第3話 クズ領主と私だけの光

 また、ルゥの一点の曇りもない善意にたかる愚物が湧いている。


「――という訳なのです。分かっていただけますか?」

「ええ、それは大変ですね。もし僕にできることがあればなんでも、」

「それはありがたい!!! 実はですね……」


 豪華な窓の向こう、大げさな身振り手振りでルゥに迫る領主クズの姿に、私は白けた心地で咥えていた葉の茎を吐き捨てた。

 お行儀? そんなもん、こうして他人の庭に侵入し、樹の枝に座り込んで覗きをしている時点でなんの意味もない。


 領主のクッソ長い説明を省略するとこうだ。

 魔物が出て困ってるよ。人手が足りないよ。だから心優しき勇者ルゥ様のお力をお借りできると大変ありがたく存じます!

 やはりルゥ、人徳がある。

 と、単純にウットリしたいところだが……。


「では、今日泊まられる部屋に案内しますね。――オイ! 何をしている! 早く来ないか、このノロマ! 私に恥をかかさせる気かぁ!? ……すみませんね、お二人とも」

「いえ、僕たちは気にしませんので、どうか……」

「おや、なんとお優しい!! こんなノロマにも情けをかけられるなんて……」


 肥え太った顔に、にんまりと浮かぶ汚い愛想笑い。

 クズ。領主クズ。圧倒的クズ。事前調査もしていたがやはりクズ。

 そしてこんな奴が、田舎の片隅に出た魔物退治に勇者の力を借りるはずもない。……。




「あー、つっかれた! あの野郎、くっそつまんねぇ自慢話ばっかしやがって。お前が愛想よくするからだぞ?」

「あはは、ごめんごめん」


 ベッドに飛び込むクレトの暴言を、ルゥは優しく受け止める。やはり慈悲慈愛の化身……世界に平穏をもたらす存在……寧ろルゥこそがこの世界なのではないだろうか。え!? ルゥが世界ならつまり世界はルゥってことぉ!? 今ならこの世界の全てを愛せる気がする。全てのものに、BIG LOVE……。


「つーかさ、よくあんな依頼受けたな。どう考えたって怪しいだろ、あいつ」

「でも、もし本当に誰かが困ってるとしたら大変じゃない」

「はいはい。ま、お陰で結構いいもん貰ったけどな、ほら、『運命の方位磁針』。これ珍しいんだぜ」


 方角ではなく、心から願う物がある場所の方向を示してくれる珍しい品だ。これで目的地に行ってね、とのことだった。

 あの領主、ルゥが勇者だからと、それに掛けてこんなコンパスを寄越してきた。「勇者様の素晴らしい旅路のお役に立てれば云々」なんて言っていたか。

 外見通りに太っ腹――というより、ただルゥに媚を売るためだろう。

 ただ物欲のない大聖人ルゥは、すぐクレトにあげようとしていたけど。(結局二人で共同で使うことにしたらしい。)


「……今更だけどよ、なんでお前、勇者なんてやってるんだ? いや、選ばれたからっていうのは分かるんだけどさ。手抜いたりサボったりしてもバレないのに、すげー真面目じゃん、お前。絶対割に合わないだろ、こんなもん」

「そーだねえ」


 のんびり可愛いルゥの声に、クレトはなぜかクソでかいため息を吐いた。

 ため息を吐きたいのは私の方だ。私はクレトじゃなくてルゥの声がもっともっと聞きたいのに。もちろんため息でも可。しかしルゥがため息をつかなければならない世界は、世界が間違っているので不可。難しいな……。


「人助け、なんてよく分からん義務だけ課されて、土地も報奨も貰えないってなんなんだよ。名誉職にしても謎過ぎる」

「んー……クレトは、勇者って呼ばれる人は、一体どんな人物だと思う?」

「コネのある金持ちで、武芸に秀でて、なにより家督を継がない奴。だろ?」


 現実的な回答に、ルゥは苦笑を浮かべた。いつものシャイニングスマイルとは違う魅力で可愛い。


「……僕はね、たくさんの答えを聞かされたよ」


 戦わなければならない時に戦うことのできる者。

 自分一人の命で数万を救えるときに死ぬことのできる者。

 自分一人の死に数万の人間が涙する者。

 手元に錆びた剣一本しか無かったとしても、立ち向かわなければならない時に立ち向かうことのできる者。


「どれだ?」

「全部だよ。それ全てが勇者だ」

「(……こいつもこいつでおかしいんだよなぁ)……で、結局そんな訳分からんものを頑張ってる理由は? 名誉か?」

「うん……いや、まあ、色々事情があったって感じかなー」

「つまり?」

「内緒」

「おい」




「ウッ。サスガ……サスガルゥ……イイコ……チョーイイコ……」


 感極まって迸る声を殺し、ハンカチで涙を拭う。感動で全世界が泣く。

 私は信仰を持たないが、きっとこのルゥを尊敬する心がそれだ。かつて神を想うあまり咽び泣き、倒れる人間を見たが、きっとこの想いがそうだ。分かる。私は、共感できる。きっとルゥの尊さに、全人類が倒れるはずだ。私もいつもルゥの尊さに、一人で大暴れしている。

(ルゥは私のような存在にすら、他者を尊ぶという新しい気持ちを教えてくれる……)

 彼だけが本当に唯一、私の、グラニアの光だ。


「デモダイジョブ……ごほん。大丈夫よ、ルゥ。あなたの清い心は、永遠に私が守る――というわけで、ここで魔女グラニア颯爽登場!!」

「うお!? だ、誰だ貴様は!? ここを誰の」

「このカスがぁーーーーっ!!!」


 振りかぶった右拳を横っ面に叩きつけると、領主はボールのように飛んだ。

 やっぱり手段で暴力を振るう人間は、ちゃんと暴力で躾けないと駄目。殺しはしない。優しいルゥが悲しむし、ここで死体が出たことでルゥの手を煩わせたくないので。

 ルゥは暴力はよくないと言っていたが、これは社会的にみて悪への正義の暴力なので問題ない。さすが私。


「テメーの不正の証拠は掴んでるんだよなぁ」

「なに、を……、……」

「田舎の魔物? お前が飼ってたペットだろ? 昔それに兄を襲わせ、殺し、今の地位を手に入れた。……存在しない自分の馬車も、何度かその魔物に襲われたことにしてるだろ? それで被害をでっち上げ、保険金をいただく――。挙げ句その金の一部は、下等な魔物使いに横流し? それを延々と繰り返す。ふん、小悪党の虫以下の所業だ! あらゆる悪が、不正が、この私の目から逃れられると思っているのか? なぜなら私は、」

「魔、女……? いったい何を、馬鹿なことをほざい、て……」


 唖然とした呟き。

 分厚い瞼がかっと見開かれ、肥えた頬が見る見るうちに青ざめていく。唇がぶるぶる震えたかと思えば、やがてその大きな体が、雷に怯える獣よりも酷く震えだす。声にならない声、悲鳴の代わりに醜い脂汗が流れ出す。喉からはただヒューヒューと、恐怖の音がなっている。

 『私』を正しく認識した人間らしい状態だ。


「お、お前のような存在が、なぜ…………な、なぜ……」


 それからは言葉にならなかった。恐らく来ないでくれ、とでも言っているのだろう。

 うわ言とともに流れ落ちる涙。汚い。醜い。

 だけど『私』は、こんな雑魚よりももっと深く暗く、陰鬱なもので出来ている。


「私は、お前を恨む者の友人だ――死者、生者、あらゆる恨みが私を呼んだ。心当たりがあるだろう?」

「あう、あう」


 私は肘にまで届く黒い手袋を外した。夜空よりも深い、深淵渦巻く黒い肌が顕になる。

 領主が、この世の者じゃない何かを見た顔になる。ほんの少し手をのばすと、恐怖で動かぬ足を無理して、もんどり打って逃げようとする。


「あああああー!!!! くるな、くるなーーーっ!!!」

「私はいつでもあなたを見ているよ。あなたが悪を成す限り、私はいつでもあなたを知っている。あなたはこれから、いい子になれるかな?」


 領主は子どもみたいに頭を覆って、顔をぐしゃぐしゃにして、ヒイヒイと泣く。


「分かったね。いや、あなたなんかには分からないか」


 私は床に落とした手袋を取り、ホコリを払って、また手に着けるという仕草をした。

 折角の、普通の人間の娘らしい仕草なのに、きっとこの醜い男は、そんなこと見ていないから知らないって言うに違いない。

 私は、人にとってのあらゆる悪という概念を支配する存在だ。だから、身の丈以上に『悪行』を積み重ね過ぎた人間は、私の存在に耐えられないのだ。

 でも、自分の中の『恐怖』に勝てる人間なんて滅多にいない。普通の人間は、私を認識すると、大体がこうなってしまう。


 でも、ルゥだけは違った! ルゥは私を見て、私を認識して、私を恐れなかった! 幼い頃から! 初めて会ったときから!

 なぜなら彼は光だから。彼だけが光だった。彼しかいかなかった。彼だけは、いつだって、正しく私を見ることができる。ルゥは私の唯一。私の、私だけの光――。

 ルゥを陰らす者、ルゥを私から奪おうとする者。その全てを、私は必ず、破壊する。




「で、魔物は勘違いで、めでたしめでたしってか。一体なんだったんだか……」

「分からないけど、村が魔物に襲われる可能性がないっていうなら、一安心だね! ……でも通り道だし、本当に魔物がいないか、念の為確かめに行ってもいいかな?」

「俺、お前のこと気に入ってるから忠告してやるけどさ。お前、お人好しでいつか死ぬよ」

「クレト、後の世界は頼んだ……! ぐふっ……」

「やめろ」


 クレトは面倒くさげにちらっと背後――というか私を見るが、別に彼を攻撃したり、殺気を飛ばしたりはしない。ルゥが死ぬなんておぞましく、ふざけたことをほざいた罪はあるが……ルゥの尊い自己犠牲的な行動を諌めるのは、まあ、一応、なかなかのファインプレーである。


(それでも……)


 誰になんと言われようと、ルゥはきっと、お人好しであり続ける。

 私は彼のその正しさと優しさが、嬉しくて、幸せで、そして、なぜか寂しくて。結局よく分からない気持ちになって、ただルゥの横顔を眺める。――きらきら輝いて美しい、私の光。

 私の手のなかで、永遠に輝き続けてくれ。

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