第21話 貴女に杖を授けましょう

——レノア・ウィッチ。


目の前に座る、白い髭の老人が話した御伽噺。

それを、私はただ黙って聞いていました。

その話を聞いている時、私はとても不思議な感覚でした。

その話を聞かせてくれる老人の前にいるのに、まるでそのお話が映像のように私の視界を駆け巡っていきました。

本当にその場にいるかのような臨場感。

そして最後に残ったのは、悲しみと切なさと後悔の感情。

初めて聞いたお話なのに、どこかずっと前から知っていたような……。

それに、その物語のタイトル。


「——レノア・ウィッチ。……本当にレノア・ウィッチと言うんですか、そのお話は。」

「そうじゃ。ワシがまだ小さなぼうずだった時、部屋の片隅で見つけたんじゃ。最初はそれを信じてはおらんかった。魔法なんてそんなものは、ただの夢物語でしかないとそう断言しておった。」


レノア・ウィッチ。私と同じ名前の……魔法使い。

なんででしょう。そのお話を聞いた瞬間からずっと胸の奥が熱くて、ギュッて苦しくなって。何かが溢れ出てしまいそうな、そんな感覚があります。

そういえばニカルが私にこの名前をつけてくれた時、昔読んでいた童話のタイトルだと言っていました……。

もしかしてニカルとおじいさんが読んだお話は同じものなのでしょうか?


「じゃがの。ワシは出会ったんじゃよ、

——本当の魔法使いに。」


おじいさんはゆっくりと立ち上がって、私に背を向けました。

「おぬしに見せたいものがある。一緒に着いて来てはくれぬか?」

その言葉は、ある人から見たら怪しいかも知れません。

知らない人について行くなと、ニカルにも散々言われてました。

ただそれでも、その背中が私に何かを伝えようとしている気がしたんです。

それは私が記憶を無くしている事と関係しているような気がして、私はそのおじいさんについて行きました。

その道中、おじいさんは話の続きを聞かせてくれました。


「あれはワシが結婚して、子供が産まれたばかりの頃じゃった。ワシの村にある旅人が現れたのじゃ。その者は愛想が良くてのぉ。すぐに村に馴染んでおった。その旅人が村に来てから数週間が過ぎようとしていた時じゃった。——村を大きな地震が襲ったのじゃ。」



おじいさん曰く、その地震によって割れた地面から魔物が大量に現れてしまったのだと言います。

しかし村には神術を使える者もおらず、ただ魔物に命を奪われるのを怯えて待つことしか出来なかったそうです。

そんな時でした。

おじいさんの村に滞在していた旅人は、立ち上がり魔物の軍勢を前に堂々と立ちはだかりました。

そして、旅人が持っていた杖に沢山の光が集束していき、その青白い光は魔物の軍勢を呑み込んでいったそうです。

更には、地震によって割れた地面も元の形を取り戻し、災害なんてものは最初から無かったのように、そこには昨日までと同じ風景があったとか。

「そして、そんな光景を目にしたワシはその旅人に何者かと問うたのじゃ。旅人は笑ってワシにこう言った。」


——私は魔法使いの子孫です。


思わず動かしていた足をパタリと止めました。

魔法使いの、子孫……?

私は衝動的におじいさんに向けて口を開きます。

なぜそう思ったのか。どうしてそういう考えに至ったのか。

私の本能が『そうである』と告げているんです。


「それは有り得ません!!魔法使いの子孫がいたとしても、その方が魔法を操れるわけがないんです!!」


そう。有り得ない話なのです。

そもそも魔法を操る事の出来る人間は極わずかで、殆どの人間は魔法の存在すら知りえないのです。

もし魔法使いが現れたとしても、それは完全な魔法使いでは無く『混ざり物』の魔法使い。

神々との邂逅によって後天的に得る副産物に過ぎないんです。

「例え魔法使いが子供を産んだとしで、その子供には魔法を扱う能力は無いんです。本当に魔法を使う事が出来たのなら、それはその方が魔法使いの子孫だからでは無く、単純に魔法使いとしての条件を果たしていただけに過ぎません。」

そうです。

だから、魔法使いの子孫だから魔法が使える、なんて話は起こりえないんです。

でもどうして私はそう確信したんでしょう……。私には記憶なんて無いのに……。

私の話を聞いたおじいさんは、じっと瞳を見つめてから皺の多い瞼を細めました。

「そうか……。じゃがのお、ワシはそれでも見てしまったのじゃ。その事実は覆せん。そしてその魔法使いは、それからすぐに村から出ていってしもうたのじゃ。その時、ワシにある物をのこしてのお。」


おじいさんはそれからまた歩き出しました。

そうしてたどり着いたのは、船の一室でした。

部屋に番号が書いてあるということは、客室なのでしょうか。

おじいさんはその部屋の鍵を開けて、ドアノブに手をかけます。


「ワシはその時に出会った魔法使いを今でも探しておる。じゃがのぉ、これはあの魔法使いでは無くおぬしに渡すべじゃとそう思ったのじゃ。」


魔法使いの子孫。おじいさんの村を救った魔法使い……。もし本当にそんな方がいるのなら私も会ってみたいものです。

と、ふとその時頭の中に疑問が浮かびました。その疑問は、あまりにも今更すぎるものでした。この旅が始まるよりもずっと前から浮かんでいいはずの、純粋な自問自答。


——なぜ私はここまで、魔法という存在に固執しているのでしょう。


ニカルと初めて話した時も、こうして今もずっと私の中には魔法という存在を肯定しています。

魔法に対する知識も持っています。

記憶は無くても、知識はあります。

それは一体、なぜ?

だって私は自分の名前も、出生も思い出せないのに。

そんな自分への疑問を他所に、おじいさんは部屋の中に足を踏み入れます。

沢山の本が部屋中に山のように積まれている、少し変わった部屋でした。

その部屋の持ち主が目の前にいるおじいさんだとそう悟るのに時間は要りません。


「——あ」


ソレを見つけた瞬間、声が自然と漏れ出ていました。

窓から入り込む陽の光を浴びて、キラキラと輝く大きな棒状の物体。

私の身長よりも高く、その場所だけ世界が違うかのように錯覚してしまいます。

木で作られたその棒状の物体の頂点には、眩い光を放つ宝石がゆらりと揺らいでいて。

壁に立てかけられていた、とても古びたその杖に私は一瞬で目を奪われました。

おじいさんはそんな私の反応を見て、嬉しそうに笑います。

「ふむ、ワシの直感はどうやら間違いでは無かったようじゃな。もう少しこの杖を見てみるか?」

「い、……いいん、ですか?」

「もちろんじゃとも。ほれ、触ってみろ。」

私は部屋の中に入り、おじいさんからその杖を手渡して貰いました。


その瞬間、杖に装飾されていた宝石が真っ白に光出しました。

そしてまるで杖が自我を持ったかのように、生きているかのように。

私に話しかけてきたのです。


——貴女はなぜ、旅をしているの?


それは……。私を助けてくれたニカルとエクターが旅をしていて、私を誘ってくれたからで……。

でも、それを断る事だって出来たはず。

どうして私はあの時、ニカルの言葉にはいと応えたのか、それは……。

ああ、と私は納得します。

正確に言えば、思い出したんです。どうして私が旅を続けているのか。

どうして私はここにいるのか。


——どうして私は、存在しているのか。


その応えをそっと、私は心の中で応えます。

杖はそれに反応するように再び輝き出しました。

それを見ていたおじいさんは、柔らかな目元を細めて私に言います。

「その杖は、おぬしの事が気に入ったようじゃ。どうじゃ、その杖を貰ってやってはくれぬか?」

「杖が……私を?」

初めて握ったのに、とても良く手に馴染んで。

初めて出会ったのに、どこか懐かしい。

私はこの杖と共に、旅をしたい。

そう本能が告げているような気がします。


「いいんですか?頂いても……。」

「小童が何を謙遜しておるのじゃ。老いぼれの戯言に付き合って貰った礼じゃ。受け取るがよい。」


私はその言葉にこくんと首を下におろしました。

「ありがとうございます、おじいさん。この杖、大切にします。」

「いいんじゃよ。それよりもずっと聞きそびれている事があったのじゃ。おぬし、名前は何と言う?」

私はその杖をぎゅっと抱きしめて、笑顔で応えます。

何も無かった私が、一番最初に貰った大切な宝物。

その名前の意味を理解して、そして私の存在理由も理解して。

そう思うと存外、この名前は私にピッタリなんじゃないかな、なんて思いながら。


「——私はレノア・ウィッチ。これから魔法使いになる、レノア・ウィッチです!」


そう。私の名前はレノア・ウィッチ。

私の生きる意味は、魔法使いになる事。

だからこれは始まりの物語。

おじいさんは私の名前を聞いて、少し驚いてからどこか嬉しそうに微笑みました。

「そうか……。いい名じゃのぉ。」

「——はい!!」


私も。私も、そう思います。

ああ、どうしてでしょう。今無性にニカル達に会いたくなりました。

特に理由もないけれど、胸いっぱいにニカル達の事が思い浮かんで来るんです。

「おじいさん、私行きたいところが出来ました。……行ってきてもいいですか?」

「もちろんじゃ。この船旅はもう少し続く。その間にまた、おぬしに会える事を願っておるぞ。レノア。」

「私もです!その時はまた、魔法の話を聞かせてください!!」

自然と笑顔が零れました。

そうして私は貰った大切な杖を両手で抱えて走り出します。


ねえ、ニカル。

人と人との出会いというのはこんなにも素晴らしいものなんですね。

ニカルとクライスさんの出会いの話を聞いた時も、私実は少しだけ羨ましいなって思っていたんですよ。

だってあんなにも素敵な出会いで結ばれた縁がずっとずっと続いて、今も尚繋がっているなんて素敵な事じゃないですか。

だから私は、きっとそんな素敵な出会いを求めて旅に出たんだと思います。

ニカルと出会って、エクターと出会って。クライスさんと出会って。そして今日は素敵なおじいさんと出会いました。

こうして人は円を広げていくように縁を結んでいくんですね。

それって、人間にしか出来ない特権だと思いませんか?

少なくとも、私はそう思います。


「——ニカル!!」


ニカルの部屋まで一直線に走った私は、勢いよく扉を開きます。

私の声で目を覚ましたのか、そこにはゆっくりと身体を起こすニカルの姿がありました。

汗が滲んで、息が上がって、でも不思議と疲れなんてなくて。

そんな身体で私は、寝ぼけ眼のニカルに近付きます。

一番最初に伝えたかったんです。

ニカルは私に色々なものをくれて、色んな事を教えてくれたから。


「ニカル。私、思い出したんです。——私は、魔法使いになる為に生まれました。」


魔法なんて無いと、そう誰かが言ったとして。その辺に転がっている石ころを投げられたとして。

それでも笑って過ごしていく事は決して簡単じゃないんです。

だから、ニカル。

私が証明してみせます。ニカルの言っている事は本当なんだって。


——魔法は実在するだって、私が証明します。

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