88 過去:私は店員じゃなくて ④
シズカが、わざわざエレアの初配信を助けたのはこれが理由だ。
でなければ、それなりにちゃっかりした性格のシズカが何の見返りもなしに請け負ったりはしない。
まぁ、店長は完全に友人の好だと思っているだろうが。
もっと言えば、エレアがどうして惚れたのか知りたいなんて理由、友人の好以外の何物でもないのだが。
そこがシズカの「本人はちゃっかりしていると思っているお人好し」という、逢田トウマの友人にしてライバルらしさでもある。
なお、それを指摘できる人間はここにいなかった。
「え、いや、あの」
「もう、流石にあそこまで惚気けまくって、隠すつもりなんてないでしょう?」
「うう……」
「第一」
シズカは、ニッと笑ってエレアの鼻先を突っつく。
「さっきの配信、店長だって見てるだろうし、隠すどころじゃないじゃない」
「あっ」
「え?」
――沈黙が広がる。
エレアは、緊張のあまりその可能性を考えていなかったのだ。
そしてシズカは、あそこまでしっかりと初配信できる子がそこを失念しているとは思わなかったのだ。
「ぅう……もう私、おしまいです……」
「だ、大丈夫よ! あいつ、色々と動じないタイプだし!」
「それは……理解ってますよぉ」
ここ数ヶ月で、いろいろな知識がしっかりしてきたエレアは、自分がファーストコンタクトでやらかしたことの意味も理解している。
そのうえで、店長があそこまで軽くスルーしてみせたのが普通ではないことも。
どちらにせよ、エレアは恥ずかしさで顔を覆うしかなかった。
「ええと、そうね……そうだ! エレアはどうして配信をしようと思ったのよ?」
「どうして、……ですか?」
「だってそうでしょ、貴方との付き合いはちょっとだけだけど、貴方の性格と配信への興味が繋がらないのよ」
シズカの言う事は、店長も少し気にしていたことだ。
彼はエレアが配信に興味があることは理解していたものの、どうして興味を抱いたのかは理解らなかったのだ。
「……きっかけは、ショップ大会の配信です」
対するエレアは、つらつらとその理由を語り始めた。
ショップ大会の配信、カードショップならどこでもやっているそれは、当然この「デュエリスト」でも行われている。
そして、そこから配信に興味を持つのは流れとしてはごくごく平凡な理由だ。
「配信は、いろいろな人に観てもらっていて、中には感想をくれる人もいるんです」
「そりゃあ、誰かに向けて発信したものは、誰かから反応があるものよ。それがいいものであればあるほど、ね」
まぁ、逆に誰かの悪意に曝されることもあるのだが。
それをわざわざ口にする必要はない。
純真無垢なようでいて、案外しっかりしているエレアならその辺りは言うまでもないだろうことだからだ。
「その中に……こんなコメントがあったんです」
「どんなの?」
「“この店の店長、すごく強いのに全然知名度がないのはどうしてだろう”……って」
「……それって」
――――つまり、店長のこと?
エレアが、少しだけ恥ずかしそうにしながら続ける。
「その、て、店長があまり人目につきたい人ではないことは、理解ってます。でも、店長はすっごくすごい人で……私、その事を色んな人に知ってもらいたいんです」
「え、えっと」
「それで……その、店長が人目につかなくても、私が有名に……なれば、私を通して……店長、を……知ってもらえるかな……なんて」
――それは、要するに。
結局、エレアが店長のことを好きだからじゃないか――
話を逸らしたつもりで、思い切りエレアに店長を意識させてしまいシズカは頭を抱える。
エレアも、何だか申し訳無さそうに、恥ずかしそうにしている。
再び、気まずい沈黙が流れた。
そして、シズカがどう言葉を紡ごうか考えているところで――
「それで、その」
エレアが、口を開いた。
「私が店長を、好きな理由は……」
大変申し訳無いことに。
エレアの方から軌道修正を図ってくれたようだ。
シズカは申し訳なさで思わずしにたくなった。
それはそれとして惚れた理由は気になるので意識を集中させる。
なお、これはシズカが気づいていないことだが。
このやり取りでエレアはシズカに対する親しみを感じている。
それまでは頼りになる周囲の人の一人だったシズカが、自分と同じ人間で、それでいてお茶目なところがあるのを理解したのだ。
店長を除く全ての人間にどこか申し訳無さを感じて接していたエレアにとって、これは大きな前進である。
そして、それこそが店長がシズカにエレアを任せた理由でもあった。
「好きな理由は……私を、エレアだって言ってくれたこと……です」
“彼女はエレアだ、モノじゃない”。
かつて、店長はエレアを苦しめていた皇帝カイザスにそう啖呵を切った。
エレアを初めて、一人の人間として扱ってくれた人。
エレアに人としての幸福を教えてくれた人。
エレアが一人でも大丈夫なように、背中を押してくれる人。
あの時エレアは恋に落ちた。
それは、もはや口に出すまでもないことだ。
しかし――
「……でも、私はまだ怖いんです」
「怖い?」
「はい、一人で生きていくのが。自分だけで自分の道を決めるのが」
――エレアは、未だに籠の中にいる。
帝国という檻から解放されたというのに、外の世界に飛び出すのが怖くて。
籠の外へ出ることができないでいる。
「出たい、とは思っているんです。だから、店長も私にいろいろなことをしてくれます」
「今回のことも、そうね」
「でも、私は――私のままなんです」
故にエレアは、その事を一言でこう表現する。
「私は、店員のままなんです」
初めて出会った時、エレアは自身の所有者になった彼を「マスター」と呼称した。
その後、彼の提案でそれは「店長」に変わったものの。
本質は何も変わっていない。
エレアが店員である限り、彼女は店長のものだ。
どれだけ店長がエレアはエレアだと言ってくれても、エレア自身がそれを受け入れられない。
だから――
「だから私は……店員としてじゃなくて、エレアとしてあの人に好きだって言いたい」
気がつけば、エレアは。
涙を流していた。
悲しくなんてない、悔しくもない。
それなのに、どうしても涙を流してしまう。
なぜなら、
「私、店員じゃなくて……あの人の、お嫁さんになりたいんです」
それは、エレアが初めて口にした。
口にできた。
エレア自身の、本音だったからだ。
「ああ、……もう!」
シズカは、そんなエレアを抱きしめた。
この場で彼女を抱きしめるのは自分の役割ではないのだろう、とも思うが。
それでも、エレアを見ていて感じてしまった母性を抑えることができなかったからだ。
「ごめんね、無理にそんなこと聞いちゃって」
「いえ、いえ……こっちこそ、ごめんなさい。こんなふうに、泣いちゃって」
「いいのよ、思いっきり泣きなさい」
声もなく、エレアは涙を流した。
「……あの人のことが、好きなんです。でも、口にするのが怖くって。口にするためには、あの人のモノじゃダメなんです」
「……そうなのね」
「私が……
今日、エレアは二歩進んだ。
店の外で彼のことを「ミツルさん」と呼び、店の中で彼とは関係ない新しい自分を始めた。
きっと、これからも大きく進んでいくだろう。
ただ、それでも最後の一歩を踏み出す勇気は、今の彼女にはない。
「大丈夫よ、きっと貴方は前に進める。私が保証しちゃうんだから」
「ありがとうございます……」
後に、エレアはシズカのことをシズ姉と呼び慕うことになる。
店長が望んだ、自分を介さない他人との関係。
この夜は、その第一歩が育まれた夜でもあった。
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