第11話

 ひどく揺れる荷馬車。いつから使われていたのか分からない木製の馬車には赤い幌がかけられている。馬車の中でぽつんと座っているのは、美しい絹織物で作られた衣装をまとったリリィだ。彼女は一言も言葉を発さず、馬車の外から村人に話しかけられてもこくりとうなずくだけだった。村人達は少し怪訝な顔をしたが、


「婚姻前に生贄に選ばれたんだ、話したくもなくなるだろう」


と言って勝手に納得した。バレないようにふうっと息をつくと、リリィは幌の隙間から外の景色を見た。普段は出入りを禁止されている荒れた裏山。老人のような枯れ木や湿り気たっぷりの土、かろうじて生えている草も妙に香りが強い。木はさほど多くないにも関わらず山全体が薄暗く、どこか遠くで獣か何かが動く気配がしていた。


(私はここに一人置いていかれるってわけね。置いていかれるのがパネラじゃなくて良かったわ)


 懐に隠した小さなナイフに触れながら、腹を括った。父はああ言っていたが、いくら悪鬼だろうとなんだろうと弱点くらいはあるはずだ。命あるものなら刺し殺すこともできるだろうと、普段調理に使っているナイフを隠し持ってきたのだ。


 逸る鼓動を落ち着けながら、リリィは馬車に揺られた。

 しばらくすると馬車の動きがゆっくりになり、ついに止まった。


「降りなさい」


 村長の声。リリィはその声に従って、ゆっくり馬車を降りた。顔をまじまじと見られないように俯いていると、村長が遠くを指差していった。


「あそこに祭壇が見えるだろう。そこに座っていなさい。いずれ迎えがくる。飲み物と食べ物は置いていくから、好きに食べなさい。ーーただし、悪鬼に渡す分をいくらか残しておくように」


 ーー馬鹿馬鹿しい、と言いそうになったが言葉を飲み込んだ。こくりとうなずくと、周囲の村人達はソワソワと落ち着かない様子で後ろに下がっていった。リリィは目先に見える祭壇に向かって歩き出す。


「ーーパネラ」


 村長が呼んだが、それが自分を呼び止める言葉だと気がつくのに少し時間がかかった。もう一度「パネラ」と呼ばれた時、リリィはやっと気がついて足を止めた。


「こんなことになって残念だ。君はきっと良い嫁になっただろう。ーーだが、君はきっと天に召されるだろうから、安心していきなさい」


 柔らかい手の肉に爪が食い込むほど、ぎゅっと拳を握った。だが、リリィは何も言わず、何もせずに前に向き直ると、そのまま祭壇に向かっていった。彼女が祭壇前の座布団に座るのを見届けると、村人達は別れの言葉を勝手に告げて山を降りていった。


 少しだけまった後で、リリィはそっと後ろを振り向いた。人の気配はない。


「あー、窮屈だったぁ!」


 そう言って頭のヴェールを取ると、祭壇に置いてあった革袋をひったくって中の水をごくりと飲んだ。手の甲で口を拭うと、唇につけた真っ赤な紅が手の甲に伸びた。


「はぁ、化粧濃すぎよね。入れ替わるからと思って慌てて化粧したけど、もうちょっと薄くすれば良かった。まあいいわ。相手が化け物ならこっちも化け物じみてた方がちょうどいいでしょう。ーーさぁ、来るならきなさい!!」


 声を張り上げる。だが自分の声が反響するばかりで、とくに返事はない。リリィははぁっと大きなため息をついた。


「そもそも悪鬼なんてただの噂よね。馬鹿馬鹿しい。日暮までに何も来なかったら帰ろうかな」


 まるで誰かに話しかけるかのようにそう言った。もちろん、だれも返事はしてくれない。


「みんな悪鬼なんて信じちゃって、バカみたい!」


 ーーガサガサッ!


 独り言を続けていた時、背後から突然物音がした。驚いて飛び上がり、音のした方をじっと見つめる。すると、木の影から黒い何かが飛びかかってきた。


「きゃあっ!!」


 両腕で顔を覆うようにしてしゃがみ込む。ギャアギャアという声がして、震えながら丸くなった。だが痛みも何も感じず、リリィは恐る恐る両腕から顔を上げた。そこには何もいなかった。周囲を見渡すと、枯れ木の枝からぶら下がるコウモリの姿があった。


「なによ、もう! びっくりさせないで!!」


 コウモリ達は不思議そうな顔でリリィを見つめた。


「でも、木の上か。それって良い案かも。木の上に登っていれば万が一悪鬼が来ても見つからないかもしれないしーーまあ、悪鬼なんていないと思うけど!」


 コウモリに話しかけながら、リリィは周囲からそこそこ太く背丈がある木を見繕うと、その幹に足をかけた。まるで猿のようにするするっと木に登って、太い枝に跨った。するとさっきまで自分が座っていた祭壇がちょうど足の下に見える。しめた、と言わんばかりにニヤッと笑ったリリィは、懐からナイフを取り出した。


「村を不幸にする悪鬼なんていないわ。いたら退治してやる」


 まるで自分を励ますように一人ごとを呟いていたが、その威勢が消えるのに数刻もかからなかった。

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