第8話 脱走犯
効果なんてあるわけがなかった。夜の肌寒さが脊髄にまで響いてきた。
定期連絡の為に民家の屋根上で伝令のルカーチェを待っていると、会いたくなかったそいつが、俺の前に姿を現してきた。
「大人しくしてろ、そう言ってたつもりなんだけどな」
ここ数日悪人を挑発し続けていたのは、俺の存在をそいつに伝える為だった。裏社会で暴れている奴がいると広まれば、どこにいるか分からないそいつのところにも日の沈む地からの追手が来たと伝わり、俺がいる間は大人しくどこかに潜伏してくれるだろうと思っていた。
「お久しぶりです、若。五年ぶりになりますか」
そいつが日の沈む地から去った当時、俺は十歳だった。
接点なんてほとんどなかったから、姿形なんて覚えてない。でも、ずっと魔族と戦い続けていた奴なら見ただけでそうと分かる。この国でのほほんと育った奴らとは違う、全ての行動の奥底から漂ってくる鋭さが、そいつにはあった。
「なんで姿を見せた、ジャーンドル」
フードの下から覗く顔は、想像より老けていた。肌の質感からしても間違いなく三十前後だろうに、四十歳ぐらいに見えるのはどこか悲しそうな表情をしているせいか。背丈は平均より少し大きいくらいで、体格も外套を纏ってしまえば常人と変わらない。それなのに、強いと思える何かが強烈に刺さってくる。これは、遠く離れてしまった戦場の気配だ。
「日の沈む地から脱走したとして、一族はお前の処刑を決めた。俺がお前を殺すように言われている。なのになんで、ここに顔を出した」
ジャーンドルは微笑んだ。その切れ長の眼から、一筋の涙がこぼれていく。
「若は相変わらずですね。あの時と何も変わっていない。嬉しいですよ、本当に」
そして、恭しく一礼した。
「なんのつもりだ」
ジャーンドルは頭を上げ、手の甲で涙を拭った。
「……五年前、かつてないほど大群の魔族が侵攻してきました
覚えている。忘れられるわけがない。
フェイェールの一族史上でも最大と言われた大侵攻だった。最終的には跳ね返せたものの、戦闘員の四分の一が死ぬか引退に追い込まれた。あの時に出た損害は五年経った今でも色濃く残っている。
「あの時の若はお館様に怒りをぶつけていた。何故戦っている仲間の救援に向かわない。何故拠点に籠って動こうとしない。そう怒鳴り、単身で仲間の救援に向かわれた」
思い出したくもない記憶だ。
ほとんどの仲間が戦っているのに、当主である俺の父親は本陣に根を生やしたままびくりともしなかった。あの時当主率いる一番隊が救援に向かえば損害はかなり減らせた筈だ。当時十歳の俺の目にも明らかなことなのに、一番隊はバカみたいに本陣の防衛を続けた。
怒りもあったけど、それ以上に失望した。
だから、俺は戦場に出た。既に一族でも最強の魔術師となっていた俺は魔力に任せて暴れつくし、魔族の侵攻を食い止めた。
「若が英雄となったのはあの時でしたね」
下らない称号だ。その欠片でも父親が持っていれば変わったのかもしれないけど、俺が持っていても何の意味もない。
「若は今までも魔族と戦っていましたが、それは魔術の修練という意味合いが強かった。ですがその時より、戦士として正式に戦場に出るようになりました。若は変わられたのです。そして、俺も変わりました
ジャーンドルの眼が、月光に光った。
「俺はお館様の判断が間違っていたとは思いません。本陣の防衛とはすなわち村の防衛なわけですから、それも重要な役目です」
考えはそれぞれだ。俺はあの時、父親にムカついた。殺してやろうとすら思った。でも俺がそう思った、ただそれだけのことだ。
「ですが、この国の所業には心底腹が立ちました」
ジャーンドルの表情が凍りついた。冷え切った鋭い目が、王都の方角を流し見る。
「何故この国は、我らフェイェールの一族に全てを押し付ける。何故助けに来ない。濡れ衣を着せられてなお数百年間、愚直に魔族の手からこの国を守り続けた我らに、何故労いの言葉一つ寄越さない」
初めて王に会ったときのことを思い出す。
「……忘れてるんだよ、俺たちのことなんて」
「そうです。我らのことも魔族のことも、この国の人間はすっかり忘れている。そして、堕落しきっている。若も見たはずでしょう、この国の惨状を」
「……まあな」
程度の低い魔術の授業、この国でも五本の指に入るというアルトゥールの実力、思い出すと恐怖に襲われる。こと魔術に関して、この国は恐ろしいほどに衰えていた。
「俺はこの五年、湧き上がる感情を抑えてこの国の様々なものを見てきました。吐き気すらしましたよ。濡れ衣を着去られてなお、我らはこの国を魔族の手から守ってきたというのに、この国の人間は露と知らず平和を享受している。……全てが間違っている!」
「間違ってるのは最初からだ。いまさら言うことじゃない」
当時の王弟だったフェイェール家当主は、ある日反乱の疑いありとして拘束された。本来なら死刑になるところを、強力な魔術師であったことから日の沈む地での防衛という名の流刑処分に減刑された。もはや冤罪か否かを確かめる術も証拠もないけど、数百年間愚直に刑に服していたことが、何より冤罪を証明している。
「若……もういいでしょう」
ジャーンドルがフードを脱いだ。額から側頭部にかけて長く太い切り傷が一筋入っている。
「数百年とはどれくらいです? そんなことすら分からなくなるほどの年月、フェイェールの一族はこの国を守ってきました。この国に尽くしてきました。反面、今の王族はどうです?」
嫌な予感がした。
「やめろ」
「貴族は肥え太り、民は牙を失い、国は腐った。そうしたのは誰です? 知っていますか、若。今の王族は床几がなんなのか分からないそうです。そんな彼らに、玉座に座る資格があるでしょうか」
一族の掟を破ってまで脱走したぐらいだ。固い決意があるのは分かっていた。でも、これ以上は駄目だ。
「ジャーンドル、そこまでにしろ。俺が日の沈む地に戻るまでどこかに隠れてろ。それからは一人の人間として好きに生きろ。ただ、それ以上のことはするな」
ジャーンドルは首を振った。
「若。俺は若こそが、玉座に相応しいと思っています」
なんでそうなる。
「黙れ。身を隠せ、目立つな、余計なことをするな」
「あの時涙を流してお館様に食って掛かり、一人で魔族の軍勢に立ち向かった若こそが、誰よりも玉座に相応しい。想像してみてください。若が率いる軍隊が、各地より募った大勢の兵士たちが、国民が一丸となって魔族たちに立ち向かう。それこそが正しい、本来あるべきこの国の姿の筈です!」
なんでこうなった。
「濡れ衣ですらなくなるぞ。祖先の顔に泥を塗る気か!?」
「腐敗した現王族を、由緒正しき血の流れるフェイェールの次期当主である若が正す。これは簒奪ではありません。正当な王位の移譲です。なんら恥じることのない真っ当な行いです」
初めから僅かな望みではあった。だけどもしかするかもしれないと信じていた。この街で暴れれば俺の存在に気付いて大人しくするかも、目の前に現れても説得すれば諦めてくれるかも、そう思っていた。
でも、この国をずっと守ってきたフェイェールの一族の人間が、国家転覆を口にした。
痛感する。
ジャーンドルは説得できない。
「……俺はそんな器じゃない」
「いえ、若だけが玉座に相応しい。お館様でも、それ以外の者でもなく、若こそがこの国の玉座に座るべき人間なのです」
「……無理だ」
ジャーンドルを止めるのには、もはや力づくしかない。しかしほぼ全ての魔力をイレーンの魔力暴走の制御に費やしている今、若き天才と呼ばれたジャーンドルに勝てるわけがない。
つまり俺に、ジャーンドルは止められない。
「俺が補佐します。一族も最後には必ずや賛同します。それだけの血を、若は流してきた」
「無理だ!」
それしか言えなかった。ジャーンドルは止められず、誘いを断るしかできない。今の俺にできることなんて、問題を先送りにすることだけだ。
「……分かりました」
ジャーンドルは俯き、フードを被った。
「今回は引き下がりましょう。ですが新しい世界が訪れたときには、その玉座に座っていただきます」
ジャーンドルが立ち去っても、俺はその場を動けなかった。
「楽しそうですね、若。案山子の真似ですか?」
やがて現れたルカーチェの冗談にも反応できず、顔も見れない。ようやく絞り出せたのは、ただの二言だけだった。
「変化なし、そう伝えてくれ」
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