第15話 悪魔

 割れた水槽のガラス片が辺りに散乱すると同時に、複数の魚たちが地面へ落下する音が響く。楽しげな雰囲気に包まれていた店内は、突如発生した異常事態により混乱に陥っていく。支払いを済ませた男が慌てて外に出る。そして、視界に入る光景に目を見開く。水槽のガラスが割れ、水が外に流れ出していたのだ。


「なんだ、一体何が起きているんだ!?」


 男が叫ぶと同時に、左側から絶叫が聞こえてくる。視線を向けると、そこには魔法生物を管理する水槽から逃げ出した鎧鱗を持つ巨大魚が何かを食らう姿があった。

 口の中に含んでいるものを見て、男は絶叫する。人間を咥えていたのだ。


 魚は抵抗する隙も与えず、血を流し痙攣する人間を飲み込んだ。

 体中から生じる汗と心臓の鼓動が、男の恐怖心をあおる。

 絶叫と慟哭に辺りが包まれる中、男は静かに理解する。


 次に殺される可能性があるとすれば自分かもしれないと。


 男は目の前に近づいてきた魚が奏でる歯ごしり音を聞かないように耳を塞ぎながら、必死に手を合わせ願った。自分自身ですら、助かる見込みはないと諦めていた。

 そんな絶望的な状況を、一人の女性が打開した。


 腰まで伸びた淡い藍髪を持つ、ローブ姿の女性、リーブスだ。

 彼女は眉間にしわを寄せながら長い溜息をついた。

 

「ようやく違う服を着れたっていうのに。魔法で戦闘用のローブに着替えるなんて思ってもみなかったわ。美味しい食事を楽しんで、のんびり過ごす予定だったのにね。何かしら犯罪組織が絡んでいると睨んでいるけどさぁ……先ず、事態を収拾しないといけなくなっちゃったねぇ。でもまぁ、弟子にかっこつけちゃったし。頑張りますかっ、と」


 刹那、リーブスは姿を消した。

 静寂に満ちる中、男は周りを確認する。

 何か柔らかい感触が足に走り、顔を下げる。

 そこには、バラバラに刻まれた鎧鱗を持つ魚の姿があった。


 リーブスの力を知らない男は、彼女が何者なのだろうかと思いつつ逃げ出した。

 出口に向かうまでの間、男はロッタ水族館で起こる惨劇を目にし続けるのだった。



 同時刻、リリーシアは個室に現れた給仕姿の男と対峙していた。男の手には、刃渡り十センチのナイフが握られていた。

 両目の焦点が合っていない給仕の男は、不気味な笑みを浮かべながらナイフを持って近づいてくる。一歩一歩足を進めるたび、周りに緊張感が高まる。


「お前は……一体誰なんだ!?」


 コーラルが冷や汗を流しながら叫ぶと、男は足を止め、


「犯罪組織の一員だと言っておく」


 と呟いてから、にたりと不気味な笑みを見せる。逃げ場のない個室で脅威にさらされている状況に、コーラルは冷や汗を噴き出していた。ナイフを手にした男は、下品な視線でリリーシアたちを見回す。


「女一人、子供二人か! 高く売れるなぁ」

「ふざけるなっ! 売らせてたまるかぁ!!」


 鬼のような形相でコーラルが怒鳴る。

 家族の命を脅かすことは、何よりも許せないことであった。


「お前うざいなぁ。殺すわ」


 男はうなじをかいてから、コーラルに狙いを定め走り出す。

 標的となったコーラルは、盾となって攻撃を防ごうとしていた。


「ひどいことなんて、させませんよ」


 少女の声が響いた直後、男の両手に鋭い水の矢が直撃する。ナイフは男の手から外れると同時に、カラカラと床に落ちた。男は目を見開き、攻撃が放たれた方向を見る。そこには冷静な表情のリリーシアの姿があった。


 「ししょうにいわれたんです。わたしがじたいをしゅうしゅうするから、かわりにこのひとたちにきずひとつつけるなって」

 

リリーシアは師匠と交わした約束を口にしながら、敵を睨みつける。給仕の男は冷静に状況を確認し、両手を上に上げた。


「分かった、参ったよ……降参だ」


 男はあっけない口調で降伏する意思を示す。あまりにも呆気ない終わり方に戸惑いを隠せないと、クラーケンが話しかけてくる。


『敵に容赦はするな』

「...わかった」

 

 リリーシアはクラーケンの指示に従い、魔法で男に攻撃を加える。放たれた水の魔力が男の四肢を壁に縛り付け、動けなくする。


『魔力を抑えつつ攻撃するとは、なかなかやるではないか』

「どれだけ魔力を抑えて魔法を使うかがわかるようになってきたからね」

『カッカッカッ。ワシのおかげじゃなあ』


 そんな会話をしてから、リリーシアが視線を上げると、男の唇がわずかに動いていることに気づく。つぶやきを口にしているようだ。


「我が主よ! 私の命を犠牲(いけにえ)に、悪魔を討伐したまえ!!」


 男が大声で叫び、人形のようにうつむいた姿勢を見せる。妙な緊迫感が辺りに漂う中、年寄りのような声が男の口から漏れ出した。


 声が止むと同時に、眼前の男から獣臭さが漂い始めた。リリーシアが魔法を詠唱し敵への拘束を強めようとする。刹那、彼女の前で予想外の事態が生じた。拘束した敵の水魔法が消えうせたのだ。


『……弱いなぁ、全く弱い』


 男の口から不気味な声が漏れる。老婆のような声だ。


『大人二人、子供二人……それなりに殺し甲斐はありそうだ。せっかくだし自己紹介でもしてやろう』


 男だったなにかは不気味に歯を合わせながら喋り始めた。


『私の名は、悪魔。私と契約した人間の魂を食い殺す快楽主義者だ。好きなことは、人の憎悪を見てそれを食べる事。嫌いなことは、私を苛立たせる者だ』


 悪魔と名乗る男はリリーシアを指さした。


『悪魔と契約しているそこの子供よ、なぜ貴様は死んでいないのだ? 悪魔と契約したら、普通の人間は魂を奪われ制約をかされるはずだ』


 悪魔が苛立ちを見せる中、クラーケンが『カッカッカッ』と笑ってみせる。


『ワシは制約を取らなくても、まったく困らんからじゃ。何より、こやつが死んだらそこの世界を見れないからのぅ。まぁ、あれじゃ。貴様みたいな三流悪魔みたいに、短期的快楽ではなく長期的快楽をわしは考えておるんじゃよ』

『……なるほどなるほど、よくわかった。クソ悪魔とそれに憑かれた小娘よ、まずは貴様らから殺してやろう』


 憎悪に満ちた悪魔の声が、部屋内に響くのだった。

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