第19話 私は、魔女
魔女――私は、魔女――
ルゥは勇者になってしまった。『皆を守る』と言っていた。
正義の味方。悪いやつをやっつける!
悪い魔女は側にいられない。討伐されてしまう――
だから私は、皆を守るルゥを守ろう。絶対に、誰にも手出しはさせない。このままでいたい。
初めはそれだけだった。それだけでよかった。
ルゥに仲間ができた。クレトという人間だ。彼がルゥを守ってしまう。私は必要じゃなくなってしまう。ルゥの側にいられない……。
ルゥがいない――
私は魔女――
私には誰もいない。何もない。永遠に独り。
ルゥがいない――
ルゥがいない――
ルゥがいない――
廃墟となった貴族の建物と、かつては有名だったらしいその庭を彩った薔薇園。
そこは現在、茨蔓延る魔の巣窟となっている。何重にも重なった茨の壁に遮られ、中の様子は誰にも分からない。
それを眺めるのは、ルゥとクレトだ。久々の再会ではあるが、互いの言葉は端的である。なにせ、全てが目の前のものに繋がっていくことになるのだから。
「僕が着いたときにはこの状態だった。確実にあそこに、グラニアがいる」
「ウッソだろ、あいつ、ここまでやらかすようになったか……」
突如グラニアにより占領されたその場所は、うず高い茨の壁に包まれている。彼女はきっとその最奥で引きこもっているのだろう。
幾重もの壁と棘に行く手を阻まれ、その隙を探そうとしても、茨を模した影がうねり、敵を打ち払う。まさに鉄壁の守りである。
「そりゃ会えねーよな。さっき聞いたけど、新種の魔物扱いされてるんだって?」
「うん。なんとか手を出さないように説得できたところだよ」
戦士達が突撃し、そして追いやられる。あまりにしつこい者は、蔓の鞭でしたたか打たれふっ飛ばされる。
埒が明かないと茨に火をかけたこともあったらしいが、その一群が命を持ったように動き出し、逆に人間側への被害が甚大となったため中止された。ルゥが説得して止めたためでもある。
『離れたところは街ですし、これ以上、行動を誤るわけにはいきません。研究者の到着を待ちましょう』
最初は勇者であっても、ルゥの話なんて全然聞いてもらえなかった。教会の手先が口を出してきた、というような態度だった。しかし最終的に、ルゥが教会の名の下に全責任を取ると一筆したためてやっと落ち着いた。
相手の規模が大きくなるほど、誠意だけじゃ相手は動かせないことをルゥは知っていた。一応出身が教会という魔窟なので。
「ふーん、お疲れ。で。これ、どうする? 俺はどうしようもないと思……」
クレトが話している途中、暴れる巨大な蔓の一本が、怒るように大地を叩きつけた。そして小さいながらも地震が起きた。
クレトは飛び上がって悲鳴を上げた。彼は地震自体初めての経験だった。
「魔女とかいうよー分からん生物が起こしていい災害の範囲を超えてるだろコレェ!!」
「グラニアなら有り得る。彼女にとって、この程度大したことないはずなんだ。だからまだ、なんとか出来るはず……」
「待て、どういうことだよ。これで大したことないって。いやヤバいのは知ってるけど」
「……あの子は本当はね、『悪い魔女』なんかじゃなかったんだ。僕があの子を、魔女にしてしまったんだよ」
「説明しろよ。今出てってもしょうがねーしな」
「『運命の子』、運命を捻じ曲げる力――僕が君と出会った頃に言ったこと、覚えてる? 一回使ったって」
「当たり前だろ。めちゃくちゃ覚えてる。就職を後悔するくらいには衝撃的だったからな」
「それがね、グラニアへの一回だったんだ」
そのとき、ルゥは一人で泣いていた、明るい陽の差す中庭の隅だった。
その少女は、影の中に立っていた。
小さな足で、草を踏むことなく立っていた。
光のない目に無表情で、ぼうっと両手を垂らしている。風もないのに広がる黒髪に、黒々とした瞳。手の先まで手袋で覆った、露出のない黒の目立つ衣装。小さな夜のような少女だった。
ルゥは、確かに彼女を見ているはずなのに、そこには何もない気がして、何度か目を瞬かせた。そこだけぽっかりと、深い穴の空いているような印象があった。
しばらく無為に時間が経っても、彼女が動かずそこにいたことでやっと、ルゥは彼女がそこにいることを確信できた。
「君は、誰?」
「わたし? わたしは……私。何者でもない、ただの私……」
舌足らずに、淡々と言われたその言葉に、なぜかルゥはひどく心を動かされて、ぽろっと涙が溢れた。ルゥが慌てて目を擦っても、涙は止まらずぼろぼろと流れた。
目の前の少女が、不思議そうに首を傾げた。
「それは、涙?」
「ご、ごめん。こんな、急に……変だよね。ごめん、驚かせて……」
「平気よ。人間は、泣くものよ」
少女が、春の日和を思わせる穏やかな微笑を浮かべる。ルゥもつられたように小さく笑みを浮かべて、ぐい、と涙を拭った。
「あの、僕、ルゥっていうんだ。ねえ、君の名前は?」
「わたし、名前、ないの」
名前がない人間を、ルゥはその時初めて知った。「そっか、」と呟いて、こういう時どうしたらいいかも分からず困ってしまった。
少女はしばらく、ルゥが困っているのを眺めていたが、やがて遠慮がちに口を開いた。
「グラニア。私、グラニアよ」
「グラニア? そっか、いい名前だね。よろしくね、グラニア!」
新しい友人が嬉しくて、ルゥは大きく口を開けて笑い、手を差し伸べた。
グラニアは戸惑ったようにその手を見つめていたが、やがて怖ず怖ずと、手袋をした手でルゥの手を取った。
これが二人の出会いであった。
グラニアは不思議な子どもだった。その深い瞳に膨大な智慧を湛えながらも、世間知らずのルゥよりも物事を知らなかった。
ルゥは最初、彼女を夜や影の妖精だと思った。精霊かもしれない。彼女は神出鬼没で、あらゆる
「そんなものじゃないわ。私、そんなに小さくないもの」
「大きな妖精や精霊だっているよ?」
「そうじゃなくて……私は『恐れ』の全てで、魔力そのもので、『悪』の概念で、厄災で。もっともっと大きくて、広くて、たくさんで――」
えっと、とルゥは焦った。まだ幼い彼は、グラニアの説明の半分も理解できなかった。ただ彼なりに必死に考えて、彼女の説明の理解できた部分と、自分の既存の知識とを結び合わせた。
「――つまりグラニアは、物語とかに出てくるような、悪い魔女ってこと?」
恐る恐るそう尋ねたのは、『悪い魔女』が怖かったからではなく、自分の発言が合っているかどうかが不安だったからだ。
口にしてから、恐らく違うんだろうな、と、ルゥは内心思った。年若くて冷静なグラニアは、とてもじゃないが、ルゥのイメージする物語の中の悪役には見えなかった。
「そうね」
しかしグラニアは頷いた。
「それも私よ」
「魔女ってことは、グラニアは魔法が使えるんだね」
「使えるわ」
「魔女だから退治されちゃったりするの? 大丈夫?」
「気を付けるわね」
「魔女だから黒い服を着ているの? とても素敵だね」
「ありがとう。そうかもしれないわね」
ルゥはこの時のことを思い出すと、過去の自分の愚かしさに押し潰されそうになる。
――本当は、ルゥみたいな子どもがぼんやりと想像するような、『魔女』なんて存在ではなかった。
恐れの全て、魔力、悪の概念、厄災、ルゥの思うよりも、もっともっと大きくて、広くて、たくさんな、『何か』。
それが、どんどん変わっていった。
「グラニアは本当に魔女なんだねえ、すごいねえ」
思い返せばグラニアはどんどんヒトのようになっていった。外見通りの性質を持つようになっていった。ルゥと同い年くらいの、心優しい女の子。無邪気なのに大人びていて冷静で、そして、生まれついての『悪い魔女』。
ヒトらしさを得て、グラニアは幼いルゥが言ったとおりの、『悪い魔女』に成ってしまった。
「そうよ、私は『悪い魔女』よ」
その全てを謝ろうにも、あの時のグラニアはもうどこにもいない。どこにもいないのだ。
幼い頃、グラニアに尋ねたことがある。
「ねえ、グラニアはあの時どうして、僕のところに来てくれたの?」
「ルゥが泣いていたからよ。寂しくて悲しくて辛いって、とっても強い気持ちで独りぼっちだったからよ。だから私、気づいたらあなたの所に来ていたの」
「……じゃあきっと君は、僕の友達になりに来てくれたんだねえ」
そうでしょう、と笑うと、グラニアは目を丸くしてから、ルゥに応えるように優しく笑った。
今なら分かる。グラニアはルゥの『悲しみ』を嗅ぎ付けて来ただけだった。人間の感情に、人間の姿をして駆けつけただけだった。
それだけなのに、ルゥがそこで、彼女の運命を捻じ曲げてしまった。
「あのねえ、僕達みたいに小さい頃から知ってる友達ってね、大きくなったら幼馴染って言うんだって」
「おさななじみ?」
「そう。だから僕達きっと、大きくなったら幼馴染になるんだね」
「今は、幼馴染じゃないの?」
「うーん。だけど今、僕とグラニアは友達だから、違うんじゃないかなあ」
「そうなのね。ルゥはとても物知りね」
ある日、グラニアが唐突にこんなことを尋ねてきた。
「魔女でも、勇者の幼馴染になれるの?」
「なれるよ」
「友達にも?」
「当たり前さ。だって僕達、友達じゃないか」
変なことを聞くね、とルゥが笑うと、グラニアはほっとした顔をする。
「よかった。だって私、『悪い魔女』だから、ルゥみたいなキラキラした人には退治されちゃうでしょう」
「僕はそんなことしないよ!」
「そうよね。ルゥはとても優しくて可愛い、いい子だもの」
グラニアがぱっと笑ったので、ルゥは可愛いでなくカッコイイと言ってほしい、と伝えたい気持ちを堪えた。
「私、ずっとルゥと一緒がいいなあ」
「うん。ずっと一緒だよねえ」
ルゥが言うとグラニアは嬉しそうな顔をするが。それはあくまで喜んだだけであって、決して、ルゥの言葉を信じたわけではないのだった。
ルゥがそのことに気付けるようになったのは、もう少し大きくなってからであったが。
「つまり? グラニアは――『悪い魔女』は仮の姿で、実際はもっとすごい人智を超えたナニカで、でもルゥと幼馴染で友達なのは本当。そういうことか?」
クレトはなんじゃこりゃ、と思いながら話したが、どうにも今までのグラニアの凄みを思い返すと、納得しかできなかった。
とにかくヤベー奴の正体が、とにかくヤベーやつだった!!
……マアなるほどな、という感じである。
「だから僕は、グラニアに会いに行かないといけないんだ。グラニアを『悪い魔女』にして、彼女をヒトの形で、この地に繋ぎ止めてしまったのは僕なんだ。だから、僕が行かないと。僕が、グラニアと話さないと……」
「責任感だけならやめとけよ」
「責任感だけなはずないだろ!」
ルゥが珍しく声を荒げた。が、まあ、そうなんだろうな、とクレトは考える。
「で……グラニアと話すって……何を? 何で?」
「何をって……まずはグラニアを、落ち着かせてあげるんだよ!」
「はあ?」
「彼女、今、混乱しているんだと思う。たまにあるんだけどね。だから、大丈夫だよ、落ち着いて、僕がそばにいるからって、彼女に伝えてあげないといけないんだ」
「それって真面目な話……なんだろうな、くそっ」
「うん。最近、嫌なことでもあったのかな? グラニアはいま、思い出の場所で、ただ引きこもっているだけなんだ。周囲を攻撃する意思はない。ちょっと暴れるかもしれないけど、自分から誰かを傷つけることはないと思うよ。反撃が激しくても、きっとちょっと癇癪を起こしている程度だから大丈夫」
その少しの癇癪で、どれほどの被害がでていることか!
しかしありがたいことに、この場での死人はゼロである。そもそもグラニアは引きこもっているだけ。王国側も、手を出さない限り攻撃してくるわけでもない相手に、全力で立ち向かって死者を出すほど愚かではなかった。
「ここは思い出の場所だから、人を殺したりしないと思うよ」
「思い出ねえ」
「グラニアの友達が住んでいたんだ。高齢の女性で、病気で、もう先が長くなかった。薔薇園を大切にしていて、グラニアはよく彼女とこの薔薇園を回ったんだって。そう言ってた」
廃墟のようなこの場所が? という言葉を、クレトは飲み込んだ。
「でも時間の問題だろ。グラニアじゃない。俺らの――ルゥの周りが、何て言ってくるか、だ。何も言われる前にここに来たから、教会からまだ何も聞かされてないだけ。だろ? 討伐の指示が出たら、ルゥはそれに従わざるを得ない」
「いや、従わないけど。でも困るな……。教会に敵視されたら、旅ができなくなっちゃうよ」
「だろうな。俺達は今、この場で、誰の意見も聞かず、この茨の牢獄につっこんでいく必要がある。……行けるか?」
クレトの問いかけに、ルゥはにやりと笑った。
「少しの策、少しの備えがあればね。僕はグラニアのためなら、どこへだって行くよ。この剣にかけて」
「よし。じゃ、やべーお姫様の救出作戦会議といきますか!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます