晴れた貴女の雨姿

──────




 誰が言ったか。縁というものは、断ち切ることができないと。

 たとえ細い一本の糸のように窺えても、強固な縄のように複雑に編み込まれていて、糸切り鋏どころか、裁ち鋏でも二分できないのだと。


「?どうしたの明日見あすみ、悩み事?」

「……なんでも」


 目の前に映る綺麗な、憎たらしくて、いっそ私の手で崩して壊したいほどに綺麗な幼なじみは、今日も今日とて察しがいい。

 いや、人をよく見ているだけで、察しはよくないか。こうやって今も、貴女を内心疎んでいる私とここまでの距離でいられるんだもんね。


「当ててあげよっか」

「大した正答率もないくせに」


 太陽を背にし、頭に手で電球のマークを作ったはれは、「お腹痛なかいた!」と存外的外れでもない回答をする。

 逆光が作る晴の影は、私の身体と重なって、ああ、ひどく気分が悪くなってしまう。

 肩まで伸びた梳くことが容易な髪。端正も端正な顔立ち。おまけに小顔で、脚まで長いときた。避けられない負けを日々重ねて、私はとうにくすんでしまっている。


「あ。そうだ明日見、私も悩みがあるんだ。何か当ててみてよ」

「ラブレターでしょう」

「正解!なんで?」


 別に男らしいというわけでもないのに、いや、それはそもそも関係あるかは分からないけれど、晴はこの女子高という舞台で、よくスポットライトを当てられる。

 この子は生来の役者なのだ。

 人を癒し、人を惹き付け、人の希望になる。これらは意識をしているわけではなく、ただありのままに生きているだけでそうなのだ。

 だから、いつも隣にいる私は、煌々と光るスポットライトの脇に隠れて、ただ暗闇から彼女の一挙手一投足を眺めている。釘付けになっていた幼い頃が馬鹿みたいだ。私はただ恥をかいているだけなのに。


「そう。ラブレターを貰ったんだよ。ありがたいことに」

「本当にありがたがってる?」

「正直、思ってないかも。よくあるし」

「でしょうね」


 特別とは、相対的なものだ。

 私から見れば特別も特別な晴は、本人としては、自分の扱いが本心から特別だとは思っていない。それは言動の端々から窺えて、それが晴の当たり前なのだ。傍からみれば起伏に富んだ人生も、本人が起伏だと感じていなければ、それは均された変哲のない道に過ぎないのだ。


「……で?」

「“で”って?」

「行くの?行かないの?」

「行くつもりだけど」

「知ってた」

「なんで聞いたのさ」


 透き通る肌に掌を押し付け、不服そうな顔をする晴。ブー垂れた表情ですら花になるのだから、心の底から憎らしい。


「明日見はさ」

「何?」

「私がラブレターとか貰うの、どう思う?」

「心底どうでもいい」

「明日見は晴ちゃんに無関心すぎるなあ」


 好きの反対は無関心というけれど、私は晴にただならぬ執着を抱えていることを自覚している。でも、その上で私はこの子が嫌いだ。純粋な熱量だけで言えば、このラブレターを渡した子と比べても差し支えないだろう。

 ただ、好意ではないということはひどく鮮明で、関心を向けていることに嘘はつけない。


「じゃ、私行ってくるね」

「行ってらっしゃい。先帰っとくから」

「え、ひどい。待っててよ」

「さっさと口説くフリをしてきなさい。で、こっぴどく振ってしまうんでしょう?」

「まあ、うん。そうかも」


 平等に期待を与えつつ望みを断つ。天性の人たらしたる晴の、いつもの告白を受けた時の返答のテンプレートだ。

 期待させてから落とすだなんて、マトモな情緒をしていれば思いつかない。それでも尚、こんな振られ方をしても尚、晴のことを好く女子の、なんと多いことか。だから多分晴本人も、これが優しい方法ではないと分かってるのだろう。求められているから、やっているのだ。

 じゃあこの子の自我は、どこにあるのだろう。人から“こうあれ”と望まれて、そればっかりじゃないか。晴は何を得ているんだ?好意とかいう一方的な感情を一方的に押し付けられて、それだけだ。

 私の好き嫌いは抜きにして、このような世界に長らく腰を据えている晴は一体、何を考えて生きているのだろう。18年一緒にいるのに、まだこの子のことは何も分からないままだ。




~~~~~~




『明日見ちゃん、また晴ちゃんの告白待ち?』

「不本意だけどね」

『毎回毎回ちゃんと待ってあげてるよね。明日見ちゃんってほんと晴ちゃん好きだねぇ』

「まさか。冗談でしょ」


 壁に貼られた藁半紙を見る。そこには晴が写っていた。弓道着姿でトロフィーを抱えたものと、もうひとつは名前だけ。後者は今学期末のテストの成績上位者を張り出したものだ。

 容姿端麗で品行方正な晴だが、運動や勉学の面では、他人にだけではなく自分にも時間を割くことができる。

 これもまた憎らしいこと。何かひとつではなくて、何もかもを持っている。少なくとも私の主観では、いや、誰しもがそう思うだろう。

 天は二物を与えずとは言うけれど、晴は幾つもを与えられた上で、それを自分で手懐けられている。ハナから勝てるわけがないというやるせない悔しさは、数年前に雨上がりの用水路にくしゃくしゃにして投げ捨てたはずだ。


「……今日は遅い日、か」


 昇降口で夕日に照らされること、約30分。

 じりじりと剥き出しの脛が熱を持っていたので影に身を引っ込めて、消して座ることなく壁に凭れかかる。座って待つなんて、負けた気がするから。変なところで意地を張って、大変無駄なエネルギーを使っていることには気がついている。


「……認めたくはないけれど、本当に綺麗。少し穢せば、私も横に並べるの?」


 雑念……というには執着の面が表立って現れすぎているような思考は路傍に置いておいて、今日の晩ご飯にでも思いを馳せてみる。この感情を抱いている時点で思考はとうに回っていないのだから、些細なことを思いつこうが、なにひとつまとまらないのはお約束。あの子と同じ土俵に立たされ続ける私の宿命。

 ああ、言祝ぎの真っ黄色な声がうるさい。晴れた空々に囲まれて、太陽は一心に晴を見つめている。文字通りの晴れ舞台。何を着ても晴れ姿なのだから、幾度となく目まぐるしい感傷に自己中に浸っている私は、誰の目にも不細工に映っているのだろう。

 それは自覚している。だけれど、この嫉妬とも怨恨とも取れる執着が、私の生きる術になってしまっていることも、これもまた否定はできない。

 ……どこまで穢せばいいんだろう。晴をパズルの容量で分解したとして、薄く汚れたピースはひとつもあるのだろうか。ミルクパズルが如く白に澄んでいて、でも輪郭はハッキリしていて、すごく組み立て易そうだ。


 ……それにしても遅い。

 そうだ。冷やかしにでも行ってやろう。観客席の最前列に回って、暗闇から脚を引いてやろう。不恰好な様を、恥を晒して、少しでも気を悪くしてやろう。


『……っ!』

「わっ、何よ!?」

『……ごめんなさい!』


 曲がり角から駆けてきた生徒。どこかで見覚えがあるような、初めて見たような。

 知人かどうかを窺う暇もないまま、その生徒は昇降口のほうへと足早に消えていった。


「なんだったのかしら」


 そういえば、彼女は中庭のほうから駆けてきた。この学校の中庭といえば、抱えた恋心の消化場所としてはスタンダードだ。実際今日のラブレターにも、確か中庭と書いていた。

 未だに落ちない日を頼りに、中庭のほうへと足を運ぶ。別に心配などはしていない。可愛い後輩、もしくは同い年で顔なじみの、うら若き少女を心無く拒絶した晴の淡とした顔つきを、1秒でも早く眺めたかったから。


「晴?気分はどう?」


 中庭に着いた。人の気配はない。清掃の行き届いた中庭には、体高のある観葉植物が所狭しと並んでいて、改めてこれを見ると、告白のロケーションとしては赤点なのかもしれない。

 と、ひとつ引き戸が開いている。

 吹き付ける風が、建付けの悪い引き戸をガタガタと鳴らして耳障りだ。

 ああ、なるほど。そういうことか。中庭は待ち合わせ場所に過ぎなかったのだ。この学校には、人目に付かない場所が多い。南棟の階段下は特にそうだ。告白には絶好の場。いかがわしいことにも使われているという噂もある。


「晴?いるんでしょう?またこっぴどく振ったのね」


 引き戸から階段下を眺める。

 そこに晴はいなかった。


「晴ー?貴女が振ったの、さっきのセミロングの女の子でしょう?どんな振り方をしたら、あそこまで動揺させられるのかしらー?」


 ……返事はない。

 人気のない夕暮れの校舎に私の声が木霊して、不必要な安っぽい不気味さが演出された。

 ああ、勝手に帰ったのか。

 頭を人差し指でひと掻きする。待ってあげた人に対して、これはあまりにも不義理なのではないだろうか。


「晴ー?いるんでしょう?早く出てこないと帰っちゃうわ──」

「……ぁ……明日……見……?」

「……晴」


 南棟の階段下、その奥の空きスペース。

 恐らく自身の吐瀉物を撒き散らして、無様にうずくまる晴が、そこにはひとりいた。


「…………」

「ぁ、明日見、私……キスされちゃった。舌入れられて、息、できなくて、それで、気持ち悪くて……」


 潤んだ瞳。震えた声。酸っぱい臭いに、引き攣った表情筋。著しく気分を害された少女が、ひとり。


「…………」

「……明日見、ごめん、汚いよね」


 頭が回ってないのか、制服で自身の吐瀉物を処理しようとする晴。これを私はすかさず止めて、なんと言ったかは憶えてないけれど、とりあえず養護教諭を連れてくることにした。




~~~~~~




 本当に、綺麗じゃなくてよかった。


 養護教諭に礼を述べ、すっかり落ちた日を背に私たちは帰路につく。


 本当に、綺麗じゃなくてよかった。


 幾分光を失った晴の目は、穢された口元は、日を重ねないと元には戻らないだろう。


 本当に、綺麗じゃなくてよかった。


 無責任に当たり障りない励ましの言葉をかけて、今の思いを口に出さないことに必死だ。


 そう。私は、強くこう思う。


 底抜けに綺麗な晴。その吐瀉物まで、綺麗じゃなくてよかった、と。


 この黒々とした安心感を晴に伝えることは、この先数十年と同じ時を重ねても、絶対にありはしないと確信している。

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