ツァトゥグァはかく語りき
エモリモエ
月夜の森を行く女の話
いまは昔。
それほど昔というわけではない昔。
月の明るい夜のこと。
ひとりの女が行くのが見えた。
「すべてはいずれ終わるのよ
言いなりになんか、もう、ならない
心が引き裂かれてしまいそう
だから月夜に、この夜に、秘密を埋めに森に行く」
女は疲れ切っていた。
いつもうつむき、足取り重く、まだまだ年は若いのに、まるで年寄りのようだった。
女の不幸はありきたりなものだったけど、それがありふれたことだと知ったところで、不幸なことに変わりない。
「物語は簡単
だけれど、それが自分の人生だったら、納得するのは簡単じゃない
憎い人、憎い人たちを殺すことを、一度は考えた
自分を殺すことは、何度も
でも、そんな終わりかた、退屈だもの」
浮かぶ月からは銀の雫がしたたって、女の足を濡らしてる。
銀の雫の足跡が、暗い森へと目指して進む。
足もとの光は、しゃらしゃら。
耳もとに歌って、しゃらしゃら。
女の秘密を告発してる。
女はそれが怖かった。
光に濡れて怯えてた。
月は目撃者だった。いつも。月は女のすべてを知っていた。
新月から満月に。
満月から新月に。
秘密は繰り返し、繰り返されて、しだいに魂を蝕んだ。
そして女は女であるがゆえに、その身に闇を孕んでしまった。
「闇よ、闇。望んだわけでもない秘密の果実」
女はそれを産み落とし、光るナイフで切り落とし、貝の細工の小箱に入れた。
それから小さなその箱を沈んだ色の布で巻く。
けれどもどんなに包んでも、そこから強く罪が匂った。
女は匂いが漏れないように、ぎゅうっと胸に抱え込む。
包みがあんまり軽すぎて、それが心に重かった。
だから。
女は足を引きずって、月夜の森に急ぐのだ。
そして、いつしか。
女は森の深くをさまよっている。
髪はほどけてヒタイに丸まり、服ははだけてヒジから垂れる。
くちびるには読みかじったばかりの生半可な祭文。
肌からは若い血潮のあたたかみが冷たい夜に流れてく。
女のすべてが夜の森をかき乱していた。
女はそれに気づかない。
ただ、木々が頭上を覆って、わが身を月から隠してくれる、そのことだけを感じてた。
そう、もう月は見えない。
しゃらしゃらと秘密を覗くものはない。
その代わり夏の夜に発光する虫が無数に飛び交っている。
月の歌声はもう聞こえない。
しゃらしゃらと秘密を暴くこともない。
かわりに興奮した蛙たちの声がすさまじいまでに響いている。
そのせいで闇に踊る不気味な影に女はまるで気づかない。
そして、なにより。
女は疲れきっていた。
すべてに。
短い人生に。
「わたしは、他人の不幸を、望みません
憎い人、憎い人たちの不幸も望みません
わたしの罪は重いけど、悪い人間には、なりたくないのです
わたしが望むのは、ただひとつ
ここから逃げたい、逃れたい
どこか、ここではないところ
誰も知らない遠いところに
それだけなのです、嗚呼、どうか」
ふいに。
なにもないところで女はつまづき、枯れ木のように倒れこむ。
そのまま起き上がる気になれず、その場で寝ころび、草むらに白く光る小さな花のようなものを見た。
女はそこまで這いよって、白く輝く魚鱗草、そのすぐ横の地面を掘った。
「秘密よ、秘密
誰からも望まれなかった闇の結実」
そして。
土深いところに罪深い包みを静かに埋めた。
「わたしは秘密をこの森に埋めました
わたしは憎しみをこの森に埋めました
だから、どうか、もう捕まえないでください
だから、どうか、もう閉じ込めないでください
森の外にはきっとあるはず
わたしの行くべき場所
変わるべき未来
託すべき運命が」
女はあまりに若かった。
そしてあまりに善良だった。
望みはまっとうで害がない。
そうとも。
女は悪くない。
ただ、知らなかっただけなのだ。
この世には女の望む場所はない。
自由はまやかしに過ぎず、檻から逃れても別の檻が待っているだけ。
そして女は間違えていた。
口にしていた
それは古えの神を呼び出す
そう、古えの神は偉大。
偉大にして尊大。
飼いならされた神のように人間の娘を守りはしない。
間違えたこと。
知らなかったことは、言い訳にはならない。
ひとたび神を呼び出せば、代価を払う必要がある。
むろん代価は安くない。
なにしろ相手は神なのだから。
嗚呼、女のなにもかもが哀れだった。
女の若さも。
美しさも。
女の無知も。
希望さえ。
なにもかもが哀れだった。
だから女の、
だから白くて、
ひどく細っこい首の骨を。
ポキリと折ってやったのさ。
しゃらしゃらと大きな体を揺さぶりながら、
ツァトゥグァはかく語りき エモリモエ @emorimoe
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