チョコミントはおあずけ

瀬名那奈世

第1話 夏の夢

 午前七時二十分。コンビニは出勤前のサラリーマンやOLで賑わっている。俺は入口を掃除している女性店員に軽く会釈をして涼しい店内をいそいそと進み、お目当てのアイスに手を伸ばした。



「ありがとうございましたー」



 会計をすませて外に出ると沖縄の容赦ない朝日が照りつけた。買ったばかりのアイスを齧りながら横断歩道を渡り、アパートへと続く脇道へ入る。民家の石塀から伸びる鬱蒼とした木々では相変わらず、ジージーとやかましく蝉が鳴いていた。七月に入ると唐突に存在を主張し始めたこいつらは、今ではすっかり俺の目覚ましになっている。カンカンカンと音を鳴らしながらアパートの階段を上り、ニ階の一番奥の扉を開けると、むわっとした空気が押し寄せてきた。



「暑い。暑い暑い。暑すぎだろ……」



 もそもそと独り言を言いながらエアコンのスイッチを入れる。涼しい風が一気に噴き出てきて前髪を押し上げた。俺は残っていたアイスを食べ切って、再びベッドに潜り込む。あと二時間ほどゆっくり寝て、起きたら作業開始だ。出勤ラッシュと無縁の生活ができるのは在宅ワーカーのいいところである。



 母から電話がかかってきたのは午前十時過ぎだった。



 普段はメッセージアプリでやり取りを済ませる母である。わざわざ電話してくるということは、何か余程の事情だろうか。



 俺は仕事を中断して、ベッドに置きっぱなしになっていたスマホを手に取った。



「もしもし。どうしたの」

「ああ、圭人けいと? 実はね、おばあちゃんが……」



 告げられたのは母方の祖母の訃報だった。



 驚きはあまりない。施設で寝たきりになっていた祖母とはもう三年は会っていなくて、晩年の祖母がどのような状態だったのかもわからない。それでも電話を切ると大きなため息が出た。



 ごろ、と寝転がって天井を見上げるが、体が二ミリくらい宙に浮いているかのような感覚に襲われて慌てて目を閉じた。横切るだけで自分の生すら曖昧に感じられてくるのだから、死とは不思議なものである。



 十分ほど休んだ後は重たい体をなんとか動かして再び仕事に取り掛かった。明日はお通夜、明後日はお葬式である。今日の分と合わせて少なくとも三日分の仕事を終わらせなければならない。「ツチノコが歌おうがネッシーが空を飛ぼうが納期はやってくる」とは俺のフリーランス仲間の迷言である。そういえばアイツも、自分の結婚式の前日に徹夜をして仕事を終わらせてたな……。



 二十三時までかかってようやく急ぎの仕事が全て片付いた。さっとシャワーを浴びてストレッチをし、二十三時三十分には横になる。おおむねいつも通りの時間だ。生活習慣が乱れるのは嫌いなのでなんとかなってよかった。七時に起きて八時には家を出て、と明日の予定を考えていると段々意識が遠のいていく。



 ――真っ黒に焼けた腕が見える。小学生の頃の自分だ。隣に立っているのは色素の薄い、少し長めの髪をした男の子。夏休みに祖母の家に遊びに行くと、毎年必ず一緒に遊んでいた。まっすぐな笑顔が眩しくて、物知りだが気取らないいい奴だった。名前はなんだっけ。



「これ本当に食べていいの?」

「いいってば。絶対うまいから食ってみろって」

「でも、けいちゃんのおばあちゃんが、けいちゃんのために買ってくれたんでしょ。僕もらえない」

「俺に買ってくれたんだから俺のもんだろ。ってことはどうしようと俺の勝手だろ。ほら、早くしないと溶ける……あ、ほら、もう溶けてきてる!」

「えっ? うわっ」

「早く口開けろ、――」



 白い天井が視界いっぱいに広がった。カーテンからは日光が漏れ出し枕元でアラームが鳴っている。降るような蝉の声に一瞬、自分が今何歳で、ここがどこなのかわからなくなる。



 彼の名前はなんだっけ。



 アラームを止めてしばらく考えていたが、五分ほどで我に返った。早く支度をして家を出なければならない。身支度を整えて朝食を食べているうちに、夢は意識の底に沈んでいった。ガソリンが少なくなってきていることを思い出した俺は、予定よりも十分早く家を出た。  

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