スライムの恩返し~知らずに助けたのは魔物でした~

小林一咲

第1話 心優しき少年

「今日はこれくらいにしようかな!」

 

 ここは大陸の東側、シュカテン地方に位置するヨナ村近くの森。そこに毎日欠かさず薬草採取に来る少年がいる。


「あ、綺麗な花だ! 母さんに見せよっと」


 彼の名はマクスウェル・ブライトウッド。ここでは他の村人と同じように『マック』と呼ぶことにする。

 マックは今日も病床に伏す母、リンダのために薬草を採取しているようだ。


「な、なんだ?!」


 帰ろうとしたマックの背後から、草をかき分ける音が迫ってきた。彼は薬草採取のための小さな鎌を取り出すと、その小さな手で握りしめた。「魔物か、動物か」襲われたらどうしようという不安が脚を震わせる。


 そのが草むらから現れようとしたとき、マックは怖くなって思わずその場にしゃがみ込んで目を瞑ってしまった。

 しかし、咆哮が聞こえるわけでも襲われるわけでもない。


「ご、ごめんなさい……って、あれ?」


 マックは何故か謝罪しながら、恐る恐る目を開ける。そこにいたのは瀕死ひんし状態のスライムだった。


「わぁ! 何この生物いきもの!」


 なお、彼はこれが魔物モンスターであることを知らない。この付近一帯には、昔から魔物が少ないので、村の子どもたちは魔物を見たことがない。


 それじゃあ、何故この村は過疎化しているかって?

 答えはだからだよ。

 神の御加護か、はたまた悪戯か。この村を囲むようにして魔物の巣が点在している。


「君、なんか傷だらけだね。魔物に襲われたの?」


 風で揺らめくスライムが頷いたように見える。


「そうなんだ。大変だったね。ほら、少しだけど食べて」


 スライムは遠慮がちに首を横に振る……ように見える。

 マックが「いいから」とスライムの目の前に薬草を差し出すと、スライムは体液を伸ばしてそれを摂り込んだ。

 

「これからどうしようか……」


 彼はスライムを撫でながら薬草をもう一束食べさせた。モグモグ、というかニュルニュルと食べる姿が愛おしくなったマックは、それを自身の名前から取り『ウェル』と名付け、しばらく飼うことに。かと言って、村に連れ帰れば何を言われるかも分からないので、一先ずは森の中で事実上の放し飼いをすることにした。


「まだ完治していないんだから、遠くに行っちゃダメだよ!」

 

 実を言えば、スライムの傷は既に完治している。

 心優しい少年の言葉がスライムに届いたのかは分からない。だが、翌日森に入ったマックが見つけたのは、薬草をせっせと集めているスライムの姿だった。


「もしかして僕のために?」


 スライムがまたユラユラと揺れ、首を縦に振る。

 

「ありがとう! でもこの量は多過ぎるから半分は君の分ね」


 嬉しそうに飛び跳ねるウェル。それを見たマックも心が洗われたような気がした。

 そこから数日、毎日のようにスライムのウェルと心優しき少年マックとの交友が続いた。マックが森に入れば、いつもの場所にウェルがいて、薬草や木の実なんかを集めていた。


「母さん、今日はウェルがこんなに薬草をくれたんだ!」

「そう。良い友達ができて嬉しいわ」

「うん!」


 母は無邪気な我が子が「魔物と遊んでいる」とはつゆ知らず。母は長年、息子が自身のために薬草採取ばかりで、村の子どもたちとの交流が無かったことに負い目を感じていた。なので余計に「友達ができた」ことを喜んだ。

 マックもまた、喜んでいる母の、元気な姿が嬉しかったので、その友達がスライムであることはあえて告げていない。


 しかし、不運は突然に彼を襲った。

 雨の降りしきる昼下がり。マックは腰を痛めた親方の大工仕事を手伝い、少し遅くなって森に入った。すると、いつもの場所にウェルが居ないことに気が付く。

 さすがにこの雨だし待っていてくれなかったのかな。そう考えたマックは、ひとりで薬草を集めることにした。

 

 久しぶりに独りぼっち。

 雨粒が葉に当たる単調な音だけが森の中に響いている。マックにとって、ここ数日のウェルとの生活はかけがえのないものだった。


「よし、こんなものかな」


「おーい! マック、どこだー!」

「あ、村長さんの声だ」


 村長の呼びかけにマックも大声で返す。


「ここです! 村長さん」

「よ、良かった……」


 マックはこの森で迷子になることはない。それなのに、村長は雨除けのコートすら羽織らず、全身泥だらけでマックを探していたようだった。


「そんなに焦ってどうしたんですか?」

「すぐに村に戻りなさい。リンダの体調が急変したんだ」

「母さんが……?!」


 マックは採取した薬草を潰れるほど握りしめると、一目散に駆け出した。

 母は既に村唯一の診療所に担ぎ込まれており、所内は緊迫した空気に包まれていた。


「いいかいマック。冷静に、落ち着いて行動するんだ。母さんは絶対に大丈夫だ」

「はい……」


 村長の言葉に声を震わせて頷いた。 

 狭い診療所のベッドに横たわる母は、何かと戦っているように身悶えていた。マックは母の手を握ることもできす、ただその姿を静かに見守ることしかできない。


 薬草なんかじゃ意味がなかったんだ。特級薬草さえ見つけていれば母は苦しまずに済んだのかもしれない。マックの頬に大粒の涙が零れた。

 

「マック、すまない……」


 数時間に及ぶ懸命な処置にも、最愛の母、リンダ・ブライウッドは三〇二年という短い人生に幕を下ろした。


「いえ、先生は悪くありません……」


 嘘だ。

 本当は「なんで助けてくれなかったんだ!」と怒鳴りたかった。狂ったように泣き喚いて、目に映る全てを壊しながら暴れまわりたかった。


 でも、そんなこと――。


「母さんの前で先生を悪く言ったら、きっと怒られちゃうから」


 その夜は診療所のベッドで母と過ごした。

 一緒に寝るのなんていつぶりだろう。いつも優しく聡明で、マックを包み込んでくれたリンダ。


「僕、親孝行できていたのかな」


 母のために、もっとできることがあったはず。今は冷たくなった彼女の手を静かに握ることしかできないというのに。


 翌日、リンダの葬儀が行われた。

 墓には「村の女神 リンダ ここに眠る」と彫られた。


「あの頃のリンダはなぁ」


 葬儀が終ったあと、特に親しかった大工の親方や、母を幼い時から知っている村長などが集まり、彼女の昔話を聞かせてくれた。


 元気だった頃の母は、とても手がつけられない娘だったらしい。活動的で、加えて美人だったこともあり、村に訪れた『勇者』に婚姻を迫られたこともあったとか。


「やっぱり、母さんは凄い人なんだね!」

「ああそうさ。リンダは……凄い、良い人だった……」


 湿った雰囲気のところ、皆の目に溜まった涙が明るく照らされた。村長宅の扉が開き、ひとりの男が現れたのだ。


「やあ、マクスウェル。久しぶりだな」


「なんで僕の名前」

「お前、何しに来やがった……」


「マクスウェルを迎えに来たのさ。俺はなんだから」

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