かつて流刑に処された奴ら
@heyheyhey
第1話 最後通告
城が、地の底から揺れていた。
延々と続く長い廊下を毛深い老人が行く。その顔の下半分は白髭に覆われ、袖からも白い腕毛が覗いている。
また、城が揺れた。埃が舞い落ち、首を竦めた女中の頭に一つ二つと降り注ぐ。
「崩れないから安心しなさい」
老人は足を止めずに言う。女中は無言で頭を下げ足早にその場を去っていく。三度、城が揺れた。老人は鼻から息を吐き、城の片隅にある菜園に急いだ。
日当たりの悪い小さな菜園だった。まだ背の低い青々とした麦畑がぽつんとあり、そこここに農具が転がっている。隣には形の悪い東屋が立ち、一人の中年の男がだらしなく座っていた。
「遅くなりました、陛下」
中年の男は上等な部屋着を崩して身に着けて、長い髪も机に垂らして椅子の背もたれに寄りかかっている。屋根の隙間から漏れる陽が、男の目元の影を一層際立たせていた。
「……そろそろ入学の時期だな」
呟き、王は老人に視線で座るように促した。しかし老人は微動だにせず、王を上から睨み据える。
「殿下を地下から出すおつもりですか?」
王は老人から目を逸らし、自分で手入れしてきた麦畑を見やった。
「……今年で十六だ。普通なら学院に通う歳だろう」
「殿下は普通ではありません。殿下の存在がいかに危険か、今さら説明が必要ですか?」
王は深々と息を吐いた。
「限界……か」
「決断の時です」
老人はようやく王の正面にある酷くがたついた椅子に腰を下ろした。
「前回の魔力暴走により二人の上級魔術師が命を落としました。今回もまた死者が出たことでしょう。これ以上の人材の損失は、国家としても大きな損失です」
「……殺すしかないのか、我が娘を」
「殿下の存在は一部の者しか知りません。秘密裡に行えば問題はないかと」
「何の罪を犯した!」
突然、王が机を殴りつけた。
「私の娘が……一体、何の罪を犯した!?」
王は拳を握りしめる。その太い血管が浮き上がるさまを、老人をしかと見つめていた。
「優秀な魔術師の命を、数多く奪いました」
沈黙が続いた。王の拳が緩みそうになると、すぐにまた力が籠り、腕全体が小刻みに痙攣する。そして、拳がほどかれた。
「……分かった……可能な限り苦しませないでくれ」
王は項垂れる。ややあって、老人がわざとらしく咳払いをした。
「十五年ほど前、フェイェールの一族から連絡がありました」
微かに、王は視線を上げた。
「……連絡など取っていたのか」
「数百年前に日の沈む地へ流刑に処されて以来、定期的に。それも一方通行ですが。魔力に優れたフェイェールの一族にあってなお、傑出した魔力の持ち主が生まれたそうです。殿下と違い自身の魔力を完璧に制御でき、おそらく保有する魔力も殿下より多いと思われます」
「彼らなら、娘の魔力暴走を抑えられると?」
「もはや我が国に、殿下の魔力暴走を抑える術はありません。頼れるのはフェイェールの一族だけでしょう」
王は無表情に笑い声を漏らす。
「いまさら、それも流刑の一族に頼るのか?」
「であれば、殿下を殺すしかありませんな」
王は眼を瞑った。
「呼べ」
城の地下深くに、その大広間はあった。
地下を忘れさせる煌々とした明かりに、外套で顔まで隠した十数人が立っていた。中央には正方形の部屋があり、十数人が輪になってその部屋を囲んでいる。しかし暗がりに目を転じれば壁や天井には無数の大穴が開き、隅には大量の瓦礫が散乱している。至る所に赤身のある血痕や乾ききった黒い血痕がこびりつき、飛び散った肉の欠片が転がっていた。
「あの二人か」
服を着崩したままの王は、外套を着ていない壮年と青年の二人に目を向ける。その声に反応したのか、壮年と青年が振り返った。
「おお! これはこれはアールパード家二十六代──」
「──挨拶はいい」
壮年の言葉を、王は手を振って遮る。
「娘の魔力暴走は抑えられるのか?」
壮年は微笑み、大仰に頭を下げた。
「既に抑えてあります。他の方々の魔力操作を止めてみてください」
王は微かに目を細め、傍に控える老人に目配せした。老人は頷き、声を張り上げる。
「私が合図を出す。指揮系統に従って順に魔力操作を止めよ。指揮官!」
外套を纏った者が一人、崩れるように地面に座り込んだ。何も起こらない。「次」老人が声を上げる。また一人、膝を折った。「次」声を漏らして尻もちを着く。そうして、全ての外套を纏った者が地に伏した。
魔力暴走の兆候はない。外套を纏った上級魔術師たちが居住まいを正す音が鳴っていた。
「改めまして」
壮年が、再び王に一礼した。
「現フェイェール家当主ラースローと、息子のレヴェンテにございます」
王は二人を視線で舐め回す。共に大柄というほどではないが、よく鍛えられた躰にはところどころに切り傷や火傷の跡があった。不機嫌そうな顔をした青年はもとより、作り笑顔を動かべる壮年にすら刃物のような鋭い雰囲気が見え隠れしている。
「我が国きっての優秀な魔術師が束になってようやく抑えていた魔力暴走を、たった二人で抑えたというのか?」
「二人ではありません。息子のレヴェンテただ一人です」
どよめきが起こった。壮年と青年だけが表情を変えずに佇んでいる。王は息を飲み、一呼吸入れてから声を発した。
「娘の魔力暴走を抑えられるということは、息子のレヴェンテはそれ以上の魔力の持ち主だということ。それだけの魔力をどうして制御できている? 何故娘のように魔力暴走を起こさない?」
「物心つい――」
「──当人の口から聞きたい」
壮年が押し黙る。視線が、青年に集まった。
「え?」
声を洩らし、青年は周囲の人間を順々に見回す。
「あー……まあ、ちっちゃい頃から魔術使いっ放しだったからな。それでだろ」
「無礼だぞ!」
上級魔術師の一人が叫んだ。少年は鼻で笑う。
「だからなんだよ。殺すのか? 無理だろ」
「レヴェンテ!」
壮年が怒鳴る。青年は舌打ちして、わざとらしく肩を竦めて一歩下がった。
「申し訳ありません、陛下。まだ子供で、難しい年頃ですからどうかご容赦を」
「よい。お前たちも」
王は上級魔術師たちを手振りで宥める。
「細かい話は後でしよう。それより息子レヴェンテには、この地に留まり我が娘の魔力暴走を抑えてもらう。その代わり」
壮年が首を垂れる。
「一族に恩赦を」
「濡れ衣のな……」
青年のその小声に、反応する者はいなかった。
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