第45話 ドーラ

 父親の仇が目の前にいた。


 オロシュハーザ・イレーン。いや、王女アールパード・イレーン。


 ドーラは盗み出した剣を手に、魔術を使おうとしているイレーンに忍び寄る。イレーンの視線は門前の魔族に釘づけになり、その口は詠唱を紡ぎ、短剣は規則的な動きを繰り返す。


 もう数歩進めばイレーンに剣が届く。今まで散々邪魔してくれたレヴェンテは魔族との戦闘に掛かりきりになり、イレーンを守る人間は誰もいない。そしてイレーン自身も大魔術を使おうと意識を集中し、喉元に迫る危険に気付くわけもない。


 親戚もなく頼れる人もおらず、しかし男手一人でドーラを育てた父親は、イレーンの魔力暴走を鎮めるという任を受け、暴走に巻き込まれて死んだ。母を早くに亡くしたドーラにとって唯一の家族は、国によって真実を隠蔽されて事故死として処理された。


 匿名の手紙によって真実を知らされたドーラの胸中に沸き起こったのは、怒りと正義感だった。父親を殺した犯人がのうのうと生きているのも悠々と学院に通おうとしているのも許せなかった。何より、それだけの危険人物が堂々と暮らし、また悲しみを生み出そうとしているのが見過ごせなかった。


 イレーンがすぐそばにいる。手を伸ばせば届く距離にいる。ドーラは剣を持ち上げ、イレーンの首に狙いを定める。


 一瞬、イレーンの視線がドーラに向いた。焦りが、反射的にドーラに剣を振らせる。しかし寸前で手が止まり、ドーラは歯噛みした。


 学院で初めてイレーンを見かけたとき、ドーラが想像していた尊大で厚顔無恥な王女はいなかった。そこにいたのはオロシュハーザを名乗るどこの家とも知れない貴族の娘で、誰とも距離を置いて孤独に生き、貴族たちの下らない派閥争いにも静かに耐えていた。


 情報収集を兼ねてイレーンに近づくと間もなく、イレーンは行動を始めた。それが派閥争いを主導するザヒール派を失脚させることだった。想像していたイレーンなら、そんなことをするわけがなかった。


 それにイレーンの言葉や態度から端々と感じるのは、魔術を異常なまでに忌避していることだ。しかしザヒール派にドーラとイレーンが誘拐された際、現れた魔族にドーラが襲われそうになると、イレーンは躊躇なく魔術を使ってドーラを助けた。


 全てが想像していたアールパード・イレーンと違った。心に刺さった違和感の針はどんどん長く太くなり、それでもイレーンを殺そうとした。捕まってもなお抜け出して、こうしてイレーンの命をどうこうできる距離に迫っている。


 あと少し、ほんの少しの力で父親の仇であるイレーンを殺せる。唯一の家族だった父親の憎き仇が、ほんの僅かに手を滑らせたぐらいで殺せるところにいる。


 それなのに、手が微動だにしない。本当に殺していいのかと頭と心が訴えかけてくる。


 イレーンを確実に殺せる機会は、これで二度目だ。一度目はザヒール派にわざと攫われた後、魔族騒ぎが起きてイレーンと二人きりで学院に帰った時だった。


 イレーンは魔術でドーラを助けたのみならず、帰り道でずっとドーラを気遣って安心させようと声を掛け続けていた。困惑のあまり復讐の刃が止まり、結局何もできないままひと目のある学院に着いてしまった。


「……なんで父を殺した、答えろ!」


 ドーラは叫んだ。イレーンは短剣を振るう手を止めず、視線を門前の魔族から逸らさず、魔術に意識を向けたまま淡々と答える。


「全て私が未熟だったせいよ」


 苛立ちが募った。


「それならなんで学院に来た!?」


「命令だったから。私の立場で断ることは許されなかった」


 そういう事情なのだろうとドーラも薄々と感じていた。暗殺しようとイレーンの様子を探れば探るほど、嫌々学院に通っているという印象は強くなった。


「……父を殺したことについて、どう思ってる?」


 初めて、イレーンの横顔が歪んた。しかしそれも一瞬、表情は平静に戻る。


「ごめんなさい。この言葉を聞くのすらあなたには不快でしょう。どれだけ言葉を尽くしてもあなたの父上の命には足りない。だからその剣で、私を斬りなさい」


 剣を握るドーラの手に、力が籠る。その刀身は未だイレーンの首筋にあり、少し動かせば簡単にイレーンの命を奪える位置にある。


「ただ、まだ死ぬわけにはいかない。それでも良ければ斬りなさい」 


 イレーンは父親の仇だ。殺すのも簡単だ。


 でも、殺していいのか。


 イレーンは意図的に父親を殺したわけではない。魔力暴走そのものはイレーンが悪くても、父親の死は事故だった。学院では複雑な立場を弁えて行動し、貴族の派閥争いには果敢に立ち向かった。ドーラが魔族に襲われた時も魔術を使って助け、今また誰にも倒せない強力な魔族を倒そうとしている。


 対して自分はどうだ。ドーラは自身を振り返る。


 身勝手な復讐なのは最初から分かりきっていた。それでも実行に移したのは、イレーンという危険人物を生かしてはおけないという正義感からだった。しかしイレーンという人物を知った今、魔族の襲撃を受けて危機に陥っている今、イレーンを殺す正当性はほんの一欠片でもあるのだろうか。


 ドーラは、剣を下ろした。城壁の上から辺りを見回す。


 門前の怪物はレヴェンテとヘンリクが抑えている。校舎前の魔族たちは大多数が衛兵や講師と戦っているが、一部は散り散りになって勝手気ままにうろついている。何体かは城壁を上ってこちらに来るかもしれない。


「……周りは気にしなくていいから魔術に集中して」


 許しはしない。聞きたいことはまだまだある。それでも、これ以上イレーンの邪魔はできない。ドーラはイレーンの真後ろに立ち、近づいてくる魔族たちを見下ろした。


 魔術には絶対の自信を持っていた。流石にレヴェンテを見てドーラのその自信は跡形もなく砕かれたが、父親に教えられた魔術の腕が学院でも屈指という事実は変わらない。


 寄ってきた魔族を魔術で殺した。二体目は剣も使って撃退した。そうして一息吐いたとき、視界は白に潰れ、何も聞こえなくなった。

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