7ー2

「台本にはちゃんと出演者が載ってるやん。今日日スマホに名前を打ち込めば写真とプロフなんてすぐに出てくる。端役でも台本に名前の載ってる役者はチェックしとかなアカンのちゃう?」

「す、すみません。今朝に台本を読んだもので…」

「それは言い訳やろ。台本が出来上がったのは昨日今日の話じゃないんやから」

「…」


 福松は言葉に詰まる。それと同時に理不尽さを覚えてもいた。そんなことを今日、初めて映像作品に出たばかりの自分に言われてもどうしようもないではないか、と考えを巡らせている。


 しかし。


 直感的にこの荏原という男の話は聞いておくべきだとも思ったし、不思議な説得力を放っていることにも気がついていた。だから出掛かった言葉を飲み込んで、耳を傾けることにしたのだ。


「実際、もしも事前にきちんと調べておいてお前が『シュラインの荏原さんですよね。自分も霧の刃に出ています。まだエキストラですけど、よろしくお願いします』とか挨拶できてたらどうやった? 俺のお前に対する印象は変わると思わん?」

「…変わると思います」

「せやろ。それで現場で再会してみぃや。『こいつ、俺の財布届けてくれたんですよ~』って出演者の会話の輪に入れるチャンスになったかもしれん。少しでも顔を売れるやん。一介のエキストラで現場にいるよりも」

「はい…」

「そんなんどないな確率やねん? とか思うかもしれんけど、今俺と会ってるっちゅうことはそれが起こってるってことやろ。売れる芽を潰すどころか、種を撒くこともせんかったっちゅうことやん」


 そこまで言ったところで店員が追加で注文した酎ハイを持ってきた。荏原はすかさずそれに口を付けて喉をゴクリとならしたが、福松は膝の上に手を置いたままじっと次の言葉を待っていた。


「もし他に本業やってて片手間にエキストラでドラマやら映画やらに出てます、ていうんやったら少し言い過ぎたけど、お前はちゃうやろ? ドラマや映画にバンバンと出て芝居する役者になりたいんと違うん?」

「いえ、そうです」

「なら出演者のチェックは当然。ホンマなら自分が出ることになったその監督の撮った作品をせめて直近の三つは遡って見て研究しておきたいところや。好きな構図とか、台詞回しとか」

「そ…」

「そんなことまで、と思たか? 今の話だって、要するに媚を売れっちゅうことやん、そんなダサいことできるかって思うてる?」

「いや、そこまでは」

「別に今俺が言ったことをやったからと言って必ず売れるとは限らん。逆にそんなことをしてへんのに売れるやつもごまんといる。けどな、そういうことを息をするようにやってる奴が芸能界には仰山おんねん。そしてやってる奴とやっていない奴がいたら、どうしたって比べられる。監督やスタッフやプロデューサーかて人間や。よいしょされたり、誉められたりして悪い気はせん。まあ限度はあるけどな…けど共演者を把握してへんのはさすがにアウトやで。現にお前は俺と会って一つチャンスを潰してもうたな」


 福松は促されるままに酎ハイを飲んだ。しかし炭酸の痛みが喉を通過するだけで味も香りもあったものではない。


 そんな福松に荏原はおしんこを噛りながら聞いてきた。


「自分、事務所は?」

「入ってないです。これから探そうかと」

「…へえ。事務所に入らんと、それでもエキストラの仕事を見つけたんか。やるやん」

「いえ、それがですね…」


 その話題をきっかけに福松は自らの事情を説明し始めたのだった。学生演劇に始まり脱サラを経て梅富士撮影所の時代劇塾に所属していることなどを話すと、荏原は少しばつが悪そうに頭を掻いたのだった。


「なるほどな。今日が初の現場の駆け出しも駆け出しか。ほな、ちょっとビックリさせてもうたな」

「いえ。勉強になります。ありがとうございました」

「ふふ。その素直さは買うわ。だから説教は終わりにして、ここから先はお節介なアドバイスな」

「はい?」


 福松の身の上と事情を聞いてここまでの不機嫌さが少し払拭されたのか、荏原は少しだけ朗らかさを取り戻した。しかし目の鋭さというか、全身から放たれるオーラのようなものは少しも衰えなかった。


「関西で芸能事務所を探すんなら、まずは大阪。これは絶対や」

「はい…」

「二つ目の条件は東京にも繋がりのあるところを探す。関西だけで幅を利かせているような事務所は避けるべきやな」


 それは理屈として分かる。何をどう足掻いたところで芸能活動の本拠地は東京だ。将来的に進出するに当たっては既に東京にも根を下ろしている事務所、もしくは関西に支所を奥事務所に入って損はないだろう。


 福松とて時代劇の聖地という引きがなければ確実に東京に出向いていたのだから。


 次いで荏原は「そして三つ目」と最後の条件を呟く。そしてそれは福松にとっては理解できない条件でもあった。


「そして三つ目。俳優も在籍してるお笑いの事務所を探す。そしてまずお笑い芸人になれ。そうするのが現状一番役者の仕事に繋がる」

「はい?」


 と、思わず混乱を取り繕いもしない声を出した。役者を目指している人間にお笑い芸人になれというアドバイスをする意味がまるで分からない。聞き間違いか、さもなくば冗談かとすら思った。しかし荏原の目は相変わらず真剣であったので、恐る恐るその言葉の真意を尋ねてみることにした。


「それは…どういう意味ですか?」

「言葉の通りや。お笑い芸人になってネタを作ったり、仕事をこなしたりする。それが現状、一番役者の仕事をもらえるチャンスが多い」

「…な、なぜ?」

「まずメディアに露出させてもらえるチャンスが桁違いに沢山あるからや。役者は文字通り芝居のある要素でしか使えんけど、芸人はちゃうやろ? 色々なバラエティーやネタ番組だってある。勿論、テレビに映るんはそない簡単なこととちゃうけど、こと関西に至ってはオーディションの数がだんちや、それは間違いないし、テレビ関係者に直で会えるチャンスが多いてな事にもなる。舞台にしたって同じや。生でお客さんに会える…つまりファンを増やすチャンスが比べもんにならん。役者なんて小劇場での公演だとしても、頑張って二、三ヶ月に一つの舞台に上がるのがやっとやろ。けど、芸人はその気になれば毎日何かしらで舞台に上がることだってできる。この商売、まず人前に出んことには話にならん」

「それはそうかも知れないですけど…出番としてはほんの二、三分くらいじゃないですか」

「だからこそ、数で補うんや。舞台に出たって主役でもない限りピンスポは当たらんやろ。だらだらと端役で二時間の舞台に出るよりも、例え一分でもその場の客の視線を引き付けられる芸をする方が余程いい…今日の仕事はカメラに映れたんか?」

「う…」


 それを言われると弱い。しかし、なんと言っても今日初めて撮影の現場に出た人間にピンスポやカメラが当たるはずもない。言わば今の自分は下積みをしている立場だ。顔を売る、コネクションを作るというのは大事だとは思うけれど、芸人になることが成功する役者への道と言われてもにわかには信じがたい。


 役者たる者、演技力を磨いてどんな芝居でもこなせるような、それでいて個性を発揮するようになった方が絶対に有意義だ。


 福松は思いの丈をそのまま素直に言葉にした。


「ふ、ファンを増やしたり業界人との接する機会が増えるというのはその通りだと思います。けど役者としてはどうなんですか? 芸人になるということはそれだけ演技力を磨く時間がなくってしまって大変なんじゃないですか?」


 そんな正論の皮を被っただけの稚拙な意見を、荏原は一刀両断に切り裂いた。


「演技を磨けば役者として日の目を見れるという考えは捨てぇや」


 荏原は役者として大成するのは演技力の問題ではないと言い切った。その返しに福松は駆け出しとはいえ芝居に携わるものとして一抹の怒りや不安や、反対に興味を合わせたような正体不明の感情を抱く。


 不可解な感情は表情としてはムッとした愛想のない顔になってしまったのか、荏原は駄々をこねる子供を嗜める親のようなため息を一つ吐いた。


「なら最近のドラマでも映画でもいいから出演者を想像してみい」

「…」


 言われるがままに最近始まったばかりのテレビドラマの出演者を思い浮かべた。老若男女、新人からベテランまで色々な役者の顔が浮かんだ。


「その思い浮かべてるドラマか映画か知らんけど、役者は一体何人出てる?」

「は?」

「だから何人の役者がいた?」

「な、何人って…いっぱいいますけど?」

「ホンマか?」

「テレビドラマですから。そりゃ何人もいますよ」

「その想像したタレントは役者をしていんか?」

「ええ…一体、何が言いたいんですか?」


 痺れを切らせた福松は不機嫌な声を出す。質問の意味が分からないし、何より荏原の話につい気持ちが乗ってしまっているのだ。


 だからこそ、荏原の指摘には目から鱗が落ちる思いがした。


「俺が言いたいのは…その想像したタレントは役者をしているんじゃなくて、役者もしているんと違うか?」

「…え?」

「昭和の頃ならいざ知らず、今の日本で俳優業だけでやっていけている奴がなんぼおると思う? モデル、アイドル、歌手、芸人…最近じゃアスリートやYoutuberなんかも平気でドラマデビューしとるやろ?」

「…まあ」

「なんでやと思う?」

「……し、視聴率を取る為でしょうか?」

「せや。それ以上もそれ以下もない。役者の仕事は「客を集める」その一点だけや、他を考えるんは後回しでええ。」

「いや、でも…」

「ん?」

「…そりゃ集客の必要性は分かりますけど、演技力を付けるのも大事では?」

「いらん」


 福松の演技にかける思いや情熱は再び切り付せれられてしまう。それも先程よりも容易く。今度こそ頭をレンガで殴られたような鈍い痛みが胸中に広がっていた。


「役者にとって演技力は必要なものやない。精々「ないに比べればあった方がいい要素」くらいのもんや。芝居の事を考えるくらいならどうやったらチケットが売れるかを考えた方が余程いい」

「そ、そんな」

「気持ちは分かる。売れなくともいいとは言わんけど、芝居が好きでこの世界に入ったんやろ? けどなそうなればお前は放って置いたって芝居の事を考えられる。だからこそ芸人なんや。今の時代で役者をする上で通らなしゃあない道があるからな」

「通らなければならない道ですか?」

「ああ。そのドラマの出演者を思い出したついでや。今のドラマには基本的には三パターンの役者しか出ておらんって思わんか?」

「三パターンの役者…?」

「一つ目は今言った通り、モデルやアイドルから役者業に流れてきた奴、つまり『他のジャンルで既に成功している奴』。そして二つ目は『子役から続けている奴』。そして親が業界人、つまりは『二世タレント』っやっちゃ。この三本柱で今の俳優業は成り立っている。理由は分かるな?」


 コクリ、と頷いた。先程荏原が言った「客を呼ぶため」という結論といとも簡単にそれらが結び付いたからだ。


「他のジャンルで成功している奴はさっき言った通りの宣伝効果、子役から続けている奴や二世タレントは一定のファンがいる上、既に業界の中にコネクションが出来上がっている。その輪の中に裸一貫で突っ込んで行ったって弾かれる、というか見向きもされん」

「…」

「今の俳優業は既に成功している奴の道楽、もしくはタレントの副業でしかない。芸能界の底辺と言っても俺は言い過ぎやないと思うとる」


 荏原はそう言って残っていた酒を一気に飲み干した。そうして吐いた息には彼自信のもどかしさや憂いが交じっているような気がしてならない。


「この国のエンターテイメントは何を見るかやのうて、誰を見るかという風に進化してしもうている。これはもうどうしようもない。いや元々芸能ちゅうんはそういうもんかもしれん。その現状を打破したいと考えるなら、役者やのうて監督やプロデューサーみたいに企画する側に立たなアカン。けど自分のやりたいんは、そんなこととちゃうやろ?」

「はい…」


 一つ一つを噛み砕いて説明してもらうと、よく分かる話だ。かつて客席に二人しかお客さんがいない舞台というもの経験したことがある身からすれば、お客さんを呼ぶのがどれほど難しく、そしてお客さんを呼べる人がどれだけありがたく見るかは痛いほどよく分かる。

 

 けれど。


 役者に演技力が求められていないという事実は、やはり受け止めたくはない。

 

 福松は俯きつつも、希うような声を出して荏原に聞いた。


「そういう人はいないんですか?」

「ん? どういうこっちゃ?」

「その…本気で芝居の上手い人を使って作品を作ろうとしている人とか」

「全くおらん訳やない。けどな、昭和の時と違うて原石を見つけてきて、気長にそれを磨く体力と時間と金が今の芸能界にはない。すぐに数字を出さなアカンのや。それにな…考えてもみい。そんな奇特な考え方を持っているプロデューサーに出会える確率は? そして仮に出会うたとしてその人の眼鏡に叶うくらいの才能が自分にあるんか?」

「う」


 尤もな、そして残酷な指摘だ。芝居は好きだし、いくらでも努力できる覚悟は持っているつもりだ。けれど運や才能が自分に備わっているかということについては自信がない…。


 …いや。多分そういったものの類いは自分には備わっていないとすら思っている。だからこそ芝居の勉強に固執している。才能は努力で補えると信じていた。福松は極めて変なタイミングで自己分析をしていた。


 そないなシンデレラストーリーは北島マヤに任せておきや、と荏原は冗談交じり呟いた後、更に酷な現実を福松に教えた。


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