王剣真儒──祖国を追われて歪んだ王女は自国の元騎士に師事した旅で善意に触れる
幼縁会
第1話
殺意を握る、固く硬く握り締める。
眼前の魔物への、愚劣なる王族への、愚鈍なる民衆への。
ただただ全てを殺し尽くすという昏い情熱を秘めて、剣を固く握り締める。
「おーい、あんまり力むなよー。アリオーシュ」
「うっさい黙れ馬鹿クロム!」
横合いの岩に腰を下ろし、気怠い雰囲気を放つ男が茶々を入れる。一方の入れられた側の少女──アリオーシュは奥歯を噛み締めつつ、眼前に立つ脅威から緋の目を逸らすことはない。
子供程度なら丸飲みに出来るのではと錯覚する大きな顎に男が座る椅子よりも頑強なる岩石の表皮。地を這う四肢とは対極的に掲げられた尾は、並大抵の生物相手ならば掠めるだけで骨を砕く。
魔物図鑑を手に取り、文字を読める人間ならば容易に正体を掴めるであろう。
魔物、ロックリザードであると。
唸りを上げて警戒の意思を示す魔物の双眸は、しかと獲物たる少女を捉えた。
「チッ、ムカつくな。魔物無勢が……!」
ローブの奥に隠れた赤髪は耳の辺りで整えられ、派手な髪色を強調する肌は雪のように透き通っている。身に纏うワンピースは薄汚れ、両手を覆う籠手もまた表面に幾重もの傷を残していた。
アリオーシュは勝気に口端を吊り上げると、右手に握った片手剣を大きく振り被る。
「舐めんなッ」
力強く踏み込み、太陽を背に跳躍すると自由落下に合わせて白刃を力任せに振り下ろす。
同時に白刃から噴き出す炎もまた、少女の刃に矮躯らしからぬ出力を付与。
しかし、アリオーシュの期待とは裏腹に無骨な剣は岩石の如き表皮を切り裂くには及ばず。右前足に刃を半ばまで食い込ませるも、そこで勢いは殺し尽くされ後には続かない。
得物を鱗で捌くのは慣れているのか、ロックリザードの尾は動きを止めて舌打ちを零す少女の腹部へ照準を合わせる。
「ハッ」
自身へ迫る死の気配。爪牙を持たぬ人類の叡智たる武具の不良。
卓越した剣士であろうとも狼狽え、多大な隙を晒す状況を前にアリオーシュは鼻で笑うと右手で掴む柄へ更に力を加える。
強く、強く。
柄を握り潰すことが目的ではないかと疑う程に。
「……」
男の怪訝な表情など意にも介さず、少女の刃からは溢れるばかりの炎が湧き立つ。
「グオワァッ!」
「黙ってろってのッ。魔物が!」
炎の出力が増すにつれて右前足に食い込んだ刃が一層深まり、ロックリザードは大口を開けて大気を震わす。
激痛に支配された状態で正確な攻撃を仕掛けることは叶わず、伸ばされた尾はアリオーシュが曲芸めいて身体を逸らすだけでローブの端を掠めるに留まった。
更に空いた左手で伸び切った尾を掴むと、再度の刺突を食い止める。
魔物の怪力も、膨大な魔力で強化されたアリオーシュの前では決定的な優位となり得ず。誕生の瞬間より人間の屠殺を運命づけられた怪物は、今ではただの小娘一人に苦戦を強いられている。
「そぉらッ、ぶっ斬られろッ!」
天すら焼き焦がす炎が蒼穹の一角を照らし、宙に魔物の足を飛ばす。本来付随すべき夥しい流血も、アリオーシュの操る炎熱が即座に炭化させたことで大気へと消え去る。
「ハッ、これで次は……ダァッ?!」
四肢を斬り落としたことで勝利を確信したアリオーシュに待っていたのは、半狂乱に陥ったロックリザードの尾による振り回し。
地を掴むべき力場を失い、左手だけが魔物と繋がっている状況。膂力は尾を留める効力を失い、アリオーシュとロックリザードを繋ぐ点としてだけ機能する。
「はぁ、言わんこっちゃない……」
「ダァッ。こ、の……!」
「おい、今不用意に尻尾を切ったら……」
「ガァッ!」
男の忠告も時既に遅し。
アリオーシュの肉体は撃ち放たれた弓矢よろしく慣性に従い、やがて荒れた地面を転がる。数度跳ね回る躯体からは薄い血が零れ、白肌を朱に彩った。
少女にとっての不幸は、制御の効かない身体を止めたのが荒地に乱立する岩石の一角であったこと。
蜘蛛の巣状の亀裂を幾重にも刻みつけ、緋の瞳が数瞬ながら魔物の姿を見失う。
「が、ど、こに……!」
青空。
荒れ果てた大地。
呆れて溜め息を零す馬鹿クロム。
そして正面に立つ深淵へと繋がる顎を開いた魔物。
身体に叩き込まれた得物を手放すなの教訓に倣い、握り締めた剣の切先を闇へと向ける。
が、未だ血を滴らせた尾が一足早く振り下ろされ、刀身が地面を舐めた。深く食い込む様は右手越しでも即座に引き抜けないことは明白。
即ち、迫る顎を遮る手段はなく──
「はい、ここまでだ。アリオーシュ」
少女の瑞々しい肉体を堪能せんと閉じられた顎は、しかして寸前の所で男の手で遮られた。
少女と同様に腕を覆う手甲の他、脛や左肩にも傷だらけの鎧を装着し、大柄な服をロープで強引に結んだ姿は衣服への無頓着さを如実にする。人肉の腐った吐息に揺れる縮れ毛は肩まで伸ばされていた。
そして普段は半開きの黒目は、確かに弟子を傷つけた存在への敵意を滲ませている。
「馬鹿、クロム……邪魔、だ……!」
「お前の負けん気は買ってるけどよ、こういう時くらいは素直に頼れ」
「うっさい、黙れっての……こんなヤツ、私、一人で……!」
クロムの背中を射殺さんばかりに凝視するも、殺意は身体を動かす動力となり得ず。
剣先を地面に突き立てて杖代わりにふらつく身体を起こすので精一杯。額より滴る脂汗は、彼女が戦線に立つのに不適格であると主張していた。
そして弟子の不甲斐ない姿に、クロムは再び溜め息を零す。
「はぁ……あのさぁ、俺は言ったよね。力むなって」
言い、クロムは背負った両手剣を右手で掴む。左手はロックリザードの顎を掴んでいる以上、片手で刃を担う他に打つ手はなく。
意味するものは白日に晒される黒刃。
薄く、鋭く。
暴力的な奔流とも呼ぶべきアリオーシュのそれとは大きく性質を異とする魔力は、存在が希薄とさえ言えた。が、大口を開けたロックリザードは俄かに目蓋を開くと、微かに震える。
「力を加えるのは剣を振るう瞬間だけでいいの。魔力だってタダじゃない、垂れ流すんじゃなくもっとこう……噴き出す部分を絞る感じで」
アリオーシュへのレクチャーを饒舌に語るクロムとは対照的に、黒刃に詰まる魔力の密度は魔物に恐怖を抱かせる。
咄嗟に三指で距離を取り、男の動向を注目する程に。
だが、隙を伺うのは明確な失策。
距離を詰めるべく膝を曲げると、足に蓄積した魔力を瞬間的に放出。一陣の風が過ぎ去ると、黒刃を担う男はロックリザードの後方で剣を振り抜いていた。
「たとえば。こういう風に、な」
「……!」
思わず大口を開いて驚愕を露わにするアリオーシュ。
彼女が苦戦したロックリザードがいとも簡単に、首を地面へ落としていたのだから。
遅れて地響きを立てて残る身体を地面に預けた魔物は、切り口から多量の血を滴らせる。最初の数秒こそ痙攣を繰り返していたものの、やがてそれも停止すると体内に蓄積した魔素を排出し始めた。
「後さ、ロックリザードは表皮が堅牢でな。力づくで斬れたのはすげぇが、ま、褒められたやり口でもねぇ。関節狙って確実に攻め立てるのは常道だ。
人間ならもっと頭を使え、頭を」
額を指で叩き、強調してくる師匠の悪戯な微笑に視線を逸らす。が、自身に非があると理解しているアリオーシュは嫌々といった風に言葉を紡ぐ。
「チッ……分かったよ。馬鹿クロム」
腹立たしげに奥歯を噛み締めると、緋の瞳を上へと向けた。
透き通った青空には雲一つなく、外敵のいない中をどこまでも自由に鳥が舞い踊る。
クローズ・クロムウェルとアリオーシュ・トルエラ・ルビィライトが出会い、師弟の仲として修行の旅に出て半年。
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