7ー1

 やがて撮影が恙無く全て終了すると、福松はプレハブの支度部屋に備え付けてあるボロいソファに腰かけて大きな息を吐いた。


「ふぅ~」


 既に山田と大野田の姿はなく、荷物も一式が無くなっていることを鑑みるに先に帰ってしまったようだった。本当なら撮影所の事や二人の所属している事務所の事などを聞いてみたかったのだが、別の機会に改めようと結論付ける。


 本来ならすぐに床山や衣装部屋に行って扮装を解かなければいけないところだが、福松は少しだけ自分に甘えることにした。それくらい今日の彼は疲労感を抱えていた。しかしその疲労感も決して陰鬱なものではない。その証拠に福松は疲れてはいるものの達成感に満ち足りた表情をしていた。


 カメラの前で芝居をする。


 長年の夢の一つが今日正に叶ったのだ。緊張の糸が切れたことも手伝って、福松は顔をほころばせてはいつもより温度の高くなった血が体を巡るこそばゆい感覚を味わっていた。ところで彼が興奮冷めやらぬ理由はもう一つある。


 それは化生部屋の妖怪たちを駆使して演出の手伝いをさせてもらったことだった。


 妖怪たちが数多く憑依しても全く苦にならないのは承知の事だったが、妖怪の力を使ってあんな魔法使いのようなことができたのが未だに信じられないでいる。CGなしであんなことができるなら、いっそ手品師や超能力者としてデビューしようかなどど荒唐無稽な妄想を楽しんでいると支度部屋の戸が叩かれた。


「はい、どうぞ」


 と反射的に返事をする。すると外にはドリさんが立っていた。かつらはつけたままだが、衣装は脱いで畳んだものを小脇に抱えている。どうやら床山に行く途中で立ち寄ったらしい。福松と同じタイミングでバラシになったのに、あっという間に片付けを済ませてしまったようだ。流石は慣れた俳優部の役者と言ったところだろうか。


 ドリさんは福松の姿を確かめると親しげな挨拶を飛ばし、そして再度お礼を述べてきた。


「いや、今日は助かったよ」

「お役に立てたんなら良かったです」

「化生部屋もスゴい盛り上がってたぞ。特に偽雲の奴なんて何故か自分が活躍したみてえにはしゃいでらあ。自分のせいで話がややこしくなったってのに」

「ま、お陰で中々ない経験をさせてもらいましたから」

「あの調子を見たらきっとまた頼まれるさ。重宝がられてもっと呼ばれるかもな」

「本当ですか!?」


 願ってもないことだ。ドリさんの言う通り、なんであれ一介のエキストラとしてはかなり存在感をアピールできたことだろう。現場に出ること機会が増えれば、更に一流の役者の芝居を生で見れるチャンスも生まれやすくなる。そうでなくとも化生部屋の妖怪たちは所作から知識から色々と教えてくれるのだから。


 とにかくデビュー戦としてはこれ以上ないくらいの手応えがあった。


 するとドリさんが福松に何かのチケットを差し出してきた。


「これは?」

「急に無茶なことを頼んじまったからな。罪滅ぼしじゃないけど、これをやるよ」


 そう言われて手渡されたチケットをまじまじとみる。そこには『無料入浴券』と大きくかかれていた。どうやらスーパー銭湯で使えるチケットのようだった。そういえば以前みなで車折神社に参詣に行った際に、近所に大きな銭湯があったことを思い出していた。


「今日はそんなものしか渡せないけど、また今度改めて飯でも行こうや」


 ドリさんはそれだけ言い残すと床山へと向かっていった。ぼうっと心地よい疲労感を楽しんでいた福松も棚からぼたもちで手に入った入浴券を見ると、さっさと粘りつく汗を流したいという欲求が出てくる。


 それからはそそくさと帰り支度をして、一時間もしないうちに件の銭湯へ向かって自転車をこぎ始めたのだった。


 先日の記憶を便りに三条通を西へ向かうと五分もしないうちにスーパー銭湯が見つかった。大きな二階建ての建物には『三城の湯』と名前が書かれている。一階が駐車場、二階が銭湯となっているようだ。道路沿いにあった駐輪場に自転車を止めると床に記された案内に従って福松は歩き出した。そして思わず感嘆の声を漏らす。入り口からして京都らしいというか、このまま映画のセットに使えるような造りだったのだ。やっぱりこの辺りは町を上げて映画産業を盛り上げたいと言う意気込みを感じる。


 お屋敷の中のような木製仕立ての階段を登る。すると自動ドアを境に急な近代的な雰囲気が漂い出した。下駄箱くらいまでは情緒を感じられたが、中は飲食スペースやゲームコーナー、マッサージ店などが並び急に商売臭くなっていた。まあ、スーパー銭湯なのだからむしろこれが当然だ。それでも和を意識した内装になっているので、時代劇的な佇まいは保たれている。


 きっとまだ撮影のテンションが抜けていないからそんなことを思うのだと、福松は自分で自分を笑った。


 番台とは名ばかりのカウンターでチケットを見せるとカードキーを手渡された。館内にいる間は入浴や全ての商品の購入をこのカードキーで処理して、帰る際に一括で精算するのだそうだ。田舎の銭湯の思い出しかしらぬ福松にとっては画期的なシステムでプチ浦島太郎のような気分になってしまう。キョロキョロと田舎者丸出しの装いで風呂場を探し、何故か緊張しながら歩き始めた。


 脱衣所も銭湯と言うよりはこじゃれたジムの更衣室といった様子だった。平日の昼日中であったので利用客は少なく、近所の爺さんや観光客風の数人がいるばかりで悠々とした気分になれた。


 福松は早々に着ている物を脱ぎ、電子式のロッカーに服を詰め込むと一目散にシャワーへと向かった。身体中に汗を掻いていたが、その中でも特に不快感が強いのが頭だ。羽二重は通気性が最悪で蒸れに蒸れている。その上頭皮には鬢付け油がべっとりとこびりついているのだ。たかだが数時間のことだったが、もう一週間は風呂に入っていないくらいの不愉快さがあった。


 いつもの三倍くらいの時間をかけてシャンプーをしてようやく頭のべたつきを取り除いた福松は、そこで初めて風呂の中を見回す余裕を持つことができた。浴室内は中々のバリエーションに富んで利用客を飽きさせぬ企業努力が垣間見えた。通常の内湯、薬湯、ジャグジー、打たせ湯に露天風呂などをつまみ食いのように堪能した福松は最後にサウナへと入った。


 木の香りと熱波とが充満した部屋に腰を掛けると、じっとりとした熱と空気に疲れを溶かす。それからは立ったり寝転んだりを繰り返して三十分ほどサウナを楽しんでいた。


 元々長風呂でもなく、サウナに慣れてもいない福松は若干のぼせながら風呂から上がった。出入口のすぐ脇に置かれていた扇風機の風がかつてないほど心地よい。先程と違って爽快感のある汗をタオルで拭いながら福松は着替え始めた。


 その時の事だ。


 福松の向こう正面にほとんど同じタイミングで風呂を出た利用客がいた。年の頃は三十を越えた辺りだろうか。筋肉質と言うわけではないが無駄な贅肉はついておらず、さっぱりとした印象を与えてくる。男はくあっと欠伸をしながらもテキパキと着替えを済ませていく。それだけの動作で銭湯通いに慣れていることが分かった。


 そうして男は伸びをしながら出口へと向かっていったのだが、福松は彼が忘れ物を指定いることに気がついた。ロッカーの上に財布が起きっぱなしになっていたのだ。


 福松は体が半分濡れている状態で服を着ると、財布を手に慌てて彼を追いかけた。


 するとカウンターのところであたふたとしている男の姿が目に入る。ポケットや手荷物をひっくり返している。もしかしなくても財布を探しているに違いなかった。


「あの…脱衣所に忘れていましたよ」

「え? あ、俺の財布。拾うてくれたんか?」

「はい。ロッカーの上に置いて出ていくのを見て追いかけて来たんです」

「いやあ、ありがとなぁ」


 と、福松からしてみればコテコテの関西弁でお礼を言われる。絵に描いたようなフレンドリーな人で気圧されてしまった。そうして大人しく財布を渡してさようなら、となるかと思いきや男は福松にこんな提案をしてきた。


「兄ちゃん、急いでるん? もし良かったら隣の食堂で一杯奢らせてや。財布を拾てくれたお礼に」

「え? い、いんですか?」


 と、予想外の展開に警戒よりも思わず欲を優先させたような答えをしてしまう。


「ええよ。ほな、すんまへん。飯食うことになったんで支払いはまた後で」


 男はカウンターのスタッフにそう言うと、半ば強引に福松を連れて併設されている飲食スペースへと歩き出した。普通のファミレスくらいの広さのある食堂は、やはり和をベースとしたコンセプトになっているようだ。しかし平日の昼間という時間帯はこちらにも影響しており、福松らを除けば二組の客しかいなかった。


 風呂と同様に慣れた動きで席についた男に倣って福松も四人掛のテーブルへと腰かける。するとすかさず聞いてきた。


「兄ちゃん、いける口?」

「ええ、もう大好きです」

「ええやん。ほな風呂上がりやし、ビールで乾杯しよか」

「はい」


 と、ここまできたなら好意に甘えてしまおうと思った。男は店員を呼ぶと何はさておきビールと簡単なツマミを頼んだ。メニューを見る素振りもないので余程通い慣れてることが伺い知れた。となると地元の人なのかもしれないと、そんな予想を立てていた。


 すぐさま運ばれてきた瓶ビールを互いに注ぎ合うと、


「乾杯!」


 と、景気の良い声を出して口を付ける。


 福松は生来酒は強いし、風呂上がりということもあって喉を鳴らしながら一気に飲み干した。そして二人は打ち合わせでもしていたかのように「ぷはっ」と小気味良い息を吐いた。


「ええやん、ええやん。もっと飲みぃや」

「あ、すみません。頂きます」


 こんな棚からぼたもちのような展開が本当にあるんだな。そんなことを考えながら二人は杯を重ねる。ツマミが来る間もなく矢継ぎ早に瓶ビールを三本も開けてしまうと、空きっ腹に流し込んだことも手伝ってあっという間にほろ酔い気分の二人組が出来上がってしまった。


「いやあ本間にいけるな、兄ちゃん」

「今さらですけど、なんだかすみません。財布拾っただけで…」

「十分やん、本間に助かったわ。あ、この揚げだし豆腐食うてや。マジでうまいねん、これ」

「い、頂きます」


 ようやく運ばれてきた細々としたツマミをもそもそと食べ始める。


 そうして腹もこなれてきた二人はビールを止めて酎ハイを頼み出す。するとオーダーが通るまでの間、会話をする間が訪れた。


「そういや兄ちゃんは観光か?」

「いえ。もうちょっと南の梅津ってところに住んでますよ」

「へえ? にして関西弁は喋らんのな」

「宮城県から越してきたばかりなんです。だから地理も言葉も全然」

「ああ。なるほどそういうことか。なら俺のことも知らんよなぁ…」


 男の意味深な発言が福松は気になった。そして更に男は言葉を続ける。


「越してきたんは仕事で?」

「はい。実は役者を目指してまして。今日もこの先にある梅富士撮影所からの帰りなんですよ」


 と、別段隠している必要もないと思い真実を打ち明ける。


 フランクな性格の人だったので、てっきり食いついて来て根掘り葉掘り聞かれるんじゃないかと思った。しかし、実際の反応は真逆のものだった。男は今までのテンションが嘘のように冷めた視線を送ってきていたのだ。


「…お前、役者か?」

「え? あ、はい」

「ほーん。けったいな話になっちまったな」

「どういう、事ですか?」


 何か失礼な事を無意識的に言ってしまったのかと疑心暗鬼に陥る。男は残っていたビールをぐいっと飲み干してから言った。


「因みに今日の現場は? 国見組の『霧の刃』じゃないのか?」

「え? 何で分かるんですか?」

「俺も出てるから、霧の刃は」

「…って事は役者さんですか? えっと…」


 ここまで話を聞いて福松はまだ眼前の男の名前を聞いていないことに気がついた。そしてそれを察したのか、男は今更ながら素性を明かしてきた。


「俺は#荏原__えばら__#。『シュライン』ってコンビ組んで芸人もやってんねんけどな」

「ぼ、僕は福松と言います。よろしくお願いします」


 まさかこんな風に同業の人間に会えると思っても見なかった福松は慌てつつも、笑顔で取り繕った。しかしそれは逆効果になってしまう。荏原と名乗った男は更に眉間のシワを増やして今までのフレンドリーさが嘘のように思い声を出してきたのだ。


「笑てる場合とちゃうぞ? 役者を目指してるんやろ? かなり失礼なことしてるのは分かってるか?」

「え?」

「エキストラで出たってこと?」

「あ、はい…」

「今日、撮影だったってことは現場入りしてんねやろ? なら台本は…聞くまでもないか。自分の出てるシーンを確認したくらいか?」

「…」


 図星だったので福松は沈黙を答えにする。それよりもこの状況と、荏原の雰囲気の変貌ぶりについていくのがやっとで思考が上手くできていなかった。


 なぜこんな剣幕で自分は怒られているのか、こんな重苦しく詰問されているのか。それの理解が追い付いていない。そんな福松に荏原は真意を打ち明けてきた。


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