第6話 正しい情報に生きるとはむつかしいという話

 ハイ、退院しました~~~!(祝~~~(拍手拍手


 なんだかんだひと月ほどの病院生活でしたが、快適でした。

 三食決まった時間に健康的なご飯が出てくるってだけで、全スタッフさんに感謝しかなかった……(本当にありがとうございました……




 入院中は運動時間なんかに院内の植物を一つずつ調べたりなんかして、チョット植物シッテル、になりました(嬉


 生れて初めてカラタネオガタマという木の花の匂いを嗅いで「ば、バナナだ!!!?!!?」と驚愕し、でも花が咲いている時間はいつでも匂いがするわけではなくて、匂いが出てる時間帯が決まってるらしいのを、毎日通って確かめたり。(午後三時以降には匂いがしてました。土地や育成環境によって違うのかもしれません、ちょっと調査したいですね)


 生れて初めて創作界隈でも毒花として有名な生花のギジタリスを発見し(珍しい園芸花ではないらしいですが、身近では見たことなかったです)、本当に胃腸障害が出るのか確かめ(しばらくお待ちください)…………いえ、思い出の漫画・アニメ内で見聞きした憧景からちょっとどんなお味か確かめたくて、「お花一輪だけならいけますかね??(※ギジタリスは全体に毒があり、特に葉に多い)」と看護師さんに『一応』相談して、真っ当な大人の残念そうな顔で「やめておきましょう(断固」と止められたのもいい思い出です。


 ――――ニンゲンは愚かなのです。特に私。


(※そういえば、最近は病院への生花の持ち込みは推奨されてないそうですね。付着物に雑菌があったりするので、安全のためという話でした。私のお世話になったところは最初から強く禁止のお知らせがある……という程ではなかったですが、病院によっては緩かったり厳しかったり、違いがあるのかもしれません。割と病院のお世話にはなってますが、お見舞いで生花をもらう機会は無かったので今回初めて知りました。)




 こうやって調べ物をするのは、結構好きです。

 興味がある事にはなんでも疑問を抱きやすいので、知りたいことは尽きません。

 興味が無ければ、とんと調べもしませんが……(遠い目


 ただ、こうやって何かを知ろうとするときに、ふと考えてしまうことはあります。


 ネットで調べたりする場合など特にですが、

「この情報の信頼性はどれくらいか?」

「この記事の核心部分は、信頼できる調査からの引用なのか?」

「このニュースのグラフは、恣意的な構成などがなされていないか?」


 …………考え出せばキリがないのですが、ついつい仕入れた情報の検証を怠っていないものかと、自分を疑ってしまいます。


 そうすると一度に色々頭を使い過ぎて、すぐに脳味噌がパンクしそうになります。

 いっぱい、沢山、考えて、調べて、確かにしていきたいのに。

 でもそれは、ある意味正しい脳味噌の使い方ではないかもしれません。


 どこかに「知らない」ことを恥じる精神があるのではないかと自身に問えば、「無い」と断言するのは難しい。

 自力で調べきる力の無い自身への負い目もあるかもしれません。

 調べる力の無いことを誹られた時に返す言葉を持てない、臆病の発露なのかもしれません。


 こんなにたくさん、世界には訊ねれば応えてくれる親切な人がいるであろうに。

 そういう人たちの優しさを無いものにして、強く人を非難する人の言葉ばかりに囚われる、私の弱さかもしれません。



 ネットという、一見「どんな情報でもある、つまり自力で調べれば何でも探せる……と、一般には思われている、けれど本当は欠落も間違いも多い不完全な情報源」にお世話になっている、一種の弊害かもしれません。

 ある程度どんな情報にアクセスできても、情報の正確さの検証は、まだまだ人の目に委ねられてしまうと思うので。




 物事を、丁寧に調べ尽くそうとすることは並大抵の仕事ではありません。

 お仕事や日常生活に一生懸命な人が、新しいことを調べようとするのはとても大変なことだと思います。

 たまたま知りたいと思っていた事を、身近な人が、「こうなんだよ!」と教えてくれて、「そうなんだ!」と受け取ったところで、一般的な話だと私は思います。

 例えその情報が誤りであっても、教えてくれた人が正しい事だと思い込み、親切で教えてくれて、受け取り手もその人を信頼していたから鵜呑みにしたとしても、二人共責められる事はあるだろうか?とも思います。


 しかし、安易な言葉が散り舞う枯葉のように無数に飛び交うSNSなどでは、そのような人の「迂闊さ」を非難する声をよく目にしてしまう。

 なんと世界には「少しもあやまつことのない」立派な人ばかりだと誤解してしまう。

 本当は、そんな完璧な人など、居はしないであろうに。


 あの場所で、安易な言葉を目にするたび、「自分の発した言葉がどんな人にまで届くかという想像力」の限界を、いつも考えました。

 そして、自分の想像力の限界を意識しないからこそ形にできる、軽く、触れれば容易く肌を裂く、鋭利なテキリスゲのような言葉たちに圧倒されたりもした。

 でも、それを非難しようという気持ちにはなれなかった。


 安易に交し合える、迂闊で不用意な言葉も、私の大好きな言葉だったから。





 少し話がずれました。

 物事を個人で調べる、その大変さ、ということでした。 


 SNSなどは、特に情報の玉石混交が激しいですね。

 情報源としてはとても難易度が高いように、私は思ってしまいます。

 最近は、分野によってフェイクも多く出回るようになったので、なおのこと。

 そんな中で、正しい情報を精査するのは至難の業です。

 間違った情報が流布しても、仕方がないと思います。


 ただ、ネットでも、現実でも、もしそのような誤りの情報を自分が流してしまった時に、どのような態度を取るかはよくよく考えておきたいと思ったりします。

 少なくとも、「たかだか一個人の安易な戯言だ」と、個人の負う領分の小ささを逆手にとって、保身に走るような抗弁をするのは違うのだろうと思ったりします。

 かといって、なんでも自分の責任と感じて負い込むこともまた傲慢であるのだろうと思うので、バランスを考えたいところです。



 言葉は、安易に口にできる。文字にできる。

 けれど、発信者の気易さと釣り合わない効果を、思わぬところで発揮したりもする。

 なんと軽率に使えるのに、扱いの難しいものだと改めて思ったりします。


 …………またちょっとズレた。(すぐ話題がズレるのだから……

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