三台の誕生日ケーキ

よもぎの葉

三台の誕生日ケーキ


「どうすんだこれ・・・・・・」


 俺は給湯室のテーブルの上でグシャグシャになっているケーキを見つめた。


「すみません!!」


 床では後輩の平岡が土下座している。


「白田先輩が買ってきた部長の誕生日ケーキを・・・・・・」

「特注の狸のトッピングも粉々ね」


 俺と同期の鶴田がため息をつく。


「本当にすみません!!」


 平岡が床にどん、と頭を打ち付ける。


「いやいや、おっちょこちょいのお前にケーキ持たせた俺も悪いし」

「白田君それフォローになってないよ」

「先輩、どうしましょう……」


 平岡が困惑顔で俺を見る。


「うーん」


 俺は腕を組む。

 テーブルの上には誕生日ケーキがあと二つ載っている。

 そう、誕生日ケーキが二つである。


 本日二月十一日。


 三河屋商事営業企画部は、社員五人のうち三人の誕生日が重なるという非常に特異な状態にあった。

 本日誕生日なのは、島田部長、そして新人の町田さんと、同じく新人の佐野君である。


 現在給湯室に集まる俺、鶴田、平岡の三人はこの異常事態を乗り切るべく今日まで計画を練っていたのだ。


 俺達はそれぞれが誕生日ケーキを一つずつ担当し、

 島田部長のケーキは俺、白田が担当。

 鶴田は町田さんのケーキを担当。

 そして三日前になって佐野くんの誕生日までが被っていることが平岡のタレコミで判明し、平岡担当でケーキが用意された次第である。

 そして本日計画予定日。

 しかし、サプライズケーキを給湯室で準備中に事件は起きた。

 おっちょこちょい担当兼任の平岡が部長のケーキをひっくり返したのだ。

 時刻は夕方五時。

 この事態をどう解決しようかと、俺達は頭を悩ませていた。


「時間もないし、部長には近場のコンビニでケーキを買ってくるとかか?」


 真っ先に思いついたことをとりあえず口に出してみる。


「それは、できないわね」


 鶴田がメガネをくいっと上げていう。


「だって他に誕生日ケーキが二人分あるんだもの。部長だけコンビニのケーキで済ませるわけにいかないわ」


 確かに。明らかに見劣りするケーキを部長にだけ出すのはまずい。


「俺、いまから部長のケーキを買ってきます! まだ開いてるケーキ屋ありますよね!」


 平岡の提案に俺は首をふる。


「部長は毎年誕生日は奥様と祝うとかで、必ず五時半には退社してしまうんだ。いますぐケーキを出さないと間に合わない」

「それじゃあ、どうすれば……」

「他の二人のケーキの一つを部長に出して、その間に平岡がケーキ屋に走るのはどう?買ってきたケーキを部長に出したケーキの補填にすれば」


 鶴田の提案に俺と平岡はうつむけた顔をあげる。


「町田さんと佐野くんはまだ残ってられるよな?」

「二人は大丈夫だと思います」

「じゃ、それで決まりね」


 俺達の方針が決まる。


「僕、じゃあ早速行ってきます!」


 平岡が会議室を転げるように出ていく。


「逐次連絡よこせよ!」


 はい! という声が廊下から聞こえた。






「どっちのケーキを部長に出す?」


 部長のケーキをまず用意しなければならない。

 時刻は五時五分。だいぶ時間をロスしてしまった。最悪あと十分ほどでケーキを用意しなければ間に合わないだろう。


「町田さんのかなぁ」


 鶴田が町田さんのケーキを開ける。


「猫?」


 鶴田の用意した町田さんのケーキは、虎柄の猫が仁王立ちしている菓子人形付きだった。


「町田さん、猫好きだから」


 とても可愛らしい。


「さすがにこのまま出すわけにいかないわね。どうしよっか」


 確かにこれでは町田さんのケーキだ。

 俺は部長の潰れたケーキを見る。

 もっというと、潰れたケーキに埋まる、壊れた信楽焼のたぬきの人形を。

 部長は信楽焼のたぬきが大好きで、部長のケーキには毎年たぬきが乗るのが定番だった。

 そしておれは町田さんのケーキをみる。

 もっというと猫の人形と、ケーキの付属品であるチョコペンを。


「まさか」


 俺の視線に気づいた鶴田がつぶやく。

 俺は鶴田に向かってゆっくりと頷いた。






 十分後。


「ハッピバースディトーユー」

「はっぴばーすでぃトーユー」


 企画部に鶴田とケーキを持った俺が現れる。


 しっかりろうそくに火をつけて。


「「ハッピバースデイでーあ島田虎三郎〜」」

「「ハッピバースデイトーユー」」


 しっかり驚いた顔をして迎えてくれる部長、島田虎三郎53歳。

 白髪がまじり始めた精悍な顔立ちのナイスミドル。島田部長が顔をほころばせる。鼻筋の上に横一文字に刻まれた痕が、どう見てもカタギの人間には見えない。


「え? え? 島田部長今日誕生日なんですか!?」

「え!? そうなんですか!?」


 がたりと席を立つ町田さんと佐野くん。二人には悪いが、誕生日の二人をこのサプライズの計画に巻き込むわけにはいかなかったのだ。

 俺は島田部長の席へホールケーキを置く。


「やぁ、ありがとう! 毎年嬉しいよ」


 口々におめでとうございますの言葉をかける。


「おお、今年も私の好きな、これは・・・・・・えーと……」


 にっこり笑っていた部長の顔が、ケーキの上の砂糖菓子人形をみて曇る。

 来たか。やはりこのときが。

 俺は唇を噛み締める。


「ネコ?」

「狸です。信楽焼の狸です」


 俺は間髪入れずに主張した。

 俺達二人は五分ほど死力をつくして、ケーキに付属していたチョコペンで可愛らしい猫の人形を狸へと魔改造していた。

 結果完成した眼の前にあるこれは、俺達の努力の甲斐あって、少しいびつなよく見れば狸に見えなくはない猫だった。


「猫?」

「何いってんですか! どうみても狸でしょう!」


 俺がさも心外というように叫ぶ。

 俺も猫だと思うけど!

 ここは勢いで押し通すしかない!


「そうか?」

「よく見てください! 金玉あるでしょう!?」


 鶴田が渾身のディティールで表現した金玉を指差す。金玉を付けられてチョコでデロデロに狸メイクされた猫はどこか哀愁が漂っていた。

 鶴田はさっきまで「ごめん……ほんとごめん……」と泣きそうな顔で猫に謝罪しながら金玉を作っていた。


「まぁ、そうかぁ」


 どこか釈然としないながらも部長は俺達の勢いに押されて言葉を収める。


「あ、じゃあ私切り分けますね」


 と町田さんが気を利かせてケーキを人数分に切り分けていく。


「じゃ、この狸さんは部長さんのですねー」


 とネコ菓子を部長の皿に移そうとする。

 こいつ、余計なことを! 

 そんなことしたらバレるだろう!


「え?」


 おれは素早く町田さんから猫を取り上げると、


「がふっ」


 口に放りこんだ。証拠は隠滅しなければならないのだ。


「先輩、なんで・・・・・・」


 固まる町田さんに、唖然とした顔で俺を見る佐野くん。


「ほら!! 部長糖尿とか心配だから、こういうの食べられないのよね! いやぁ、やっぱ白田くんは気が利くなぁ」


 共犯者鶴田の苦しいフォロー。


「あ、そう、なんですね……?」


 町田さんがひきつった顔でいう。


「いや、俺そんなことは別に」

「部長ももういい年なんですから、体をいたわらないといけないという部下からのサプライズメッセージですよ! 私達で考えたんです! ねー白田ぁ!」

「ぁあ、ふぉうだとも!」


 くそう、自分まで泥をかぶってくれる鶴田の男気に惚れそうだ。







 その後和やかに進む誕生日会に、ぷるるる、とスマホの着信。

 俺は、ちょっと失礼、と声をかけて廊下へ出る。


「平岡か。そっちはどうだ?」

「コート忘れてめっちゃ寒いです!」

「今日は寒いよな! ケーキはどうなった!」

「それが、近場はどこも全滅です」

「なんだって!」

「なんでも近所のアマチュア相撲道場が買い占めてるらしくて」

「くそぅっ!」

「あの……」

「なんだ?」

「目の前に寿司屋があるんですけど、ます寿司とか形ケーキっぽくありません?ご飯だけどライスケーキとかいうし」

「平岡、ます寿司はケーキぽくないし、ライスケーキとは餅のことだ」

「え、じゃ餅買ってこないと!」

「餅でケーキは不可!! 繰り返す! 餅でケーキは不可!!」

「じゃどうするってんですか!?」

「とりあえず駅前まで出てこい。そうすればまだやってるところあるだろ」

「駅前!! いってきます!!」

「ケーキ屋にこだわらずにスイーツショプの店とかにも片っ端からあたってくれ! お菓子でケーキの形してればそれでいい!」

「りょーーー!!」


 平岡が風を切る音とともに電話は切れた。








 島田部長はご機嫌で帰宅していった。

 とりあえずの危機は脱したといっていいだろう。


「私、部長さんと初めて打ち解けて話せた気がします」


 町田さんが言う。


「あれ? いままでそんな話したことなかったっけ?」


 ただの気の良いおじさんだと思うんだけど。


「はい。なんというか……名前に虎とか入ってるし。それにあの顔の、刀傷? の印象でなんか怖いって思ってて」

「あれそばかすがつながっただけだよ?」

「そばかす!!?」


 あんぐりと口をあけたままの町田さんをよそに、後ろから鶴田が袖を引く。


「白田君、ちょっとまずいわ」

「どうした?」


 鶴田に引っ張られて給湯室へ。


「さっき聞いたんだけど、町田さん家の門限があるらしくてあと三十分で帰るらしいの」

「さんじゅっぷん!?」

「平岡くんのケーキが間に合えばいいんだけど」

「そっちはまだかかるらしいんだ」

「そう……。こうなったら佐野くんに用意したケーキで代用するしかないわね」

「佐野くんの方はまだ大丈夫なのか?」

「彼もなんだか早めに帰りたがってたけど、明日部長の机の上に用意する信楽焼像の仕上げをお願いして引き止めてるわ」


 それは、我が営業企画部に続く伝統である。

 毎年二月十二日の朝に部長の席に信楽焼(風の)像を用意するという習わしである。

 悪しき風習、ともいう。


「わかった。佐野くんのケーキを町田さんに出そう」


 佐野くんのケーキは平岡が用意したもので、俺と鶴田は中身をまだ見てない。

 鶴田が佐野くんのケーキを箱から出す。

 しかし、その中身は


「え?」

「これは……ハグリット?」


 ケーキの中央にはハリー・ポッターのハグリットが鎮座している。

 ハグリット砂糖菓子人形は職人の魂がこもったようなリアルな出来栄えだった。

 ここまでリアルだともはや食べたくはない。


「そういえば、佐野君飲み会で言ってたわね。ハグリットが好きなんだって」

「なぜハグリットピンポイントなんだ……?」

「そうよね。百歩譲ってスネイプよね」

「うん……うん?」

「これ、猫に出来ないわよね?」

「いやぁ、ここまでリアルだと無理だろ。それにチョコペンももうないしなぁ」

「というかこっちのほうが猫よりたぬきにしやすかったんじゃない?」

「そうだな……」


 しかし、過ぎたことはしょうがない。


「これは、もう無理だし、町田さんには正直に話してこれで我慢してもらうしかないんじゃないか? 佐野くんと一緒のケーキってことにして」

「そうね……それがいいかもね」


 二人の意見がまとまりかけたその時。


『ポキポキ♪』


 俺のスマホに町田さんからメッセージが入った。

 俺はそれを見て固まる。


「鶴田、すまん……」

「ん?」

「正直に話せなくなった」

「え?」

「部長が仕事やり残したとかで帰ってきた」

「え!?」


 町田さんに正直に話すとすれば、それはその場にいる部長にもバレるということであり、今までの苦労が泡と消えることを意味する。

 それは絶対に避けなくてはならない!


「とは言っても、どうしたもんか……」


 俺は腕を組むが名案は浮かばない。


「一つ、考えがあるわ……ちょっとまってて!」


 しかし鶴田は何かを思いついたようで、給湯室を飛び出していった。





 十分後。


「ハッピバースディトーユー」

「はっぴばーすでぃトーユー」

「「ハッピバースデイでーあ町田園子~」」

「「ハッピバースデイトーユー」」

「二回目!?」


 オフィスに俺と鶴田がケーキを持って入ると佐野くんのツッコミが入った。

 そりゃそうだ。なんで俺達二回もやってんだろ、全員まとめて一つでよかったじゃんとか今更思ったけどもう後に引けない。


「え!? 先輩その姿……」


 町田さんが口に手をあてて俺を見る。


「じゃーん!! ネコ好きの町田さんのために、猫耳白田を用意しましたーー!」


 俺の脇で鶴田が、どうだと言わんばかりに手を広げる。

 そう、俺は猫耳のカチューシャを付けていた。

 去年の会社の忘年会の余興でドンキで購入したのが残ってたとかで、鶴田が引っ張り出してきたのだ。


「さ、存分に可愛がっていいのよ!! サービスで尻尾付きよ!!」

「どうも、猫耳白田です。尻尾ついてます。どうぞ可愛がって下さい」


 俺は斜め四五度に頭を下げる。


「可愛くねーな!! にゃーとかいえこの野郎!!」

「にゃー」

「えぇ……」


 大変だ!町田さんの顔がひきつってる!

 鶴田に言われた通りやったのに!


「ささ、町田さん、これを」


 そこへ鶴田が持ってきたものを町田さんの手に押し付けるようにして渡す。


「先輩これ……」

「そう、ハリセンよ」


 ハリセン。

 これも鶴田が猫耳と一緒に倉庫からに引っ張り出してきたものである。


「町田さん、言ってたでしょう……? ちゃんとツッコミができるようになりたいって。今日がその第一歩よ。さぁ、存分にツッコンで」


 ひどい無茶振りも合ったもんである。


「わかりました……私、やります!」


 町田さんが以外と乗り気だ!


「いやつけるなら鶴田さんでしょうがーー!」


 ぱーん!

 ……なんてことだ。


「いやマジだ俺なんで気が付かなかったんだろ」


 鶴田の猫耳姿見たかった……。








「佐野くん……これじゃだめね」


 町田さんと部長が無事帰ったオフィスで、鶴田が佐野くんが持って来た信楽焼風たぬき像にいちゃもんを付けている。

 全ては平岡がケーキを用意できるまで佐野くんを足止めするためである。


「だめですか……?」


 いや完璧だろう。傍目に見ても佐野くんが仕上げてきた信楽焼風のたぬきは造形が完璧に見える。とても針金と新聞紙に色をつけて作ったとは思えない見事な出来栄えだ。

 いったいどこにケチをつければいいというのか。


「そうね。ほかのところはいいんだけど、一番大事なところがなってない。この金玉、もうちょっとなんとかならない?」


 もうちょっとなんとかならなかったのだろうか鶴田よ。


 どうやら部長のケーキのネコの人形に金玉をつけるという作業がトラウマになって、現在金玉にしか意識が向けられないらしい。


「金玉ですか」

「ええ、画竜点睛を欠くっていうでしょう? 悪いけど、私、金玉のクオリティだけは妥協できないの」


 なんかすごいこと言ってる!


「わかりました……どう治しましょう」


 佐野くんは今日もクールだった。


「えーと……なんというか、これだと『たまたま』って感じでしょう」

「たまたま……?」

「私が言いたいのはね、こう……もうちょっと『金玉』よりは『キャンタマ』って言うか……」


 どうやら足止めも限界が近いようだ。

 佐野君は鶴田監修の妥協なき金玉の改良を目指し部屋を出ていった。

 ほんとごめん……。

 そのとき、平岡から着信が入る。俺は鶴田にも聞こえるようにスピーカーにして通話にでた。


「もしもし平岡!?」

「先輩、見つけました!!」

「ほんとか!!」

「ただこれ、アイスケーキなんです」

「アイスケーキ!?」


 鶴田が悲鳴をあげる。


「今サーティーワンアイスクリームにいるんですけど、予約のアイスケーキにキャンセルの電話が来たとかで、今なら買えるんですけど」


 このクソ寒い時期に一体誰がアイスケーキを注文したと言うのだろう。


「アイスケーキかぁ、もうほかに無いのか」

「もう三十分くらい時間貰えれば……」

「三十分は無理よ! あんた私が何回金玉のリテイクかけてると思ってんの!」

「なんの話です!?」


 もう、俺も鶴田もいっぱいいっぱいだった。


「なぁ、平田、もういいんじゃないか……」

「え?」


 スマホから平田の声が答える。


「さすがにもう無理だよ。この寒い日にアイスケーキなんて貰っても流石に嬉しくないだろうし、佐野くんのケーキはまた来年ってことにしてさ、後日代わりのプレゼントでも用意すればいいじゃないか」


 俺たちはここまでよくやったと思う。だろう?


「そう……ね。それがいいかも……」


 鶴田が疲れた顔でうつむいて言う。

 あきらめムードが漂う中。


「……いやです」


 スピーカーから平岡の押し殺したような声が聞こえた。


「平岡……?」

「あいつさ……佐野、まわりには気丈に振る舞ってるけど、最近すごく落ち込んでるんです」


 平岡の声が続く。


「最近彼女と別れたとかで……」

「そう……だったのか」

「……知らなかった」


 佐野くんはいつもテキパキと仕事をこなしていて、いまだ企画発案のセンスはイマイチなものの、新人ながら頼りにされていた。

 そんなイメージで彼を見ていたせいか、俺は佐野くんが落ち込んでいることには全然気づいてあげられていなかった。

 平岡はおっちょこちょいではあるものの、人の機微によく気がつく、気配りのできるやつだ。

 だから彼だけが佐野くんの様子に気づけたのだろう。


「だから、俺……こんなことで慰めになるなんて全然思ってないけど、佐野に少しでも元気だしてほしいんすよ。俺、あいつがクールなふりして、実はめちゃめちゃ熱い男だって知ってるから……だから、応援したいんです」


 俺と鶴田は顔を見合わせる。

 鶴田の顔に、ふっと諦めたような笑みが浮かんだ。


「しかたないなぁ」

「鶴田先輩?」

「……わかったよ……平岡。ここまできたら最後までやろう」

「白田先輩!!」

「でも急いでね!! もうそんなもたせられないから!!」

「承知!!」


 スピーカーの向こうでは「お、お客様っ、でもこれあの」「そのままでいいです!! これお金! お釣りは入りません!!」と平岡の声が聞こえる。

 佐野のこと熱いとか言っておきながら、お前も大概じゃないか平岡。

 これであとは平岡が戻ってくるまで、佐野くんを俺達が引き止めるだけだ。






 十五分後。

 金玉のリテイクは五回目に突入していた。

 ダメ出しする鶴田の顔もちょっと引きつっている。

 そしてついに


「なんですか金玉金玉って、もうこれでいいでしょう! なんでそんなこだわるんですか!」


 佐野くんの声がオフィスに響いた。きっと廊下まで響いているに違いない。

 あたりまえ体操である。だってもうこれ嫌がらせ以外の何物でもないもん。

 労災も降りると思う。

 ネタバレしないのもこれが限界だ。

 俺は鶴田と佐野くんに近づく。


「すまん佐野くん、鶴田を責めないでくれ」

「白田先輩……?」

「悪かった。これには理由があるんだ……」


 そう、無理にサプライズなどにこだわらず最初から話していればよかったんだ。


「理由……?」


 佐野くんが訝しげに俺を見る。


「気が付かないの? 部長にも、町田さんにも誕生日ケーキを渡しただろう。あとは佐野くんだけなんだ。ただ、ちょっと不手際があって……」

「何を、言ってるんです……?」


 佐野くんは心底分からないという感じでいう。

 俺はその反応に違和感を覚える。

 ここまで言って分からない……?

 その時。


「ハッピバースディトーユー」


 廊下から平田の声が聞こえた。


「はっぴばーすでぃトーユー」


 あいつ、やっと来たか。

 鶴田の顔に安堵の笑みが浮かぶ。

 間に合った、とは言えないかもしれないが、それでも平岡はやってきたのだ。

 オフィスに入ってきたその姿は冬だと言うのに、上着もなくワイシャツのままで、顔は寒さで赤くなって、それでもその手には箱のケーキがしっかり握られていた。


「「「ハッピバースデイでーあ佐野真司~」」」


 俺と鶴田も歌声に加わる。


「「「ハッピバースデイトーユー」」」


 佐野くんの前に箱ごとケーキが置かれる。

 きっと廊下で佐野くんの声を聞いて慌ててきたのだろう。箱からケーキを出す時間すらなかったに違いない。

 パチパチパチパチ

 三人で拍手する。


「え? あの、おれ……」


 佐野君は戸惑ったように声を出す。


「誕生日おめでとう佐野くん。ほんとうにごめんなさい。引き止めるためにあんな仕事たのんで」


 鶴田が謝罪する。


「ごめんな佐野、このケーキ手に入れるのに時間がかかって、でも平岡がどうしてもっていうから」

「え? 平岡さんが?」

「いやー。佐野最近元気なかったから、こんなんで悪いけど」


 平岡が頭をかきながらいう。


「あの、おれ……」

「さ。佐野くん急いでるんでしょ? 箱から出して、少し食べて、残りは持ち帰りでいいからさ」


 と鶴田が箱からケーキを出そうとするところで、


「あの!! 俺!!」


 と佐野くんが言う。

 皆の動きが止まる。

 どうしたというのだろう。

 佐野くんが、気まずそうな顔をして目を伏せている。


「俺…………今日、誕生日じゃないです」

「「「…………」」」



 場を、沈黙が支配した。



 俺はゆっくり平岡を見る。


「……平岡? たしかお前が佐野君が誕生日って……」


 平岡は目を見開いていた。


「え? え? だって、佐野の卓上カレンダーに誕生日って書いてあって」

「……普通自分の誕生日ってあんまりカレンダーに書かないんじゃない?」


 鶴田の冷ややかな顔で突っ込む。


「そうなんですか!? じゃあ、あの誕生日って……」


 皆の視線が佐野くんに集まる。

 うつむいたままの佐野くん。


「こないだ別れた……彼女の……」

「「「…………」」」


 あー。

 まこと我らのしてきたことは、傷に塩を塗り込むごとき鬼畜の所業である。

 おっちょこちょい担当平岡は最後までおっちょこちょいだった。


「す、すまん佐野!! 悪気はなかったんだ!!」

「ごめんね佐野くん!! あまつさえ金玉のリテイクなんかして」

「ほんとすまん!! 佐野!! ほんとすまん!!!」


 俺と鶴田と平岡が土下座して床に頭を打ち付ける。

 俺達の謝罪に佐野くんが乾いた笑い声をあげる。


「あ、あはは……いいんです。先輩たちが俺を元気づけようとして用意してくれたのは分かりますから。これ、みんなで食べましょう……?」


 あまりに痛々しいその笑顔。

 しかし、箱からケーキを出した佐野が固まる。


「え……これ……」


 佐野くんの視線は、アイスケーキ上部に固定されていた。


「佐野……?」

「え? なに?」

「どうした佐野くん?」


 俺達はおずおずと立ち上がりアイスケーキを覗き込む。

 アイスケーキには、板状のチョコにメッセージが添えられていた。


「あ……これ、今日キャンセルになったケーキかっぱらってきたから、トッピングそのままだったんだ」


 覗き込んだ平岡がいう。


「え……? なによこれ!『氷が溶けるくらい君に熱く恋してる』だって。ダッサ!!うわダッサ!!! ありえなダッサ!!! だれよこんなの頼むの!!」

「うわっ。これはやらかしてんなぁ!! というかこのケーキキャンセルだったんだろ? 案外フラレてんじゃないかこいつ」

「あはは、ですよねぇー。だってセンスないもんこのキャッチコピー。まぁ熱い気持ちは評価出来ますけど」


 俺達三人は沈んだ場を無理に盛り上げようと好き勝手なことを言って騒ぐ。


「でも熱い気持ちっていっても、振られてんでしょ? せっかくケーキ用意したんだから、これをネタに一度くらい復縁トライくらいやんなさいよって感じよね」

「だよなー」

「ほんとそれ」


 それにしても、なんだろうこの感じ。

 ものすごく、頭に特大の警告音が鳴り響いてるこの感じは……。

 ふと、静かになってる佐野くんに気づく。


「ん? どうした佐野くん??」

「……上等だよ……」

「ん?」

「え?」


 佐野の体がゆらりと揺れる。

 なんとなく、体中から炎が吹き出すようなオーラを感じる……。


「先輩たち……そういうことなんすね……?」

「「「……え?」」」

「このケーキ、俺が予約してたものだってことも。それに佳代子の実家が許嫁がいるから諦めてくれって、俺に言ってきたのも全部知ってて……こんな茶番を」

「「「……」」」

「鶴田先輩が、金玉金玉って言ってたのも……この程度で佳代子をあきらめてんじゃねぇって、男を見せろって、そういうことなんすね……?」

「「「……」」」


「上等だよ……佐野真司、男見せたらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 佐野くんが爆発した。


 その時、廊下でブオンっとバイクの音がした。


「話は聞かせてもらった!!」

「「「島田部長!?」」」


 島田部長が原付きを廊下に乗り付けていた。


 なにしてんの!?

 帰ったんじゃなかったの!?


「佐野!! 乗んな!!」

「部長……?」

「彼女さんに会いに行くんだろう!?」

「……!! はい!!」


 佐野くんが部長の後ろにまたがる。


「しっかりつかまってな!!!」

「待ってろ佳代子ー!!」

「ちわー! 三河屋でぇぇぇーーーす!!!!」


 ギャリギャリギャリギャリ!!!

 爆音を残して部長と佐野くんが去っていった。


「「「……」」」」


 俺達三人は呆然と二人を見送った。






 後日、佐野君は無事佳代子さんと復縁の末、勢いのまま三ヶ月後に結婚した。

 結婚式で見た佳代子さんは、ハグリットに似ていた。



 完

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