15. 大きな平和

「タケルさん? 『社長』か『男爵』、どっちで呼んで欲しいですか?」


 クレアは後ろ手に組み、碧い瞳で悪戯っぽく聞いた。


「えっ!? う、うーん、『CEO』かな?」


「は? 何ですかそれ?」


「チーフ・エグゼクティブ・オフィサーの略だよ」


「……。何言ってるかわかんない! タケルさんは今まで通りタケルさんで、決まり! いいですね? タケルさん!」


 クレアは口をとがらせムッとすると、パンとタケルの背中を叩いた。


「痛てて! もう……!」


 トンチャンチャララン♪


 その時、タケルのポケットからマリンバの音が響いた。


「おっとっと、殿下だ!」


 タケルは慌ててスマホの試作品を取り出し、電話に出る。


「もしもし、タケルです!」


 いきなり背筋を伸ばしてテトリスマシンのようなものに話しかける姿を見て、クレアはどういうことか分からず、キョトンとする。


「は、はい。かしこまりました。いや、そんなことなくてですね。はい……。そうですか、良かったです……。助かります……。それでは馬車をお待ちしてればいいですね? ……。失礼します……」


 緊張の糸が切れたタケルはふぅと大きくため息をつくと、台の上にドカッと腰を掛けた。


「タケルさん……、それ……、何ですか?」


「あ、これかい? わが社Orangeオレンジの新製品、電話だよ。遠くの人と話せるのさ。今のは殿下だよ」


「えっ!? えっ!? これで今、殿下と話してたんですか!? えっ!?」


 クレアは目を真ん丸くして後ずさる。


 遠くの人と話せる伝心魔法というのは聞いたことがあるが、それは特殊なスキルを持った魔法使いだけのモノであり、こんな簡単に使うことなんてできない。この世界では情報の伝達には手紙を使うのが普通であり、それは何日もかかる上に届かないことすらあった。それがこんな簡単にリアルタイムで会話できるとしたら世界は変わってしまう。少なくともアバロン商会のような流通業では、売り手や買い手の情報を正しく早く把握することができれば莫大な富を生むのだ。


「こ、これ……、商会にも欲しいんですケド……」


 クレアは恐る恐るタケルに頼んでみる。


「ははっ。言いたいことは分かるよ。情報は金だ。でも、安価に一気にばらまいちゃうからアバロン商会だけって訳にはいかないんだよ」


「そ、そうなのね……」


 クレアは口をとがらせ、うつむいた。


「でも、クレアには一台ちゃんと用意してるから、一足先にあげるよ」


 タケルはニコッと笑う。


「ほ、本当!? やったぁ!」


 クレアは嬉しさを爆発させ、タケルの腕にギュッと抱き着いた。膨らみ始めた柔らかな感触がタケルの腕に伝わり、タケルはポッと頬を赤らめる。


「お、おい……」


「じゃぁ、いつでもタケルさんとお話しできるね?」


 クレアはタケルの耳元でささやいた。


 美しく整った小さな顔、その潤いを含んだ碧い瞳がタケルを見上げている。


「ま、まぁ、常識的な時間……ならね」


「ふふっ。毎晩寝る前にかけちゃおうかなぁ~」


 クレアはいたずらっ子の目をして笑った。


 タケルはその眩しい笑顔に耐えられず、目をそらす。前世アラサーだったタケルには少女の笑顔はまぶしすぎるのだ。


「毎晩……。何話すんだよ?」


「あら、会話に中身なんて要らないわ。とりとめのない事で笑いあう、それが私たち若者の特権なのよ」


 クレアはニヤッと笑う。


「ははは、そうかもね?」


 中身はとっくに若者ではないタケルは乾いた笑いで返した。



      ◇



 いよいよ男爵になる日がやってきた――――。


 タケルは迎えに来た豪奢な馬車に乗り込み、宮殿を目指す。国王陛下から男爵位を下賜してもらう式典があるのだ。


 カッポカッポとひづめの音を石畳に響かせながら、馬車は小高い丘へと登っていく。やがて見えてきた白亜の宮殿。この国一番の豪奢な建造物であり、王家の威信を広くあまねく王都の人々に知らしめる街のシンボルだった。


 エントランスで降ろされたタケルは、思ったより巨大で壮麗な宮殿に思わず息をのむ。


 美しいマーブル模様の大理石造りの白い建物にはエッジの部分に金があしらわれ、随所に精巧な浮彫が施されて見る者を圧倒する。そして、上部に大きな丸い穴が開いており、その中に真紅の魔法の炎が揺れていた。圧巻なのはその炎はゆらゆらと揺れながら時折幻獣の形となって来訪者を睥睨へいげいするのだ。まるでフェニックスのような真紅に輝く鳥ににらまれ、タケルは思わず後ずさった。


「ははは、あの鳥は出てきませんよ」


 迎えに来たアラサーのさわやかな男性が右手を差し出してくる。グレーのジャケットをビシッと決めたその姿には気品が漂い、一目で貴族とわかるいで立ちだった。


「あっ、タケルです。よろしくお願いいたします」


 タケルは握手を交わし、頭を下げる。


「僕は同じ男爵のマーカス・ブラックウェル。キミは確かグレイピース男爵になるの……かな?」


「そうです、そうです、まだ慣れて無くてすみません。タケル・グレイピースです」


「グレイピースって初めて聞く名前だけど、何か意味あるの?」


「私の故郷の言葉で『大きな平和』って意味がありますね」


「へぇ、いい名前だ。平和になって欲しいよねぇ」


 マーカスは肩をすくめる。王都に居れば日常あまり意識することはないのだが、辺境では魔王軍と対峙し、諸外国との小競り合いも絶えない現実は日に日に深刻さを増しているという。


「自分も平和には貢献したいと思っているのです」


「お、いいね。本当に平和が一番なのになぁ……。おっと、こうしちゃいられない。さぁ行こう」


 マーカスはタケルの背をポンポンと叩き、タケルを王宮の中へといざなった。












16. 齧られたリンゴ


 王宮の内部に一歩足を踏み入れた瞬間、タケルは目の前に広がる壮麗な光景に心奪われた。優雅な曲線を描く階段が二階へと伸び、その手すりには黄金がふんだんに使われ、煌びやかな輝きを放っている。壁沿いに魔法のランプが整然と並び、壮麗な彫刻と絵画が浮かび上がって、この場所の長い歴史と栄光を語りかけてくるようだった。


「いよいよ式典だけれども、キミの場合は敵方が狙っているからちょっと変則的にいくよ」


 マーカスはそう言うと辺りをキョロキョロと見回し、タケルの手を引いて細い通路へと入っていった。


「狙っているってどういうことですか?」


「敵の陣営がキミを取り込もうとしてくるだろう。そして、言うことを聞かないのであれば平民のうちに殺しておこうってことさ」


 足早に細い通路を進みながらマーカスは不穏なことを口にする。


「こ、殺す!? まさか……」


「何言ってるんだ、ここは伏魔殿。平民など『無礼を働いた』という一言で簡単に殺せる世界だぞ? 式典までは敵方に絶対に見つからないように」


 マーカスはタケルの平和ボケっぷりに呆れたような顔で諭した。


 しばらく通路を進んで、マーカスは周りの様子を見ながら小さな作業室に入っていく。静かにドアを閉め、ガチャリと鍵をかけたマーカスはふぅと大きく息をついた。


「これでいいだろう。式典まではここで隠れていよう。とりあえず、お茶でも入れるか……」


「あ、僕がやります」


「いいのいいの、今日はキミが主役なんだから座ってて! 我が陣営のホープなんだからさ」


 マーカスは上機嫌にテーブル席にタケルを座らせると戸棚を漁り始めた。どうやらこの部屋はスタッフたちの休憩室らしい。


 と、その時、コンコンとドアがノックされ、緊張が走った――――。


 え……?


 マーカスは眉をひそめ、タケルと顔を見合わせる。誰かが来ることは想定外のようだった。


 そっとドアまで行くと静かにドアを開けるマーカス。


「男爵様、ジェラルド殿下がお呼びです。緊急事態だそうです」


 侍女らしき若い女がひそひそ声でマーカスに告げた。


「え? うーん……、分かった」


 マーカスはタケルの方をチラッと見ながら返事をする。


「タケルさん、ちょっと出てくるけど、ドアにカギかけて戻ってくるまで絶対開けないでくださいね」


「わ、分かりました……」


 マーカスは心配そうに何度かうなずくと、足早に出ていった。


 タケルはきな臭さすら感じるこの緊迫した雰囲気に、顔をしかめながら鍵を閉めた。


 単に男爵位を国王陛下から下賜してもらうだけの話だと思っていたら、命を狙われて身をひそめている。一体なぜこんなことになっているのか混乱し、タケルは重いため息をついた。


 気分転換でもしようとお茶を入れ、一口すすった時だった――――。


 ガチャ!


 いきなりドアのカギが開けられ、男が入ってきた。


 えっ……?


 ドカドカと入ってきた筋肉質のでかい身体をした男は、純白のジャケットに金の鎖を揺らしながら堂々たる態度でタケルに迫ると、不機嫌そうに向かいの席にドカッと座る。それはアントニオ・ヴェンドリック、第一王子だった。


 いきなり敵陣営のトップが入ってきたことにタケルは凍り付いた。マーカスを誘い出したのもアントニオ側の工作だったに違いない。


「おい、お前、我が陣営につけ!」


 アントニオはテーブルに置いてあった小さなリンゴを一つつかむと、背もたれにもたれかかり、有無を言わせぬオーラを発しながら命令した。


 王族はなぜこうも強引なのだろうか? タケルはいきなり訪れた究極のピンチに真っ青になり、必死に言葉を探した。ここで断れば斬り捨て御免で終わりだ。自分の身分はまだ平民、今なら殺しても何の問題にもならない。背筋を走る悪寒にタケルはブルっと身震いをした。


「返事は?」


 アントニオは筋肉質の太い腕を見せつけるようにリンゴをかじり、ギロリとブラウンの瞳でタケルを射抜いた。


「恐れながらおっしゃっている意味が良く……分からないのですが……」


 まずはとぼけてみるタケル。だがしかし、そんな茶番は全く通用しない。


 アントニオは無言でタケルの方に腕を伸ばし、真紅のブレスレットを光らせた。


 刹那、激しい閃光が手のひらから放たれ、ファイヤーボールがタケルの頭をかすめて後ろの壁で炸裂する。


 ぐはぁ!


 激しい衝撃をまともに受けたタケルは椅子から落ちて転がった。


 壁には焦げた穴が広がり、ブスブスと煙が沸き上がる。


 くぅぅぅぅ……。


 タケルはよろよろと身体を起こす。


「Yesか死か、好きな方を選べ」


 アントニオは表情一つ変えることなく、タケルを見下ろすとまたリンゴをかじる。シャクシャクという咀嚼そしゃく音が静かに部屋に響き、タケルは絶望に塗りつぶされていった。














17. 斬ってヨシ!


 ジェラルド王子も有無を言わせぬオーラを放つが、アントニオはそれとは次元の違う暴力を背景とした圧倒的なオーラだった。


 オーラに威圧されたタケルはカタカタと震えてしまう。


 だが、今さら陣営を乗り変えるなどとてもできない相談である。


「で、殿下のご意向に背けるはずはございません。ですが、その前に恐れながら、殿下の描く国政の方針をお聞かせ願えますか?」


 タケルは絞り出すように震える声で言った。


「は? 俺がこの国をどうしたいかって? そりゃ圧倒的な武力! 力こそ全てを解決するパワーだ。我が王国を大陸随一の軍事大国としてこの大陸を統べるのだ!」


 ガン! とアントニオはテーブルをゴツいこぶしで激しく叩く。


「な、なるほど、素晴らしいですね。ですが、軍事力を強化するにはまず国が豊かにならないと難しいのでは?」


「そんなのはお前らの仕事だ! お前はガンガン金を稼いでわが軍を支えろ!」


 タケルはキュッと口を結んだ。稼ぎを収奪し、全て軍事侵攻の費用にするつもりなのだろう。もちろんタケルも稼ぎで魔王軍を打破していくつもりではあるが、他国を侵略するつもりなどない。人間同士の殺し合いなどたくさんなのだ。


 とはいえ、断れば死である。窮地に追い込まれたタケルは活路を求めて言葉を紡ぐ。


「王国のために経済的支援をするのは王国民として当然の務め。ですが、我が稼ぎを軍事に使うのであれば、わたくしめも軍師として作戦の立案などに携わらせてもらえますか?」


「は? お前のようなモヤシ小僧が軍に関われるはずなどないだろう! お前は金稼ぎ担当! なんか文句あるか?」


 タケルはキュッと口を結んだ。人殺しのための金を稼がされ、使い方にも関与できないなどまっぴらごめん。大きく息をつき、覚悟を決めた。


「殿下、わたくしは商人です。見返りのない一方的な利益供与は長くは続けられません」


 勇気を振り絞ってアントニオをまっすぐに見つめるタケル。


「ほう……? 貴様、死を選ぶ……か?」


 アントニオはピクッとほほを引きつらせ、ゆらりと立ち上がると腰の幽玄のエーテリアル王剣レガリアに手をかけ、スラリと引き抜いた。シャリーン! という金属音が静かな室内に響き、赤い刃紋の踊る美しい刀身が不気味にギラリと光る。


「で、殿下、いくら『斬り捨て御免』とはいえ、わたくしはジェラルド殿下の知己であり、説明は求められますよ?」


 タケルは冷汗をたらりと垂らしながら、のけぞった。


「ふん! 死人に口なしだ。理由などいくらでも作れるわ!」


 王剣を振りかぶるアントニオ。


「理由は作れません。なぜならすべて筒抜けだからです!」


 タケルはここぞとばかりに試作品のスマホをポケットから取り出し、アントニオに向けた。


『兄上、お話は聞かせていただきましたよ? それでは父上も納得しないと思われますが……』


 スマホからジェラルドの声が響き、画面には顔が映っていた。


「き、貴様、な、何だこれは……?」


 初めて見るビデオ電話にアントニオは動揺が隠せない。


「『斬り捨て御免』とは言え、引き抜きに失敗したから我が親友であるグレイピース男爵を手にかけたとあれば無事ではすみませんが?」


 畳みかけるジェラルド。


「うぬぬぬぬ……。怪しい魔道具を使いやがって!」


 真っ赤になるアントニオ。


「まぁ、私としても、あなたが彼を斬ってくれれば父上の同情を稼げますからね。斬りたければどうぞ? くふふふ……」


 方便とは言え、『斬ってもいい』というジェラルドの言葉にドクンと心臓が高鳴った。結局この人たちにとって人の命などコマにしか過ぎないのだ。


 くぅぅぅ……。


 アントニオは王剣を力いっぱいテーブルに叩きつけ、一刀両断にされたテーブルが飛び散った。


 ひぃぃぃ!


 慌てて跳びのくタケル。


「まぁいい。俺が王位についたらお前ら覚えてろよ?」


 アントニオは血走った目でにらみつけながら野太い声を響かせ、ドカドカと足音を鳴らしながら出ていった。


「危なかったね、タケル君……。くふふふ……」


 ジェラルドは楽しそうに笑うが、タケルはいちいち命のやり取りになる事態にウンザリしてガックリとうなだれた。


「もう、勘弁してくださいよぉ……」


「何を言ってるんだ、まだ始まってもいないぞ? ふははは」


 タケルは楽しそうなジェラルドの顔をジト目でにらんで、ふぅと重いため息をついた。













18. 獲物を見定める視線


 煌びやかな謁見室で無事爵位を下賜されたタケルはその晩、記念パーティの席上に居た――――。


 ジェラルドのはからいで高級レストランを貸し切って、ジェラルド陣営の貴族たちも続々とやってくる。


「やぁ、グレイピース男爵。お話はかねがね。私は子爵のヴァルデマー。これからよろしく頼むよ!」


 グレーの帽子をかぶったパリッとした紳士が握手を求めに来た。隣にはピンクのドレスを着た可憐な少女も並んでいる。


「何もわからない新参者です。どうぞご指導のほどよろしくお願いします」


 サラリーマン時代に鍛えた営業スマイルで胸に手を当て、握手に応えるタケル。


「うん、うん、何でも聞いてくれたまえ。……、で、これがうちの娘……。ほら、挨拶しないか、マデリーン」


「は、はい……。あのぉ……」


 マデリーンは十三歳くらいだろうか? 端正な顔に上品な雰囲気、さすが貴族令嬢である。ただ、ひどく緊張していて言葉が出てこない。男と話しなれていないのかもしれない。


「そんな緊張されなくて結構ですよ。今日は特別に美味しい食事も用意していますからゆっくり楽しんでいってください」


 タケルはニッコリとほほ笑んだ。タケルはこの世界ではまだ十八歳だが、精神年齢はアラフォーである。基本的な社交の会話は無事にこなせていた。


 マデリーンは恥ずかしそうにこくんとうなずくと、子爵の腕にギュッと抱き着く。


「おいおい……。箱入り娘なもので、申し訳ない」


「いえいえ、素敵なお嬢様ではないですか。将来が楽しみですね」


「おぉ、そうかね? それじゃ、今度改めて食事でも……どうかな?」


「はい! 喜んで!」


 タケルは満面の笑みを浮かべ、ノータイムで答える。『こういう時は何でもこう言っておけ』とマーカスに言われているのだ。


 子爵は嬉しそうに笑い、ボソッとマデリーンに何かをささやいた。


 マデリーンは顔をボッと赤くさせうつむく。


「失礼、子爵のベックフォードです。ヴァルデマー殿、私も挨拶させてもらっていいかな?」


 横からグレーのハンチング帽をかぶった紳士が声をかけてきた。


「おぉ、これは失礼。ではグレイピース男爵殿、娘ともどもよろしく頼むよ!」


 タケルはヴァルデマーと再度握手をし、次にベックフォード子爵と挨拶をする。隣にはまたも可憐な少女が水色のドレスに身を包んで立っている。


 見回すと周りには父親に連れられた少女たちがたくさん待ち構えており、じっと自分の方を見つめていた。その瞳たちにはまるで野生動物が獲物を見定めるかのような鋭さが光っている。


 え……?


 タケルはその異様な熱気に気おされた。


 第二王子に気に入られた新進気鋭のITベンチャー創業者の男爵。それは娘を嫁がせる先としては実に好物件なのだろう。何しろ第二王子が王位についたらそのお気に入り実業家の権勢は計り知れない。陣営の関係者で娘を持つ者はみんな連れてきているのではないか、というくらい会場には着飾った少女が目立っていた。


 その時だった、執事の声が室内に響く――――。


「ジェラルド殿下のおなーりー!」


 タケルたちは慌てて居住まいを正し、胸に手を当てて入口の方を向いた。


 金髪をファサッと揺らしながら、颯爽とジェラルドが入場してくる。


 パチパチと拍手が上がり、ジェラルドは手を挙げて応えた。


「えーと、グレイピース男爵はいるか? あ、いたいた」


 タケルは慌ててジェラルドの元へと走る。


「殿下、お越しいただきありがとうございます」


「貴族社会へようこそ! 式典ではなかなかどうして堂々たる立ち居振る舞い、さすが僕の見込んだ男だ」


 ジェラルドはニコニコしながらタケルの肩をポンポンと叩き、執事に差し出されるシャンパンのグラスを持った。


「えー、お集まりの諸君! 今日、正式に我が陣営に頼もしい仲間がジョインした。この男は若いのになかなかやり手でな、『金貨三千万枚稼ぐから仲間にしてください!』って土下座してきやがったんだ」


 へっ!?


 タケルは驚き、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてジェラルドを見た。


 ワハハハ!


 笑いに包まれる会場。


「でもまぁ、彼の技術力と我々のネットワークがあれば三千万枚など十分に射程距離だろう。ぜひ、彼を盛り立ててやってくれ! それでは乾杯!」


 ジェラルドはタケルの背中をパンパンと叩き、グラスを高々と掲げた。


「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」


 楽団が奏でるクラシックなメロディが室内に響き、それに大勢の拍手が続いた。


 転生した孤児が冒険者パーティすら追放され、食べるものにすら困っていたのはついこの間のこと。それが今や貴族たちに囲まれて祝福されている。どうしてこうなった? と、思わないではないが、勢いはあるうちに乗るしかない。金貨三千万枚、国家予算をはるかに超える大金で、この世界を大きく変えてやるのだとタケルはグッとこぶしを握った。




















19. ご令嬢に囲まれて


「どうだ? いい娘見つけたか?」


 ジェラルドはタケルの耳元でささやき、パチッとウインクをする。


「い、いや、自分はまだそんな……」


「何を言ってるんだ……。貴族にとって婚姻関係は最優先事項! 家柄で絞り、候補を後で報告するように!」


 ジェラルドはタケルの背中をパーンと叩き、自分は貴族たちに声をかけに行ってしまった。


「痛ってぇなぁ……」


 タケルが叩かれたところをさすっていると、ぞろぞろと娘を連れた父親たちが集まってくる。


「男爵、ご挨拶よろしいかな?」


「は、はい! 喜んで!」


 タケルは引きつった笑顔を見せながら挨拶をこなしていった。


 起業家にとって外交は極めて重要なタスクである。しかし、この世界ではそれが結婚相手を見つけることに重きを置かれている。これにはジョブズもビックリではないだろうか?


 タケルは結局何も食べられないまま、夜遅くまで親娘たちの対応に追われた。



         ◇



「タケルさん、お疲れ様っ!」


 手伝いに来てくれていたクレアがタケルにアイスティーのグラスを手渡した。


「いやもう、外交っていうのは大変だなこれは……」


 タケルは疲れ切った顔でアイスティーをゴクゴクと飲む。


「美しいご令嬢たちに囲まれてよかったですね! いい娘は見つかりましたか?」


 クレアはジト目でタケルをにらむ。


「いい娘って……、まだ十八歳だよ、僕は?」


「あら? 普通はもう婚約者がいてもおかしくない歳ですけど?」


 タケルの飲みほしたグラスを少し乱暴に奪ってトレーに乗せ、チラッとタケルを見るクレア。


「でもまぁ、みんないい家のご令嬢でね、孤児院あがりの自分にはちょっとなぁ……」


 前世はサラリーマン、この世界に来ても孤児で冒険者だったタケルには、格式やしきたりの中で生きてきたご令嬢との生活はちょっとイメージできなかった。


「あら、私もいい家のご令嬢ですよ? 平民ですケド?」


「いい家のご令嬢は王族に向かって『これで決まりよ!』とかは言わないんだよなぁ……」


 タケルはニヤリと笑ってクレアの顔をのぞきこむ。


「ゴメンなさいってばぁ……。だって何万人も応援してくれてたのよ?」


「はいはい、結果良ければすべて良し。それに僕は令嬢っぽくない方が気楽でいいしね」


「そう? 貴族のご令嬢より一緒に居たくなる? ふふふ……」


 クレアはパァッと明るい笑顔でタケルを見た。


「そりゃぁもちろん! アバロンさんの窓口として、今後もごひいきにお願いしますよ」


「仕事の話じゃなくて! もうっ!」


 クレアはタケルの背中をパシパシ叩いた。


「痛い、痛いって! ちょっと小腹空いちゃった。一軒付き合ってくれる?」


「えっ!? もちろん! ふふっ」


 小躍りするクレア。


 タケルはそんなクレアを微笑ましく見ながら、良い仲間に恵まれたことを感謝していた。



         ◇



 タケルが帰る準備をしていると、黒いジャケットを着た男性二人が近づいてきた。


「男爵! ご挨拶が遅れて申し訳ありません。今日から我々が男爵の警護につきます。なるべく目立たぬように警護いたしますのでご容赦ください」


「あ、SPですね。殿下から話は聞いてます。でも、警護なんて……」


「何をおっしゃるんですか、昼間も殺されそうになったと聞きましたよ? しばらくは我々にお任せください」


 そう言いながら二人はビシッと敬礼した。


「えっ!? 殺されそうになった!?」


 横で聞いていたクレアは真っ青な顔で目を丸くする。


「あ、いや、まだ、男爵になる前だったからね。今は大丈夫だよ」


 下手に心配させてもいけないので、タケルは慌ててフォローする。


「男爵がいなくなれば嬉しい勢力がいる以上、我々は粛々と警護します。煩わしいかと存じますがどうぞご理解を……」


 SPたちはうやうやしく胸に手を当て、頭を下げた。


「わ、分かったよ……」


 タケルはいつの間にかこんな警護がつく身分になってしまったことに、ウンザリしながらため息をついた。

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