4ー3

「失礼します」

「あ、お兄ちゃんだ」

「民ちゃん。こんにちは」


 福松はドリさんの指示通り、浴衣のまま荷物を持って化生部屋を尋ねた。今日はそれほどまでに妖気を感じなかったので待機している妖怪は少ないと思っていたが案の定だった。


「先週はありがとう! お外に出れて楽しかった!」

「良かった。またみんなでお出かけしようね」

「うん!」


 無垢な笑顔を向けられると福松もつい綻んで蕩けた様な顔をしてしまう。しかし目敏いもので、例えば子供を溺愛する親や甥姪を可愛がる役が来たときはこんな顔をしようと頭に今の感情や表情をインプットしていた。


 そして民子に促されるままに座敷へと上がり、一緒に食べようと思って持ってきていたお菓子をテーブルに広げる。福松はしばらくでお茶を飲みながら、講義の疲れを癒していた。


「今日、他の皆はどうしたの?」

「んーとね。撮影とか休憩とかでいないの」

「じゃあ民ちゃんだけ?」

「違うよ。今、二階で女妖会やってるの」

「女妖会?」

「うん」


 単語の響きに福松の胸が少し高鳴った。言葉の意味は分からないが何とも甘美な魅力を感じる。そうでなくとも気になる集まりであるのは確かだった。


 なので福松は素直に民子に詳細を尋ねてみる事にした。


「ねえ、女妖会って何?」

「撮影所の綺麗な女の妖怪が集まってお茶を飲みながらお話してるの」

「…へえ」


 要するに女子会をやっているのだろうが説明を聞いた途端、福松の中に妙なやる気が沸いた。二口女の結を始めとして化生部屋にいる女の妖怪は見目麗しい場合が多いからだ。何でも人間の男を誑かすために、時代に合わせて多くの男が美人と思う顔に変わっていくそうな。だから百年ほど生きている妖怪であっても、昔と今とで顔が違うのだという。


 そんな妖怪うんちくはさておき、二階でやっているというのなら男としては是非とも覗いてみたい。福松は荷物を置くと挨拶するという言い訳を盾にして階段をそうっと登り始めた。がやがやとした賑わいから察するに恐らく4,5人くらいの集まりではあるようだ。


「お早うございます。福松です」

「おや、福ちゃんかい。ちょうどよかった、お上がんな」


 すると嬉しいお誘いが飛んできた。かくして福松は棚から牡丹餅よろしく美女軍団の車座に加えてもらう事が叶った。唯一想像と違ったのは、見た目の平均年齢が九十歳くらいだった事だろう。


 砂かけ婆の真砂子を始めとして二階にいたのは、柳婆の燕、小豆婆のおこわ、蛇骨婆のくちなわ、重箱婆のカサネという梅富士撮影所の美老女の揃い踏みだったのだ。福松は役者の意地で心に過ぎった様々な感情を顔に出さない事に集中した。


 それから福松はあれよあれよ言う間に座らせて菓子とお茶を差し出されると、祖母の家に来たかのような錯覚を覚えつつ茶飲み話に興じた。そして次から次へと質問攻めが始まる。


「真砂子さんに聞いたよ。どれだけ憑りついても平気なんだって?」

「まあ、この間くらいなら平気そうでしたね」

「アタイらも連れだしておくれよぅ。久しく買い物も禄にできちゃいないんだ。ドリさんを休みの日に連れまわすのも忍びないしねえ」

「はい。僕でよければお付き合いしますよ」

「本当かい!?」

「アタシも日帰りで構わないから温泉にでも連れて行ってくれないかしら?」


 などと福松が話題の中心に置かれ、会話が盛り上がっていく。それを注して聞いていると言葉のチョイスや嗜好こそ渋いが、人間の若い女がするようなトークと大差はないように感じる。


 思えば山形にいた頃の近所付き合いでもおばば達は似たような話題を口にしていた。福松の祖母が集まりのボスのようなポジションに納まっていたので、子供の頃から婆さんたちの車座に加わることが多く、こういう場は実をいうと苦手ではない。


 そんな事を思い出すとつられるように婆様達から言われていた言葉が頭の中に蘇った。


 曰く、


「世の中で一番敵に回してはいけないのは身近の婆さん」


 との事だ。それの正誤は分からないが、少なくともこの撮影所で今ここにいる老女たちに逆らってはいけないというのは本能的に感じ取っていた。


「しかし驚いただろう? こんなにお化けが沢山いて」

「ええ、まあ。驚かなかったと言ったらウソですけど」

「こんなに凄い素質を持った子が来るのも久しぶりだし、驚いたのはお互い様だけどね」

「福ちゃんはお化けが怖くないのかい」


 面と向かって本当は今でも怖いと思っているとは流石に言えなかった。しかしその反応が何よりも雄弁に彼の心情を語っていた。


 だが別段怒られるようなことはなった。


「いいんだよ。人間に怖いと思われなきゃアタシのあいでんてぃてぃに関わるからね」

「けど、そんなに凄い素質を持っていて今まで一度もお化けを見たことがなかったのかい?」

「ええ、そうなんですよ。それは僕も結構気になってまして」


 自分ではまるで自覚していないが、ここまではっきりと妖怪が見えるのに今まで気が付かないなんてことがあるのだろうか。学生の頃は悪ノリして友達数人と心霊スポットに肝試しに行ったりしたこともあったが、別に何かを見たりしたことはなかった。


 すると真砂子がぼそりと言った。


「ひょっとしたらここに来たことがきっかけかも知れないね。今までもここにきて急に霊感に目覚めた奴もいなくはないし」

「そうなんですか?」

「ああ。スタッフの中にも長い間この撮影所にいたせいで色々見えるようになった子もいるしね」

「曰くつきの撮影所だね」


 誰かがそう言うと妖怪たちは高らかに笑い合った。唯一苦笑いで応えていた福松はふと思い立って話題を変える。


「ああ、そう言えばなんですけど」

「なんだい?」

「今言った通り昔は霊感がなかったもので、お化けとかに興味はなかったんですよね。でもそれじゃ申し訳ないなと思って最近は妖怪の事について調べてるんですけど…」

「あら、嬉しい」

「ただ本に載っているような事を鵜呑みにしてしまっても大丈夫なんですか?」

「ま、基本的な事はそれでいいけどね。ただ挿絵を信じちゃいけないよ。アレはまるっきり人間の勝手な想像だ」

「実際はもっと美しいんだ」

「「あっはっは」」


 老婆たちは声を揃えて高らかに笑った。福松の頭の中に子供の頃に見た山姥の出てくるアニメの映像がちらつく。


 すると真砂子が言った。


「それに本もいいけど直接聞いた方が手っ取り早いこともあるだろう。この間の棒手振りみたいにね」

「ええ。それをお願いしようかと思ってたんですけど…いいですかね。聞いてしまって」

「構いやしないさ。むしろ知っててもらわないと困ることだって沢山あるからね。時代劇の事も妖怪の事も何だって聞いておくれよ」

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