第三十六話 レイラ
案内されたのは円形の食卓だ。食卓に付属する木椅子は二つ。
視線を右に逸らすとソファーがある。ソファーのすぐ側には窓があり、窓の先には花木が生い茂るベランダが見える。
視線を左に逸らすと台所、陽気に調理器具を動かす少女の背中が見える。
「ふんふふーん」
風の魔術でも使っているのだろうか?
指を動かすだけでフライパンが浮かび、おたまが動き、皿が空を闊歩して用意される。彼女が人差し指をピッと上に向けるとフライパンに火が付いた。
すげぇな。
これだけ器用に魔力を操れるなんて……オレが知らないだけで、魔術師はみんなこれぐらいのことはできるのか?
オレがなにか話を切り出そうと口を開こうとした時、彼女はオレの方を振り向いた。
「レイラ=フライハイト」
「ん?」
「わたしの名前だよ。
――あ、待って待って! 君の名前は言わないで!
当てたいから!」
彼女は人差し指を上唇に当て、「うーん」とオレの顔を観察した。
顔を観察したところで、名前に辿り着けるとは思わないが。
「“レオン”でしょ!?」
「違う」
「“アレン”ッ!!」
「全然ちげぇよ……」
彼女は右こぶしを腰に当てながら「うーん……」と
考え込みながらも調理器具は淡々と料理を作り上げていた。
ほとんど無意識に料理という難しい作業を
マジで凄いな。
「ヒントちょうだい!」
「はじめの文字は“シ”だ」
「“シェーン”ッ!」
それから何度も間違いを繰り返し、ほぼほぼ答えみたいなヒントを出して、ようやく彼女はオレの名を口にする。
「“シール”! 絶対“シール”でしょ!」
ようやく終わった……。
「正解。オレの名前は“シール=ゼッタ”だ」
パリン。と皿が割れる音がした。
レイラが魔術で操っていた皿が地面に落ち、割れたようだ。
オレは立ち上がり、台所へ入ってレイラの顔を覗く。
「おいおい! 大丈夫か?」
オレは問う。
レイラは体を震わせ、「まさかね」と笑った。
「どうした? 顔色悪いぞ」
「ううん、なんでもないよ。
シール君。もう少しで料理できるから、待ってて」
どこか動揺している彼女だったが、深く突っ込むのはなぜか憚れた。
触れると火傷する気がした。
待つこと数分、宙を舞って皿が食卓に並び立つ。
全五品。
緑の野菜が浮いた大自然カレー。
紫色のコーンが入っているスープ。
魚介が詰まったパイ。
円形に花ビラのように広がるサラダ。
見たことの無い赤と青の果実で彩ったゼリー。
どれもこれもうまそうだ。自然と腹が鳴る。
彼女は食卓を挟んで向こう側に座り、両手を広げた。
「召し上がれ♪」
オレは木のスプーンを装備する。
「そんじゃ遠慮なく、いただきます」
両手を合わせ、スプーンを前に。
まずはカレーをひと掬い、口へ運んだ。
「ふむ」
――なるほど。
ここでようやく、オレは窮地に立っていることに気づいた。
なるほど、クソ不味い。
カレーなのに粘っこい、味が喧嘩しまくっている。
本当に不味い物を食べると人って冷静になるんだな。『まずっ!?』とかリアクションが取れるレベルじゃない。
正面を見ると、“どう? 美味しいでしょ”って顔でレイラがこちらを見ていた。
いや、まだ絶望するのは早い。
カレー以外は美味しいかもしれない。
オレはスープにスプーンを向ける。
透明の液体、特に深い味付けはされてなさそうだ。
これが不味いってことはないだろう。と思いつつ、口に付けて眉をひそめる。
泥を
この調子だと全部こうだな。
――さてと、
男として、ここでハッキリと『不味い』とは言えないだろう。
大丈夫、オレは泥水を啜ってきた男。オレの手に掛かれば調味料一つで泥水を絶品スープに変えることができる……!
オレは食卓中央に設置された調味料へ右手を伸ばす――
「……。」
視界に入ったレイラが、眉を八の字にして、心配そうにオレを見ていた。
オレがレイラと目を合わせると、レイラはハッとして笑みを作った。
「ごめんね。気にしないで……わたしの料理を食べるとね、みんな調味料いっぱいかけるの。
べ、別にいいんだよ! 今日はさ、結構濃い味にしたんだけどね……いいよ、いっぱい使って」
んなこと言われて使えるか!!!
オレは伸ばした手を引っ込める。
なら作戦2だ。
ありったけ口の中に飯を溜めて、トイレで吐き出す。非人道的だが仕方あるまい。
「トイ――」
オレがトイレの名前を出そうとしただけで、レイラは困った顔をした。
これは調味料と同じパターンだな……。
――覚悟を決めろ。
オレの中の漢が叫ぶ。
最低限の咀嚼をし、水で流し込むしかない。
オレはスプーンを握り、カレーへがっつく。
――赤い野菜、咀嚼三回で十分。
スプーンで触れた感覚のみで咀嚼回数を暗算する。
――緑の野菜、咀嚼二回。
――プチプチ米、咀嚼一回。
――ジャガイモ、咀嚼四回。
よし、この調子なら……!
「なっ……!」
絶望。
心が沈みゆく。
スプーンで皿の底からすくい上げたそれは、白く、ネトーッと伸びていた。
――餅。
――餅だ。
――カレーに餅!!?
咀嚼、何回だ?
コイツは油断したら命に関わる。咀嚼回数を渋れば喉に詰まって死ぬ、咀嚼回数が多すぎても不味くて死ぬ。
どっちの道も――デッドエンド。
「……。」
オレは地獄の淵へ、その足を進めた。
---
食べ終わった後、不思議と胃もたれはしなかった。逆に体の調子は良くなったと思う。栄養バランスは良かったみたいだ。
ただ精神的には地の底だった。
口に残る知らない味の数々……むしろ褒めたたえたくなる。どうすればあそこまで全ての料理を未知の味に出来るのか。
「うそ……やった!
はじめて完食してもらえた!」
オレが空にした皿を見て、レイラは口元を緩ませてはしゃいだ。
オレは食卓に突っ伏しながらも、彼女の笑顔を見て安堵する。まぁ、努力した甲斐はあったかな。
「飯もご馳走になったし、そろそろ出るよ。
これ以上迷惑はかけられない。
服は明日か明後日には返す」
「服は返さなくていいよ。どうせ捨てようと思ってたやつだし。
どこか行く宛てはあるの?」
「一応……な」
――“なにか困ったことがあったら〈マザーパンク〉に居るパールって騎士を頼ってね”
ソナタの手紙に書いてあったあの一文。
パール……恐らくは爺さんの牢を訪れたあのオッサン騎士。あの人を探してみるか。
ついでにシュラ達とも合流出来れば最高だな。
「レイラ。パールって名前の騎士を知ってるか?」
「え? パールおじさんのこと?」
「知ってるみたいだな」
「うん! おじいちゃんの知り合いでね。昔から可愛がってもらってたから。
でもまだ帝都から戻ってないんじゃないかな? 明日ぐらいに帰ってくるって言ってた気がするけど」
明日か。
一日ぐらい、飯食わずに野宿でも大丈夫だな。少しだけ昔の暮らしに戻るだけだ。
「もしかして、今日一日は外で寝ようなんて、思ってない?」
「……。」
「ふふっ、わかりやすい反応。
君さえよければ、今日はウチに泊っていかない?」
下から、すくい上げる様な視線で彼女は言う。
「純粋な疑問なんだが、レイラはどうしてそこまでオレに色々と面倒をかけてくれるんだ?」
「う~んとね、そうだね。
まただ。
また彼女は寂しそうに笑った。
「なんだそりゃ、新手の口説き文句か?」
「そう思ってくれてもいいよ」
「じゃあ大人しく口説かれるとしよう。
今日一日、部屋をかしてください」
オレは軽い頭を下げる。
「いいですとも。
あ! 夜這いしようとか思わないでよ!
あくまでこれはただの善意。わたし、別にシール君のこと好きとかそういうのじゃないから!」
頭を上げるとレイラは胸の部分を両手で隠して「むー」っとオレを睨んでいた。
「夜這いって、どこで覚えたんだ? そんな言葉……」
「わたしすっごく強いから、返り討ちにしちゃうからね」
怯えるオレを見て、クスクスと彼女は笑う。
彼女は繊細で、絵画に描かれる女性のように粗の無い容姿をしている。
一滴、絵の具を垂らすだけで全てが崩れてしまいそうな――そんな
「ねぇシール君。
明日、パールおじさんに会う前にさ」
「おう、なんだ?」
「デートしよ。この街、案内するよ」
彼女は、自分の容姿が優れていることを自覚している。絶対に。仕草の作り方や表情の作り方が見事に男心を掴むようにできている。
頬に薄っすら紅色を彩り、頬杖をついて口元を小さく吊り上げる。水色の瞳はジッと、オレの瞳の奥を覗いていた。
不覚にもときめきそうになった。危ない危ない……今まで会ったことのないタイプだな。魔性、妖艶。こういう奴のことを言うんだな……。
――――――――――
【あとがき】
『面白い!』
『続きが気になる!』
と少しでも思われましたら、ページ下部にある『★で称える』より★を頂けると嬉しいです!
皆様からの応援がモチベーションになります。
何卒、拙い作家ですがよろしくお願いします!
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