ブルーライフル

有馬ミライ

第1話 出現

天原島あまはらじまの診療所は、海岸線からなだらかに続く小高い丘の上に建っていた。病室の分厚い強化ガラスの窓からは、遠くに見える島で唯一の漁港が激しい雨で滲んで見えている。

 ノックの音がすると、すぐにスライド式の扉が開いて、白い制服を着たアマノさんが入ってきた。雨で定期船が欠航して離島巡回の看護師が来られなくなったため、彼女が僕の健康診断を担当していたのだ。

「タケル、気分はどう?」

「問題ないよ。それより、今日は帰れるんだよね?」

「ええ、検査結果に問題なければね」

 アマノさんはそう言いながら僕の右腕に小型の検査ユニットを装着した。微量採血の微かな刺激が伝わる。

「でもさ、入院までして健康診断する必要あるの?」

「昔から何度も言ってるでしょ。君は今月16歳になるんだから詳しい検査が必要なの」

 アマノさんはポータブルモニターを操作しながら答える。

「それは、わかってるけどさ……」

「あなたは特別なのよ。だから、大切にされてるの」

 アマノさんは僕が不満を口にすると、口癖のようにそう言った。

 確かに僕は特別扱いをされて周囲の大人たちに大切に育てられた。それは僕がこの人口50人足らずの小さな島で、20年ぶりに生まれた子供だということが理由だった。

 両親は愛情深く育ててくれたし、島の人も皆優しい。しかし、一方で、それは子供の僕を増長させ、我儘放題にする、負の側面もあった。

 その環境を一変させたのが、アマノさんだった。

 僕が小学生になるとき、彼女は教師がいないこの島に赴任してきた。本土の学校でリモート授業は受けられるのだが、対面での授業や生活指導なども必要だということで派遣されてきたのだ。そして、僕にとって彼女は突然現れた天敵のような存在になった。

 彼女は勉強から日常生活までも厳しく指導して、僕の生活は一変してしまったのだ。

 もちろん、突然に奔放な既得権を奪われた僕も黙っていなかった。泣いたり、喚いたり、当時を思い出すと恥ずかしいくらい、子供ながらにあらゆる手段で反発をしていた。

 しかし、アマノさんは周囲の大人が戸惑うほど、一切の妥協をせずに、少しでも僕が手を抜くと厳しく叱ってくる。アマノさんが来島して以来、半年は僕との間で戦争のような状態が続いた。それが良好な関係になっていったのは、彼女が厳しさ一辺倒ではなく、褒めることや息抜きを教えることもうまかったからだ。

 ほかの大人たちと比較すれば年齢も近いアマノさんに、僕は次第に姉のような親近感を持つようになっていた。小さい頃に反発をしていた分、彼女に対する現在の信頼は両親に対するものよりも厚いかもしれない。

 腕に装着した検査ユニットに青いLEDが点灯してモニタリングの完了を知らせる。

「今日の簡易検査は大丈夫みたいね。あとは、昨日の全身精密検査の結果待ちになるわね。多分、あと2時間位で本土の医療センターからデータが届くと思う」

「じゃあ、あと2時間で開放かー、やった!」

「やった、じゃないの。午後からは防衛訓練をやるからね」

 検査機器を片付けながら、アマノさんは、さも当然のように言った。

「えっ、そんなの聞いてないよ!」

「ええ、今言ったんだもの。じゃあ、検査データが届いたらまた来るわね」

 アマノさんは、すました顔でそう言うと病室から出ていった。

 僕は、その後姿を見ながらため息をつく。防衛訓練は好きじゃない。


 アタッカーから身を守るための防衛訓練は、緊急時の避難方法や武器の扱い方、アタッカーの行動パターンなどの習得と身体訓練をするものだ。

 僕は子供の頃から武器や軍用機などには興味があり、現在この島や本土にある軍装備は、ほぼ頭に入っている。本土の学校の友だちからは、軍事オタクと言われることもある。

 しかし、実際の訓練となると、運動が苦手なせいもあり、苦痛でしかない。

 小学生の頃から嫌々続けてきたのだが、最近ではそもそも防衛訓練なんて、本当に必要なのだろうかと思うようになっていた。

 ニュースアーカイブで検索しても、島の人に聞いても、17年間、つまり僕が生まれる前から、アタッカーは世界中のどこにも出現していない。

 それに、50年前から突然出現して、正体不明で、ただ人間を襲い続ける巨大ロボットなんて……、子供の頃には信じていたけど、最近ではあまりにも現実離れしている気がしていた。

 僕はもう一度深くため息をついて、憂鬱な気分で窓の外を見た。先程よりも雨が激しくなっていて、漁港に停泊している船は灰色の膜がかかったように、ほとんど輪郭だけしか見えない。

 ほかにすることもなくぼんやりと漁港を見ていると、少し奇妙なことに気づいた。船影とは明らかに別の輪郭をした影が海面から岸壁へと移動しているのだ。のそのそと蠢く灰色の影は、最初はイノシシ何かかと思った。たまに近隣の島から泳いでくるヤツもいるからだ。

 しかし、停泊している船と比較すると、明らかにもっと巨大な何かだった。

 灰色の影は岸壁に這い上がると2本脚で立ち上がった。その大きさは漁港の建物と比べると、10メートルはあるかもしれない。煙るような雨の中、シルエットしか確認できないが、頭部は小さくて、胴体がそれに比べて異常に大きく、脚はそれほど長くない。

 僕はその異様な灰色の影をさらに観察しようと思い、窓に顔を近づけて目を凝らす。

 すると次の瞬間、灰色の影の胴体部分からオレンジ色の炎が吹き上がり、激しい振動とともに診療所のすぐ手前で何かが爆発した。

 金属片のようなものが2階にある病室の窓を直撃して、聞いたこともないような大きな音を立てる。

 僕は驚いて反射的に窓から身を引いた。窓の強化ガラスが少しヒビ割れている。

 何が起こったかわからずに、窓から距離を置いて外の様子を窺うと、灰色の影が2足歩行でこちらに歩いて来る。

 豪雨の中を接近してくるにつれて、徐々に灰色の影の実態が見えてくると、僕はその姿に驚愕した。

「アタッカー!」思わず声が出た。

 それは子供の頃から何度もVR映像で刷り込まれてきた姿そのものだった。

 あまりにも突然の出来事に、僕の頭の中はこれは現実なのかと疑う気持ちと、目の前の危険をどう逃れるかでパニックに陥っていた。

 それでも、子供の頃から嫌というほど詰め込まれたアタッカーの行動パターンシミレーションが頭に浮かぶ。

 おそらく先ほどの爆発はアタッカーが装備している、内蔵型無反動砲から発射された砲弾だろう。そして、こちらに向かってきて至近距離から攻撃するなら、非可視型レーザーシステムの可能性が高い。レーザーであれば、災害シェルターも兼ねているこの繊維補強コンクリート製の建物でも、あっけなく破壊されてしまうだろう。

 死ぬかもしれない。

 身体中が恐怖に支配され、僕は緊急時マニュアルも忘れて床に座り込んでしまった。

 建物内には不快な警報音が響き渡り、その音がさらに恐怖を駆り立てる。

 震える身体をなんとか動かして窓外に目をやると、アタッカーはすでに診療所のすぐ近くまで迫っていた。3階建ての診療所とほぼ同じ大きさをした銀色の躯体からは、滝のように雨水が流れ落ちている。

 頭部に設置された単眼光学式カメラが忙しなく周囲を探知していたかと思うと、突然、建物が揺れて、身体中に小石のようなものが飛んできた。

 思わず目をつむる。すると、今度は身体に冷たいものが打ちつける感覚があった。恐る恐る目を開けると、灰色の空が見える。

 雨だ。室内に雨が降っていた。

 診療所の建物が、アタッカーの非可視型レーザーで両断されてしまったのだ。切断されたもう一方の建物は、ガラガラと自重で崩れていく。

 もうダメだ。アタッカーに殺されるなんて……、うそだろ?

 まるで模型のように大きく開放された室内を、アタッカーの頭部カメラが小刻みに動きながら探索する。

 そして、その動きはすぐに止まった。

 見つかった!

 そう思った瞬間、金属同士がぶつかる大きく鈍い音と爆発音がして、同時に建物が大きく揺れた。周囲には白い煙が立ち込める。

 僕は何が起こったかわからずに周囲を見回すと、アタッカーの姿が見当たらない。

 だが、視線を下方に移すと、アタッカーが地面に仰向けに倒れている姿が見えた。胸の部分に損傷を受けているようで、そこから白煙が上がっていた。

「早く、立って!」

 突然聞こえた声の方を見ると、アマノさんが立っていた。緊急時用の炭素繊維強化プラスチック製の防御スーツを着て、84ミリ無反動砲を構えていた。

 僕は恐怖で震える脚でなんとか立ち上がり、ふらつきながらアマノさんの元へ近寄る。

「大丈夫? 怪我はない?」

「……うん、なんとか」

 僕がそう言うとアマノさんは、微笑みながら、「良かった」と言って僕の頬に触れる。

 厚いグローブをしているにも関わらず、その手はとても温かく感じた。

「わたしの後ろに回って!」

 アマノさんがそう叫んだ瞬間、再度建物全体が揺れた。アタッカーが僕らと対峙するように目の前に起き上がったのだ。

 胸の損傷部分からはまだ白煙が上がっている。そして、先程とは違い、アタッカーの躯体全体が発熱しているようで、数百メートル離れているこの場所でも熱を感じる。

「電磁装甲モードになったみたいね。HEAT弾も無力化されるか……」

 アマノさんが独り言のように言う。

 まずい状況なのは僕にもわかった。逃げるにしてもアタッカーとの距離が近すぎる。またもパニックになりかけた僕の目に、ベッドの傍らに置かれている銀色のケースが映った。

 ブルーライフル?

 なぜここにあるのか一瞬疑問に思ったが、今はそんなことを考えている時間はない。

「アマノさん! ブルーライフルがある!」

 大声で叫んだ僕の声は、確実に聞こえたはずなのに、アマノさんは僕を見ずに無言でアタッカーに顔を向けていた

「アマノさん!」

 もう一度更に大きな声で叫ぶが反応がない。

 なぜだ?

「ブルーライフル、彼に使わせないの? アマノさん」

 急に誰かの声が周囲に響いた。まさか、アタッカーが?

 僕はアタッカーを見た。躯体を打つ激しい雨が、電磁装甲による高熱ですぐに水蒸気となり、周囲は霧に包まれている。

 その霧が一瞬揺らいだかと思うと、猛烈な空気の流れにかき回されるように流れた。そして、渦巻くような霧の中から、ジェットボードに乗った人影が飛び出してきて、僕たちがいる診療所の2階部分に降り立ったのだ。

 遮光ヘルメットを装着しているため、顔はわからなかったが、グレーの防御スーツのシルエットと声から女性だということはわかる。その人物は僕たちの至近距離まで歩み寄る。アタッカーは僕らを見下ろし静止していた。

 アタッカーを操る人間? 敵、なのか? 

 でも、アマノさんを知っているようだし……。

 謎の人物はアマノさんの正面まで歩み寄ると、バイザーを上げた。

「久しぶりですね。アマノさん」

 そう言った人物は、僕と同年代くらいの少女だった。

 アマノさんは厳しい顔で少女を見据えながら言った。

「ミキ……、やはりあなただったのね」

「あら、覚えていてくれたのね。もう遠い昔のことだから、忘れられたかと思ってた」

 ミキと呼ばれた少女は、少しおどけたような口調で言った。

 それを聞くと、アマノさんは、なぜか一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐに毅然とした表情に戻り言った。

「手出しをしても無駄よ! 彼は私が絶対に守る。ブルーライフルもね」

「そう、でもアマノさんに何ができるのかしら? 私がいる限り、手も足も出ないんじゃないの? まだMコードは開発途中でしょうしね」

 少女の嘲笑するような言葉に、アマノさんは何も反応しなかった。その代わり、素早く少女との間に距離を取り、防御スーツに装着されている小型発煙弾を発射した。

 床に散らばった発煙弾がすぐに辺り一面を白煙で覆う。アマノさんはブルーライフルのケースを持ち、もう一方の手で僕の手を握ると、かろうじて開いている病室の入り口に駆け寄った。

「逃げられないわよ!」

 少女の声が聞こえて、後ろを振り向くと、アタッカーの巨大なアームが追いかけてきた。

 すると、アマノさんは僕とアームの間に素早く入り込み、低い体勢から回し蹴りを繰り出した。鈍い音がして、アームは3メートルほど横に弾き飛ばされた。

「早く、今のうちに!」

 アマノさんはそう言うやいなや、僕を引っ張って階段を駆け下り雨が降りしきる建物の外に出た。ミキと名乗る少女もすぐ後ろを追いかけてくる。

 振り返ってそれを見たアマノさんは、装着していたインカムに向けて「安全距離確認。発射!」と叫ぶ。

 数十秒後、大音響と共に複数の飛翔体がアタッカーに着弾、周囲にオレンジ色の炎が上がる。

 これは、島の防衛基地から発射された中距離多目的誘導弾だ。タンデム弾頭を備えているため、電磁装甲を装備したアタッカーでも多少のダメージは与えられるかもしれない。

 そう思って僕がアタッカーを見上げた瞬間、アタッカーから逸れた砲弾が病院の建物に着弾し、爆発を起こした。

「伏せて!」

 アマノさんは叫びながら僕に覆いかぶさった。

 限られた視界から爆風でこちらに瓦礫が飛んでくるのが見えた。そして、その瓦礫の一つが建物に背を向けていた少女の身体に接触した。思わず目をつむる。

「ミキ!」

 アマノさんの悲鳴のような声が聞こえて、身体が軽くなった。アマノさんは「攻撃中止、攻撃中止!」とインカムに叫びながら少女のもとへ駆け寄っていった。

「来ないで!」

 ミキが制止する。瓦礫は彼女の左半身に当たったようで、肩から腕にかけて防護服が破れていた。しかし、血が流れている様子はない。

 ただ、皮膚がめくれ上がり、そこには金属の骨格と無数の配線が見えていた。

 ロボットーー?

 アタッカーだけではなく、人間の姿をしたロボット……、突然、色々なことが起こりすぎて、思考がついていかない。

 僕はノロノロと立ち上がりながら、信じられない気持ちでミキという少女を眺めていた。

「あなたは私を騙して、不要になったら平気で捨てた! 私はあなたを許さない!」

 ミキはアマノさんと距離を取るように後ずさりながら言った。足元がふらついている。

「違う! そんなつもりはなかったの! 話しを聞いて」

 アマノさんが叫んだ。

 ミキの顔が憎しみと怒りの表情で歪む。

「あなた達は信用できない! 絶対に滅ぼしてやるから!」

 ミキがそう言うと、アタッカーのアームが伸びて、ドーム状の強化プラスチックで彼女をそっと包み込んだ。

 アタッカーも攻撃により、少し損傷は受けていたが歩行には問題がないようで、進撃してきた道程を戻り、煙幕のように水蒸気を上げながら海に消えていった。

 僕はその光景に言葉を発することも出来ず、呆然と見ていることしか出来なかった。

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