第5話 人の形に心はあるの? 前編
その日の天気は雲が多かった。雨が降る前の匂いはしない。風が穏やかで太陽がさえぎられる、そんな昼下がりのことだった。
高杉徹は友人の武井健介を誘って外でバトミントンをしていた。
運動は好きだが身長がコンプレックスの彼は、小柄でも瞬発力を生かせるバドミントンにはまっていた。
シャトルの瞬間的な速度は200キロを優に超え、世界記録は新幹線を追い抜く400キロ。そんな速度のラリーを繰り広げる選手は自分と同じぐらい小柄な人だった。
それを見ていてもたってもいられずラケットを取ったのが去年のこと。もともと運動神経がよかったこともあって鬼瓦では敵なしだった。
「徹、少しは手加減してくれ。せめてお前はスマッシュなしにしろ」
健介は徹と違って運動は苦手。どちらかというと頭脳派な彼は運動に関するIQが低く、右に左に振り回されてぜいぜいと息を切らせていた。
「健介ったらだらしないわね」
そんな二人を眺めるのは今野真奈。二人と並ぶと背が高く、お姉さんと間違われることもある。
三人は家が近く、幼なじみの関係性。昔は真奈もチビでチビ同士とからかわれた。そのたびに真奈が泣きだして徹がケンカをして健介が教師に事情を説明する。そんな関係だった。それが一昨年あたりから真奈だけ急に背が伸び始め、それからは彼女へのイジメは減ったようだった。
「そうは言うけどよ、徹はやっぱり運動神経いいから相手するの大変だよ。あちーあちい」
ラケットで自分を仰ぐも風は吹かない。日陰で座り込むと根っこが生えたように動けなくなる。
「おーい、相手しろー、真奈でもいいぞ」
「あのねえ。スカートじゃそんなに動けないわ」
昔は三人ともズボンだったのにいつの間にか真奈はスカート。そのせいで遊ぶ範囲も狭まった気がするし、彼女も女子同士で行動することが多くなった気がする。
いつまでも自分の後ろにいる女の子ではなく彼女の成長なのだと良いことと思う。その一方で寂しさもあった。それでもこうしてたまに三人集まることもあるので、自分のほうこそそれを受け入れるべきと徹は考えるようになった。
「ったく、根性無しどもが」
そういう徹も少し疲れた。準備しておいた麦茶を煽り、一息つく。
「そうだ。ねえ、二人は知ってる? なんかさ、大蛇村との間の廃屋なんだけどさ。えっと、ひな人形が置かれてるっていう」
最近、鬼瓦校でささやかれていること。それは村と村の間にある廃屋について。
もともとは神社だったらしく鳥居がある。だが神主は居らず、代わりに雛段が置かれている。そこに大正とも明治ともわからないいろいろな時代の人形が奉納されており、まるでひな人形のようだと覗いた子が語っていた。
「へえ。そんな場所あるんだ」
「その話は聞いたこと無いけど鬼瓦も大蛇も廃屋が問題になってるみたいだぜ。そうでなくとも鬼瓦一帯って神主居ない神社とか多いし」
鬼瓦村と大蛇村近辺は昔から地滑りや洪水などが多く、災害への祈願としてなのか大小さまざまに神社がいくつも建てられている。その分、お寺は少なかった。
「ふーん。で、それがどうしたんだ?」
「なんかね、噂なんだけど、その神社に奉納されてるひな人形と部屋にこもる。人形と向き合って私はあなたになりたいです、あなたはわたしになってくれますか? って尋ねて目をつぶるの。そうするとお人形の性格を少し分けてもらえるんだって」
「人形の性格? 人形の性格なんて、持ち主次第じゃないのか?」
昔、三人でお人形さんごっこをしていた時のことを思い出す。青いタヌキはやたらと好戦的でいがぐり頭の幼稚園児は礼儀正しく、実際のアニメを見てこのキャラはこんなんじゃないと言って笑われたのを思い出す。
「あー、多分さ、ひな人形の怒ってるのと泣いてるのとかあるだろ? そういうのじゃないか? 七福神とかも表情豊かだろ?」
「ほうほう。怒りっぽくなりたいとかそういうことか? 俺はいらないぞ」
「そうじゃなくて、自分に足りないものを分けてもらって減らしたいところを代わりに渡す。そういう感じ?」
「なんかずるいなあ」
「こういうお呪いは自分の性格を改善しようっていう気持ちの表れだよ。徹も早とちりを交換してもらったらどうだ?」
「むむむ。母ちゃんにも言われたし、ちょっと心配になってきたぞ」
「あー……、そこまで深刻にならなくてもいいんじゃないか? よくいえば行動力があるってことだし」
思いのほか落ち込む徹を慌ててフォローしていた。
「ね、それじゃさ、行ってみない? 廃神社? 廃屋? に」
真奈がそんなことをいうものだから、徹も健介もぽかんと口を開けてしばし言葉の意味が分からなかった。
大蛇川を上流に向かって歩くこと十数分。小鬼平の桜を遠くに眺めながら残りの麦茶を飲む。一度家に戻って補充してくればよかったと思いつつ、ようやく見えてきた建物にほっとする。
瓦屋根で土壁の建物はそれほど古くない。鳥居や手水場も見えた。
社務所は二階建てで隣の蔵と渡り廊下で繋がっている。聞いていたよりはしっかりした作りの建物だった。
付近には手入れのされてない草木があり、川沿いは不自然に枯れていた。
肌寒い。
春先なので不自然ではない。
だが、嫌な寒さがある。じとりと汗が滲む。寒いのか暑いのかわからなくなってくる。
「な、なあ、本当に入るのか?」
慎重な健介は遠慮なく敷地内に入る二人を止める。
「え? だってここまで来たんだぜ? 見てみようぜ」
「あ、もしかして健介は怖い? いいよ。外で待っていても。お呪いは部屋に一人で入る必要があるし」
「い、いや、行くよ。俺もまあ、心配だし」
二人とも心配。これは健介の本心からの心配。
本殿に続く入口は閉ざされており、社務所も蔵も建付けが悪く入れそうにない。
健介は流石に諦めるだろうと安心して裏手のドアを確認する。どこもしっかり施錠されており、いくら徹でも無理はしないだろうと笑顔をかみ殺して二人のとこに戻った。
「お、健介。ここ開いてたぞ」
徹は社務所の扉をがらがらと開いていた。
「え……? さっき俺、そこ調べたんだけど閉まってたような……。お前、鍵壊したとか?」
鬼瓦村でも古い引き戸の家は多く、持ち上げたり無理に押したりすれば開くことがある。だが、そういう作業をしていたら音でわかる。
「おしてだめならひいてみろってやつだな」
「その言葉の使い方が違う」
前後左右、全部確認したはずなのにどうして先ほどは開かなかったのかわからず、ぼんやり立ち尽くす健介。その間に二人はさっさと入ってしまう。
「お、おい、待って……」
一人残されることが怖いというよりも、二人がバカなことをしないかのほうが怖かった。
中は埃が溜まっているが、直足袋の跡が見える。定期的に人が入っているのが伺えた。
新しく奉納されたのだろう化粧箱と和紙に包まれた人形がいくつかあった。
古いものから新しいもの。五月人形やひな人形の三人官女、壊れた桃の木の飾りなどさまざま。中には赤黒い汚れも見え、何かしら事故で手放されたのだろうと推測される。
「噂通りの神社だな。人形が沢山あるぞ」
「だな。多分、定期的に管理してる人がいると思うから、散らかさないようにしような」
勝手に入ったことを気づかれて全校集会を開かれるのも嫌なのでやんわりくぎを刺す。 だが真奈は真剣そのもので人形をじっと見つめていた。
健介は今の自分を変えたいとは特に思っていない。もちろん背が伸びたらとか、勉強ができるようになりたい、運動ができれば……と考えることもあるが、なにか裏技のようなものに頼るのは少しずるいと思えた。
怒った顔の人形の隣にルーズリーフに走り書きで『鳥羽新次郎』とあった。どこかで聞いたことがある。去年、何度も繰り返し聞かされていた気がして、もうそろそろ思い出せそうな、あと一歩という感じのところで目の前に赤い鬼が居た。
「わああ!!」
牙の生えた真っ赤な顔。黄色い目の中の瞳がぎょろりと自分を見ていた。突然のことに人形を放り投げる。やばいと思った先には真奈がいて、その腕の中に見事キャッチ。破損は免れたとほっとするが、目の前のそいつにイライラがわいてくる。
「ははは。びびってやんの」
「徹、お前、ふざけんな。びっくりするだろ」
けらけら笑う徹に健介は怒る。恥ずかしいやら腹立たしいやら感情が溢れすぎて逆にため息が出る。
「徹、危ないでしょ? もうしょうがないんだから」
「丁度いいお面があったからさ。おもわず」
「お前はお面を見つけると何でも被るのか。ったく……。真奈、その人形、壊れてないよな? ありがとな。思わず投げちゃったけど……」
「健介もダメよ。すぐに慌てちゃ。もっとどっしり構えなさいよ。そうだ、この人形はどうかしら? 落ち着きがでるかもよ?」
真奈が差し出したのはどっしり構えた老人の人形。ひな人形の随身の左大臣だった。
「おいおい、まさか俺までやるのか? そのお呪い」
「あら、丁度よくない? 徹は五人囃子のこれはどうかしら?」
扇を持った人形を示される。
「なんだこれ? 楽器もってるやつじゃないのか?」
「えーっと、ウタイっていうみたいね。謡を読むのかしら? 徹はよく読み間違いするし、ちょうどいいんじゃない?」
「あはは、その通りだな」
驚かされた仕返しと健介はここぞとばかりに笑う。
「むむむ、バカにするなー、と言いたいけど最近もイインチョに漢字の読み間違い指摘されたからなー。イワシの頭を信じてみるぞ」
「しんしんから……ね」
徹こそ必要なのかもと思う二人だった。
部屋に籠って人形を見る。
白髪の老人は誰をモチーフにしているのかは知らない。朝廷の偉い人とざっくばらんな知識があるだけ。そんな人の何を分けてもらえというのか。
唱える文言は自分の短所と思えるところと欲しい性格を口にしてそれを意識して理想の自分に近づく、いわば暗示でしかない。
このお呪いの良い所は一人部屋で行うこと。実行したフリをして効果が無かったと言えばいい。
健介は冷静にそう分析すると飾り箱に和紙をしきつめ人形を戻す。
――くだらないことに付き合わせてごめんなさい。
心の中で念じて蓋をしようとする。
「ん?」
よくよく見ると年代物であり、顔や着物に少し煤がのこっている。手首も少し曲がっていた。古いけれど立派な人形でもったいないと思い、ティッシュで煤をはらう。手首は折れないよう慎重に戻す。着物のずれを直してから和紙でくるんでからしまう。
「……」
今度こそしまい、部屋を出る。すると徹がやってくる。
「終わったか?」
「ああ。お呪い唱えるだけだし時間なんてかからないよ」
「それで少しは読み間違いがなくなるのかな? だったらいいんだけどなあ」
徹は謡の人形を箱に入れて恭しく持つ。それは自分も同じだった。
「なんかこう、一人になると心細くなるな」
徹らしくない言葉にもしかしたら本当に効果があったのかもしれないと健介はどきりとする。お呪いの本質が自己暗示なら、徹のような素直な子の方が効果は高いだろうと思い、今更ながら不安になってきた。
「行ってみるか?」
そしてやけに遅い真奈にも……。
「……」
本殿の横の倉庫の引き戸を開けると真奈が居た。彼女は人形を眺めて座ったままだった。
室内は閉め切られていた時間が長かったのか、湿った空気が漂う。徹は箱のふたを内輪代わりにして空気を入れ替えようとしていた。
「おーい、真奈。早く帰ろうぜ。お呪い終わったんだろ?」
花粉症なのか徹はくしゃみをしながら真奈を急かす。
「え? あ、うん。そうだね」
はっと気づいて立ち上がる真奈。掴んでいた人形をぽとりと落とし、ずかずかと部屋を出ようとする。
「おい、人形片付けないと」
人形の雑な扱いに健介は驚き、慌てて人形を拾う。壊れている箇所は無いかざっと見る。埃と煤が見えるが、手や頭の破損は見当たらない。軽くティッシュではらい、和紙でくるむ。箱にしまって真奈を追いかける。
自分達を待たずに行ってしまう真奈に顔を見合わせてしまう二人だった。
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