第12話 血と涙

 私の出る幕は無かった。追っ手たちは脳筋娘の格闘技をモロに喰らってしまったから。

 あちらこちらに一回りガタイの良い男たちがインテリアグッズのように転がっていた。


 犯人は後先考えず本気で取り組んだ代償として、喘息を発症していた。


「あぁ! あぁ!!!」


 しゃがみこんで顔を腕でごしごしとなぞっている。後ろから見ても分かるくらい派手なアクション、出てきた汗が目に染みたのだろう。


「貴女のほうが旦那様じゃないですか?」


 顔を左右に素早く振って、水滴を辺りへまき散らす。


「貴様ごときが旦那様という敬称を使うな。アホ」


 何をキレているのだ、このモノは全く。旦那様なぞ言うが、私たちの国では同性婚は認められていないのだから、正しいのは私だろう。


「それにしてもさすがモーリス軍曹。あれだけの敵を文字通り一蹴ですか」


「うるせぇくそ虫!」


「それにしても大丈夫ですか? もうオルフェ先輩遠くへ逃げているから追いつかないのでは」


「歩いたら……いつかは会えるだろ。さぁ早くいくぞ」


 いつものようなウザい元気がない、雨水が積もれば水溜まりになるように、体力お化けでも肉弾戦が続けば疲労は蓄積する。

 喘息がマシにはなってきたがそれでもしんどいはず。少しばかりは休ませたいが、これから彼女には処刑台へ上がってもらわないといけない。


 でも仕方がない、彼女は、この馬鹿は、あのものに賛同した反乱者なのだから。


「その前に、敵を片付けないといけません」


 鎌を召喚して足音立てずに近寄る。私の仕事の時間だ。


「ハァア⁉ そんなのどこに――」


 首下に勢いよく鎌を振りかざした。しかし、こちらを振り向いた彼女は、野生の反射神経を彷彿とさせるスピードで距離を取る。


「おいゴラ、これは冗談じゃ済まねぇぞ」


怒気に満ちた唸り声が発せられるが、当然のことだ。今ほんの数秒前に、命を狙われたと思っているのだから。しかし気絶させるつもりだったが、見られた以上は完全に仕留めなければならない。


大鎌を握りなおしている最中、相手は至近距離にいた。いや、迫ってきていた。

鎌の柄と剣の刃先がぶつかり合った甲高い音が小さく聞こえた。


「まだこんな体力があるなんて、あなたは本当に人間ですか?」


「殺す……お前だけは絶対に殺す……」


「鳴き声は『殺す』ですか。なんとも弱そうですね」


 私の言葉に、彼女は目を見開いた。そして剣を素早く引いて私の懐目掛けて突き出す。


だがそんなことは計算済みだったので、身体の左半分を後ろに引いて鎌を振りかざした。

彼女を一際幹の太い木に叩きつけた。カエルを踏み潰したような、気持ちの悪い声を吐き出す。


この隙に調合した薬を飲んで、準備を万端に整える。


 すぐさま立ち上がり私に近づいてきたけど、忘れてはいないだろうか、私たちは魔法が使える所属だということを。


足場を凍らせて、モーリスの身動きを鈍らせる。遅くなった動きを私は見過ごさない。

氷の礫の大群を彼女に喰らわせる。これからの戦い、私は一歩も動かない。


一つ一つは痒いだけかもしれない、それでも何回も当たれば血が噴き出ていく。


 徐々に険しくなっていく彼女の顔、自身の勝利を確信して悦に感じる。


――マリアテレジア!


 モーリスに近づくと、小さく鋭利な氷の礫が解けていく。熱壁魔法か、悪くない選択だが、最適解ではない。


最適解とは、劣勢を優勢にするような、盤が逆転する行為を指す。


私はこれ以上やっても無意味だと判断し、魔法を止めた。


彼女はこの隙と言わんばかりに猛スピードで突進してくる。地べたの氷もすっかり解けていた。


しかし、氷は溶けると水になり、水は土と混ざると泥になる。


スピードが鈍い、泥に足を掬われているのだろう。それをもろともせずに挑むその姿勢は称賛する。


だけど、それでは勝てない。私は指を鳴らして、自分の周りにガードを作った。


障壁を壊そうと剣をぶつけるが、金属音が響くだけ。

空しい、しかし心地いい。常時自信満々な彼女の必至な形相、怒りと焦りが混ざっているような眼。無慈悲なことに傷一つつかないことが、私の優位さを掻き立てた。

モーリスに指を指して、魔法の合図。引き締まった胴体に突き刺す、氷柱の一撃。

先ほどの礫とは違う鋭利な一撃は、弾き飛ばしたモーリスの腹に、そのまま突き刺さっていた。


彼女はゆっくりと腕を上げる。その腕に向かって、冷凍魔法をかけた。


 徐々に血色が乏しくなり、腕は上がらなくなった。

しかし「イギッ⁉」と奇怪な声を上げながら、片方の腕で氷柱を引き抜く。


投げ捨てられた氷柱の先端は、ワインのように濃厚な、赤い色が染みていた。


「あれでもまだ……普通なら死んでいるはずなのに」


もう一度立ち上がり、私の隙を窺っているようだ。私は小さく舌打ちした。とっとと諦めればいいモノを。


腕を真っ直ぐ伸ばして、礫をもう一度食らわせる。次は鉄で、より深いダメージを与える。


血反吐を吐きながら、その場に倒れ込むモーリスの顔は、信じられないものを見てしまったようだった。


それもそのはず、我々が使う魔法には『火炎』や『氷』のような属性があり、人によって扱う魔法は異なる。基本的には一人一属性、魔法の併用はあり得ないのが理だった。


でも、例外はここにいる。


影の中に潜って、一気に近くへ駆け寄る。手元の鎌を振りかざす予定だった。

私の姿を目にした瞬間、疾風の速さで首を鷲掴み、地面に叩きつけた。


アーマーを着ていないため、硬い感覚が骨にまで伝わる。首も片腕だけというのに、鎖骨伝わる重さと圧力が、軍隊仕込みの能力を分からせる。どこにそんな力が籠っていた?


「殺す! 殺してやる!!!」


 首に伝わる力が一気に強くなり、痛みがどんどん吐き気に変わる。この人は本当に私を殺す気だ。

 なら、また逃げれば良い。


 私はもう一度影の中に潜った。胸の痞えが取れて、ゲホゲホと苦しみの残りを吐き出す。


 天井を見上げると、地面を叩くモーリスの姿。表情から察するに、彼女は怒っている。


 このままここにいてもいいが、私は彼女を殺さなければならない。


「次か」


 私は適度な距離を取って、地上にひょっこりと顔を出した。


 彼女は私を見つけるや否や、猛禽類のような目つきそのままに突進してきた。


 身の安全のためにシールドを敷く、シールドにゴンと当たり、目が眩んだか少し後退していく。


 痛みに意識が向き隙だらけの身体、ここしかない。


 私は腹部目掛けて、大鎌を力いっぱい振り切った。


 モーリスはガードする間もなく正面から喰らい、雑木林の中を勢いよく吹き飛んでいった。


―――



 これでもう大丈夫なはずだが、アレの事だからまた蘇ってくるかもしれない。先端に着いた、さっきよりも濃い血を眺めながら、どうしようか迷う。

 いったん様子を見てこようか否か。なんだか様子を見に行くと、反撃されるフラグが立ってしまいそうで嫌だ。


 迷った結果、もう無益な争いを避けたかった私は、同志を動員して確かめてもらった。

 しばらくして吉報が届いた。彼女は死んではいないらしいので、祖国へ持ち帰ることにする。


 後日、我々に基づいた正義により、断罪されるであろう。


「同志テレジア、この後はどうなさいますか?」


「同志ブロード、お前たちは先に帰っていろ」


 私にはまだ、連れて帰らなければならない奴がいる。この混沌とした時代の元凶であり、悪の中枢が。


「アレは暴れると狂犬になるから気をつけろ。私でも手こずったから、お前たちではどうしようも出来ん」


 私の言葉に、敬礼で応え森の中へと入っていく。一瞬、ムスッとした表情を浮かべたのは、気のせいか。

 同志たちは、モーリスの身体と気絶している仲間をストレッチャ―に乗せる。もう息の無いモノはその場で処分。


 利用価値の無いモノは即刻処分する、合理的で無駄がない。


「ウ……ソ」


 か細い声は、私にしか聞こえなかった幻聴ではなかった。その場にいた人達は、同じ方向を振り返る。

 声からしてアイツだ、間違いない。

 暴君がそこに立っていた。


「構え‼」


 かの前皇に迷いなく、一斉に銃口を向ける周囲。私は手を横に伸ばして、周囲の動揺と怒りを鎮めるように促した。

 彼女は裸で争えるほど強い人間ではない。たとえ歯向かわれても、ねじ伏せることは容易だ。


「おや、お久しぶりですね。オルフェ先輩。どうされました?」


 全く、こんなことを口にするのも汚らわしい。高学時代に先輩呼びした、自分に忠告してあげたい。何をしに来た? 私達が来ないからって駆け付けたか?


 何も言わずに彼女は迫って来る。私の予測は外れたか⁉


「来るな‼」


 私の制止する声も聞かずにずんずんと迫ってきたオルフェは、なんと私に抱き着いてきた。


 同志たちの見る目が鋭くなる。しかしこのまま発砲すれば、私までハチの巣状態は避けられない。発砲しないようにジェスチャーで制止させた。


「ゴッホ……」


 弱さを掻き立てる、消えそうな震え声。


「逃げて……貴女だけでも」


「は?」


「お願い、お願い」


「……」


 モーリスは知識が欠落した痴呆者だが、此奴は物事が把握できない痴呆者だ。

 それでも本気で訴えかけてくる。右肩が熱くなる、湿った感触が伝う。

 私は今日ほど、人間という生物に不思議さを持つことが出来ないと思う。


「オルフェ先輩、貴女はいつまでもお人よしですね。そしてどこまでも変な人だ」


 私を抱きしめる力が強くなる。モーリスに比べれば弱いが、今の私には、この抱擁を振り払う力が出なかった。

 泣いているオルフェ先輩の頬を掌でなぞりながら、私はじっくりと泣き顔を伺う。

 全てを後悔しているような表情と、壊れそうな瞳は、何を表しているのだろう。


 だけどこれだけはいえる。今この瞬間、何も考えずに見た彼女の顔は、とても綺麗だ。

 徐々に力が弱くなり、糸が切れたようにその場に寝そべった。


「思わぬ人魚が釣れた。こいつも連れていけ」


「殺しますか?」


「馬鹿野郎! それは業務外だろ」


 我々の仕事は軍人であり、処刑人ではない。正当防衛でない限り、人を殺すことは出来ない。

 それに、私は一つ確かめたいことがある。そのためには、モーリスもオルフェも必要な材料。


 オルフェも運ばれていく姿を見ながら、私は次にやるべきことを、一人で構想していた。

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