「珠緒くん、もしかして罪の意識に苛まれてます?」


 自分でも気付かぬうちに沈んだ表情をしていたのだろうか、花乃が向かいの席から身を乗り出す様にして俺の顔を覗き込んで来る。彼女の鳶色の瞳が少しだけ揺らぎながら俺を射抜く。

 俺は苦笑して、花乃の顔面を掴んで押し戻す。


「殺してるのは事実だ。罪悪感こいつとは一生添い遂げるさ」


「それはどうぞ、ご自由に。でもでも、あなたが闘ったことで救われた者がいる事も忘れないで下さいね」


 花乃が、些か貧相な胸元に手を当てて訴えかけてくる。路傍に咲く花の様な微笑に、目元の泣き黒子が付き従っている。見た目だけなら悪くないのがなんか腹立つ。

 こいつ相手にセンチな空気になるのは非常に不本意なので、俺は胸の内に去来する魔法少女たちへの複雑な感情とともに、ボロネーゼを嚥下していく。タリアテッレに赤ワインの風味が繊細に絡んでいて、非常に美味。

 花乃は「ふふっ」と小さく笑い、再びサンドイッチを一口。そして、ハッとした表情。


「今の私、めちゃくちゃヒロインしてましたよね!? あざーす、寿退社一丁入りやーす!」


「おう、人生から早期退職させてやるよ」


 俺はフォークを握った右手の中指を立てて答える。めげない花乃が投げキッスをよこしてきやがったので、不可視の汚物を首を振って回避。


「目指せ独身からの早期退職FIRE! 夜の方もファイアー希望。燃え上がれ!」


「なあ、気づいてるか。お前ずっと一人で戯言宣ってるからな? 会話のキャッチボールってご存知ない?」


「キャッチしたいのはボールじゃなくてあなたのハートです。あ、でもでもボールもキャッチしなきゃですよね。ちなみに睾丸の事を言ってますよ?」


「直球で言うわ。死んでくれ」


 食事中の下ネタ絶対殺すマンである俺は花乃の目玉を狙ってフォークを投擲、しかし指二本で受け止められ、「お行儀が悪いですよ」とそっと返品される。どの口で言ってんだクソが。大人しく死ね。


 その後も楽しげに妄言を吐き散らす花乃を完全無視して食事を終えた俺は、トレイを持って席を立ち、カウンターに食器を返却する。カウンターから見える厨房内に調理班の顔見知りの姿があったので、片手を上げて挨拶しておく。


 すると、左耳につけたヘッドセットに着信。

 作戦司令本部からの、トリガー隊への緊急招集だった。




 合流した俺たち三人は花乃を先頭に、作戦司令部最奥に向かって歩く。階段状になって各モニター付きデスクが配置されている作戦司令本部は慌ただしく、まさに戦場の様相を呈していた。

 日本地図が表示された司令本部先頭の大モニターは緊急アラートを表示していて、日本海側のとある県が真っ赤に染まっているのが見て取れる。職員たちが慌ただしく駆け回っていて、各席のPCを忙しなく叩く音や、先遣隊や各関係省庁と通信する声が其処彼処から響いている。

 そんな彼らを横切って進み、トリプルモニターの座席から立ち上がって各員に絶え間なく指示を飛ばしている総司令の前に立つ。


麻宮あさみや総司令、『特別戦闘班トリガー隊』到着致しました」


 襟を正して背筋を真っ直ぐに伸ばし、花乃が緊張した面持ちで発声すると、黒のスーツに身を包んだシルバーブロンドの女性——『ドロシー日本方面支部総司令官』麻宮エレオノーラが振り返った。金縁眼鏡の下の眼光は鋭く、紅の唇は怜悧を示す様に引き結ばれている。

 麻宮総司令は俺たちの姿を認めると口元を微かに綻ばせ、右手の親指と人差し指で目元を揉みほぐしながら左手を挙げた。お疲れですな。


「花乃、珠緒、ウィルヘルム。昨日から立て続けで済まない。緊急事態——『大規模魔法少女病状』だ」


 俺たち三人を順番に見やり、そしてモニターへ視線を移して苦々しげな表情。クールな横顔が、モニター一面のアラートのせいで薄赤く染め上げられる。ウクライナと日本の混血という事もあってか総司令は若々しく見えて、とてもじゃないが壮年だとは思えない。

 花乃の背後から顔を出し、俺は総司令のデスクに設置されている三枚の内、中央のモニターを見る。日本海沿い某県の某町、その中でも一部分が、『八十六』という極めて高い魔素汚染数値を叩き出している。

 最悪だ。


「『怪域かいいき』……」


 俺と同様に数値を視認した花乃が、茫然と呟く。


 魔法少女の出現や魔法の行使は、大量の魔素を周囲に撒き散らす。耐性を持たない人体には酷く有害であり、肉体や臓器の異形化や不全、そして死をもたらす。それが『魔素汚染』と呼称されている。

 魔素汚染には段階があり、数値毎に割り振られている。零〜二十は人間が問題無く生活出来て、二十一〜四十は除染作業が必要となる。四十一から六十となると長期の除染計画が必須で、六十一以上に達すると一時破棄領域となり、人類の生活圏としては見放される。汚染が深刻過ぎて除染計画の目処が立たないからだ。


 魔素汚染数値が八十を超えると、異変は空間自体に及び始める。面積値を無視した内部空間の広大化、重力異常、構造物の変形・劣化・崩壊、人間以外の動植物の異形化など、挙げ始めればキリがない程に多岐に渡る。

 そんな風に異形化してしまった空間は、『怪域』と呼ばれている。

 十数年前まで最先端の都市であった東京が、今や何千年も放置された廃墟の様になってしまっているのも、かつて都心部を中心とした超広大な『怪域』が発生したからだ。


 怪域が発生すると言うことは、それ程に強大な力を持った魔法少女が出現してしまったという事だ。

 そして今——、かつての東京と同様の惨事が引き起こされている。

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