ITの魔術師 ~異世界ベンチャー起業して、金で魔王を撃破!~
月城 友麻 (deep child)
1. 異世界テトリス
「お前はクビ! 今すぐとっとと出ていけ!」
夕暮れの食堂で、冒険者パーティーのリーダーがウンザリとした表情でタケルを罵倒した。
「えっ!? な、なんで……? 僕の武器の整備で強い魔物も倒せるようになって……」
「ありがとう! つまりもうお前なしでも十分勝てるってことなんだよ! はっはっは!」
リーダーは美味そうにビールジョッキをグッとあおった。
「そうですよ、タケルさん。アイテムの整備はもう十分……。戦わない人はパーティには要らないわ。ふふふっ」
ビキニアーマーの女魔導士はリーダーの首に手を回しながら、
「いや、契約書ちゃんと読んでくださいよ! それは契約違反ですよ!」
タケルはカバンから契約書を出すと、該当の条文を指さして怒った。
「んー? どれどれ……?」
リーダーは契約書を受け取ると、鼻で嗤い、そのままビリビリッと破いて床にぶちまけた。
「な、何するんだよぉ!!」
慌てて契約書を拾い集めるタケル。
しかし、リーダーはそんなタケルを思いっきり蹴飛ばした。
ぐはっ!
タケルはもんどりうって転がる。
「冒険者に契約書なんか関係あるかい! そういうところがお前はウザいんだよ。文句あるなら裁判所へ行けや! まぁ、訴訟費用があればだがな! はっはっは!」
くっ……!
タケルはリーダーを見上げてにらむ。明日の食費すら心配な自分に弁護士費用に提訴費用など出せるわけがない。
「そしたら、僕は明日からどうやって食べて行けば……」
「知るか、バーカ! お前のその陰気なツラ見てっと酒がマズくなる! さっさと出てけ!」
リーダーはおしぼりをタケルの顔に投げつけると、女魔導士のお尻に手を回す。
「いやっ、ダメよ……」
女魔導士はまんざらでもない様子でほほを赤らめる。
タケルはギリッと奥歯を鳴らした。
「分かったよ! その代わり、僕の力が必要になっても絶対に助けないからな!」
「お前の力……? なんかあったっけ?」
「逃げ足の速さ……よね? きゃははは!」
タケルは怒りでブルブルと震えた。今まで自分が整備してきた魔道具のおかげで高ランクのモンスターを狩り、Aランクパーティにまで達してきたというのに、感謝の一つもないのだ。
「ぜっっっったい! 後悔させてやる!!」
タケルはビシッとリーダーを指さし、にらみつける。
「後悔? ははっ、お前をパーティに入れたことでもう後悔してるよ!」
「はい、お出口はあちら―!」
女魔導士は緑色の魔法陣を素早く浮かべると、タケルに向かって風魔法
うはっ!
タケルは猛烈な風に吹き飛ばされ、ドアから外の階段へと転げ落ちていった。
「バイバァイ! きゃははは!」
「まぁ、せいぜい頑張れや! はっはっは!」
二人のあざける声が聞こえ、ドアがゆっくりと閉じていく。
「ち、畜生……」
タケルは打ちつけた腰をさすりながらよろよろと立ち上がった。
タケルは東京でITエンジニアをやっていた転生者だが、転生時にもらったスキルは【IT】という意味不明なもの。この剣と魔法の世界においてITと言われても何のことだかさっぱりだ。魔法の呪文はプログラム言語に似たところがあるので、魔道具の整備はできるが魔力がないので自分では魔法を使うことができない。
タケルの整備した魔道具は圧倒的であり、光の刃を撃ち出す剣にあらゆる攻撃を防ぐ楯と、まさにチートレベルに高められる。そのおかげでパーティは快進撃を続けられたわけだが、逆に言えば整備された魔道具さえ手に入ってしまえばタケルは不要なのだ。
「ぜってー許さねぇ! くぁぁぁぁぁ!!」
タケルは天に向かって吠えた。いいように利用して捨てたあいつらを絶対に見返してやる。胸がやけどするような熱い想いが噴き出してきた。
街行く人々はそんなヤバいタケルを眉をひそめ、避けていく。
ふぅふぅと肩で息をしながら、どうやって見返してやるか必死に考える――――。
タケルは孤児院で育ち、十六歳になったのを機に卒業させられたが、全てをキッチリとしないと気が済まない不器用な性格が災いし、なかなか職が見つからない。この世界の人は仕事をあいまいに頼み、コミュ力でどうにかしていくのだが、タケルにはそれを受け入れがたかった。
雇用契約書を結ぼうとするタケルにどこも難色を示し、結局冒険者の手伝いとして荷物運びやアイテムの用意、魔道具の整備をして小銭を稼ぐくらいしかできなかった。
そんな中、魔道具の性能を上げられる腕を買われて何とかパーティーに入れてもらえたのだが、長い試行錯誤の結果、やっと剣や盾のチューンアップが終わった途端クビになってしまったのだ。
くぅぅぅぅ……。
タケルは湧き出てくる涙を止められない。せっかく転生したのに何の優遇もない現状にほとほとウンザリする。【勇者】とまでは言わないが、【剣士】や【賢者】くらいの冒険者になれるスキルは欲しかった。【IT】なんて、どう使っていいかもわからないスキルなどゴミ同然なのだ。
しかし、いくら憂えていても腹は減ってくる。何とか突破口を開かねば見返すどころか餓死してしまう。
『何とか……、しないと……。しかし、どうやって……?』
タケルはボーっと辺りを見回した。街灯がぽつぽつと石畳の道を照らしている――――。
この世界では魔法ランプが当たり前のように使われていて、光魔法の魔法陣が描かれたプレートに魔石をセットすると、魔力が続く限り光り続けるのだ。
この時ふと、この光魔法のプレートを整備したらどうなるんだろう? という好奇心がむくむくと膨らんできた。
今までモンスターを倒すことばかり考えていたが、こういう生活魔道具にも整備の余地があるのかもしれない。
タケルは道の脇に光っている街灯のカバーをパカッと外し、中のプレートをまじまじと眺めてみる。
魔石のセットされた明るく輝くプレートの裏では、精緻な魔法陣がキラキラと輝きを放っている。魔法陣は円の中に六芒星、そしてルーン文字で呪文が施されているのが基本だ。さらに一回り小さな円や星がまるで機械仕掛けの時計のように、内部でぐるぐると回り、不思議な幾何学模様を描きながら魔法を実現していく。
タケルはその精緻な模様や呪文から魔法の発現内容を推測し、前世で鍛えたプログラミング能力を生かして図形を書き換えたり呪文を修正したりして魔法の威力を上げるチューニングをやってきた。しかし、図形の相互作用は複雑で、チューニングするのがせいぜいである。
「うーん、まぁ武器に比べたら単純かな……。こうして見ると魔法陣って本当にプログラミングコードだなぁ……」
この時、ふと【IT】スキルのことが頭をよぎった。ITというのだからコンピューター系のスキルに違いない。で、この世界で一番コンピューターに近いのは魔道具だった。もし……、ITが実際に活躍できるとしたら魔道具相手ではないだろうか?
タケルは小首をかしげながらつぶやいてみる――――。
「【IT】起動……」
魔法陣を見つめながら、その動作イメージを頭の中で思い描いていく……。すると頭の中でカチッと何かのスイッチが入った音が響いた。
ヴゥン……。
いきなり、空中に青いウィンドウが立ち上がる。
「えっ……、何これ……?」
タケルは焦った。今まで何度もITスキルを起動しようと試行錯誤してきたのに、こんな風になったのは初めてである。
「これは……、何が……?」
中を覗くと、そこにはシステム開発環境のようなツール群と、ソースコードがずらっと並んでいた。
タケルの心臓がドクン! と高鳴る。それは前世の時、よく使っていた開発環境と酷似していたのだ。
恐る恐る表示されているコードを読み込んでいく……。
「読める……、読めるぞぉ!」
タケルはITエンジニアとしてプログラムコードを紡いでいたころの経験が、ブワッとフラッシュバックした。そこには魔力を光に変換し、プレートに表示する仕組みがコードとして記述されていたのだ。
さらに、魔法陣のままでは図形の相互作用が複雑でとても解析できなかったが、コードであるならば依存関係も明白である。これなら複雑な開発もできそうである。
「もしかして、こうすると……」
表示されているソフトキーボードを使って、そのコードに手を加えていく……。
すると、輝くプレートに赤い丸が描かれたのだ。
「おぉ! じゃ、これはどうだ……」
夢中になってコードを打ち込んでいくタケル。それは久しぶりのコーディング体験だった。
「よーし、完成! さて……、動くかな……?
書き換え終わったプレートの赤丸を、恐る恐る触ってみるタケル。すると、赤丸は弾かれたようにプレートの中をカンカンと飛び回る。それはまるでブロック崩しのボールのように、端で反射しながらプレート内を所狭しと動き回ったのだ。
「よーし! じゃぁ、こうだ!」
タケルはすっかりのめり込んで、コードを書き込んでいく。最初は思い出すのに戸惑ったものの、前世では名の知られた凄腕プログラマーだったタケルは、水を得た魚のように嬉々としてコードを打ち込んでいく。
「出来上がり!」
空中に浮かんだソフトキーボードのEnterキーをパシッと叩く。
久しぶりのプログラミング。その知的ゲームにタケルは圧倒的な充実感を感じ、爽やかな疲労感の中、夜空に大きく深呼吸をした。
「さーて、動くかな……。
すると、プレートの上の方から四角いブロックが四つ繋がったものが降りてくる……。テトリスだ。タケルは魔法のランプをなんとゲームマシンにしてしまったのだ。
下の方に表示されているボタンを押すと、左右に動きながら一段一段ブロックが降りてくる。
「うほぅ! できる! できるぞぉぉぉ!」
タケルは夜空にガッツポーズを繰り返した。
ゲームができるなら丁寧にコーディングして行けばスマホにもなるのかもしれない。だとすると電話もないこの世界にスマホが爆誕することになる。
「異世界スマホ……。行ける、行けるぞぉぉぉ!」
タケルは初めて【IT】スキルの本当の使い方に気がつき、嬉しさが大爆発した。これで、自分はこの世界でスティーブジョブズになれる、Appleを創れるんだとバラ色の夢が広がっていく。もはや金に困らない、それどころか世界一の金持ちになれる!
タケルはさっきまでの絶望はどこへやら、輝かしい未来への希望に包まれながら宙を見上げた。
と、ここで、タケルはリーダーたちを見返してやれる方法に気がついた。自分が魔物たちの王、魔王を倒してやったら、あいつらはどんな顔をするだろうか?
くふふふ……。
ITの力と、稼いだ莫大な金があれば人類の敵、魔王軍に対抗できるはずだ。そう、金で魔王を倒すのだ!
転生者である自分こそが、魔王を倒す真の勇者だったのかもしれない……。
タケルは妄想が暴走し、嬉しさが爆発して、ぽっかりと浮かぶ月にこぶしをグッと高く掲げた。
2. 澄み通る碧眼
「やるぞ……、やったるぞぉぉぉ!」
月を見つめ、武者震いするタケル……。すると、若い女の子の声がする。
「あのぅ……、それ、何ですか?」
金髪の少女が碧い瞳をクリっと輝かせながら、好奇心いっぱいに声をかけてきたのだ。指さす先にはテトリスがピコピコと動いている。
「あ、これは……ゲーム、ゲーム機です。やってみますか?」
挙動不審だった自分が恥ずかしくて真っ赤になったタケルは、テトリスマシンを差し出した。
「ゲーム?」
小首をかしげる少女。薄手のリネンのシャツと、その上に重ねられた装飾的なボディスが、彼女の上品な雰囲気を演出していた。かなり裕福な家の娘に違いない。
タケルは少女の澄んだ碧い瞳に見つめられて、ほほを赤らめながら丁寧に説明していった。
「ここを押すと右、ここで左、これで回転ですね……」
「はぁ……?」
少女は押すたびにチョコチョコとブロックが動くのを見て、不思議そうに首をかしげた。
「で、ここを押すと……」
タケルがブロックを隙間に落とすとピカピカと光って列が消える。
「うわぁ! 面白い!」
少女は碧眼をキラッと光らせて嬉しそうに笑った。
「簡単でしょ?」
「うん! やらせて!」
少女は好奇心いっぱいの瞳で画面を見つめ、ブロックを操作していく。
最初は下手だった少女も段々慣れてきて、うまく列を消せるようになってくる。
「やったぁ! 四列消しよっ!」
少女は自慢げにタケルを見て、嬉しそうに叫ぶ。
「上手ですね、僕より上手いかも」
タケルは喜んでくれるのが嬉しくて、ニコニコしながら少女のプレイを見入っていた。不器用なタケルは、前世でも自分のやったことで女の子に喜んでもらった経験などなかったのだ。
ものすごい集中力でブロックを消し続ける少女。
「よーし……こうして……。ああっ! ダメ! ダメだって! あぁぁぁぁ……」
徐々に速度が上がってゲームオーバーになってしまったが、少女は初めてやったゲームに完全に魅了され、恍惚とした表情でタケルを見た。
「これ……、売ってくれませんか?」
「えっ?」
「金貨一枚……いや三枚までなら出します!」
少女はググっとタケルに詰め寄った。
「金貨三枚!?」
「少ないですか? 五枚でどうですか?」
金貨五枚と言えば日本円にしたら五十万円。テトリスマシンに五十万は破格だった。
「ま、待ってください。これは試作品なので、ちゃんとした商品でお渡しします。その時買ってください」
タケルは焦る。街灯を勝手に改造したものなど売ったら犯罪なのだ。
「分かりました。私はアバロン商会のクレア。できたら商会にまで持ってきてくださる?」
クレアは嬉しそうに言った。アバロン商会と言えば有名な大企業である。彼女はいわば会長令嬢ということだろう。見れば向こうの方でボディーガードが二人、目立たないようにしながらクレアを見守っているではないか。
タケルは冷汗を浮かべながら思わずゴクリと息をのむ。
「わ、分かりました。明日にでもお持ちしますので契約書を……」
「け、契約書……?」
クレアは眉をひそめた。
タケルはまた余計なことを言ってしまったとギュッと目を閉じた。少女と契約書を結ぶことにどれほどの意味があるだろうか? お金の絡む話はキッチリしないと気持ちが悪いとは思いつつも、さっき、契約書が全く意味がなかったばかりなのだ。
「だ、大丈夫です! 明日持っていきます」
タケルは急いで言い直す。
「私は嘘なんてつかないわ。約束は守るの。信じて下さらない?」
クレアはタケルの手をギュッと握った。その碧い瞳は街灯にキラキラと輝いている。
その柔らかな手の暖かさにタケルはドキッとした。ずっと年下の女の子にこんなことを言わせてしまったことに、タケルは湧き上がる嫌悪感を止められなかった。
「し、信じます! ごめんね……」
タケルは恥ずかしそうに頭を下げた。
「明日ですね、絶対ですよ?」
クレアは澄み通る碧眼でタケルの顔をのぞきこむ。
「任せてください!」
タケルは満面に笑みを浮かべてこぶしで胸を叩いた。初めてのビッグな商談、しっかりといいものを買って喜んでもらうのだ。
自分のIT技術で今までにない商品を創り、それが莫大な富を生む。タケルはいきなり訪れた破格のチャンスに胸が高鳴っていた。
◇
翌朝、開店を待って魔道具屋から魔法のランプを十個買い付けると、【IT】スキルを使ってテトリスを書き込んでいく。
テトリスはハイスコア機能をつけて、名前とハイスコアが表示されるようにしておいた。こうしておけば競争もできていいに違いない。
また、ランプのプレートそのままではうまく持てないし、すぐにも割れてしまいそうである。そこで、木製の小さな額縁を買ってきてプレートを埋め込んだ。
これで、魔石の魔力が続く限り動き続けるハンディ・テトリス機の完成である。
「ヨシ! まずはゲーム機で起業資金を稼ぐぞぉ!」
タケルは動作確認をしながら興奮して叫ぶ。ゲームという概念のないこの世界にいきなりテトリスが現れるのだ。きっと爆発的にヒットするだろう。
十台全部テトリスマシンに魔改造したタケルは、バッグに詰め込むと意気揚々と宿屋を後にする。さんさんと輝く太陽がタケルの門出を祝っているようで、タケルは両手を広げて幸せそうに大きく息を吸い込んだ。
3. わが師ジョブズ
タケルがやってきたのはアバロン商会本店。目抜き通りにある豪奢な石造りの建物で、木の板にフェニックスをあしらったシックな看板がかかっている。中には煌びやかな宝飾品が並び、ボロい服を着たタケルではとても気軽に入っていける雰囲気ではない。
「あのぉ、すみません……」
タケルは入り口の警備員にクレアと約束があることを告げた。
「タケル様ですね。お待ちしておりました。どうぞこちらへ……」
警備員はにこやかにタケルを二階のVIPフロアへと案内していく。豪華で煌びやかな室内、床には赤いカーペットが敷かれてあり、庶民には実に居心地が悪い。タケルは店員たちの鋭い視線に渋い顔をしながら、警備員に着いていった。
応接室に通され、言われるがままにフワフワとした豪奢なソファーに腰かけているとコンコンとドアが叩かれ、クレアが顔をのぞかせる。
「タケルさん、お待ちしておりましたわ!」
クレアは満面の笑みで足早に入ってくると、後からは恰幅のいい紳士もついてきた。会長だろうか?
「きょ、恐縮です」
タケルは慌てて立ち上がり、胸に手を当てて頭を下げた。
「で、商品版はできましたの?」
クレアは待ちきれない様子でタケルの顔をのぞきこむ。
「は、はい。こちらです……」
タケルは早速テトリスマシンをクレアに渡す。
「わぁ……、随分……変わりましたね……」
クレアはハイスコア表示もされ、ブロックに色もついたテトリスマシンに目を輝かせる。
「ほう……、これは珍妙な……。一体これは何なんだね?」
紳士はクレアの後ろからテトリスマシンをのぞきこみ、口ひげをなでながらけげんそうな顔で聞いてくる。
「ゲームマシンよ? こうやるのよ!」
クレアは【START】ボタンをタン! と叩いた。
「ほう……? なんか動いとるな……」
「これは列を消して楽しむのよ!」
クレアは得意げにタン! タン! とボタンを叩き、次々とブロックを積み上げていく。そして『棒』のブロックがやってきた。
「見ててよ! えいっ!」
クレアは楽しそうに棒のブロックを
ピコピコっと点滅しながら四列が消える。
「ほう! なるほどなるほど……、これは新鮮じゃな……。どれ、ワシにも貸してみなさい」
紳士はクレアのテトリスマシンに手をかける。
「ダメッ! 今、いいところなんだから!」
身体をひねって逃げるクレア。
「ちょっとだけじゃって!」
「パパは後で!」
親子喧嘩が始まってしまった。
「会長様、もう一台ございますのでこちらで……」
慌ててタケルはもう一台を差し出す。会長にも興味を持ってもらえたことは予想外のチャンスであった。
「おぉ、ありがとう! どれどれ……」
しばらく二人はテトリスに熱中する。
「くあぁ! なんじゃ、全然『棒』が出んぞ!」
「パパ、そこは辛抱強く待つしかないわ!」
「待つって……、もう余裕が無いんじゃぞ……。くぅぅぅぅ……。あっ! 出た! 出たぞ! ワハハ! こりゃ楽しいわい!」
ゲームというものがないこの世界の人にとって、テトリスは非常に新鮮な体験だった。ブロックをクルクル回しながら落とせる場所を探し、うまく溝を作って育てた後、一気に棒のブロックで四列消し去ること、それは脳髄にいまだかつてない快楽を走らせるのだ。
二人とも目をキラキラさせながらテトリスに興じている。しかし、今日は商談に来たのだ。ITベンチャーを起業し、スマホを開発するにはそれなりの資金が要る。この商談でその開業資金を稼がねばならないのだ。
「あのぉ、で、そろそろ商談に入りたいのですが……」
タケルは恐る恐る声をかける。
「ちょ、ちょっと待って! 今ハイスコア更新中なの!」
「うはぁ、クレア、お前なんという点数を出しとるんじゃ……」
「ホイッ! ホイッ! ホイッ! あぁぁぁ、ダメッ! イヤッ! キャァァァァ!」
クレアは絶叫し、額に汗を浮かべながら恍惚とした表情で宙を見上げた。
「いやぁ、タケル君! これは凄い、凄いぞ! これは売れる!」
会長は興奮した様子でタケルの手を取る。
「そ、そうですか? 良かったです……」
タケルは会長の熱気に気おされ、少し後ずさりした。
「百個作れるかね? それであれば金貨三枚、合計三百枚で買おう!」
それは日本円にしたら三千万円、タケルはいきなりのビッグビジネスに心臓が高鳴る。魔法のランプにテトリスを書き込んだだけで三千万円、それは想像をはるかに上回る展開であった。
「ひゃ、百個……作れます!」
「おぉ、それじゃ早速契約書を作ろう! 納期はいつになるんじゃ?」
会長はノリノリで話を進める。
だが、この時、タケルは『スティーブジョブズだったら契約するだろうか?』という疑問が頭をかすめた。タケルは異世界Appleを作りたいのだ。一台何十万円もするテトリスマシンを百個バラまきました。それでジョブズは納得するだろうか?
『違う……。ジョブズはそんな男じゃない……』
そんな発想ではとてもAppleにはなれない。多くの人を巻き込むことが次のビジネスの基盤になるはずなのだ。
ジョブズだったらどうするか……。
タケルは目をギュッとつぶって必死に考える。より多くの人に使ってもらい、なおかつ次の事業に繋がる収益が得られる道……。
タケルにとって、ここが起業家として成功するかどうか試される分水嶺だった。
4. 夢を売れ!
「タ、タケル君、どうした?」
急に黙ってしまったタケルに会長は不審に思い、首をかしげる。
タケルはこの世界には珍しい黒髪の若者だった。お金には苦労していそうではあったが、清潔感のある身なりには好感が持てるし、話してみると大人の思慮深さを感じる不思議な雰囲気を纏っている。
長くお付き合いできればと、かなりいい条件を提示したつもりだったが、タケルは押し黙ってしまった。
すると、タケルは顔を上げ、覚悟を決めた目で会長を見つめた。
「会長、一台当たり銀貨三枚でいいので、一万個売れませんか?」
「い、一万個!?」
会長は目を白黒させ、タケルを見つめ返す。
「多くの人が買える値段で一気に普及させたいのです」
「ふ、普及って言ったって……、ゲーム機なんて前例のない商材は……」
会長は腕を組み、首をひねって考え込む。百個ならお得意さんに卸して行けばすぐにでも捌けるだろうが、一万個となると庶民向けの新規の流通経路がいるのだ。ゲームは面白いが、ゲームに大金を払える庶民なんて本当にいるのだろうか? 前例のない商品を新規の流通経路に流してトラブルにでもなったら、アバロン商会の信用にも傷がついてしまう。合理的に考えればとても乗れない提案だった。
渋い顔をする会長にタケルは両手を前に出し、まるで夢を包むように想いを込める。
「テトリス大会を開きましょう! ハイスコアトップの人に賞金で金貨十枚を出すのです!」
起業家は商品を売るのではなく、夢を売らねばならない。前例のない提案でも熱い情熱で相手を動かす、それがわが師、スティーブジョブズの教えなのだ。
「じゅ、十枚!?」
「それ素敵! 私も出るっ! きっと私が優勝だわっ!」
クレアは太陽のように輝く笑顔で笑った。
その今まで見たこともないような、希望に満ち溢れた笑顔を見て会長はハッとする。娘がここまで入れ込むなんてことは今までなかった。つまりこれは新たなイノベーションであり、ブレイクスルーに違いない。ここは若い感性に賭けるべきでは無いか?
「ふぅ……。タケル君……。キミ、凄いね……。うーーーーん……。分かった、一万個、やってやろうじゃないか!」
会長はタケルの手を取り、グッと握手をする。その瞳にはタケルやクレアから燃え移った情熱の炎が燃え盛っていた。
タケルも負けじと情熱を込め、グッと握り返し、うなずく。
かくして、テトリスマシンは一万台販売されることとなった。日本円にして三億円の契約、それはベンチャーの開業資金としては十分すぎるほどのスタートと言える。
そして、異世界で大々的に開催されるテトリス・チャンピオンシップ大会。それはこの世界では前代未聞の大イベントだった。
◇
魔法ランプの素材を急遽一万枚、会長に用意してもらったタケルはアバロン商会の倉庫を借りて量産に励む。しかし一人で一万個はさすがに大変である。朝から晩まで【IT】スキルでテトリスを書き込んでいくが一日に二千個が限界だった。
「こんにちはぁ……」
クレアの可愛らしい声が倉庫に響く。
「あぁ、クレアさん……。もう少しで五千個、折り返し地点ですよ……」
疲れてフラフラになりながらタケルはクレアを見上げた。
「お疲れさまっ! で……、これ……、差し入れです」
クレアは澄み通る碧眼を輝かせながらニコッと笑うと、少し恥ずかしそうにそっと包みをタケルの机に置いた。
「おぉ、これはありがたい……。え……、これは……?」
中から出てきたのは少し不格好でやや焦げているパウンドケーキ。それは売り物ではなく明らかに手作りであり、タケルは息をのんだ。
「わ、私が焼いた……の。見た目はちょっとアレだけど、あ、味は……」
照れ隠しをするように手を後ろに組んで、宙を見上げるとクレアはゆっくり首を揺らした。
タケルは一切れつまんでパクっと食べ、にっこりと笑いながらサムアップ。
「美味しい……、美味しいよ。ありがとう!」
令嬢なのだから取扱商品を持ってくればいいだけなのに、自分で焼いてくれる。それはタケルにとって心温まる嬉しい差し入れだった。
「よ、良かった……」
クレアは白く透き通った頬をポッと赤らめながらうつむく。
そんなクレアを見ながら、タケルはなんとしても計画通り一万個の出荷を実現せねばとグッとこぶしを握った。
そこそこの規模であるアバロン商会としても、一般向けに一万個ものゲーム機器を売ってゲーム大会を開くということは、かなりリスクのある挑戦なのだ。そんな中で託してくれた会長やクレアの信頼にはちゃんと応えていきたい。
起業家にとって信用こそ一番大切な財産である。この第一歩をしっかりと成功させることが異世界ベンチャーの成功、ひいては魔王を倒して世界を救う重要なプロセスだった。
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