部屋でユイを待っていたけれど、なかなか戻って来なかったのでお風呂に入りに行った。そしてそこそこの長風呂をして戻っても、まだユイはいなかった。でも机に入浴道具や修道着が畳まれて置かれていたので、戻ってお風呂は済ましたらしい。
どこ行ったんだろうと思いながら私はベッドに寝っ転がる。それから落ち着かない気持ちで天井を見ていると、少ししてユイが戻ってきた。その手にはタライとタオルが持たれている。
ユイはタライを私たちのベッドの間にある小机に置くと、タオルを水に浸して絞ってからこちらに差し出した。
「これで冷やしてください」
どうやら私の為にこれを準備してくれていたらしい。
その気遣いを嬉しく感じながら私はタオルを受け取った。
「ありがとう」
上体を起こして左頬にタオルを当てる。冷たくて気持ちいい。
その様子を見届けてからユイも自分のベッドに腰掛けた。見ると先ほど少し腫れていた頬が元通りの色に戻っている。それに安堵しながら私は訊いた。
「どうして、庇ったの」
ユイが目を瞬かせる。
「私が王女だから? それとも
私の疑問にユイは目を伏せると、しばらくしてから視線を上げた。
「どれも、頭にありませんでした」
「それならどうして?」
「……わかりません」
「そう」
ユイがわからないのはいつものことだ。
でも私を王族としてでも
ユイにまでそういう風に見られていたとしたらなんか、嫌だったから。
そこで私は一番、言わなければならないことを思い出した。
「ごめんね。怪我させて」
「殿下の所為では」
「ううん。マクレアが言ったことは間違ってないわ。全て私の責任。だからこれも気にしないで。貴女の所為じゃないから」
笑って空いた手で左頬を指す。それでもユイは心配そうに――私にはそう見える――見てくる。心配してくれるのは素直に嬉しいけれど、叩かれたのは本当に自業自得だからあまり気にして欲しくはない。
だから私はそこからユイの気を逸らそうと、あえて明るく言った。
「それにしてもマクレア、貴女のことは結構、気にかけてるわよね」
え、とでも言うようにユイの眉がわずかに上がる。
「私の扱いは適当なのに」
続けて冗談めかしてそう言うと、ユイが目を伏せた。
問いかけてもいないのにそうするということは、なにか言いたいことがあるのかもしれない。頬にタオルを当てたまま待っていると、やがて視線を上げたユイが口を開いた。
「殿下、ご両親に叩かれたことはありますか?」
「え? ないけど。叱られるようなことをしたらお母様は笑って諭してくるタイプで、お父様は無言で威圧してくるタイプだったから」
「一度」そこでユイは言葉を止めてから続けた。「私は一度だけ、母に叩かれたことがあります」
「へぇ。貴女、
そこでユイの右口端がわずかに上がった。まるで苦笑するように。
「まだ狩りに連れて行ってもらう前のことです。本で読んだウサギをどうしてもこの目で見てみたくなって、お家を抜け出して一人近くの森まで探しに行きました。でもウサギは見つからず挙句に森で迷ってしまい、日が暮れる中、座り込んでいたところを父に頼まれ捜索していた狩人の一人が見つけてくださいました」
多く喋るユイを珍しく感じながら、私は静かに話を聞く。
「狩人に連れられお家に帰ると母が飛んで出てきました。そして頬を叩かれました。お花に付いている害虫すらも殺せず逃がしてあげるぐらいに優しかった母が、そのとき初めて私に手をあげたのです」
当時を思い出すようにユイが目を伏せる。
「幼いながらに私は思いました。母は私のことを本当に心配してくれているからこそ、私の軽率な行動に対して手が出てしまったのだと」
伏せた目を上げて、ユイがこちらを見た。
「マクレア先生も殿下を本当に心配しているからこそ、手が出てしまったのではないでしょうか」
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