一章──かくして剣は振るわれる

第2話

 どこまでも透き通った青空の下、荒れ果てた大地に岩石が乱立する乾燥した土地を一組の男女が道を進む。


「だぁ、何なのコイツッ……足一本ない分際で重すぎるでしょ!」


 一人は岩石の如き表皮を有するロックリザードを乗せた台車を引き、不満を零す少女。

 アリオーシュは日差しを避けるよう、目深にフードを被って赤髪を隠す。一方で鋭利な緋の目は影の中でも強烈な印象を見る者に与え、剥き出しの嫌悪は天にすら唾を吐きかねん程に。

 同時に未整備な荒地に台車が突っかかる度に舌打ちを零し、同行する男に不安を抱かせる。


「このサイズのロックリザードで表皮も剣を通さない程度に分厚い。そりゃ重いだろ」

「冷静な解説はいいからッ。イライラするッ!」

「そんなにいうなら代わってやろうかー。どうせ俺は疲れてねぇし」

「それもいいッ。これは私が失敗した罰だから!」


 初志貫徹。

 アリオーシュの態度は弟子として好感が持てるものの、意地でも主張を曲げない様は時として面倒でもある。

 たとえば、怪我した身で魔物を乗せた台車を村まで引くなどと宣う時。

 元々ロックリザードを単独で討伐できれば台車をクロムが引く約束であった。それは事実であり、慢心さえしなければ勝てる相手だと目測した上で送り出したのも間違いない。

 だが、まさか明確な敗北を経てなおも意地を張るとは予想外。


「なー、考え直してくれよー。このままじゃ野宿も視野だぜー?」


 せっかくの水の心配が不要の村に滞在しているのだ。敢えて外で一夜を明かしたいなどと血迷うはずもなく。

 ある意味では当然の訴えをしかし、退路を常に捨て去ったような少女には届かない。


「だったら馬鹿クロムだけでも先に帰ったらどうなの?! 私一人でも、押して、帰れば問題はない、でしょ……!」

「んなこと言ったってさー……」

「わざわざ付き合う義理はないって言ってるでしょ!」


 最早ヒステリックとも称せる態度に喉の心配をするものの、クロムは大仰に肩を竦めて縮れ毛を揺らす。

 せっかく寝れるならばベッドの上がいい。

 首を上下させて一人頷くと、男は歩幅を落としてアリオーシュの視界から外れた。

 その様をどこか名残惜しそうに眺めるも、少女はやがて気持ちを切り替えると台車を押す腕に力を入れる。


「そうよ、それでいいのよ……どうせ他人なんてそんなもん」


 燃え盛る王城。喜々として処刑を敢行し、下卑た王家と同類にまで堕落した愚民共。

 台車を握る手に無闇な力が籠り、血走った緋の瞳孔は怒気に狭まる。噛み締めた唇から血が滴り、青空にすら殺意を抱く。

 そうして膨れ上がった怒りに視界が真紅に染まる寸前。


「ん?」


 突然、台車が誰かに押されたように軽くなる。

 まさか無関係な善人が力添えをしたなどと考える程にお人好しではなく、そも他者に好き好んで助力を願う性格でもない。

 アリオーシュは背後へ移動したであろう姿を見せない師匠へ、狂犬よろしく怒鳴りかけた。


「おい馬鹿クロムッ。助けは要らないっていったでしょッ!」

「おいおい、俺が台車を押してるって証拠はどこにあるよ」

「軽くなったッ。これで理由は充分でしょ!」

「だったら押してるところを現行犯で見てみな、アリオーシュ」


 実際クロムが台車を背後から押しているのは間違いなく、故にこそ先程から荒れた道筋をスムーズに進めている。

 だが、決定的な証拠だけは皆無。


「クッ……!」


 奥歯を幾ら噛み締めても千里眼が習得できる訳でもなく、結果としてアリオーシュは彼の助力を享受する。享受せざるを得ない。

 そうして移動効率を高めて数刻。

 緋の瞳は一定間隔に設置された水晶を捉えた。


「はぁ、魔避けの魔石よ……サントの村に着いたみたい」


 仕方なく助力を受け入れたアリオーシュが呆れた声音で告げた。

 魔素の吸収効率が極端に高く体内からでも容赦なく奪い去る水晶を魔物は嫌い、そこに人が生息していると理性では理解しても本能が忌避する。月明かりの届かぬ深夜でも光輝く透き通った安全圏を人々も目印とし、旅先の目安としてきた。

 二人が滞在しているサントの村も、そうして最悪──魔物の襲撃を退けてきた集落の一つである。


「おぉ、クロムウェル様に様が帰ってきたぞ!」

「あれはロックリザードの死体ッ。討伐して下さったのか!」


 誰かが姿を認めた途端、村の入口で待ち受けていた村人が口々に二人を歓迎する。

 賞賛の嵐にクロムは手を上げて応じ、対照的にアリオーシュは機嫌を悪くして歯軋りを繰り返すのみ。


「英雄の凱旋は愛想よく応じるもんだぜ、アリオーシュ」

「うっさい。どうせすぐに掌返す馬鹿に振る舞う愛想なんてないわよ」

「どこにそんな態度悪いのがいるよ」


 師匠からの問いかけに、弟子は顎でしゃくって家屋の一角を指し示す。

 幾つかの岩石を組み合わせて内側をくり抜いた家の裏、影に紛れるように隠れた男達は確かに敵意を滲ませていた。

 それこそ、直接注がれた訳でもないクロムにも容易に判断できる程、露骨に。


「……確かに、でもアレは掌返しじゃなくて剥き出しの悪意だろ」

「ハッ、それをわざわざ分ける意味が──」

「クロムウェル様、トルエライト様!」


 二人の密談に割り込む鈴の声音に、クロムは気怠い表情を努めて明るくする。

 編み込まれた緑の髪を腰まで伸ばしつつも、目の下には幼い体躯には不釣り合いな苦労を伺わせるクマ。上下一体のロングスカートに上からカーディガンを羽織った少女は、魔物の死骸を持ち運んだ男達へ花のような微笑を送った。


「おぉ、お出迎えご苦労さん。アクエちゃん」

「クロムウェル様こそ、ロックリザードの討伐お疲れ様です!」


 微笑に対して快活な笑みで返すと、クロムはしゃがんで近づいてきた少女と目線を合わせる。


「にしても、俺らにお出迎えなんて不要なのに。なっ、アリオーシュ?」

「それは同意ね。こんな恩を売るためだけの機嫌取り……この労力で畑でも弄ってる方がいいじゃないの?」

「ト、トルエライト様……恩を売るなんて、そんなことは……」

「この捻くれ馬鹿ッ」

「いッ!」


 アクエの顔色を曇らせた罰とばかりに脛を蹴ると、アリオーシュは目に涙を浮かべて睨みつけた。が、誰が悪いのかなど明確な以上、クロムに下げる頭などない。

 サントはストン民国の僻地に位置し、荒れ果てた大地は野菜を育てるのにも適さない。その上、隣国の政情不安に引き摺られてか、国境線に存在するグラヴォル山から魔物が流出しているのだ。

 ストン民国自体は肥沃な大地でストンポテトを筆頭とした名産品を有するのだが、痩せた大地で育てるには環境が劣悪。故に本来なら行商団が定期的に村を訪れるのだが、近頃は魔物を嫌ってかめっきり姿を現さなくなってしまった。


「これで行商団の方もまた来て下さればいいんですけど……」

「ハッ、国に見捨てられたなんてなんともお粗末な……」


 馬鹿の言葉を遮る脛蹴りが、再度悲鳴を轟かせる。


「ごめんね、アクエちゃん。この馬鹿は放っておいて、君の手料理が食べたいかな」

「あ、ありがとうございます。クロムウェル様……」


 気遣う男の言葉に、アクエは目尻に浮かんだ涙を服の裾で拭う。

 物資の枯渇した村が出せる報酬などたかが知れている。

 旅の途中でサントを訪れたクロム達へ提示した報酬の一つが、村長代理直々の手料理であったように。

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