一章

第2話 南雲悠一の場合

 僕は生まれて初めて本当の恋をした。

 保育園や小学校の頃にも、確かに好きな女の子の一人や二人いたかも知れない。

 だが、あれは恋とは呼べないだろう。


 あくまで『ラブ』ではなく『ライク』だ。


 現実、本当の恋を知るのは、高校生以降だと僕は思う。中学で好きだった、遠藤さんや小倉さんは、それは断じて恋ではなかった──と信じたい。顔やその見た目が好みだっただけで、それをただ単に勘違いしていただけだ。

 それこそまともに会話したことすら無かったのだから……


 ここで改めて言う。

 僕こと、南雲悠一なぐもゆういちは、高二の春、とある女子に本当の恋をした。

 だから自分はこの秘めたる想いを彼女に告げることにする。

 たとえこの恋が実らなくても──


 まぁ……実際、実らず枯れてしまったけどね……。




「──で、話って何? 私の下駄箱に手紙を入れたの南雲君だよね?」


 衣替えの季節。

 初夏が彩る六月の放課後。

 学びや校舎四階、狭い廊下の片隅に置いて、古い大鏡を背に彼女──柊美空ひいらぎみそらは、正面で向かい合う僕に対し、両腕を組み、あからさまに不機嫌、かつ強めな口調で言った。


「ええっと、その……」


 対し僕は、ここにきて何度も繰り返し練習した台詞もすべて頭から吹っ飛んで、なかば無理やり吐き出した言葉でさえ、語尾も小さく、自然と言い淀んでしまう。


 柊さんは男子平均値の自分よりも若干低いぐらいの身長なので、いざ対面すると、その威圧的な態度も相まって、場所も場所だけに、不良から呼び出された気弱な男子生徒のような態度になってしまった。


 彼女の細い背中とともに映る鏡の中の自分がかなり情けない姿になっている。


 とはいうものの、現実、僕が彼女を呼び出した訳だし、実際柊さんは、こんな人気のない辺鄙な場所にも関わらず、あまり面識のない自分のためにわざわざ足を運んでくれた。


 だから最低限の礼儀として、僕は本来の目的である──彼女への告白を玉砕覚悟で実行しなければならない。


 気持ちを新たに意を決し、引き気味だった腰を整え、逸らしていた目を正面に向け、熱い眼差しを灯し、僕は彼女の瞳を見つめた。


「……うっ」


 すると今度は何故か柊さんの方が背中を引いた。あんな毅然とした態度で僕と接していたのに、何だか今は逃げ腰になっている。

 だが構わない。

 このタイミングを逃がしたら己の決意がまた揺るいでしまう。待つ事なんて出来ない。

 僕はこの想いを彼女に告げる。


「ひ、柊さんっ、僕と付き、」

「ごめんなさい」


「……へ? ま、まだ、最後まで、」

「私は貴方と付き合えません」

「言ってな、」

「私は貴方に興味がありません。だからお断りします」

「……言ってない……けど」


 取り繕うまでもない言葉の羅列。

 冷たく無表情で言い放つ彼女の顔を見ながら僕は思う。


 奇麗な顔だよな──と。


 色々と理屈をこねていたけど、僕が好きになる女子はやはり見た目重視なのだろうか?

 いや、たしかにそこは大事だけど、彼女、柊美空さんに至っては、その佇まいというか、優等生特有の近寄りがたいオーラが逆に気高く感じて……そんな彼女に告白を決意する自体、なんとも無謀な計画だったかも知れない。


 ……ま、何はともあれ、僕は彼女にフラれたらしい。

 

「──私、自分より学力が劣る人には、全く興味がありませんので、あしからず」


 あ、そういうこと?

 確かに彼女の成績は優秀だ。今学年で常に一ケタ順位をキープしている。その成績に自分は劣る。それが告白を断わる理由だったのなら、僕には十分可能性があったわけか……ま、今となっては後の祭りだけど。

 こうなったら一刻も早くこの場から潔く去るべきだろう。


「……わざわざ呼び出してごめん。じゃ、僕は行くから」


 言葉少なく、僕は彼女に背を向けた。


「本当にごめんなさい……」


 その時、彼女らしかねない謝罪の声が背後から聞こえて、虚しくも、僕はちょっとだけ救われた。このままさっさと家に帰ってふて寝しよう。

 ──と思った瞬間だった。


 ガタッ──


「きゃっ!」


 背後から物音と共に彼女から短い悲鳴。

 僕は慌てて後ろを振り向く。


「────っ!?」


 絶句。

 思わず声を失う。

 なんと目の前で柊さんが大鏡に吸い込まれた。


 自分で何を言っているのか、訳わからんが、この瞬間、柊さんの細い右手が鏡の中から延びている。その手もたった今吸い込まれてしまった。これは断じて見間違いではない。


「くそっ、何でだよ!?」


 僕は今更ながら元凶である大鏡の前に駆け寄る。一見何の変哲もないただデカいだけの古ぼけた鏡だ。


「返せよっ! 早く彼女を吐き出せ──」


 無駄だと知りつつも、僕は大鏡を拳で叩きつける。鏡はことのほか頑丈で、何度も強く殴ろうが割れるどころかひびすら入らない。


「一体どうすれば……警察、いや、消防? とにかく今は先生を呼ばないと──」


 その時だ。

 パニくる僕にも、異変が──


「な、」


 ──と、ここから後の記憶がない。



 気がつけば、僕は森の中にいた。

 それと柊さんもいた。

 彼女は、空を見上げながら呆けていた。


 そして現在に至る。

 あの不思議な大鏡のことは今の今まで忘れていた。記憶力だけは自信があったのになぜ?

 大事なことだったのに──


「……どうしたの? 顔真っ青だよ」


 隣で歩く彼女、柊さんが僕を覗き込む。


「……いや、大丈夫。それより先を急がなきゃ日が暮れちゃうから」

「そだね。急ごうか、南雲君」


 ここに来た最初こそは、現状が理解不能で二人してパニくっていたけれど、今現在はどうにかこうにか落ち着いている。

 それと、今の柊さんといえば、問答無用で僕をフったあの剣呑さはさっぱりと消え失せていて、今はごく普通の態度で自分と接してくれている。

 ……ま、彼女にフラれた身としては、若干思うところがあるが、この状況だ。致し方ない。


 それより、この樹海に迷い込んだ経緯ついてだが、あの理解しがたい古い大鏡の出来事を考慮すると、これこそ信じがたいが、まさかの『異世界』に転じた可能性が大だ。

 さしあたって僕らに異世界チート能力が備わった気配すらない。当然、チュートリアル的な女神様みたいな存在にも出会ってない。

 ナビ的な謎の声も一切聴こえない。


 当たり前だ。


 そんなのラノベだけのテンプレにすぎない。

 現実はそんなに甘くはない。

 僕ら二人は、何も知らない非力なまま、この不可解な異界を脱出しなければならないのだ。

 とはいえ、もしあの鏡が何だかのテレポート的な瞬間移動装置で、ただ単に『現代の日本のどこかに飛ばされた』だけだとすれば、飛ばされた場所がどこにせよ、まだ家に帰れる可能性があるのだが……。


「……ええと、南雲君。まだ明るくてよくわからないけど……その……何だか月が二つに見えなくない?」

「ん? ……見える、かも──」


 そんな異世界のテンプレいらねーよ!


「あはは──」

「くふふ──」


 森の中、自然と二人で笑った。いや笑い合うしかなかった。

 それと本格的に周りが薄暗くなってきた。


 僕らは完全に、詰んだ、かも知れない──

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る