第3話 不敵な笑み

「陸お兄ちゃん、一体何を言っているの?」美咲は不思議そうに言った。

「僕、『陸お兄ちゃん』じゃないよ、正和だよ。君は僕のママなの?」

「ママじゃないよ。私は陸お兄ちゃんの妹だよ」

「僕のママはどこ? ママ、ママ。僕のママはどこ? やっぱり、君が僕のママじゃないの?」

「違うもん、美咲は陸お兄ちゃんの妹だもん!」

「じゃあ、僕のママはどこ?」

「とにかく美咲は陸お兄ちゃんの妹だもん!」

 あくまで美咲は折れなかった。

「ママ、ママはどこ?」

 この千日手のような会話は延々と続いた。当然、公園にいる周りの大人も子供もこちらを振り返る。


 公園のベンチに座っていたおじいさんが、思わず持っていた杖を落とす。

 砂場で遊んでいた子供口を開けてじぃーとこちらを見ている。

 ジョギング中のおじさんが、ペースを緩めてその場で足踏みをしながら、二人の様子を伺っていた。


 美咲は段々面倒くさくなってきた。そして、ようやくことの重大性に気付いたようで、

「大丈夫、陸?」と言うと、陸はハッとして自分本来の人格に

「一体、これは?」

 そして陸は頭を振りながら、

「なんか……記憶が飛んでる気がする――さっきまで俺はどこにいた? いや、ここは公園だ――だが、俺はいなかったような気がする……。ひょっとして、遠い遠い、まだ神と人との区別が曖昧だった太古の海からトリップしてきたのか?」と失われた記憶をたどるようにつぶやいた。

「(エヴァの)LCLに沈んでる場合じゃないよ! ここは千葉公園! ついでに私は君のママじゃない!!」

とツッコむ美咲。

「うーん、そうだここは千葉公園。俺は正和……ではなく左右加そうか陸……」

「戻ってきた? お兄……、いや陸?」

 美咲は危ない、危ないと思った。


 陸は片手でおでこを押さえながら、

「ちゃんと『陸』って言えるじゃないか」と言った。

「うん。だけど、注意しないで陸の顔を見ると、自然と『お兄ちゃん』って言葉が出ちゃう。どうしたらいいと思う?」

 それはこっちが聞きたいよ! 「それで俺がどれだけ迷惑しているのかわかっているのか!」と言いかけて、口をつぐんだ。陸は仕方がないと言った顔をして

「それって、常時注意しているしかないだろうな。もしくは、その癖を徹底的に直すか、だな」と少しあきらめたように言った。

「うーん」美咲はうなってしまった。

「まあ今度会うまでに、どうしたものか考えてくるよ。美咲も考えて来てくれ」と陸は頼んだ。

                *


 そして現在。

「はあ~兄貴、オンラインゲームのアイテムを買うために食費を使い込んだってわけ?」

 陸の部屋の中で学習机の椅子に座りながら、正座をしている陸に向かって陽菜は呆れたように言った。

「すまん、親父たちが旅行に行っている間だけでもオンラインゲームをしようと思ってさ。……つい聖剣を買ったら、もっとアイテムが欲しくなって……」

「それで、七万円もつぎ込んだわけ? しかもそのうち五万円は食費から抜き取ったって……最低ね!」

「……すみません」

 陸はうなだれた。

「それで、親父たちが帰ってきたら、どうするわけ? 素直に謝るの?」

 陸は陽菜の顔を見ないように、顔を横にしながら

「あの……ばれたらオンラインゲームも全面的に禁止になるんで――できたらお金を貸してくれるとありがたいのですけど……」

と言うと、今度は陽菜を正面に見て手を合わせると

「陽菜さん、いや陽菜様、どうか哀れな兄貴を助けると思ってお金を貸して下さい!」と懇願した。

 陽菜はすかさず

「嫌よ、どうして私が兄貴の尻拭いを――ちょっと待って……」

 と言いかけて、しばらく考えていた陽菜はニヤッと笑った。

「兄貴、美咲に『お兄ちゃん』って呼ぶのをやめさせたい、って言ってたよね?」

 急な話題の転換に、陸はきょとんとしながら答えた。

「うん、それがどうした」

「私がいい案浮かんじゃった。私の言った通りにすれば、お金を貸してあげてもいいわよ」

「本当ですか、陽菜様!」

 陸は満面の笑みで

「ありがたい! 本当に助かる! 今度の春休みにアルバイトして必ず返します!」と手を合わせながら約束をした。

「あくまで私の言った通りにすれば、の話だからね……」

 陽菜は含み笑いをしながら言った。

 やけに不敵な笑みを浮かべてるのが気にはなるけど……まあ、お金さえ借りられればいいや、と陸は思った。

 陽菜はフフフと笑うと、

「言っとくけど、私の言うことは絶対だから。裏切ったらわかっているでしょうね?」と冷ややかに言った。

「親にばらすと?」

 陸は戦々恐々とし、冷や汗をかいた。

「ついでに金利もつけさせてもらうわ」

 陽菜はそう言うと意地悪く笑った。

「勘弁して下さい!」

 陸に泣きが入った。

「じゃあ、私の言った通りにすることね。私ね、美咲に『お兄ちゃん』って言わせない方法を思いついたの。お金を抜き取ったことはチャラになるし、美咲の悪い癖をやめさせられるしで、兄貴にとっても一石二鳥じゃない?」

 その笑い顔は『悪魔の冷笑』のようにも見えた。

 しばし陸は沈黙していたが、しばらくして独り言のように

「そう上手くいけばいいけど……」とボソッと言った。

 そして、陸は思った……もう引き返せないと。金を借りただけではなくて、売ったのかもしれない、魂を――いや、今は陽菜を信じよう、いや信じさせて下さい!

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