空想リアリティ

@NataaNichizyo

働くということ

「あんたはもっと働くべき。」

それは私もそう思う。五体満足とは言えないが日常生活を送るのに人の手は借りないでやっていけている。運動能力も年齢相応、よりは少し劣るかも知れないが他人に迷惑をかけるほどではない。そのような人は、この少子高齢化が叫ばれる中、少しでも動いて世の中のためになることをしたほうがいいのではないか、というのは自分でも思う。

働くというのが生活費を稼ぐという意味なら、その必要がない人は働かなくてもいいことになるが、収入が見込めなくても人は動くべきだ。自堕落でのうのうとした生活をし続けるのはいろんな意味で世の中のためにならない。

さてここで「世の中のためになる」とか「動く」とか書いだたがそれを文字通り受け取ってはいけない。「動く」というのは手足をバタバタさせることでは決してない。何が世の中のためになるのかは熟考が必要だ。そんなことをしても意味がないと言わないまでも、短絡的な行動がむしろ世の中を「悪く」しているかも知れない。また、恩恵を受ける人と制約を受ける人の両方が出てくるかも知れない。

いやそこまでしないといけないと何もできないじゃん、ってなるが、そうではない。自分の振る舞いに根拠を持って、なぜそうするのかをちゃんと説明できるようにしておきなさいということだ。募金で声を枯らす小学生の中で、その行為の功罪をちゃんと説明できる者は何人いるか。あ、失礼彼らはちゃんと考えているはずだ。小学生といえどもそんなに愚かではない。

もし自分の振る舞いの根拠をちゃんということができれば、それに対して議論が生じた場合、ちゃんと振り返ることができる。根拠は別に変わってもいい。一生のうち絶対変えられない信念とかじゃない。信念さえ別に変えてもいいものかも知れないし。ここら辺になると言葉の定義の話になるのでやめようか。

つまり、表面上の行動に疑義や反論が生じたとき、その理由がちゃんと説明できれば自分の行動の正当性を主張できる。そしてそのフェーズの意見のやり取りができる。そこでの価値観をめぐる総相剋がもしかしたら社会の役に立つかも知れない。多様性を知らしめるとかかっこよさげなことを言うつもりはないが。

なので、

「ちゃんと働いているけどね。お金を稼ぐという意味ではないけど。」

と返しておいた。

「いや自分の食い扶持を得なさい、と言ってるのだわよ。」

と返された。そうか、そうだよな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る