ラーメンきぬえ

 駅を出て、通りをまっすぐ行った商店街の端に『ラーメンきぬえ』はある。

 時代から取り残されたような昔ながらのラーメン屋といったつくりで、安っぽいアルミの引き戸には、き・ぬ・えの文字が染め抜かれた赤い暖簾。引き戸の横には、ほこりの積もった食品サンプルのショーケース。


 とりたてて旨くもないが、仕事で疲れて家で自炊する気力もないとき、通り道にあって面倒がないのでよく立ち寄る。平均すると週に一度くらいだろうか。


 いつ入っても――たとえ夕飯どきでも、客はせいぜい一組か二組で、空いているから注文するとすぐ料理が出てくる。それが気に入っている。いくら旨くたって待たされるのは性にあわない。


 テーブル席もあるのだが、調理から配膳までひとりでやっている店の人にテーブルまで運んでもらうのはもうしわけないから、いつもカウンター席にすわる。

 全部のことをひとりでこなしているので、あんまり融通はきかない。それでも客が少ないからなんとかなっているらしい。


 椅子は、薄っぺらな緑色のビニールレザーにサビの出た黒いスチールの脚。安い飲食店によくあるやつだ。すわりごこちは悪いが、いいとこ二、三十分のことだからまあ我慢もできる。

 赤みがかったオレンジ色のカウンターは、ぴかぴかにかがやいていた時代もあったのだろうが、いまはすり減って色褪せている。

 店のなかは酸っぱいような中華料理屋独特のにおいが立ち込めており、有線放送でむかしの歌謡曲がかかっている。


 たのむのはいつも『きぬえラーメン』。それ以外のメニューは注文したことがない。味はまあ、ふつう。よくいえば食べ飽きないといったところか。


 店の名前がついているからにはこれが看板メニューなのだろうが、なんの変哲もないただのしょうゆラーメンである。あえて特徴をあげるなら、昆布のだしがよく効いている。

 のっている具も、チャーシュー、メンマ、ワカメに煮玉子ぐらいでありきたりだ。

 しかしただの『しょうゆラーメン』でいいところをなぜか『きぬえラーメン』。この妙なこだわり。


 ひとりで店を切り盛りしてる女性が店主であり、この人がきぬえさんなのかなと思っていると、別の日には違う男性が調理場に入っている。この人にもまたどっしりとした店主らしい雰囲気がある。

 どっちも同じくらいの年の中年女性と中年男性だから夫婦なのかもしれないが、夫婦ならいっしょに店に出ればいいのにと思う。


 もしかすると味の方向性の違いとかで、一緒にはやっていられない、日を分けて別べつに料理をしようじゃないかという取り決めでもあるのかもしれない。

 しかし素人なりに判断するところでは、女性が作ったものと男性が作ったものを食べ比べても、とくに変わりがない。


 あるいは中年女性はただの雇われ料理人で、店名とはまったく関係がない可能性もある。

 その場合、中年男性の方が店主だということになるが、そうなってくると、きぬえ候補はたくさん挙がってくる。

 男性の奥さんの名前かもしれないし、愛娘の名前かもしれない。はたまた男性はたいへんな親孝行で、母親の名にちなんだのかもしれない。謎は深まるばかりだ。


 店に入るたびにそんなことを考えるのだが、注文したあとは相手は調理で忙しそうだし、出来あがったあとはわたしの方が食べるのに忙しい。

 そして食べ終わるころにはそんなことはどうでもよくなっているので、つい聞きそびれてしまう。


 しかしわたしも正直、その謎を本気で解きたいと思っているわけではない。

 料理も店構えもあまりに平凡すぎて、謎を肴にしないと間が持てないというだけのことなのだ。

 逆に名前の由来が分かってしまったら、こんなに足しげく店に通おうとは思わない気がする。

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