第10話 学院長
「呼んだー?」
中は絵画を初めとした美術品がこれでもかと飾られていた。ただの調度品すらもやたらと光り、品があるだけで山賊の宝物庫と良い勝負だ。奥の机にはあり得ないぐらい毛だらけの爺さんが座り、正面には話し中だったのか若い女が立っている。
「呼んだとも。来なさい」
毛深い爺さんが言い、若い女に目配せする。俺は女と入れ違いに爺さんに歩み寄った。
「何の用だよ」
「言葉遣いがなっていませんね」
後ろからさっきの女が不機嫌そうに言ってきた。
「構わんよ。無い袖を振れとは言わん」爺さんというか学院長が言う。「間抜けは二人で十分だ」
間抜けだって。俺は振り返って間抜け仲間の女に手を振ると、すげなく視線を逸らされた。
「下がってくれ、二人きりで話したい」
女は不承不承もいいところながら、俺を睨んでから退室した。
「王城で陛下の傍にジジイがいたのは覚えているか?」
「ああ、いたな」
そういえばあの爺さんもえげつないぐらい毛深かった。
「あれは私の兄だ。殿下やフェイェールの事情は知っている」
なるほど、学院長が一応の協力者か。とは言え事情が事情だけに、イレーンのことを知っているのは精々があと数人だろう。もしかすると学院長だけかもしれない。
「というと呼んだのはお守りの件か?」
「いや、学院の件だよ。本学院生徒のレヴェンテ君」学院長の上体が少し前のめりになった。「この学院に入ってから今まで、一度も授業に出ていないそうだな。それでは困るのだよ」
「生徒になりにきたわけじゃないし」
「勿論、事情は分かっている。君の扱いも殿下の従者という扱いだ。真面目に全ての授業に出る必要はない。しかしね、一切出ないのは困るのだよ」
聞き慣れない言葉があった。
「従者って何?」
間が空き、学院長に背もたれに躰を預けた。
「この学院は、貴族の子弟の為に設立された。十五歳から二十歳まで、大病などの理由がなければ必ず通わなければならない。彼らは教育課程で国に対する忠誠を心に刻み、同時に人質と機能する。そのついでとして、魔術の扱いに長けた平民も学べるようになっているわけだ。ここまではいいかな?」
「ああ、どうぞ」
「ここの生徒に優劣はない。全ての生徒が王の子供と呼ばれ、親元を離れて寮での自立した生活を送ってもらう。しかし親からすればそうもいかない。位が高い家ほど子供が心配になる。そうすると同時期に入学した庶流の子供に従者の真似事をさせるわけだ。それが時を経て、従者として入学した生徒は最低限の出席で構わない、と変化してしまった。一応、従者として卒業すると家督を継げなくなるという欠点もあるがね」
それで俺が、イレーンの従者という扱いになったのか。思えばやたらとイレーンに釘を刺されていたのは、そういう繋がりがあったからか。
「でもそれだったら、別に今のままでもいいだろ?」
学院長は首を振る。そして、急に机を叩いた。
「最低限! 授業は出てもらう]
学院長が俺を睨む。ジジイのくせに眼だけは力強い。見てるとイラっとしてきた。俺もちょっとだけ身を乗り出した。
「なんで叩いた?」
我に返ったように、学院長は叩いた机を労わるようにさする。
「すまない。つい気持ちが入ってね。中央の事情がどうであろうが、学院には関係ないということだ。君は従者だが、それでも最低限出席する義務はある。守れないなら退学だ」
学院には学院の事情があるってわけか。今のは俺を通して王やその周辺に文句を言っただけか。俺に言っていないなら噛みつくことでもない。俺はわざとらしく肩を竦めてみせた。
「退学して困るの俺じゃないけどな」
学院長が歯を見せて笑った。
「私も困らない。従者など退学してもらって結構。私は学院の主だ。中央の事情など知ったことではない」
今のところジャーンドルを止める術はない。イレーンも魔術の練習をする気はない。
ようは手詰まりだ。何をするにしろ地道に取り組むほかはない。学院の授業に時間を取られたところで影響はないだろう。それどころか良い機会かもしれない。
ジャーンドルの考えは分かったけど、イレーンの考えは分からない。それならこの機会にイレーンを知れば、また状況も変わってくるだろう。
「うん、分かった。今日から授業に出るよ」
「それは良かった」学院長は何度も頷く。「分かってくれたか。ついでにもう一つ、察してはいるだろうが念のため言っておくことがある」
「なんだ?」
言いながらも、俺は学院長室を出ようとする。爺さんに調子づかせると際限なく長話をするな、用が済んだらさっさと退散するに限る。
「学院は君たちの事情に配慮しない。いいね?」
だろうな、言ったか言わないかの小声で洩らし、俺は外に出た。
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