まりい・あんとわねと

紫鳥コウ

 三毒とは貪瞋痴とんじんちの異名也。貪、即ち貪欲。瞋、即ち怒り。痴、即ち真理への無知。しかし、瞋と痴は、貪に満ち足りた者の占有するもの也。しかして、貪に飢えたる者、羅城門らじょうもんに来たる。――――『万斛百日紅ばんこくさるすべり


 羅城門から見える朱雀大路は、今がの正刻である以上、他の大路小路と見分けがつかない。もし判然とすることがあるとしたら、検非違使けびいしが持つ松明たいまつの灯りが見えないことであろう。不幸にも未だ、追手の姿はない。


 深い秋の夜風は波のように吹いている。揉烏帽子もみえぼしに麻の水干を着ただけの男には心細い。羅城門の朱塗りの丸柱の裏に隠れているが、身を切るような寒風さむかぜさらされているからか、しくは、追手におびえているからか、将又はたまたどちらともなのか、弓を弾いた後の弦のように、戦慄ぶるぶると小刻みに震えている。


 男の運命は刻一刻と迫っている。人命を盗ったならば、人命を失うのが天が下の摂理である。無論、この男にはconfessio(告解)の相手などいない。救いとなる何者をも持たない。宿命を宿命のままに引き受けなければならないのである。


 筆者は先ほど、「不幸にも未だ、追手の姿はない」と言った。しかしそれは、男に同情をしているからではない。勿論もちろん、あらゆる罪の重さを軽んじているわけでもない。もし今すぐにでも、検非違使に捕縛されたのであれば、かの貴婦人に会わなくて済んだと言いたいのである。


 筆者の手元にある記録によれば、のマリー・アントワネットは、voyageuse(旅客)として洛中を訪れたようである。その記録を信用するならば、「近江の鮒売ふなうりの首に、十彩二十光じゅっさいにじゅっこうの宝石で作られた数珠じゅずをかけ、鮒を買い占めた」という。


 また、同作者の別の記録に拠れば、「まりい・あんとわねと(ママ)は、貪婪どんらんな色慾の持ち主」であり、「柳の下、月の光を受け、清冽せいれつな青い瞳を燃やし、吉野の姫君の逆恨みのために蝟集いしゅうした辻冠者どもを籠絡し(…)暁闇ぎょうあんには、(彼らは――筆者注)吉野の姫君の首を斬ると意気込んだ」という。


 又、別の作者の記録に拠れば、「まりい・あんとわねとは、金色の髪、碧色の眼、朱色の唇、純白の肌……それら全て、陽光がなくとも光沢を帯び」ており、「彼女の若かりしときのことを推測すると、天が下でも類を見ない美女であっただろう」という。


 そろそろ話題を男のことに戻そう。男は有象無象の若侍の中のひとりである。のみならず、epicurean(快楽主義者)だった。この若侍に関する記録は少ないが、『閑散澎湃談かんさんほうはいだん』に拠れば、「かわつむり三昧」(自慰三昧――筆者注)だったという。しかし『未生記みしょうき』に拠ると「閨房けいぼう震旦天竺しんたんてんじくの術を持ち込む達人」だったと記されている。


 寛文かんぶん期の優れた批評家である桂段秀才かつらだんしゅうさいに拠れば、「閑散澎湃談の記述を考証すれば、虚偽の上に虚偽を重ね、真実のように組み立て」られているという(『悪しき伝統』及び『泡の日照り』参照)。よって、我が旧友、埜木充のぎみつるのいう「平安朝の透明化された淫獣」という批評も、辛辣しんらつながら的外れではあるまい。


 その日の夜――それは、月明かりが、愛娘まなむすめの目を涼しく美しく見せていた――、若侍は、いつも通り「みちのくの受領ずりょう」(この「みちのく」は「陸奥」ではなく、なんらかの渾名あだなであるという指摘がある。児平萼こだいらがく『平安朝期における周縁部の研究』参照)の愛娘と内証に姦通していた。


 そして、或る一悶着があり、若侍は女を斬り殺したのである。しかし、その一悶着というのは、史料を紐解いても仔細しさいには分からない。そこで、ここからは、筆者の推測を――その稚拙さは自覚しつつも――僭越せんえつながら披露したいと思う。

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