灰のふる日に

青葉シラフ

第一幕 第一話「太陽の巫女と灰の予言」

 暖簾のれんが揺れる。和装の男は横目でチラとそれを見ると、また視線を手元へ戻しながら言う。

「いらっしゃい、今回も同じのでいいですかい」

「ああ、れで頼むよ」

 男が一人入ってくる。暗い赤のチェックの上着に、いたんだジーンズ。足元は冬の季節に似合わず、ビーチサンダルをぺたぺたと鳴らしている。「毎度悪いね」とビーチサンダルを脱ぎ、畳に腰掛ける。

「大事なお客ですから」

 和装の男は立ち上がらずに、膝立ちの状態のままで、なにやら棚をあさる。いくつかの草花を取ると元の位置に戻り、細長い舟の形をした薬研やげんにそれを入れる。体重をかけて上から押しつぶし、こすり付けていくことで粉末状の生薬しょうやくに変えていく。

 しみじみとした都会はずれ、植物特有の青臭い匂いがする六畳一間に男が二人。薬研で草葉をすりつぶす音だけが、部屋を満たしていた。

 日はまだ高い。


「晴れのち灰なんだと」

 客の男がぽつりと呟く。

「晴れのち灰とは、これいかに」

「さあ、何が何だか。世も末だよ、まったく。どこの局もみんな同じだ。空から灰が降るなんて馬鹿らしい。天気予報なんかじゃない、テレビも新聞もオカルトになっちまった」

 愚痴ぐちのように言い飛ばし、ため息をつく。「灰なら和紙の傘でも大丈夫ですかねえ」と店主も一つこぼす。

「主人はそういうの、信じるんですかい」

「まさか」

 店主の男はふと外を見る。雲一つない快晴に、灰などはおろか、雨すらも降りそうにない。丸々とふくらんだすずめが二羽、店先でちゅんちゅんと鳴いている。

「ああそうだ、喉に効くやつも頼むよ。この頃咳がひどくて。主人の漢方を飲んでいるときは良いんだが、いかんせん悪くてねえ」

 ガラガラと喉を鳴らして男は言う。

冬来きたりなば春遠からじ、ですよ」

 店主が目を細めてそう言うと、男はあごに手をやり、り残したひげいじる。そろそろ腰が痛くなってきたのだろうか、頻繁ひんぱんに足を組み替える。

 草葉をすりつぶす音が、しだいに金属同士が擦れる音に変わってきた頃。店主はおもむろに立ち上がり部屋の端に行くと、土瓶どびんを持って戻ってきた。

 薬研やげんの中の、粉末状になった生薬しょうやくを土瓶の中に入れ、またその上から水を注いだ。和室には場違いなガスコンロの上にそれを置くと、火の加減をとろ火に合わせ、店主は告げる。

「今から生薬を煎じますが、大体40分くらいはかかります。その間どうですか、私の話を聞いていただいても」

「ああ、構わないよ。それで話ってのは何なんだい」

 男はくるりと体を店主の方に向ける。

「話というのはね、例の灰にまつわる話なんですよ」

「主人、やっぱりオカルト信じているんでねえか」

「まあ話の内容はともかく、講談というのに興味がありましてね」

 店主はいそいそと支度を始める。緩んだ帯を締め、客に正対して正座をする。空の棚を横にして机代わりに、扇子せんすでそれをバシリと叩く。「やけに本格的じゃないか」と男も興味が湧いてきたようだ。

 漢方屋の主人は様式美として「本日お話いたしますのは、灰にまつわるお話。もとい、太陽にまつわるお話でございます」と一言、一段階低い語り口調に変わる。

 その口から発せられる言葉一つ一つが、たしかな重厚感を帯びて客の男の鼓膜こまくを震わせる。眼光はキリと鋭く、身体は少し前かがみに、扇子を振るう所作の一つを取っても、力強く繊細だ。その姿はさながら壇上の講談師と言って差し支えない。

「ああ続けてくれ、オカルト話でもいい。こんな主人は初めてだ」



『太陽が死ぬ、なんて話はおそらく聞いたことはないでしょう。それもそのはず、その伝承はすでに失われてしまったのです。ですが、伝承から講釈、そして講談へと姿形を変え、こうして細々と語り継がれてきているのです。

 これによると、太陽が死ぬ時に灰が降るそうで。ですから今回の灰が降るというオカルトじみた予報も、これと似たようなものかもしれません。

 ただその灰というのが少々困りものでして、厄災を引き起こすというのです。地が吸えば凶作に、海が吸えば不漁に、人が吸えば大病に、という具合でして、人々は皆この灰を大いに恐れていたということです。ただこの灰というのも、太陽が死んで発生するものでありますから、太陽が再び現れれば灰は止む、ということでございます。

 そこで太陽の巫女、という者がいたそうで。なんでも太陽の神に仕えて、新たな太陽になることができるとかできないとか。その身を燃やし、炎を操ることができるとかできないとか。

 なんにせよ、これからお話しいたします物語というのは、この太陽の巫女を中心として巻き起こる、太陽の創生の物語でございます。

 物語の舞台なのですが、江戸時代のとある村に、太陽の神をまつる村があったそうで。聞くところによると、ただ祀っているというわけではなく、やしろの奥に神が実際に住まわれていると言う。一般の人が御利益などを求める神社というものではなく、境内には神主しか入ってはいけないと。

 ただ神主にも位というものがありまして、どの位も白の上衣というのは変わらないので、はかまの色によって位が分かれているのですが、松葉色や無地の白色が見習い、浅葱色あさぎいろ、紫色と順にありまして、そこに紋様があるのがその上の位。それが白紋はくもんであればさらに上。一番高い位は白色に白紋というのでございます。

 神が住まわれているという社の奥には、最上級の位とその一つ下の神主しか近づいてはいけないと、つまりは袴に白紋のある神主のみが、神の啓示けいじの一端に触れることができるということでございましょう。

 さて、独特な習わしのある村ではありますが、ここの太陽の巫女を巡って展開していく物語でございます。

 人前では初めてゆえ、少々至らないところはございますがご愛敬あいきょう



 昔々、といってもそこまで昔の話ではない。遡ること、今よりおよそ300年。西暦では1700年代の初頭。

 戦乱の世が明け、平穏が訪れてもなお波乱万丈であったこの江戸の時代。いき洒落しゃれの町である江戸と京のみやこのちょうど真ん中ほどに位置するどこそこに、太陽の神を祀る村があった。

 そこには古くからの言い伝えがあるという。「太陽が死ぬ時、神は悲しみ、地上に灰が降り注ぐ。その灰は大いなる災いを生むが、神に仕える巫女みこ神楽かぐらを舞い、新たな太陽として顕現けんげんすれば、神の悲しみは晴れ、灰も止み、地上に再び安寧あんねいが訪れるであろう」と。

 言い伝え通りに人々はきたるべき時に備えてきた。


 その村に、ミヅキという少年がいた。白い上衣に松葉色まつばいろはかま。神主見習いとして日々励んでいるこの少年だが、よく遊び、よく食べ、よく寝る快活な少年である。 


 少年の12の年の初めのこと。白色に白紋のある神主が、社の奥から転がるように駆けてきた。曰く、来るべき時が来た、という啓示を授かったという。「来る本年の最後の月に、天は光を失い、地上に灰が降り注ぐ。故にその前の月の晦日みそかに儀式をり行い、巫女を新たな太陽としてこしらえることで、太陽の死に備えよ」とのことが神主衆の間に伝えられ、儀式に関するあれこれが取り決められることとなった。

 しかし、そのことを知っているのは神主のみである。正式には神主ではない見習いの少年には一切知らされず、少年にしてみればただ月日が過ぎていくのみであった。


 その年の長月のある日、少年は白色の袴を身に着け歩いていた。前には紫色の袴を着た者が一人、少年はその神主に連れられて、季節に合わない厚着の装束で山道を歩いていた。

 昇級の式の道中である。すたすたと先を行くのにつられて少年も歩みを進めるが、額には汗で玉ができ、足もしだいにふらついてきていた。しかし少年は依然として苦しみの色を見せなかった。

 普段の松葉色と違って今日は白色の袴。はねた泥が斑点はんてん模様を作っていた。

 山の頂上まで来たところで、先を行く神主が止まる。

「本日より、無地の白色の袴の着用を許可する」

 ここまでの道のりが昇級の式だとでもいうのだろうか、驚くほどあっさりと終わると、少年たちはゆったりと山を下り始めた。

 往路はついていくことに必死で気が付かなかったが、木々が美しくそびえたっていた。スラと細身の木が並ぶ樹林、まるで自然のものではないように傷一つない無欠の秘境。ぴたりと足を止めて眺める少年の意識は、森に吸い込まれていった。

 少年にしてみれば初めて登る山だ。見たことのない景色、聞いたことのない音、嗅いだことのない匂い。木々に触れ、木の実を摘む。少年は、自身の感覚を余すことなく眼前の風景に注いでいた。

 自然へと陶酔とうすいする少年であったが、美林の隙間から何やら動く影を見かける。獣であろうか、と思うがどうやら違うらしい。獣にしては小さく細い。獲物を狙っている様子でもない。風がそよぎ、木漏こもれ日の形がチラチラと変わると、そのうごめくものの姿も少し見えてきた。

 朱色しゅいろの袴に、白の上衣。神主の連中にそのような色の袴を着ている者はいない。

 やがてそれが身を回して止まる。こちらに気が付いたのだろうか、それは石のように固まって動かない。風に吹かれ、その輪郭りんかくだけがわずかに崩れていた。さらに姿を見ようとするも、それより上はどうにも見ることができない。

「森の奥に、何やら人影を見ました。あかい袴の者などいるのでしょうか」

「アレは、けがれです。はらいの最中なので近寄ってはなりません。貴方もけがれてしまいますよ」

 少年は横の神主の男に尋ねると、彼はさとすように返した。

 また先ほどの方に目を向けるが、大樹の陰に隠れてしまって見えない。

 まるでと呼ばれたモノを隠すように、樹齢にして千年は超えているであろうその大樹が、少年の目を阻んでいる。大樹には注連縄しめなわが巻いてあったが、今にも擦り切れそうなほど、ずり下がっている。

 横の神主曰く、御神木なのだというそれを通り過ぎ、少年と紫の袴の神主は山のふもとへ歩いていった。



 とある少女が目を覚ます。とはいえ、夜は明ける気配など無く、ますます深まっていくばかりである。

 硬い床に寝ころびながら顔を横に向けるが、窓の無いこの小屋では外を見ることはできない。

 枕元には、いつの間にか置かれていた、乾ききって固まったわずかな米がある。これを口に含んでは、嚙むでもなく井戸の水でそのまま流し込む。

 こうして少女の一日は始まる。

 朱色の緋袴に、白の上衣。雲間からのぞく月がそれらを照らし、否応いやおうなしに少女が巫女として存在しているということをあらわす。

 あたりを見渡せど、何も無い殺風景だ。少女のいる窓の無い小屋を中心として、森が避けるように円状に空間が広がっている。

 ここは少女を閉じ込める鳥籠とりかごのようなものだ。

 太陽の巫女として生を受けたこの少女は、ここで一生を終えることを運命づけられていた。いつか来るという灰の厄災に備え、そのにえとしての役目を果たすためである。

 淡い光を受けて、少女の影が薄く地に伸びている。しかし少女の瞳には、その光が届くことはない。ただ深く影を落とし、濃いきりがかかったように曇っている。

 まだ長月とはいえ夜はほどほどに冷える。素足が土に触れて少しひんやりとする。

 やがて少女は一人舞う。儀式の際に舞う神楽である。神のにえとしてふさわしいように、神楽を毎日舞うように定められているのである。

 することも無ければ、したいことも無い。ため息すら出ないほどに定められた日々だ。

 太陽の巫女として、日に当たることを禁じられた少女は、日が沈むとともに目を覚まし、味のしない米を流し込んでは神楽を舞う。

 星、月、うっすらと流れる雲。風、土、そして小屋と一本の傘。これが少女にとっての世界のすべてだ。

 身に沁みついた神楽を一通り舞い終えると、少女は眠くなるまで星を数えて時を過ごす。

 ただ、この日は無性に胸がざわめいて眠くならず、気が付けば東の空は明るみだしていた。

 日に当たることのできない少女は、日が昇った後も眠れず、小屋の中で一人佇たたずんでいた。

 ある時、少女の視界の端で何かが光った。立ち上がり、目を凝らしてみても、木々におおわれたその先までを見通すことは叶わなかった。

 少しでも近くに寄りたいと少女は足を運ぶが、小屋から出る直前、光と影の境界線で足が止まる。

 少女はまた顔を上げ、光を探すのだがどこにも見当たらない。

 すると不意に眠気に襲われ、少女は泥のように眠りについた。



 その日の夜、草木も眠る丑三うしみつ時に、少年は目を覚ました。虫籠窓むしこまど越しに外を見ると、無数の星が夜空で眩しく瞬いていた。大きな雲に覆われていた月が姿を現すと、幽寂閑雅ゆうじゃくかんがな空間に光と影が生まれた。

 岩にしみいるようなせみの声だけが鳴り響く静かな夜に一人。こんな時は、人はどうしても物思いにふけってしまうのだろう、少年は昼間見た光景を思い返してしまう。「アレは、けがれです」昼の高官の神主の言葉が頭の中で反響する。

 もう一度眠ろうと横になるが、胸がざわついてそれどころではない。

 仕方がないと言って、少年は山で見たあの場所へ向かうことにした。だが、寝間着のままで行くわけにはいかない。

 かといって白の袴を穿いていくこともできない。そうだと言って少年は、もう穿くこともないだろうと、洗ったばかりの袴で例の場所へと向かった。手燭てしょくと月明かりを頼りに、青みがかった松葉色のそれが、風に吹かれて夜の闇に散りこんでいった。

 昼間とはまるで違う山道を進むと、やがてあの御神木の所まで来た。足を止め、その方を見つめる。と呼ばれ、穢れとさえ言われたモノを探す。

 林の奥のさらに奥、消し炭色の暗がりに、ほのかな光がゆらめいた。燃ゆる火と、見まごうほどの紅葉もみじ色。灯篭とうろうに吸い寄せられる虫のように、少年はほの明かりに誘われていった。

 明かりが少年を飲み込むほど近づいたところで、木々の切れ目が見えた。

 林を抜けるとそこには、夢の跡のようにひらけた場所に出た。四方を山林に囲まれ、浮世うきよから完全に隔絶かくぜつされたこの秘所は、月の光を余すことなく受けていた。

 ああ、なんて美しい場所だろうと感嘆の声を漏らすのも束の間、この空間の真ん中付近に一つ、ぽつりと佇たたずむ小屋を見つけた。なんだろう、と神秘の中で明らかに場違いな人工物に自ずと足が動く。

 突如とつじょ風が吹く。風は甘くあたたかな香りを乗せて、どこかからどこかへと吹き抜ける。ぱあっとまた一段と周囲が明るくなる。光と影の境界線が無くなるほどに明るくなる。葉がざわつき、木が騒ぎ、森が震える。

 背筋がぞくりとするような寒気を覚えるが、身体の芯は燃えるように熱い。

 やがて明るさが元に戻ると、少女が一人、少年の前に立っていた。

 白い鼻緒はなおのついた白木しらきの下駄。鮮やかな朱色の緋袴ひばかま。帯は故蝶こちょう結びでまとめられ、腰にほどこされた白い上指糸うわさしいとの装飾が見え隠れしている。汚れを知らぬ純白の小袖こそで。首元は朱い装飾用の掛襟かけえりが白衣の下にちらちらと見え、白く細い首がすらり。あでやかな黒髪は腰にかかるほど長く、月光を浴びて美しいれ羽色に照る。後ろ髪を和紙でまとめた上から水引みずひきで縛り、それを髪留めとしている。桃の花のような唇に、幼さの残るふっくらとした頬、鼻筋はまっすぐに通っている。長いまつ毛に、くっきりとした二重。水晶のような瞳は吸い込まれそうなほど深い。まるで人形のような少女。背は少年よりも少し高い。

 声を奪われてしまったのだろうか、少年はただ立ち尽くし、目の前の少女を見つめることしかできない。

 ただ、少女もまた、少年を見つめている。

「昼間見ていたのはあなたね。白紋の者しか入れないはずなのだけれど」

 少女の瞳に松葉色の袴が映る。

「青い松葉の色。そのおかげね」

 一人納得した様子の少女だが、いまだ少年の意識は置いていかれたままだ。

 光の粒が少女の身体を包んでいる。少女の手とそれが触れあうと、じゃれるように明滅を繰り返す。月明かりに照らされた横顔の、なんと美しいこと。

 時がゆっくりと流れているかのように鮮明に、水のように流動する黒髪が、少年の瞳に流れ込んでくる。

「き、君は……」

 かろうじて声を出すも、それを最後までつづることはできなかった。

「来て」

 短く告げ、すたすたと行ってしまう。取り残された少年は、よろめく足をどうにか抑えて少女の後ろ髪を追う。

 先ほど見かけた小屋の手前まで来ると、背を向けたままに口を開く。

「太陽の巫女」

 遠い目で独り言のように呟く。この言葉を誰かを求めているかのような、そんな言い方。

 巫女、という言葉に反応したのだろう、少年の眉がピクリと動く。しかしというのは聞いたことがない。

「太陽の、巫女って」

 その言葉を咀嚼そしゃくするように呟くと、「知らないんだ」と少女がか細く言う。しかしそれは少年の鼓膜を震わすことはなかった。

 くるりと身をひるがえして少年の方を向くと、少女の長い黒髪が一拍子遅れ、遠心力を受けてふわりと浮く。

「あら、知らないのね。そう……知らないの」

 瞳から溢れたしずくが一筋、少女の頬を濡らす。目の前で一人の少女がなみだを流している。少年をまっすぐに見つめ、泪を流している。しかし少年にはその理由を知る術はない。

 ただ、少女もまた、その泪の訳を、知らなかった。

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