一杯のラーメン

@shigaraki_hazama

一杯のラーメン【短編小説】

一年過ぎぶりに東京から地元に帰ってきた。

近所によく行きつけのラーメンがあった。


いつもの注文していたラーメンがあったから久々に食べたいと思い、雨上がりの曇天の濡れたアスファルトの先に赤暖簾がかかった木造平屋建てを目印に歩く。近くで見ると木材の所々に褪せた色や細かく割れている箇所が目立つ。


硝子張りの横引き戸を開け、右手にスマホ左手は暖簾をかきわけ暖簾をくぐる。


女将:「いらっしゃい」


厨房の奥には店主らしき男が無口を貫いているようなしかめっ面で腕を組んで立っている。


扉から入って右にあるテーブル席の壁に近い席に腰を掛けた。

テーブルの上においてあるメニューを広げざっと目を通す。


「あれ…」


厨房から出てきた七十過ぎた女将が腰の曲がった体てもたもたと足を引きずるようにこちらのテーブルに注文を取りに来る。


女将:「ご注文は?」


覚えている。確かメニューの一番下には大々的にふたつのラーメンがあってそこから注文していた。しかし、ここには○〇ラーメンという文字はなく、ただラーメンとしか書かれていない。


歯で息を吸って途中で止める。

「確か、ここにふたつのラーメンがあったはずなんだけど、しおなんとかだったのとあともうひとつ…何だったか…あったと思うけど、ええっと。ほら!あれ?…」


女将:「はて…?」


必死に思い出そうとしても中々出てこない。


「えっと…えっと…あったはず。ふたつぐらいのラーメンが。ありましたよね…?」


やけになって自分でも何を言っているのかよくわからない無茶苦茶な言葉に女将さんが困りかけているときにカウンターに座っていた女将と同年代ぐらいの男が声をかけてきた。


男:「兄ちゃん、お前一年ぐらい通ってただろ。」


「え…はい。」


男:「確かにあんたの言う通り、このメニューには二種類ぐらいラーメンがあったな。見たことがある。だけど何ラーメンだったかまでは覚えてないなぁ。ちょっと待って、思い出す……女将さん、ほら、あっただろ。」


女将は変わらず困った様子でいる中、これ以上困らせたくないという気持ちが先行し店を出ることに決めた。


席を立った瞬間と同時に、カウンターに座っていた男が舌打ちをして捨て台詞のように「思い出せねえな」と呟く。


男:「力になれなくてすまないね。」


男がそういうとこちらは軽く会釈をして「あ、やっぱり大丈夫です。すみません。」

と一言かけ店を出る。


女将も店から一緒に出てきた。


女将:「ごめんね。歳だから最近忘れっぽくて、またいつでも食べにいらっしゃい。」


「また、きます。」


そういって店を背に帰路につく。


もう食べられないのか。あの舌に残る濃い味を。


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