19.スナック麗
スナック麗に到着した海斗と結愛は、タクシーから降り立った。子供のころ美波に連れられて、何度かこの店には来ている。
海斗は店のドアを開けた。
「こんにちは」
華やかなイブニングドレスを纏い、艶やかな黒髪を夜会巻にした女がカウンターから顔を出した。
「まだ開店前よ」かったるそうに言ったあと、海斗の顔見て笑みを浮かべた。「ずいぶん大きくなったわね」
「はい。母がいつもお世話になっております」と、とりあえず挨拶した。
煙草に火をつけた。
「で、どうしたの? 用があるから来たんでしょ?」
海斗は嘘をついた。
「俺たちは、三十年前に奇霧界村で起きた未解決事件の被害者、香田美幸の親戚なんです。いま彼女について調査をしています」
思わず笑う。
「親戚? ホント? だって三十年も前の事件をなんで親戚の高校生が調べるのよ。それに君のお母さんからそんな話は聞いたことない。もっとうまい嘘をつきなさい」
同じ名字なので親戚と言ってみたが、嘘をつくのが苦手。
「す、すいません」
結愛が説明した。
「三十年前に奇霧界村で起きた事件について調べています。深い事情があって訳は言えませんが、殺害された被害者、香田美幸さんのお客さんについて知っている方がいましたら、お話を伺いたいと思って来ました」
「正直でよろしい。でもねぇ、深い事情があっても、客のことは言えないわ。でも三十年前も前の話だし関係ないか」煙草を消した。「現在、店の経営を任されているのがあたし。三十年前のママは、あたしのおばあちゃん。いま家にいると思うから、行ってみるといいよ。今年で八十八歳だけど、おしゃべり好きだし、しっかりしてるからその美幸って人のことも覚えているはずよ」
「ありがとうございます」結愛は礼を言う。「おばあちゃんのご自宅はどの辺りですか?」
「この店の裏に一戸建てがあるの。そこがおばあちゃん家」
「おばあちゃんのお名前は?」
「麗子よ」
ふたりはスナック麗をあとにし、麗子の自宅へ向かった。木造建築二階建てのお洒落な家だ。
海斗はチャイムを鳴らした。
「いい情報を得られればいいんだけど」
「緊張するね」
着物を着た麗子が玄関のドアを開けた。
「はい」
かなりの高齢だが、背筋もまっすぐで姿勢も良く、美しい顔立ちをしており、長年ママを務めていただけのことはある。
「こんにちは、香田海斗といいます」自己紹介をした海斗は、結愛に顔を向けた。「こちらは八城結愛ちゃんです」今度は嘘をつかずに説明した。「スナック麗のママから麗子さんの自宅を訊いて伺いました。じつは三十年前に奇霧界村で起きた未解決殺人事件を調べています。訳があって理由は言えませんが、決して遊びでやっているわけではありません。香田美幸さんのことを詳しく教えて下さいませんか?」
「理由が言えない?」
「……あ」結愛と顔を見合わせた。「きっと、言っても信じてもらえないと思うので……」
「信じるわ」ふたりの目を覗き込んだ。「あなたはたちはとてもいい子だわ。人の目を見れば、その人がどういう人なのか、大体わかります。特別な力じゃないわ。長年の客商売で培ってきたものよ。さあ、上がってちょうだい」
麗子は疑うことなくふたりを玄関に招き入れた。
ふたりは玄関に上がった。
「お邪魔します」
リビングルームに置かれたソファに顔を向けた。
「どうぞ掛けてちょうだい」
麗子はテーブルに紅茶を置いて、ソファに腰を下ろした。
「さあ、どうぞ」
声を揃えて礼を言う。
「ありがとうございます」
麗子は早速尋ねた。
「理由を教えてちょうだい」
海斗は、まずは心霊現象を信じるか尋ねた。
「殺人事件のあと、殺害された三人の霊が出るという話を信じますか?」
「もちろんよ。私は霊感が強いのよ。事故物件の前を通ったとき美幸さんを見たの。彼女とは思えないほど、悍ましかった。あれが美幸さんなのかと目を疑ったわ」
「僕は彼女の息子である魁斗と同じ名前、同じ誕生日、食の思考も一緒というだけで、怨霊となった美幸に取り憑かれています。どこにいても彼女が現われる。この呪いを解くには、美幸と息子の遺骨を引き合わせることだけなんです。僕の話を信じてくれますか?」
「信じるわ。私はね、警察でもごく一部の上層部しか知らない情報を知っているの。これを誰かに話せば、家族は消されてしまう、そう思っていた。だから、この話は墓場まで持っていくつもりだったのよ。でも……悪事に関わっていた人達はみんな他界した。戦慄の事件の犯人を残して。そろそろ真実を話してもいい頃なのかもしれない……」
「警察の上層部? 死んだって、まさか……」一瞬、美幸の呪いかと思った。
「高齢で亡くなったのよ。私と似たり寄ったりの年代だったから」
「そうですか」
海斗はスマートフォンを出し、アルバムの写真を収めた画像を見せた。
その直後、麗子は腰を上げた。
「ちょっと待って、これなら家にあるわ」
麗子がアルバムを取りに客室を出たので、結愛は小声で言った。
「家族が消されるほどの情報って……」
「わからない……」
「そんな情報をあたし達が知って大丈夫なのかな……」
「情報を得られなければ前に進めない」
アルバムと老眼鏡を手にした麗子が客室に戻った。
「お待たせ。スマートフォンの小さい画面だと見えないのよ。ごめんなさいね」
海斗もスマートフォン画像よりも、実際の写真のほうが見やすい。
「僕も写真のほうがいいです」
老眼鏡を掛けた麗子は、真面目な面持ちで尋ねた。
「これから話すことは、あなた達にとっても危険よ。それでも聞きたいのね?」
思った以上に “ヤバい” 情報のようだ。だが聞かなくてはならない。海斗は頷いた。
「はい」
忠告した。
「約束して。この話を聞いても無茶に犯人を追わないこと」
ふたりは目を見開いた。
海斗は尋ねた。
「本当に犯人を知っているんですか?」
「ええ。ひとりはね」
麗子はアルバムを捲った。桃木と美幸が写った写真があった。
「桃木さんが警察に疑われていたけど、ぜったに違う。彼は心から美幸が好きだったの。当時のうちのお客さんはエリートが多かった。夜の女に貢いでも本気になったりしない。それも遊びの内だから。
でもね桃木さんは美幸に告白までしたのよ。美幸は殺害された正敏と交際していたから、彼の告白を断ったんだけど、それ以来、余り店には来なくなった。だからいまで言うストーカーにはなっていない。だいいち、そんな危ない人じゃなかった。本当にいい人だったのよ」
坂上竜司と熊谷賢三が写った写真に指を指した。
「この事件を調べているなら、このふたりがわかるわね? 最近、例の事故物件に住んでいるって聞いたわ」
「はい。勿論です」
「じつは、美幸にも腹違いのお兄さんがいるの」
ふたりは意外な真実に驚いた。
「彼女が四歳の頃に両親が離婚しているの。幼すぎて兄の記憶は殆どない、生年月日も名前もわからないって言ってたわね。覚えているのは、右手の甲に大きなほくろがあることだけ。だから、桃木さんをお兄さんかもしれないって、思ったこともあったようだけど、全然違ったみたいで肩を落としていたわ」
海斗は尋ねた。
「もしかして……坂上さんが?」
「坂上さんはいつも右手の甲の親指の下に絆創膏を貼っていた。確か……そうそう、皮膚炎が治らなくて治療中って言っていたわね。でもね、トイレから帰ってきたとき、手を洗ったせいで絆創膏が取れたのよ。そのとき大きなほくろを見たの。美幸には絶対言うなって言われたから、私は言わなかった。美幸さんにお兄さんの特徴のを聞いていたから、そのほくろでお兄さんだって思ったのよ」
信じられない情報に驚きを隠せなかった。常に絆創膏でほくろを隠していた。だから美幸は坂上にほくろがあることを知らなかったのだ。
「坂上さんは犯人を捕まえるために、あのアパートに住んでいるのか……」
「そうかもしれないわね」
「坂上さんはここに尋ねてきましたか?」
「いいえ。彼は、まず最初に亡骸を見つけてあげたいのかもしれないわね。その亡骸が犯人を示してくれる、そう考えているんじゃないかしら?」
「そしてここからが……墓場まで持っていこうと思った話よ」写真の中の熊谷を指した。「熊谷賢三……こいつは筋金入りの悪党よ。刑事という正義の皮を被り、人間の皮を被った悪魔ね。そして……当時の大物政治家、熊谷貴一の甥が賢三なのよ」
三十年前の政治家だ。総理大臣ならまだしも若いふたりにわかるはずもない。
「あなた達は知らなくて当然かもね。汚職や賄賂も平気でやっていたらしいわよ。裏ではヤクザとの繋がりまであったとか。美幸さん何ものかに殺害されたと報道されてから、僅かな期間で警察の警戒態勢が緩んだ、のではなく、捜査されなくなったのよ。表向きは捜査されているということになっていたけど、じっさいは一年半ほどで打ち切られている……これはごく一部の人しか知らない情報よ」
海斗は思う……想像以上に “ヤバい” 話だと。美幸の事件と無関係な人生なら関わりたくない。
「熊谷賢三は美幸にぞっこんだったわ。遊びではなく本気で自分の女にしたくなったのよ。でも、あなた達も知ってのとおり、うちの店を辞めてから、奇霧界村で正敏さんという彼氏ができた。異常な性癖があった熊谷は美幸さんを殺したがっていた」
海斗は尋ねた。
「どうして、そんな恐ろしいことを知っているんですか?」
「私がいまになっても警察に言えない最大の理由は……」俯いた。「それは聞かないで。答えたくないし、答えられないわ」
「……。わかりました」
何か深い事情があるのだろう。自分たちが知りたいのは、どうして麗子が真実を知っているのか、ではなく、飽くまで美幸の情報だ。
「美幸さんが奇霧界村から消えてから、うちの店に賢三と貴一が来たの。こんな田舎に大物政治家が来たものだからびっくりしちゃってね。
でもね、美幸さんを殺したのは賢三だってわかっていた私は、ちっとも驚かなかったわ。いつか貴一を連れて店に来るって思っていたから。
殺したのは自分じゃないという事をアピールするには、無関係な顔をして、平然と店に入り、美幸さんの死を悲しむふりをすればいいんですもの。犯罪者ほどよく喋るって言うでしょ?
そしてビップルームへ入ったふたりは、お店の女の子も入れずに暫く会話していた。
貴一が賢三にこう言ったのを覚えているわ。“お前の性癖はどうにかならないのか? 死体の女とヤらないと感じないって、馬鹿じゃないのか? 何人の女を殺せば気が済む?”ってね……」
「美幸さんの事件は氷山の一角にすぎないってことなのか?」
「人間じゃないわ……」
「だから言ったでしょ? 人間の皮を被った悪魔だと―――貴一は警察の上層部を金で買収していたのよ。自分の甥が変態殺人鬼だなんて世に知れたら、政治生命はそこで終わる」
海斗はもうひとりの犯人のことを尋ねる。
「残るひとりの犯人の手がかりを知りませんか?」
麗子は身震いした。
「子供の悲鳴を聞かなければ、精神がコントロールできない狂った親友だって言ってたわ。小さい頃から小動物を殺すのが好きだったそうよ。
“いかれたロリコン野郎”そう言って笑っていた。“相棒”とも呼んでたわね。でも、残念なことに名前は言ってなかった」
「死体遺棄した場所とか言ってませんでしたか?」
「……」首を横に振った。「だけど……」口元を押さえ、ポロポロと泣き出した。「美幸さんのことを思うと……首を絞めて殺したはずが生きていたみたいなのよ。そのまま水に沈めた、そう言っていた」
美幸の記憶の中で見たから知っている。生きたまま池に沈められた。
「鏡の水面(みなも)、そう言っていたような気がする……何かの暗号かと思っていたけど、もしかしたら美幸さんを沈めた場所かもしれない……」
海斗と結愛は顔を見合わせた。
海斗は尋ねた。
「魁斗君を遺棄した場所は言ってませんでしたか?」
「埋めた……」声を詰まらせた。「面白い隠し部屋を見つけたから、そこに埋めたって……。そして、誰かに見られたときのために、“罪をなすりつけるのにちょうどいいヤツがいる。手の甲にほくろを描いた” そう言っていた」
やはり坂上と桃木に罪をなすりつけるために、彼らのほくろを書いたのか、と、理解した。
「熊谷賢三があのアパートに来た理由……」結愛ははっとした。「もしかしたら熊谷ともうひとりの犯人は、遺骨の位置を変える為に来たのかもしれない」
「熊谷は警察を退職してからこの町を離れていた。私もそんな気がするのよ」
ここで入手した情報を言えば坂上は協力してくれるはずだ。熊谷を泳がせたほうがよい、と考えた。自分たちだけでは危険なので、当然、紫音にも伝えるつもりだ。
麗子はアルバムを閉じた。
「私が知っている情報はこれだけよ」
海斗は礼を言った。高校生のふたりを信用してくれてありのままを教えてくれた。
「本当にありがとうございました。俺たちのことを信じくれたことに感謝します」
「当時、この事件を揉消した上層部も熊谷貴一もこの世にはいない。当然、警察の威信に関わることよ。だからこそ真実を追求し、心に正義を持つ警察官もいる。あなたたちだけで無茶しないで。約束よ」
「はい。では、失礼します」と、ふたりは麗子の自宅をあとにした。
麗子が何故こんなにも誰も知らない情報に詳しいのか、察しはついていた。
盗聴器―――
当時、事件に熊谷賢三が関わっていることに気づいた麗子は、ビップルームに盗聴器を仕掛けていたのだ。そして、知ってしまった真実が、自分の手に負えない情報であり、もし公にしたとしても揉み消されることは目に見えたいた。
それどころか公開した情報が揉み消されるよりも先に、自分や家族がこの世から消されるのではないか……それを考えると恐ろしくて誰にも言えなかった。
何より盗聴器を仕掛けたとなれば、店の信用も落ちてしまう。苦労して築き上げたものが一気に崩れ去ってしまう。すべてが怖かった。盗聴器を仕掛け、すべてを知ってしまったあの日を何度も後悔した。
「やっと、心が楽になりました。こちらこそ、聞いてくれてありがとう」と、麗子は涙を流した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます