3.霊能力者 紫音

  アパートの契約をした翌日、午前十一時。


 海斗と美波は、引越し業者と一緒に段ボールに詰めた荷物を開封していた。昨日、不動産会社から帰宅したあと、引っ越し業者に問い合わせてみたところ、翌日の引っ越しが可能だったので、すぐにお願いした。

 

 引っ越し業者は美波の指示に従い、家具を置く。


 テレビを置き、部屋の中心にテーブルを置いて、Ⅼ字型にソファを並べた。台所には食器棚。美波は料理が好きなので、食器の数は多いほうだ。


 海斗は食器棚の中に初めて見る二脚のワイングラスを指した。

 「こんなのあったけ?」


 「お客に貰ったの。バカラのワイングラス」と、笑みを浮かべて言ったあと、ちょっと不満げに言った。「高級ワインも一緒にプレゼントしてくれたらいいのに、ワイングラスだけなんてケチよね」


 苦笑いした。

 「貰っておいて文句言うなよ」

 

 美波は、引越し業者にベッドやクローゼットそして鏡台の位置を指示する為に寝室に入っていった。家具の場所に対してこれといった拘りがない海斗は、小窓の下にベッドを置いてもらった。あとは洋服を収納したクリアケースを置くだけだ。


 作業員の男は、段ボールやごみクズを片付けながら思う。


 前回もこの部屋の引っ越し以来を受けている。あれから半年経つか経たないか……このふたりはいつまでここに住めるんだろうか……


 「では、すべて終りましたので」


 美波は会釈した。

 「ありがとうございました」


 作業員の男は、このふたりもすぐに出て行くだろうと思い、ここを出るときの引っ越し以来の約束を遠回しに頼んだ。

 「いえ、こちらこそありがとうございました。何かありましたら、是非またよろしくお願いします」


 引っ越し業者が出ていき、ドアを閉めてリビングルームへ向かおうとしたとき、チャイムが鳴った。ドアを開けると、水晶の数珠ロングネックレスを首から提げた喪服姿の六十代の女が立ってた。白髪のボブヘアーに切れ長の目、年嵩だが顔立ちは整っており、若い頃はかなりの美貌の持ち主だっただろう。

 

 「私は紫音(しおん)。引越し蕎麦を持ってきた。信州蕎麦だから旨いぞ。それからめんつゆとな」差し出した。「食うだろ?」


 ちょうど引っ越し蕎麦を出前で頼もうかと思っていた。まさかアパートの住人に貰うとは考えもしなかったが、ありがたく受け取った。


 「すいません、いいんですか? ありがとうございます。あたしは香田美波です。よろしくお願いします」


 「香田美幸じゃなくて……美波」


 美幸? 美波と言っているのに、何故そんなことを訊くのだろう、と、不思議に思った。

 「はい……美波です」


 「ところで美波さん」紫音は着物の帯に挟んだ名刺入れから名刺を一枚取り出し、差し出した。「霊能力者で102号室で占いをやっている。よく当たるから女子高生にも人気だ。事故物件で占いなんておもしろいだろ。もしよかったら来てくれ」


 スナック麗で働く女の子が、この事故物件によく当たる占い師がいる、と、言っていたのを思い出した。

 「今度覗います」と返事したあと、「海斗」と、呼んだ。


 紫音は目を見開いた。

 「魁斗……魁(さきがけ)に星座の名の斗か?」

 

 さっきから名前の質問をしてくる。何故そんなことを訊くのだろう……

 「いいえ、うちの子は海です」


 「そうか……」


 海斗が玄関にやって来たので、美波が紹介した。

 「彼女は紫音さん。102号室で占いをやってるんだって。引っ越し蕎麦貰っちゃった」


 「海斗です。よろしく」


 紫音は確かめるように訊く。

 「誕生日が二月四日だからラッキーナンバーの204号室」


 ふたりは顔を見合わせ、海斗は尋ねた。

 「なぜ、俺の誕生日がわかったんですか?」


 「私の占いが当たるからだ」と、言ったあと、「行くぞ、道子……」と誰かに声をかけた。


 赤い傘を持ち赤い長靴を履いた女の子がドアの後ろから出てきた。


 ふたりは首を傾げた。


 道子? 誰もいない……


 ふたりには見えない道子は、紫音を見上げた。

 「同姓同名でも漢字は違う。その上、誕生日まで一緒。母親の名前も似てるし、彼女たちの年齢も同じ。だから怨霊が騒ぎ出したんだ」


 「それじゃあ、また今度」と、紫音はドアを閉めた。


 通路を歩きながら道子に言った。

 「来るべきときが来た。外で “かいと” と名を呼ぶのが聞こえたから、確認のために引っ越し蕎麦を持っていったが、やはりそうだったか……」


 「このアパートで死の連鎖が起きる気がする」


 「おそらく」尋ねた。「ところで、三日前に魔のカーブで事故が遭ったとき、どこに行ってたんだ?」


 「いつもどおり、奇霧界村で自分の死体を探していた。バカな若者がワイングラス盗んで死んだ」


 「現金は盗まなかったのか?」


 「盗んでない。何を盗んでも殺される。魔のカーブの死亡事故もなんとかしてあげたいけど、彼女たちを殺害した犯人を捕まえないと無理。何も見えない。彼らの死体もあたしも死体も何も見えない。彼女の怒りと憎しみによって、すべてが隠されてしまっている。あたしたちの霊視すら役に立たない」


 「憎しみはすべてを呑み込む。そして闇となる。あの海斗が救世主になってくれるといいのだが」


 「彼が生き残れば……そのためにあたしも協力するよ」


 「頼んだぞ」


 ふたりは階段を下りて一階に降り立った。すると、105号室に住む老女、佐藤タエが屈み込んでブツブツと独り言を言っているのが見えた。


 「私を連れておいき……おばあちゃんですよ」通路に苺キャンディを並べた。「ほら、大好きな苺飴」


 「あの婆さん、あたしの姿が見えるの。相手にしたくないから部屋に戻ってる」と、道子は通路か姿を消した。


 紫音は自分の部屋の鍵を開けながらタエに言った。

 「他の霊体まで引き寄せるからやめたほうがいいぞ」


 四十年前までタエは夫と娘がいた。浮気癖があった彼女は、四十代の頃に男ができて、三度目の不倫をした。夫と高校生の娘を捨てて、不倫相手と駆け落ちし、家を出て行った。だが、その男と破局し、のこのこと家に戻ったが、夫からは離婚され、娘からは絶縁された。


 その後、娘は結婚し、子を産んだが、孫にも会わせてもらえず、孤独な老後を送っている。自業自得な毒親の末路……彼女は後悔しているが、もう過ぎ去ったことだ。どうにもならない。


 「いいんですよ。私なんかでも連れて行ってくれるなら。きょうは道子ちゃんはいないのかい?」


 「いない。おまえが嫌いなんだとよ」


 紫音は玄関に入った。壁中に怨霊払いの呪符が貼ってある。この呪符を作るために寿命を三年分費やす。それでもこのアパートに住み続けなければならない理由があった。


 リビングルームにも同じ呪符が貼ってある。部屋の中心には水晶玉を置いた二脚タイプのダイニングテーブルがあり、そのうちの一脚に道子が腰を下ろしていた。


 「遅い」


 「生意気言うな」


 「三十年も五歳児やってる」

 

 「おまえは生前から生意気だったな。同い年に友達がいなくて、ガキっぽくて無理だと言っていたのを思い出す。霊能力も凄かったが、頭も良かった」


 「もし……生きていれば……あのとき、あたしは何者かに殴られ、気づいたら首を絞められていた……あたしの体はどこにあるの? どこに……」


 道子の眼から白目が消え、真っ黒に染まった。


 紫音は咄嗟に椅子から腰を上げて道子の肩を揺すった。

 「怨霊になるな! おまえまで怨霊になってしまったら、私独りでどうやって犯人を見つければいい! おまえの特殊能力が必要なんだ! 共に死者の記憶に入り込まなければならない!」


 道子は我に返った。

 「わかってる……わかってる。ときどき……怒りが込み上げるの」


 道子をそっと抱きしめた。

 「たった五歳で殺されているのだからあたりまえだ」


 涙を流した。

 「生きていたかった……」


 紫音の胸元に水滴が染みこんでいた。


 涙……


 肉体はないのに、魂は泣く……


 「あたしは……」道子は言葉を続けた。「犯人の顔が見れなかった。だけど首を絞められるときに見たあの手を忘れない。あれは “奇妙” だった。あたしは “例の男に” 念を送った。その男がダイイングメッセージを受け取った。あの人なら気づくはず……きっと」


 道子がこの場から姿を消すと、紫音はリビングルームから出た。寝室のドアを開け、中へ入ると、ここにも壁に呪符が貼ってある。正面の壁にはアパートの住人たちの名前を書いた大きめの張り紙と、事件当時の新聞の切り抜き、そして異なる人物の写真が貼ってある。


 白いブラウスを着た漆黒のロングヘアの女と、十代の少年が映った写真に目を向けた。女は非常に端整な顔立ちをしており、絶世の美人だ。一緒に映る少年は女に似ている。


 「異常な性癖を持つ殺人鬼をさらに狂わせる美しさ。おまえは美しすぎた」少年の顔に触れた。「驚くほどの美少年だったな……」


 別の写真に目を移した。


 黒髪のボブヘアに切れ長の目の女性が、道子と映っている。


 最後の写真は、スーツを着た男。


 「苦しいか? 苦しいよな。みんな守りたかったものがあった」


 続いて、アパートの住人の名前を書いた張り紙に目を向けた。




 【ファントムの住人たち】


  ―1階―


 <101> 

 鎌田恭平(46歳) 鎌田美弥(45歳) 鎌田翔太(16歳)※家族


 <102> 

 自分


 <103> 

 山岡直樹(27歳) 山岡美沙(26歳) ※夫婦(美沙・精神科に通院中)


 <104> 

 青島文夫(57歳) ※フリーカメラマン


 <105> 

 佐藤タエ(86歳) ※死期間近


 <106> 

 関内俊(24歳) 関内マム(23歳) ※新婚




 ―2階― 


 <201> 

 坂上竜司(66歳) ※新聞記者退職後、現在フリーライター


 <202> 

 滝田昇(39歳) ※サラリーマン

 

 <203>

 町川祐介(26歳) 酉井由真(25歳) ※同棲


 <204> 

 香田美波(33歳) 香田海斗(16歳) ※キーパーソン

 

 <205> 

 宍戸壱成(70歳) 稲田彩(71歳) ※老いらくの恋


 <206> 

 森本大(28歳) 森本愛(21歳) 森本恵(6か月)※家族 




 ―3階―


 <301> 

 佐々木恵(29歳) 佐々木モナミ(6歳) ※母子家庭


 <302> 

 熊谷賢三(67歳) ※30年前の事件を担当した元刑事


 <303> 

 近藤欽也(70歳) 近藤雅代(68歳) ※夫婦


 <304> 

 久保田のりお(40歳) ※漫画家


 <305> 

 村嶋未希(23歳) ※フリーター


 <306> 

 木村忠(26歳) ※会社員



 ぽつりと呟いた。

 「さぁて……駒どもが動くのをじっくりと待つか……」




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